「私は意識、永遠、無限、波動、エネルギーです。」
「私は愛、あなたも愛、ひとつです。」
その人、田池留吉 U
ー田池留吉の世界「自然治癒力」ー
自然治癒力は、
すべてを生かす喜びのエネルギー、パワー。
+ 田池留吉の磁場
塩川香世 著
断食の主な 凄い効果・効能 ←クリック
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自然治癒力が語ってきます。
心の中に、田池留吉、アルバートの世界を広げ、自然治癒力に心を向けなさいと語ってきます。
私の中に喜びが膨れ上がってきます。
自然治癒力とは、私そのものです。喜びを文字に表してくださいと語ってきます。
そうです、自然治癒力とは喜びのエネルギー。
私はその自然治癒力のエネルギーをしっかりと心に感じています。
私の肉体細胞が活性化されていく喜び、その喜びを心に感じ、私はこの自然治癒力を皆さんにお伝えしたいです。
思いを届けたいです。田池留吉、アルバートの世界を届けたいです。
私の中に自然治癒力が蘇り、そのエネルギー、喜びのパワーが肉体細胞に作用していくその様を心に感じ、
私は田池留吉、アルバートの世界をさらに深めていきます。
私の勉強です。ありがとうございます。
心を田池留吉、アルバート、お母さん、そして、宇宙に向ける私の喜び、心に感じています。
心を向ければ、私の中は広がっていきます。
肉の私とは本当に違っていました。心の世界、意識の世界、これが私でした。
今、瞑想をして、心を向け、心の針を合わせて、私は私を感じています。とても嬉しいです。ありがとうございます。
■
今、私は自然治癒力とか磁場のほうに思いを向けて、私の勉強をさせていただいています。
その中で感じることは、自然治癒力も磁場も肉体細胞も、
ただひとつの方向を私に示しているだけだということです。
すべては、田池留吉、アルバートの世界なんです。
言葉は違うけれど、私には、田池留吉、アルバートの世界のエネルギーなんです。
田池留吉、アルバートの世界の中の自然治癒力であり、磁場であり、肉体細胞です。
みんな私の中ではひとつなんです。
だから、心を向ければ、ただただ喜びのエネルギーを感じます。温もりと優しさを感じます。
それらを通して、田池留吉、アルバートの世界に心を合わせられる、
ひとつを感じられる喜びだけが、私の心に広がっていくんです。
私は、おそらく死ぬまで元気です。死ぬまで大病は患わないでしょう。
次元移行の意識の流れの中で、今、肉を持って何をすべきか知っているからです。
それは肉体細胞の思いと同じだからです。肉体細胞があるときは、その思いとともに存在していくからです。
田池留吉の世界に心を向けて、合わせて、委ねる瞑想ができる。
心から、田池留吉、アルバートを呼べる。
温もりと喜びと安らぎの中にある私を感じることができる。
肉体細胞とともにある今、肉体細胞とともに喜びを感じる時間を持てることが幸せです。
■
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自然治癒力は喜びのエネルギーです。
私達も喜びのエネルギーです。
だから、私達は自然治癒力
そのものなんです。
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このページは、全て、この 学び を通じて 心の窓 を開かれ、
真のチャネラーとなられた塩川香世さんの チャネリング(意識の世界との交信)によるものです。
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◇ 目 次 ◇
1.はじめに
2.肉体細胞から限りない優しさが流れていることに気付いてください
3.自然治癒力をフルに発揮させるためには……
4.みんな幸せになろう
5.1+2=3の真実の波動の世界
6.自然治癒力は、すべてを生かす喜びのエネルギー、パワー
7.おわりに
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■ 「はじめに」の部分を紹介させていただきます。
私は、「この世の中のどこかに必ず本当のことがある」と思っていたけれど、
その本当のこととは何かが、全く見当がつきませんでした。
しかし、自分の心の中に、「この世の中のどこかに必ず真実はある」といった思いを、
ずっと以前から感じてきたことは確かでした。
楽しいことや嬉しいことが日常生活の中であっても、どこかで冷めている自分がありました。なぜなんだろうかと思ってきました。
心の底から喜び切れないんです。楽しいなあ、いいなあと思ったそのすぐあとから、妙に空しさを感じてきました。
私自身は、何かを買って嬉しい、どこかへ行って楽しい、美味しいものを食べて幸せ、
何か目標を持ってそれに向かって頑張っていることに、ある種の充実感、達成感を感じて満足しているのに、
それとは別の私がそこにいるんです。実は、私は、ずっとそんなことを感じながら生活をしていました。
そして、ある時期に、ある現象をきっかけに、「心を見るという学び」に集わせていただいたのです。
正確に言えば、集わざるを得ない状況に自分を追いやったということです。
それから、「『心を見る』とはどういうことだろうか」と自問自答しながら、
そして、「別の私がいると感じてきた私を納得させるものがここにはある」と感じながら学ばせていただき、
早二十年近くの年月が流れています。
今は、当時感じてきたことは私の中で納得しています。
あの時、心の底から喜び切れない自分が本当の自分でした。
それまで、私は、ずっと偽の自分ばかりを中心にして時間を過ごしてきました。
だから、どんなに楽しくても、どんなに充実感に満たされても、空しさがあとから迫ってくるのは当然でした。
喜び切れない本当の自分が、それは違っていることを教えてくれていたのでした。
皆さんは、どうでしょうか。
私が感じてきたことと同じように、「そう言えばそうだなあ。今、私には差し当たりの問題はなく、何となく生活をしているけれど、
私も、実は心のどこかに、何かそぐわないもの、しっくりいかないものを感じているんだ。本当にこのままでいいのかなあ」
と感じておられるならば、少し、この本を読んでみてください。
ところで、「自然治癒力」という言葉は、割となじみのある言葉かと思います。
そこから連想するものと言えば、病気とか、病むとか、傷つくとか、そういうものでしょう。
例えば、病気とくれば、あなたはどんなイメージが出てきますか。
私は、「心を見るという学び」に集う約二十年前までは、病気ということに対して、マイナスのイメージしかありませんでした。
身体が病む、心が病む、それは、できれば自分を含めて、私の周りでは起こってほしくない出来事でした。
人間は、加齢とともに弱っていき、死を迎えることは理解できても、若くして難病に侵される、
あるいは若くして死を迎えることは、私の中で受け入れ難いことでした。
また、精神的に不安定だとか、そういうややこしくて、理解に苦しむ心の病が、なぜ私達人間に発症するのだろうかと、
これもまた暗いマイナスのイメージを私の中から払拭することは困難でした。
それが、何と、私はその受け入れ難い現象が自分の周りに起こり、
前々から母より話だけは聞いていた「心を見るという学び」に集う結果となったのでした。それが約二十年前でした。
寝耳に水の出来事は、何かの促しだと思いました。
それまでの自分の生き方の方向が間違っていたことを、端的に自分に示したとしか言えないと思いました。
驚きと戸惑いはありましたが、私は自分を正しい方向に向かわせたと、
その当時の早い時期に感じ、自分なりに真面目に学んできました。
病気ということに対して、マイナスのイメージしかなかった私は、
目に見えて触れることができる形のある世界しか考えられなかったし、
それがすべてだとしてきたのです。それが私の現実だと思ってきました。
そんな中で、「死んで花実が咲くものか」と嘯いてきたのです。
自分の人生を考えても、有限の中でしか考えられなかったのです。
そんな自分の考え、思いのすべてが間違ってきたことを、私は学びを進めていく中で知っていきました。
形の世界が本物であり、それが現実だとするところから、自分の人生を考え、自分を感じてきたのです。
私は、それがすべての間違いの元だったことを学んできました。
と言って、「あなたも『心を見るという学び』をしてみませんか」と強制しているのではありません。
また、勧誘しているわけでもありません。
ただ、「あなたも本当のことを知りたくありませんか」「本当のあなたに触れてみたくありませんか」という思いで、
この先を綴っていこうと思います。
自然治癒力というテーマを通して、私達は、本当の喜びと温もり、優しさを忘れ去ったこと、
つまり、本当の自分を見失ってきた私達だったことを伝えていきたいと思っています。
そして、一人でも二人でも、「本当の自分と出会える道を歩いていける今なんだ」と、心で感じていただけたらと思っています。
その前に、ここで、「心を見るという学び」について、先に少し触れておきたいと思います。
「心を見る」とは、あなたが、日々生活をしている中で、
あなたの心の中に浮かび上がってくる思い、特に苦しい思いを確認していくことです。
苦しい思いとは、例えば、怒る、争う、競う、見下す、責める、支配する、嘆く、卑下する、誇る、蔑む、嫉妬する……
といった暗い思いです。
まだまだ暗くて重い心の内はたくさんあると思いますが、
このような暗くてドロドロした苦しい思いを、私達は、常日頃、頻繁に流しているのです。
しかも、殆どの人達は、そういう思いを無頓着に流しています。
よしんば、「ああ、そうだったなあ」という人でも、そのような思いが暗いとか、重いとか、
ましてや、それがそもそもの誤りだなどということは、全くと言っていいほど知らないと思います。
とにかく、私達は、朝起きて夜寝るまで、色々なことを見て聞いています。
テレビ、新聞、パソコン等を通して様々な情報に触れ、そして、また同居する家族の人達、
日々関わり合っていく人達を通して、私達の心の中には色々な思いが起こってくるのです。
しかし、殆どの人は、心を見るという習慣がありません。
だから、ある日突然に、何か自分達に不都合なこと、俗に言う不幸せなことが起こってきたときに、
「私達は何も悪いことはしていないのに、何で私達だけがこんな目に遭うのか」と、よく言うではありませんか。
何も悪いことはしていない、それは確かにそうかもしれません。
世間様から後ろ指を指されるようなことをした憶えもないでしょう。
しかし、です。
実際に、今、目の前に起こっている出来事の前に、すでに自分達には色々あったはずなんです。
そして、そのたびに、色々と心が動いてきたのです。その心の動きを見ていったならば、
先に書いた色々な苦しくて暗くて重い思いを、過去どこかで必ず出してきたと知っていくでしょう。
もっとも、過去出してきた思いと、今、目の前に展開している出来事とが直接結びつくとは限りません。
あの時、こんな思いを出したから、今、こういう目に遭っているんだとは一概に言えないかもしれません。
しかし、少なくとも、自分達は何も悪いことはしてこなかったとは決して言えないんです。
自分達が日々流しているエネルギーのすごさを知っていけば、決してそうは言えません。
ただし、自分達から流れているエネルギーのすごさを知っていくことは難しいです。
そもそも、殆どの人達は、自分達からエネルギーが流れていること自体、知らないのではないでしょうか。
例えば、怒りのエネルギーは、自分の肉体細胞を破壊していくほどのすごいエネルギーだとは、
殆どの人は分からないと思います。
それほど、もともと敏感だった私達の心は、欲にまみれて鈍感になってしまったんです。
そして、心というのは目に見えません。
だから、心が動いていても、言葉や態度に出さなければ相手に分からないとか、
ただ自分の胸の内に秘めていればいいとか、そう思いがちです。
しかし、そうではなくて、実は、心が動くということは、あなたの心からエネルギーが流れ出しているということなんです。
そして、それはどんなエネルギーかと言えば、先ほど語ったように、暗くて重いエネルギーです。
エネルギーだから仕事をします。
そのエネルギーが、色々な形で現象化していくということです。
もちろん、暗くて重いエネルギーは、言ってみればマイナスのエネルギーです。
マイナスのエネルギーはマイナスの仕事をします。
形としては、破壊、崩壊、分裂ということでしょう。
それでは、そのマイナスのエネルギーは、ずっとマイナスのままなのでしょうか。
ここからが大きな分かれ道なんです。
それは、どういうことかと言えば、形となって表れてきた現象を通して、
自分の心を見つめるということをしていくか、していかないか、その岐路に差し掛かっているということなんです。
心を見ることを知らない人は論外ですが、心を見ていけば、マイナスと思ってきた現象から、
私達は色々、色々学んでいけるのです。いいえ、学んでいかなければならないのです。
つまり、それらの現象は、「今、目の前にこんなことが起こっていますね。
それを見て、あるいは聞いて、あなたの心からどんな思いが出てきますか。
そして、それは明るい思いですか、暗い思いですか」と、私達に絶えずメッセージを送ってくれています。
心を見ていけば、そういうふうに受け取っていけるあなたになっていけるんです。
心を見るということが、現象を通して学ぶということになります。
そして、学んでいった結果、必ず、この世にマイナスのエネルギーはなかったことに気付けます。
マイナスは必ずプラスへ帰すことができることに気付いていけるんです。
また、プラスのエネルギーは、さらにプラスが強くなっていく。
つまり、喜んでいけばいくほど、喜びのエネルギーは大きくなっていくことも知っていけます。
一方、自分の心を見ることがなければ、マイナスをマイナスのまま抱え込んでしまいます。
だから、また時が経てば、抱え込んだマイナスのエネルギーが噴き出していくんです。
このように、心を見るということが、とても大切なことであり、これしかないことを最初に知っておいてほしいと思います。
「心を見るという学び」と書きましたが、本当は学びではなくて、
私達人間はみんな、心を見ていかなければならないということなんです。
そして、私達は、目に見える世界ではなくて、目に見えない世界があることに、もっと注目すべきなんです。
つまり、それは、意識、波動、エネルギーの世界です。
そして、それらの世界には、プラスとマイナスがあって、プラスとはどういったことなのか、
マイナスとはどういったことなのかということも、私達は、自分の心で知っていくべきなんです。
私は、そのことを自然治癒力というテーマから語っていきたいと思います。
そして、一般的に解釈されている自然治癒力を含めて、
私が感じている自然治癒力とは、どんな世界なのかを綴ってみたいと思いました。
そして、自然治癒力というのは、もともとプラスのエネルギーですが、
目に見える世界を本物とするところで解釈されている自然治癒力と、
目に見えない世界を本物とするところから感じる自然治癒力とでは、同じプラスでも雲泥の差があります。
そういうことも、本書を通して読み取っていただければ幸いです。
面白おかしく生きて、場当たり的に生きて、暖衣飽食、酔生夢死の中で大切な時間が過ぎ去っていって、
あるいは、仕事に明け暮れ、家族のために生きて、ああ、私の人生は一体何だったのだろうかと思いながら、
この世を去っていくことだけはやめにしませんか。
「心を見るという学び」は、自分を本当に大切にしよう、
自分のことを、もっと、もっと真剣に真摯に考えていこうという学びなんです。
そして、この心を見るという作業には、体力、気力が必要なんです。
だから、もともと私達にある自然治癒力をフルに発揮させて、そして、身体も心も元気になって、
皆さん、どうぞ、ご自分の心を見ていきましょうと、私はお伝えしたいのです。
なぜ自分は生まれてきたのか。何をするために生まれてきたのか。
なぜ自分は死んでいくのか。死んでどうなっていくのか。
そういうことに自分の心で答えが出せるまでにならなければ、
本当の喜び、温もり、優しさの中にある自分と出会うことはできないことを知ってください。
さて、前置きはここまでにして、次の章では、私達の肉体細胞について、語っていきたいと思います。
◇ 内容の一部 ◇
2.肉体細胞から限りない優しさが流れていることに気付いてください
「はじめに」のところでも記しましたが、本当の自分を忘れ去ってきた私達にとって、
病気というのは、やはりマイナスのイメージでしかないと思います。
特に、一家の大黒柱が倒れたとなれば、経済的にも精神的にも重い負担が家族にかかってきます。
それが、重篤ともなれば、それは大変です。高度の先進医療を充分に受けるには、お金がかかります。
もちろん、自らを実験台として捧げる覚悟も要ります。
「まだ死にたくない」「こんなに苦しくて辛い毎日ならば、いっそのこと、ひと思いに死にたい」、
病気という疫病神に取りつかれたら最後、私達は、本人も家族も、寝ても覚めても、暗い暗い世界を引きずってしまいます。
容体に一喜一憂しても、ということは分かりながらも、看守る家族の身体も、心もゆっくりと休まることはないと思います。
看護する時間が長引けば長引くほど、家族の疲労は濃くなっていきます。
それも、快方に向かって看護するならば希望もあるけれど、死を待つだけの看護は、やはり苦しくて辛いものがあるでしょう。
こういうふうに考えれば、病気という現象は、周りの人達の生活のリズムを崩していきます。
特に、死を考えざるを得ない状態ともなれば、
本当のことを忘れ去った私達には、非常に厳しい現実を突き付けられているという感覚しかないと思います。
だから、願わくは、無病息災がいいんです。しかし、生身の人間ですから、そうはいきません。
ストレスから肉体的にも、精神的にもダメージを受け、人生半ばにして、
人生設計を大幅に変えざるを得ない場合も多々あります。
生まれつき虚弱体質の人もいれば、健康な肉体を持ちながらも、
色々なことが原因で体調を崩し、あっけなくこの世を去っていく人もいます。
また、長く体調不良が続き、入退院の繰り返しで、いつも、いつも身体のことばかりが気になって、
もちろん、医者と薬からは縁が切れなくてという人もいます。
一病息災ということで、上手に病気と付き合ってという程度のものならば、まだまだ気楽なものです。
ところが、死の宣告を受けた人は、そんな心の余裕などありません。
あちらの医者、こちらの医者、あの治療、この治療、あの薬、この薬、最後は神頼みまでして、
何としてでも病気というものをやっつけたいと思ってしまいます。
世間では、病魔とか、闘病という言葉があるように、
病気は、受け入れるものではなくて、闘って克服すべきものとなっています。
そして、元の健康体とまではいかないまでも、何とか、何とかという思いは、最後まで捨て切れないかもしれません。
死を静かに受け入れることは、なかなか難しいのではないでしょうか。
懸命な治療は続けられますが、やがて、それもできることはし尽しましたという時期が来ます。
あとは時間の問題です。
最後はホスピスに入所して、延命よりも身体的苦痛、死の恐怖を和らげるということでしょうか。
と、ここまで病気はマイナスのイメージだというところから、一般的なことを書きました。
ここまで書いたものは、あくまで一般的なことです。
ここからは、こういう現実を踏まえて、私の思いを少し語ってみます。
肉体という形を指して、それがその人だとするところから病気という現象をとらえれば、
病気はマイナスのイメージしかありません。
そして、そういうところからは、死を静かに受け入れることなど絶対にできないし、当然、死の恐怖を和らげることもできません。
肉体という形を指して、それがその人だとしている医療現場では、死んだら終わりなんです。
彼らにとって、私達人間の身体は物体なんです。
物体のある部分を切り取ったり、付け替えたりして、修繕して動けば成功、動かなければ失敗。
もちろん、彼らは間違いなく、人間は死んだら終わりだと思っています。
もし、仮に、医療に携わる人達が、この学びをして、
自分の心の中を見つめ、母親に対する思いを見つめ、
自分のエネルギーを心の中にしっかりと包んでいく作業をしてくれたならば、
医療現場は、もっと、もっと目覚ましい発展を遂げるでしょう。
私達人間の本当の姿は、肉体という物体ではなく、目に見えないエネルギーなのだと心で知った医師が、
例えば、ここに存在するとしたならば、どうでしょうか。
その医師からは、間違いなく喜びのエネルギーが流れています。
だから、例えば、その医師が執刀をすれば、そこにすごいエネルギー、パワーが働くんです。
その医師が持つ医療技術の何倍も、何十倍も、いいえ、比べることができない愛のエネルギーが
手術中に起こり、本当に喜びで、喜びで肉体細胞を蘇らせていきます。
そして、その温かな優しい波動は、患者の肉体細胞から患者の意識の世界に伝わります。
もし、そのような医師が存在して、医療の場に立ち会っていたとするならば、
その患者の身体は、本当に、瞬く間に回復していきます。私はそのことが信じられるのです。
私達人間の本当の姿は、こうなんだという意識の転回をしていく医師がここに一人いれば、
それは本当にすごいことです。医療の常識は完全に覆されるでしょう。
そして、肉体的に病んでいる場合もそうですが、心の病を抱えている人達には、もっと顕著にそれが表れると思います。
この場合、医師と患者の信頼関係の中でという条件がつきますが、
意識の転回が捗っている精神科医が一言、「お母さんを思いなさい」と言えば、
たちまち、喜びのエネルギーがその患者の意識の中に伝わっていくんです。
何とも言えない柔らかな波動を感じたとき、その患者の様子がどのように変わっていくかです。
元々、心が敏感な患者は、その波動をキャッチできるでしょう。もちろん、すべてがそう簡単にはいかないかもしれません。
しかし、その医師と何度も、何度も接触をしてカウンセリングを受けるたびに、
波動が流れていき、きっと短時間でいい方向に回復していきます。
ただし、残念なことには、そのような意識の転回が捗っている精神科医は、おそらく皆無に近いと言っていいでしょう。
まず医師から、ご自分の心を見ることを始めなければなりません。
母の反省を通して、自分の心の闇を本当に知っていったとしたならば、
もっと、もっと患者に寄り添えるような精神科医になられると思います。
私は、医療技術云々というよりも、医療に携わっている人達の心の世界が、
もう少し明るくなっていけば、医療現場は目覚ましく変わっていけると思うのです。
本当の喜びとか温もりを知った人達が、自分達の今持っている医療技術を駆使して、
本当の意味で治療に当たられたら、すごいだろうなあと思います。
しかし、現実は、心を見るということを知らない人達が殆どです。
医療現場で最前線に立っている人達も、死んでいく人達に死の恐怖を和らげるお話をする人達も、
おそらく、自分達人間の本当の姿は何であるのかということが心で分かっておられないから、
肉体を離したあとの世界など想像もできないというのが、本当のところだと思います。
そのような人達に囲まれて、どんなに先進の医療技術を施されても、死の世界を説かれても、
心穏やかに自分の人生を全うできるほど、私達が作ってきた心の世界は生易しいものではありません。
それが心を見てこなかった人達には分からないんです。どんなに凄まじいエネルギーで生きてきたか。
もし、そのエネルギーを、それぞれがそれぞれの心で本当に感じるチャンスを得たとしたならば、
ああ、こんなすごいエネルギーを、私の肉体細胞は今の今まで受けてくれていたんだと、感じると思うのです。
病気をして、例えば、身体を自由に動かすことができない状態になったとき、
逆に自分の身体を思う時間、自分の肉体細胞に思いを寄せる時間が持てます。
肉体的に様々な苦痛を伴う病状であっても、その病んで腐ってきている肉体細胞が、どんな思いを自分に伝えているか、
そういうところに思いを向けられる人間、それが本来の私達人間の姿ではないでしょうか。
「自分の本当の姿を見失って、忘れ去ってきた心の世界の醜さ、愚かさから目を背けずに、
命の灯が消えるその瞬間まで、自分の肉体細胞とともにある喜びを感じていきましょう」
と伝えてあげることが、死を間近にしている人に対する最大の優しさだと私は思うのです。
そもそも、病気というのは、身体に変調を来す、あるいは心に変調を来すということです。
そうしたとき、私達はまず病院へ行って、医師の診断を仰ぎます。検査を受ける場合もあるでしょう。
そして、必要なときは手術ということになります。薬を投与されて、私達はできる限り回復を期待します。
どれもこれも私達の外側から、その自分の現状を回復させるために施されるものです。
病院に行くことも、手術を受けることも、薬を飲むことも、みんな具合が悪くなった身体、
あるいは心を、外から元の状態に戻そうとする行動です。
私は、身体などの具合が悪くなれば、もちろん、そういうことは試みて当然だと思っていますが、
しかし、それにどうか留まらないでくださいということをお伝えしたいのです。
というのは、病気という現象は、病気になった本人にとっても、
その周りにいる人達にとっても、大きな、大きなチャンスだからです。
どんなチャンスかと言えば、これまでに綴ってきましたように、自分達の心を見るという大きなチャンスなんです。
私達は、ある日突然、病気それも大変な病気だという厳しい現実を突き付けられれば、
ある時期、落ち込み、そして、嘆いて悲しむということはあるでしょう。
色々と考えて、気持ちの整理がつきかねるといって、苦しみの日々は続くかもしれません。
しかし、本当に苦しいのは、いつまでもそういうところから抜け出せない自分の心なのではないのでしょうか。
私は、病気と闘って、病気を克服していこうとする思いは、決して立派な思いだとは思えません。
むしろ、とても冷たいことだと思っています。
そして、自分の苦しい心をひた隠しに押し殺して、自分の心の叫びに蓋をしたまま、
病気の回復ばかりを願っていく苦しさに、目を向けていただきたいと思っています。
今、現実に、肉体的にも、精神的にも苦しい状態の中にあって、その自分達を窮地に追いやっていると思っている病気を、
自分達の中に受け入れていくことは確かに難しいことかもしれません。
病気が自分達を窮地に追い詰めていると思っている間は、難しいです。
まさに、病気というのはマイナスのイメージです。ダメージです。
そこへ、さらに追い打ちをかけるように、薬攻めの処方が待ち構えています。
色々な薬をあてがわれ、これでもか、これでもかと病んだ肉体細胞を攻撃していくのです。
死滅、撲滅しようとするエネルギーを心から流し、そして、自分の肉体細胞と闘っている自分の姿を想像してみてください。
助かりたいがために一生懸命することが、その片方では自分を殺していることに気付いていっていただきたいのです。
治療を受けてはいけないとか、薬を飲んではいけないとかでなくて、治療を受けながら、そして、薬を飲みながら、
なぜこういう状態になっているのかという原因を、自分の中に模索していきませんかということなんです。
病気になるには、なるだけの原因があります。
表向きには、不規則な生活、過重な労働、ストレスと様々な要因が重なってということですが、
実は、そのもっと根本にあるものがあるんです。
それは、そういう環境に身を置くようになった、そういう環境を作ってしまった自分の心の中の思いに原因があるんです。
ただし、それは、心を見るということをし始めて、段々にそうだと納得することです。
大抵は、病気になった原因など深く追及することはしないで、ただ元気な身体、元気な心を取り戻したいと、その一点張りです。
しかし、病気の苦しさ、辛さだけを訴えるのではなくて、根本にある原因を自分の中に探していこうと思えたとき、
きっとその時から何かが変わっていくと思います。いいえ、変わっていきます。
毎日飲んでいた薬に対しても、毎日顔を合わせる医師や看護師、
そして、看護してくれる家族の人に対しても、自分の流す思いが変わってくるのです。
一言で言えば、優しい思いが流れ出していくのです。
今まで自分の外にばかり向いていた心が、自分の中に向いていくということが、とても大切なことなんです。
ところで、私は、自分の心を見る学びを始めて、約二十年の年月が経ちました。
今、このように語っている私も、二十年くらい前までは、もちろん、肉体細胞に思いを向けるなんてことは、してこなかったです。
肉体細胞の存在すら知らなかったと言ってもいいでしょう。
そんな私でしたが、ようやく、肉体細胞は、いつもあなたに語っているんですよ、
あなたにメッセージを伝えているんですよ、ということが感じられ、信じられるまでになりました。
私は、今は、日々自分の肉体細胞に思いを向けながら、肉体細胞から伝わってくる思いに沿うような生活をしています。
そして、一番大切なことは、外に向く習性のある心の針を、自分の中に向けるように心がけていることです。
そうしたとき、本当に私の肉体細胞から、色々な思いが伝わってくるんです。
思いが伝わるというのは、私が自分の肉体細胞に思いを向けたときに、
心の中に、本当に優しい、限りない優しさと温もりが広がっていくということです。
そして、その思いは、私がずっと、ずっと前から知っていた思いと同じ思いだったんです。
いいえ、私だけではなくて、誰もがみんな知っているあの思いだったんです。
あの思い……、あの思いです。
思わせぶりな表現になってしまって申し訳ありません。
しかし、どうぞ、あなたもご自分の心で感じてみてください。ご自分の心で体験してみてください。
どうするのかという具体的なことは、次の章に譲るとして、
次のような肉体細胞からの思いに、まず触れてみてください。
「 ありがとうございます。ありがとうございます。
私達肉体細胞は、ただひたすら、どの人の中にもあった喜び、温もりの世界を伝えています。
私達肉体細胞の波動と同じ波動を流してくださいと、私達はすべての人に伝えています。
しかし、私達に思いを向けてくれる優しい、優しい人は、あまりいません。
自分の身体の調子がおかしくなったとき、肉体細胞に異変が生じたとき、
自分の欲で、死にたくない、私は死にたくない、病気から私を救ってくださいという思いばかりが流れてきます。
私達肉体細胞が病み腐っていけば、目の敵にしてやっつける思いだけが流れてきます。
私達肉体細胞を切り取り、排除しても、心の中にある闇の部分を自分の中で知らない限り、
どこまでも苦しみが続いていくことを知っている人は殆どいません。
私達肉体細胞はそれを伝えたくて、色々な形でメッセージを送ります。
それがいわゆる病という形で、その人の身体に現れていくんです。
しかし、私達のこの思い、私達の喜びの思いを喜びとして受け入れてくれる人は、ほんの僅かです。
みんな、みんな私達を邪魔者、厄介者として排除しようと、本当に目の敵として、私達を切り取り、切り捨てます。
その冷たい心を見てくださいと、私達肉体細胞は伝えているのです。
しかし、すべてが闇の中にあったところからは、私達肉体細胞のこの波動は、
なかなか、なかなか受け入れてもらえませんでした。
だから、私達はあなたに伝えます。
私達肉体細胞の喜びを感じ、そして、ともに歩いていける喜びを感じ伝えてくれたあなたに伝えます。
私達の存在をもっと、もっと伝えてください。
あなたの心から流れる波動に乗せて、私達肉体細胞の思いを伝えてください。
私達肉体細胞は、ただただ喜びを伝えているんです。苦しみを伝えているのではありません。
気付いてくださいと喜びのメッセージを送っています。
肉体細胞の思いを感じていってくださいと、あなたから伝えてください。」
____________________________
6.自然治癒力は、すべてを生かす喜びのエネルギー、パワー
そして、この喜びのエネルギー、パワーこそが私達の本当の姿。
私達が本当に自分の心を見ていけば、自分達の本当の姿を心で知っていくことができます。
本当の自分達がいかなる存在であるのか心で感じていくことができます。
そして、その世界はここまでという区切りがあるわけではありません。
どんどんどんどん限りなく広がっていく世界です。
また、ただ広がっていくだけではなくて、そこには何とも言えない安らぎ、温もり、優しさが溢れているのです。
そんな世界が実は自分の世界だった、それが私だったと本当に心で感じ知っていくことが、私達の生まれてきた目的です。
ただし、その目的を遂行していくことは大変難しいことなんです。
なぜならば、私達は、気の遠くなるような長い間、自分を見失ってきたからです。それは、千年、万年どころではありません。
私達は、自分を見失ってきたんです。本当の自分を知らずにきたんです。
本当の自分を見失って、ずっと暗闇の真っ暗闇の中で苦しみ喘ぎ続けてきたのが私達だったんです。
しかし、今現在、そんなことに、殆ど誰も納得できるはずはありません。頷けるはずはありません。
ただ、今はそうであっても、これからは、納得せざるを得ない、頷かざるを得ない状況になってくるんです。
そこで、私は、自然治癒力というのは、ただ単に私達の身体や心を回復させて、
元気にさせる力という狭い世界のものではありません。
とまず結論付けて、もっと広く、大きく自然治癒力の世界を知っていきましょうという思いを込めて、書き進めていくことにします。
そもそも、五官を持って生まれてきた私達は、当然その五官から入ってくる情報を中心にして生活をしていきます。
つまりは、目に見え、耳に聞こえて触れることができる形の世界の中で、
いかに豊かで快適で実りある時間としていくか、そのところに腐心していくんです。
そういう時間を長く過ごせることが、自分達人間の幸せと喜びに繋がっていくことだと思っているからです。
自然治癒力というのもまた、そのような延長線上でしか理解されていないでしょう。
つまりは、自分達の身体や心を自然に治癒させていく力が自然治癒力だ。
そして、それは、人間のみならず、動物、植物、生きとし生けるものすべてに、もともと備わっているものなんだ。
さらに、私達はその自然治癒力を向上させていけば、人間は益々元気になるだろう。
だから、こうしたらいい、ああしたらいいという研究開発が、様々な分野で続けられるべきだ。とこういう具合でしょう。
これらはみんな五官中心の物の見方、考え方です。
だから、自然治癒力そのものよりも、それを向上させるために自然治癒力に着目して、注目していくだけです。
自然治癒力の思いを心で感じることはしません。それよりも、自分達の頭脳、技術力を駆使していこうということです。
それでも、様々な試みを通して、ある程度、功を奏していくでしょう。
ただ、そこから先の自然治癒力の世界を知っていくことは、五官中心の世界からは不可能なんです。
しかし、実は、そこから先の自然治癒力の世界を知っていくことこそが、
大切なことであり、私達には、どうしても必要なことなんです。
そうすることが、私達に本当の幸せと喜びをもたらしてくれることだからです。
私達に本当の幸せと喜びをもたらしてくれるというのは、本当の自分との出会いが現実のものなっていくということです。
本当の自分と出会えれば、幸せも喜びも、すでに自分の中にあったことをはっきりと感じていくんです。
自然治癒力の本当の世界を知っていくということは、本当の自分と出会っていくことになります。
本当の自分は、幸せ、喜びだったことを自然治癒力を通して知っていけるんです。
ところで、では、もともと幸せ、喜びの中にあった私達が、なぜ幸せを求め、喜びを求め、悪戦苦闘してきたのでしょうか。
「生きていくのは大変だ。人生、山あり、谷あり。禍福は糾える縄のごとし。人生は苦だ。」
なぜ、そのような言葉があるのでしょうか。そして、なぜそのような表現が、世の中で一応の評価を得てきたのでしょうか。
それは、私達は、誰もがみんな、本当のことを知らずに、今の今までやってきたからです。
みんな本当のことを知らないから、人間とはこういうものだ、人生とはこういうものだと誰かが言えば、
なるほど、なるほどその通りだ、よく言ったものだという風になっていくんです。
みんな同じ土壌から、人間を考え、人生を考えて、
そして幸せや喜び、悲しみ、苦しみなどが織り交ざった中で、生きてそして死んでいきました。
それを一言で言えば、五官中心、形中心の中にずっとあったということです。そして、また、今もあるということです。
その五官中心、形中心の物の見方、考え方を自分の中から変えていくことが待たれているのです。
自分の中というのは、自分の心、意識の世界を言います。
頭の中を切り替えるのではなくて、自分の心、自分の意識の世界を切り替えることが待たれているというわけです。
それには、自分の心を見る以外に方法はないというわけです。
しかし、人間は心を見てきませんでした。心を見ることを知りませんでした。
だから、ずっと悪戦苦闘してきたし、これからもそれは続いていきます。
そもそも、五官中心の形の世界の中で作り上げた幸せ、喜びの形。それは千差万別です。
しかし、共通しているところがあります。それは、形の世界が崩れていけば、その幸せ、喜びの形も崩壊していくことです。
形の世界は一瞬にして崩れ去ることはあり得ます。
そうすれば、一瞬にして、自分達の作ってきた幸せ、喜びの形も崩れていくんです。
そうなれば、あなたの心はどのような思いを吐露していくでしょうか。
あなたが信じてきた幸せ、喜びの形が崩れていったとき、
果たして、それでもあなたは、幸せだ、喜びだと心から思えるでしょうか。
あなたが感じてきた幸せ、喜びは、形があったからではないのでしょうか。
もっと言えば、形に、あなたは幸せを、喜びを感じてきたのではないでしょうか。
そこのところを本当に考えてほしいんです。
たとえば、自分の周りの風景が一瞬にして崩れ去っていくという場面に遭遇したとき、
やらなければならないことは目の前に山積しているでしょう。
確かに、気を取り直して、元気を出して、勇気をもらって頑張ろうと前向きに生きていかなければ何も始まらないと思います。
明けない夜はない、やまない雨はない、陽はまた昇るといった格言を心に刻んで、もう一度立ち上がっていこうとする一方で、
だからこそ、今、上記のようなことを真剣に考えるべき時期に来ているのではないでしょうかと私は申し上げたいです。
五官を使って自分の心を見るということが本来の姿なんですが、
そんなことは、学びに参加した私達のように、誰かに教えていただかなければ、なかなか分からないです。
いいえ、決して分からないでしょう。
だから、心を見なさい、見でごらんなさい。
と伝えていただいたこと自体、どんなにありがたいことなのか、どんなに優しいことなのか。
私はそう思っています。
心を見ることを知らなかったら、私は今頃まだまだ、苦しみの奥深くに沈みこんでしまっている状態だったでしょう。
私の意識の世界はもちろんそのような状態だっただろうし、もちろん、それは、自分の身体にも表れてしまっていたと思います。
かろうじて、私は、自分の心を見る、自分の出してきたエネルギーを知って、
それを自分の中で本来のエネルギーに戻していく術を知ったので、
本当に崖っぷちセーフのところから、今は、
自然治癒力とは、すべてを生かす喜びのエネルギー、パワーだと自分の心で知るまでにならせていただきました。
それは、私の意識の世界がきちんと、田池留吉の世界という真実の波動の世界をとらえているからです。
私自身、自然治癒力に思いを向ければ、田池留吉の世界から喜びの力強いメッセージが感じられます。
それはもちろん波動です。
そして、心に感じた自然治癒力の喜びを素直に、あなたの心から流してくださいというメッセージが来るんです。
■
自然治癒力は、すべてを生かす喜びのエネルギー、パワーという風に表現しましたが、
このエネルギーとかパワーというのを、どのように理解していくかがとても大切なことなんです。
たとえば、
「ここには、すごいエネルギーが流れている。」「すごいパワーを感じる。」「波動を送っています。」「気が集まるところ」
こういう風なことは、今までどこかで聞いたことがあると思います。
「エネルギー」、「パワー」、「波動」、「気」。
「気」という言葉は、「田池留吉の世界」ではなじみがありませんが、
「エネルギー」、「パワー」、「波動」という言葉はよく使っています。
そこで、今までどこかで聞いたことがある言葉、あるいは自分が使っていたこれらの言葉と、
そして、「田池留吉の世界」から発せられる言葉。
両者にどんな違いがあるのでしょうか。それとも言葉が同じだから違いはないと思いますか。
結論から言えば、全く違うということです。言葉が同じであっても中身は同じではないんです。
なぜそんなことが言えるのかと言えば、そのポイントとなるのは、あなたの基盤がどこにあるかということです。
もっと簡単に言うならば、あなたは、人間を形あるものだと思っていますか。
それとも、形のないものだと思っていますかということです。
「死んだ人は別として、今、生きている人は、みんな肉体を持っている。肉体があるから生きているということでしょう。
現に目に見えているではないですか。形がないって、まさか、透明人間でもあるまいし。」
このように思っている人は、肉(形:目に見える世界)が基盤なんです。
殆どの人は、そう思っていると思います。肉(形:目に見える世界)を中心として、物を見て、考えて、生活をしています。
つまり、世間というか、この世の中は、形(目に見える世界)を中心とした物の見方、考え方の上に成り立っています。
その最たるものが、私達人間を形あるものとしてとらえている、いいえ、形あるものとしてしかとらえられないことです。
自分達の本当の姿を知らずに、自分はこの顔や頭、手や足、胴体を指して自分だとしているのが私達人間です。
このことを、別の表現をすれば、「肉が自分だと思っている」ということなんです。
その「肉が自分だと思っている」という思いを基盤として、今、この世の中すべてが動いています。
つまり、世の中は、形を中心とした基盤の上にあります。
政治も経済も教育、科学、文化、医学の世界、その他すべてがそこを基盤として動いています。
宗教の世界でさえも、実はそうなんです。
そういう中で、「ここには、すごいエネルギーが流れている。」「すごいパワーを感じる。」「波動を送っています。」
「気が集まるところ」と言っているのです。当然に、肉(形:目に見える世界)が基盤です。
その基盤の上で、「エネルギー」、「パワー」、「波動」、「気」といった目に見えないものを感じているということです。
しかし、どこで感じているのかと言えば、心です。
心は目に見えないものであり、その心で感じているのだから、感じているものは目に見えない世界だ…
ということかもしれませんが、その人の基盤が肉(形:目に見える世界)にあれば、
当然、その心のとらえ方も、形中心ということになってきます。
ということは、その心でとらえた目に見えない世界の基盤もまた肉なんです。
たとえ、目に見えないエネルギー、パワーの世界だといっても、その世界の基盤は肉です。
肉が基盤の心のとらえ方というのは、「自分の肉体がなくなれば、心も消える。」と思っていることにあります。
肉が基盤ならば、肉体がなくなれば、心も消えて当たり前です。
なぜならば、心は、自分のこの身体の中にあると思っているからです。
胸の中か、頭の中にでもあると思っているのです。それが肉を基盤とした発想です。
そもそも、そこからがすでに違っているのですが、それはよく分からないでしょう。
ただ、心というものは、そんな胸の中や頭の中に納まるような小さなものではない
ということだけ知っておいていただければと思います。
■
自然治癒力は、すべてを生かす喜びのエネルギー、パワーだというところから、
「基盤」という話になりましたが、この基盤ということがとても大切なんです。
要するに、基盤が違えば、中身が全く違うということを知ってください。
書かせていただいたように、今の世の中は、肉(形)を基盤として回っています。
一人ひとりの人間が、自分を肉(形)だと思って生活をしています。
そのような世の中の流れの中で、田池留吉氏は、
「私達人間は、本当は、目に見えないもので、形はなく、しかし、波動、エネルギーとして存在しています。」
とはっきりと語っています。
そして、「あなたの基盤を変えてください。変えていけるようなあなたであってください。」とメッセージを発信してくれています。
私は、そのメッセージを発信してくれた田池留吉氏を通して
感じていくことができる「田池留吉の世界」に触れていっていただきたいと思ってきました。
それは、「田池留吉の世界」が、ただひとつの真実の世界であることが、心で分かったからです。
真実を探し続けてきた私の中に、田池留吉氏は、真っ直ぐに伝えてくれました。
それは言葉ではありませんでした。
私は、田池留吉氏の言葉に納得してきたのではありませんでした。
しかし、私の心の世界、私の意識の世界、つまり私自身がそうだと納得できたのです。
頭で納得したのではありませんでした。
肉が自分だと思ってきた私には、幸せや喜びや優しさ、嬉しさ、楽しさ、豊かさなど
すべては、形で示されて初めて信じられるものでした。
また、その人から、エネルギーやパワーといったものを感じるといっても、私の場合は、
その人の動作、態度、身のこなし方、言葉遣いなどから、そういうものを感じていたに過ぎなかったと思います。
そして、それを、今思えば、エネルギッシュあるいはパワフルといったとらえ方をしていたのです。
まさに肉そのものでした。
そんな肉で凝り固まっていた私の中を緩ませるというか、
溶かしていった本物のエネルギー、パワーの世界は、母の温もりでした。
そして、それが「田池留吉の世界」だと私は申し上げたいのです。
「田池留吉の世界」に心を向けていけば、私達は初めから幸せだった、
喜びだった、そして温もりだったことが、はっきりとしてきます。
「母の反省、瞑想を通して、母の温もりを知ることがすべてです。
母の温もりを知らない人は人間ではありません。」その通りでした。
「田池留吉の世界」に心を向けることでしか、本物のエネルギーもパワーも分からないということなんです。
もちろん、自然治癒力の世界もそうです。
「田池留吉の世界」を知らない人に、本当は自然治癒力の世界は分からないです。
分からないのに、自然治癒力を高めて、元気になろうと言っているんだから、無知とは恐ろしいものだと思います。
ところで、世の中には、私のように鈍感な人もいれば、
心が敏感で、エネルギーやパワーといった目に見えない世界を感じて、
すごいなあ、素晴らしいなあと、益々そのほうに心を向けていく人もたくさんおられるでしょう。
その人達は、「エネルギー」、「パワー」、「波動」、「気」といった世界をもっと知りたい、
感じたいといったところかもしれませんが、それはお止めになったほうがいいというのが私の考えです。
基盤のことを思い出してください。そして、母の温もりというのも、キーワードです。
実は、目に見えないものを感じることはすごいことだとか、素晴らしいことだとかではないんです。
逆に危険な場合が往々にしてあります。
それは、みんな、エネルギーを、パワーを、自分の外に求めていこうとする思いを確認しないままだからです。
確認しないまま、もっと感じていこうとのめりこんでしまうと、本当に危険なんです。やがてどこかで必ずおかしくなっていきます。
そういう危険が、自分達の周りにはたくさんあると思っておいたほうがいいでしょう。
また、肉が基盤だということは、その心の中には、すさまじい欲が渦巻いているのです。
だから、「目に見えない世界を自分は感じている。その世界は確かにある。それをこういう風に活用していけばいいんだ。
そして、みんなが元気になって、幸せになっていけばいいんだ。」というところから始まって、
「元気にしてください。元気にしてあげましょう。幸せにしてくだい。幸せにしてあげましょう。」
というところまでなるのに、あまり時間はかかりません。
自分達を元気にしてくれる、幸せにしてくれるエネルギー、パワーを気軽に求めていきます。
求めていく自分の心を放置して、貪欲に求めていってしまうのです。しかし、貪欲という意識はありません。
みんなが元気になって、幸せになっていけばいいし、みんなを元気にしてあげたらいいし、
幸せにしてあげたらいいということなのでしょう。
それはそれで何も悪いことでもなければ、間違ったことでもないと思っています。そこには、何の違和感もないでしょう。
形を中心とした物の見方、考え方からは、そうでしょう。
自分の外に、エネルギーやパワーを求めていく思いが、
逆に、どんなエネルギーを自分から発していくかということなど、全く無頓着です。
自分の中にエネルギーやパワーを感じるものの、よもや、それが自分自身だとは思いもよらないでしょう。
なぜならば、自分は肉、形だと思っているからです。みんな自分の姿を知らずにいるのです。
自分から流れ出すエネルギーがどんなものなのか、そしてそれがどういう結果を引き起こしていくかなど、
全く論外にして、みんなが元気になればいい、みんなが幸せになればいいとやっているんです。
自分達の本当の姿を知らずに、分からずに、元気で明るく幸せな世の中になるはずはありません。
肉を基盤とした世の中の流れの中にすっぽりと収まってしまって、それが分からなくなってしまったのです。
だから、「ここには、すごいエネルギーが流れている。」「すごいパワーを感じる。」「波動を送っています。」
「気が集まるところ」と言われれば、欲の思いがどんどん膨れ上がっていきます。
元気になるためには、幸せになるためにはと、どんどんお金も何でも注ぎ込んでいくのです。
それで元気になり、悩み事が解消されて、幸せになるんだったらいいけれど、結果は、毎度報道されている通りです。
基盤を変えない限り、こういったことは繰り返し起こってきます。
それが肉を基盤とした世の中の流れです。
■
さて、この辺で、基盤の話から、再度、「田池留吉の世界」のほうへ話を戻します。
田池留吉氏は、言いました。
「私の言うことをただ闇雲に信じるのではなくて、あなたの心で分かったことを信じていきなさい。
私が伝えていることが本当のことなのかどうなのかは、あなたの心で分かってきます。
では、あなたの心で分かるとはどういうことなのか。あなたの心を見ていけばいいんです。
お母さんの反省をしていけばいいんです。他力信仰の反省をしていけばいいんです。
そのように、私がしてくださいと言ったことを素直に実行して、それでも私は幸せが分かりません。
喜びが分かりません。未だに苦しんでいます。という人があったなら、皆さんの前で、私は証明します。
あなたは私がしてくださいと言ったことを素直に実行していないことを。
私は私が言ったことを素直にしていただければ、誰もが幸せになる道をお伝えしているんです。
私はそんないい加減なことは申していません。私には自信があるんです。
だから、私の言った通りのことをして幸せになれなかったなら、
私の頭を鉄パイプで殴っていいですよとまで言っているんです。」
今、私は、田池留吉氏がよく言われていたこのようなことを、ふと思い出しました。
過去、何度も聞いてきたけれど、鉄パイプで殴って帰れとまで言った田池留吉氏の思いは、
すごかったということが、当時の私にはまだよく分かっていなかった感じです。
田池留吉氏が伝えてくれた真実の波動の世界、「田池留吉の世界」を心で感じていけばいくほどに、
そう言い切ってくれたことを学ばせていただいてきたこと、本当にそうだ、
その通りだと自分の心が頷く体験を何度もしてきたことに感謝しかありません。
だから、私は、こうしてはっきりと語れるんです。
どんなに世の中のすべてのものが、肉、形を中心にして回り動いていても、そして、あちらからも、こちらからも、
こここそが真実の世界ですよという声が上がっても、それらはみんな違っていることがはっきりと分かります。
真実の世界は、肉、形の世界にもなければ、こここそが真実だ、本物だと主張している団体、組織等にもありません。
唯我独尊的な考え方だと反発されようとも、「田池留吉の世界」だけが真実を語るんです。
「田池留吉の世界」を知らないということは、どんなにこの世的に評価された人物でさえ、真っ暗闇の中に埋没しています。
そして、それは、自分が死ねば分かります。誇ってきた頭もこの世的なものは何もかもすべてなくなり、
ただまっ暗闇の重苦しいエネルギーが自分を覆い尽くしていく結果となっていくだけなんです。
ただし、このことは、今、どなたにでも分かるということではありません。
しかし、どなたも心を見て、瞑想を重ねていけば、こういうことは段々と自分の心で感じていけることなんです。
なぜならば、私達はエネルギーとして存在し、そのエネルギーが、過去、何度も、何度も、肉という形を持ってきたからです。
私達の頭には記憶がなくても、私達の心、私達の意識の世界には、その記憶が残されているのです。
それを、心を見る作業を通して知っていきなさいと、田池留吉氏は伝えてくれたのでした。
■
日々の生活の中で、淡々と心を見る作業をして、そして瞑想をする時間を持っていけば、
どなたも心で感じていける世界が、真実の波動の世界、「田池留吉の世界」です。
「田池留吉の世界」は、生きとし生ける物の中にある世界だからです。
「田池留吉の世界」は、どこかから探してくるものではありません。
もうすでに自分達の中にあったんです。私達人間は、そのことに全く気付かないで、今も存在しているだけなんです。
淡々と心を見て、瞑想を重ねていくということは、自分の心の針を自分の中に向けていくということです。
今まで、自分の外に、たとえば、自分の仕事、自分の家族、自分の健康、世の中の出来事等に向けてきた思いを、
少しずつ、少しずつ、弱めていくところから、まず始めましょう。
弱めていくということは、おざなりにすることではなくて、あまりそういうことにとらわれないようにしましょうということです。
そして、そのエネルギーを、自分を知っていく、つまり、自分の流すエネルギーを感じていく方向に使っていく、
日々の時間を割いていく毎日を重ねていけばいいのではないでしょうか。
そうしていけば、分かってきます。自分の中から、伝わってくるものがあるんです。自分の中に響いてくるものがあるんです。
それは、誰が自分に教えてくれていたかというと、お母さんだったんです。
お母さんと言っても、自分を産んでくれた母親という狭い意味でのお母さんではありません。
そういうことも、みんな自分の心で分かってきます。
自分にはたくさんのお母さんがいて、そのお母さんの温もりの中に包まれていることを感じてくるんです。
私は、それが「田池留吉の世界」を感じていく本当に第一歩だと思っています。
お母さんの温もりを、自分の中で思い起こし、その中にあった自分だったと本当に心で分かっていけば、
仏典や経典そして聖書の類など全く必要としないことが歴然としてきます。
難解な言葉を重ね、美辞麗句を並べても、そこから流れてくる波動、エネルギーは真っ黒だと心で分かるからです。
また、厳しい修行を重ねていけば、悟りの境地に到達するなど、本当に愚の骨頂だということも分かってきます。
修行する人は偉い人でもなければ、立派でもありません。修行などもっての外です。
肉体細胞の思いを感じられない冷酷な人なんです。
肉体細胞に対して、優しさのひとかけらも向けられないから、そういうことができるのです。
自分に対して本当に冷たい、むごいことをして、何を悟ろうとしていくのでしょうか。
このように、「田池留吉の世界」は、世の中の流れとは全く違います。
世の中の流れと「田池留吉の世界」の流れ。この二つの流れは、合い交えることはありません。
そのどちらにも足を踏み入れてということは、絶対にあり得ないんです。
今は、殆どの人は、世の中の流れの中にすっぽりと収まっています。
その流れだけしか知らないんです。
自分の周りを見渡しても、みんなそうだから、たとえば、あなたの基盤はどこにあるかなんて言われても、
それどういうこと、変な事を言う人だというくらいで終わってしまいます。
しかし、これからは、そうは言っておれない事態にどんどんなっていくんです。
「田池留吉の世界」だけが真実を語ると私は申し上げましたが、これから、それが、色々なところで証明されていきます。
証明されていくというのは、「田池留吉の世界」から語ってきたことが、現実として形となって表れてくるのです。
今現在もその兆しはあります。しかし、そんなどころではないんです。
「田池留吉の世界」からは、肉、形を基盤とする世の中は間違いだと語っています。
だから、そのメッセージ通り、世の中は、色々なところで崩壊していっているのです。
政治の世界も、経済の世界も、教育界もスポーツの世界も医学界も、宗教の世界はもちろん、
あらゆる分野で様々な問題が噴出して、汚い部分が明るみになってきているではありませんか。
もちろん、自然災害がもたらす崩壊は、どんどん過去の記録を更新していきます。
エネルギーが巨大化して、想定外のことが起こってくるのです。
「将来が見通せない。不透明だ。世の中どうなっていくんだろうか。私達はどうなっていくんだろうか。」
私達の心の中に、先が見えない不安な思いをどんどん噴出させるような想定外の出来事がどんどん起こってきます。
そのたびに、私達は、何とか、何とかと目の前の出来事に対処していくけれども、
追い打ちをかけるように、次から次へと、想定外の出来事が起こってくるのです。
それは、やがて、打つ手もない、なす術がないというところまで、事態は深刻化していきます。
「助けてくれ。救ってくれ。何とかしてくれ。」
SOSの合図に対応していける間は、大変だけれどまだまだいいんです。
しかし、やがて、それにも限界がくるということを知っておいてください。
「なぜ、このようなにっちもさっちもいかない事態に私達は遭遇していくのだろうか。」
事態の収拾に躍起になり、生活の立て直しに奔走するばかりではなくて、本当は、みんなそれぞれがそのところを、
もっと考えていかなければならないというか、考えざるを得ないところまで、自分達を追い込んでいきます。
「自然的に引き起こされたもの(自然災害)であろうと、人為的なものであろうと、
ある日突然に、しかも、一瞬のうちに自分達の生活も人生も何もかもみんな奪われてしまった。
崩壊してしまった。頭の中は真っ白になって、何をどうすればいいのか、これからどう生きていけばいいのか、
本当に途方に暮れた。落ち込み苦しみ、悲しみのどん底から立ち上がれないほどのショックを受けた。」
もちろん、これまでにも、そういう現実に直面してきた人達はたくさんいます。
では、そんな体験を経てきた人達の中に、
「なぜ、このようなにっちもさっちもいかない事態に私達は遭遇していくのだろうか。」
と考えた人は、どのくらいいるでしょうか。
「田池留吉の世界」から流れ出すエネルギー、パワーは、それを私達に促すような仕事をしていきます。
自分達の間違いに自分達で気付けるように働いていくのです。
私達に、自分達の本当の姿を知っていきなさいと、メッセージを流し続けていきます。
■
「田池留吉の世界」について、基盤ということに触れながら、私の思うところを書かせていただきました。
自然治癒力を思えば、「田池留吉の世界」に私の心が向いていくからです。
自然治癒力の世界を語るということは、「田池留吉の世界」を語るということになります。
このことは、自然治癒力だけではありません。
たとえば、肉体細胞に思いを向けてということは、「田池留吉の世界」に心を向けてということと同じなんです。
今、私は、「田池留吉の世界」に心が向いていくと書きましたが、
この「田池留吉の世界」に心を向けてということがすべてなんですが、
これがまたとても難しいことなんです。その辺のことを少し書き添えておきます。
たとえば、病気のさ中に、あるいは色々と困った状況のさ中に、
自分の心を見て、心の針を正しい方向「田池留吉の世界」に向けていくことは、
日ごろからの訓練がなければ、とても、とてもではないけれど難しいです。
常日頃から、心の針の向け先を管理することを心掛けていなければ、
いざという時、そんなに簡単に針を向けることはできません。
どうしても、自分の身体の状態、自分の周りで起こった出来事の進展に、思いが向いてしまいます。
肉、形を本物としてずっと今まできたわけだから、どうしても、目の前の出来事に引きずられていくとか、
身体が不調ならばそちらのほうに、心は流れていきがちです。頭では、「田池留吉の世界」です。
しかし、心はままなりません。その狭間でうろうろしているだけというのが実情です。
「田池留吉の世界」に心を向けていけばいいことは分かっていても、
そう簡単には、「田池留吉の世界」に心を向けることはできないんです。
また、そういう状態でない場合も、ただひたすらに「田池留吉の世界」を思っていくことは、難しいと思います。
心の根底にあるのは、やはり欲の思いです。
「田池留吉の世界」に向けてと向けているつもりでも、欲で向けていては、他力信仰の延長のままです。
しかし、この欲で向けているということに気付くのもなかなかなんです。
気付くというからには、自分で気付かなければなりません。
本人は向けているつもり。しかし、実は向いていない。自分で気付かない限り、そういう状態が長く続いていくでしょう。
■
ところで、「田池留吉の世界」からは、確かに、
100%の喜びと温もりのエネルギー、パワーが流れているのです。
その100%の喜びと温もりのエネルギー、パワーを100%、
受け取っていける心、意識の状態であれば、それは、そこにいわゆる奇跡が起こります。
たとえば、病気であれば、医者が驚くほどの回復が見られるのです。
医者の診たてとは全く違う方向で、元気を取り戻すということもあり得ます。
あなたは、このことをどう思いますか。私は信じられるのです。
それほどに、「田池留吉の世界」から流れる100%の喜びと温もりのエネルギー、パワーはすごいということを感じています。
ただ問題は、100%の喜びと温もりのエネルギー、パワーを100%、受け取っていくことができないという現実があるということです。
それが、「田池留吉の世界」に心を向けていく難しさと繋がっていきます。
その現実とは何か。それは、それぞれの心の中に作ってきた他力の世界を、未だに大きく広げているという現実です。
他力の世界…。
肉が自分だとする思いから、その自分を幸せにしてくれるもの、自分に喜びを与えてくれるもの、
自分にパワーを与えてくれるものとして貪欲に求めてきた、神、仏、宇宙のパワーといった世界です。
それを、一言で言うならば、己一番、我一番の世界です。
肉が自分だとする思いは、己一番、我一番の世界を作り上げました。
その思いは、本当の自分を捨て去り、自分を売ってきた思いです。
他力の世界は、欲にまみれた苦しくて、そして、果てしなく寂しい暗闇の世界です。
そんな世界が、自分の中の「田池留吉の世界」を遮っていくのです。
自分の中に作ってきた己一番、我一番の世界が、本物の自分を遮断してしまうのです。
自分を自分で遮って、自分を苦しめていくことにエネルギーをどんどん注いできた自分でしたと、
心からの気付きと懺悔、その思いが心から噴き出てこない限り、
自分の作ってきた他力の世界を自分の中で崩していくことは困難です。
それは本当に困難なんです。しかし、困難だから止めるとか諦めるわけにはいかないんです。
それは、あなたの心が本当に敏感であれば感じられると思います。
過去のあなたがどんな世界にあったか、どんなところから這い上がってきた自分であるか、
息も絶え絶えに這い上がってきて、今の肉を持って、ようやく一息ついている状態だ、そういうことが感じられると思います。
そのように感じられるからこそ、自分の中に作ってきた他力の世界の崩壊という困難なことに全力を傾けること、
これこそが自分の一番の仕事だということも、はっきりと分かるはずです。
自分が愛しいと感じるからです。自分を救いたいと思うからです。
だから、自分の変革に全力を傾けていきます。全力を尽くしていきます。
そのためには、「田池留吉の世界」に真正面から向き合わなければならないことを知ります。
そして、「田池留吉の世界」に真っ向から抗ってきた自分をどんどん見つめてこうとします。
自分の中の「田池留吉の世界」を遮断する扉をどんどん開いていこうとします。
やがて、開いていく鍵が、自分の中にあったことを知っていくのです。
「ああ、お母さんの反省、瞑想と、他力信仰の反省、これが車の両輪だ。」
そんなことがどんどん自分の中で感じていけることが、本当に心が敏感だと言えると思います。
このように、自分の中に作ってきた他力の世界の崩壊により、「田池留吉の世界」を自分の中で証明していけるのです。
そうなって初めて、しっかりと「田池留吉の世界」に心を向けられるのです。
誰が証明するのでもない。自分の心が、自分の意識の世界が、証明していくのです。
だから、心を向けていけばいくほど、「ただ向けていけばいい。どんどん向けていけばいい。
ああ、「田池留吉の世界」しかないんだ。みんな、「田池留吉の世界」なんだ。」
そんなことが、手に取るように感じられるのです。
欲で向けようとしても、絶対に「田池留吉の世界」には心を合わすことができません。
なぜならば、「田池留吉の世界」は欲と絶対に合わないからです。
■
私は、「田池留吉の世界」だけが真実の世界であり、
そして、それは自分の中にあったことを知りました。
私の中を何も遮ることなく、すうっと流れていきます。私の中で何も境目はありません。ただひとつの中にあることが分かります。
「本当の自分は、こんなに優しくて温かくてどこまでも広がっていくものなんだ。
瞑想をして、心を向けていけば、このエネルギー、パワーがどんどん流れ出し、
そして、それは、やがて形となって示されていくんだ。」
私は、心を向けていくことが嬉しくて、そして、心を向けていけばいくほど、
「田池留吉の世界」が証明されていくことが嬉しくて、
私は自分の針をただそこに合わせていくだけなんだと感じています。
100%の喜びのエネルギー、パワーに限りなく近づいていける喜びを、
瞑想の中で感じながら、私はこれからの時間も過ごしていくでしょう。
色々なことが、目の前を通過し、耳を通過していくけれど、
私の中は、ただこの世界を自分の中で極めていくことだけをしていきなさいと伝えてきます。
正しい方向に向けた心の針は動かないことを確認します。
それが瞑想の時間です。
瞑想を繰り返し行う。
確認、確認、また確認。私の中に喜びと温もりが広がっていきます。
■
「田池留吉の世界」は真実を語っているけれども、世の中の流れの中にあっては、
「田池留吉の世界」の流れは決して分からないことを、長々と書かせていただきました。
しかし、「田池留吉の世界」を伝えてくれる一人の人間が私達の目の前に現れたことは事実だし、
伝えてくれた世界を心で証明できたことも事実です。今という時間は、そのような流れの中にある時間だったのです。
そして、「『田池留吉の世界』が語る真実が、これからどんどん形となって示されて、
『田池留吉の世界』だけが真実の世界だと証明されていきます。」と結ばせていただいて、
ここで、もう一度、本書の見返し部分に戻ります。
自然治癒力は喜びのエネルギーです。
私達も喜びのエネルギーです。
だから、私達は自然治癒力そのものなんです。
自然治癒力の世界は語ってきます。
「私達は、自然治癒力そのものだということがあなたの心で頷けますか。
すべては波動の世界です。だから、すべてはあなたの心で感じていくことなんです。
心で感じていけることなんです。その心を学ぶということをしていきましょう。
本物の世界を学んでいきましょう。
自分とはどんな存在であるのかを、自分に伝えていける優しい人間に生まれ変わりましょう。
人に、家族に、世間に認められても、自分が自分を認めることができずにいるあなたではありませんか。」
自然治癒力の世界は、さらに語ってきます。
「自然治癒力を通して、どうぞ、『田池留吉の世界』を知ってそして感じていってください。
どうぞ、本当の自分を知っていってください。自分の中のたくさんの自分と出会うチャンスを大切にしてください。」
自分の中のたくさんの自分と出会うチャンス…。
例えば、今、あなたの肉体細胞が病んでいれば、
あなたは絶好のチャンスにあるんですと、自然治癒力は語っているはずなんです。
「あなたの肉体細胞に思いを向けて、肉体細胞の思いと一つになっていけるように、心を見ていきましょう。」
このように、どんどん自然治癒力の世界から、メッセージが届きます。
病気をマイナスのイメージとしかとらえられなかった私の心に、自然治癒力の世界が伝えてくれました。
「あなたは本当のことを知らなかっただけです。本当のご自分を知らずにきただけのことなんです。」
そして、私の肉体細胞もまた、自然治癒力と同じように私に伝えてくれていました。
自然治癒力も、肉体細胞も、とても優しい波動で私に伝えてくれています。
「私達はあなたです。この波動があなたなんですよ。」
どうぞ、あなたも自然治癒力と思ってみてください。
その自然治癒力の世界から流れてくる波動を、あなたの心で感じていただければと思います。
自然治癒力の世界は語ってくれました。
すべては波動の世界であり、それはあなたの心で感じていける世界。そしてその感じていける心を学んでいきましょうと。
目で見て、耳で聞いて、手に触れて、頭で考えて納得できる世界は、本当にちっぽけな薄っぺらな世界なんです。
ちっぽけでしょう、薄っぺらでしょうと形を崩しながら、私達に伝えてくれている優しさ、
温かさを心で感じていけるようになっていけば、自然治癒力は喜びのエネルギーだということももちろん頷けます。
そして、そういう人達がたくさん出てくれば、世の中は間違いなく変わっていきます。
すべてを心でとらえていく流れ。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五官と頭脳でとらえていく流れではなくて、
自分達の心、意識の世界でとらえていく流れ。
この流れこそ、私達本来の流れです。私達本来は、波動、エネルギーだからです。
その本来の流れに戻っていきましょうと自然治癒力は、私達の身近なところから語ってくれていました。
生きとし生ける物の中に、自らを再生させる力が宿っていることを、私達は知っています。
その身近な自然治癒力の世界も、そして、さらに自分の心の世界、意識の世界を広げて感じる自然治癒力の世界も、
みんなみんな、私達に本来ある姿に戻っていきましょうと語ってくれています。
その喜びの波動を感じていけるように、私達が本来の私達を取り戻していくことが待たれているのです。
心の針を正しい方向に向けることを知って、そして実践していけば、
どなたも、今という時がどんな時なのかを自分の心で知っていくことができます。
自分が、なぜ生まれてきたのかを心で知っていくことができます。
そして、自分というものを知っていけばいくほど、嬉しい、ただただ嬉しい、
ありがとう、ありがとうの思いが湧いてくるという体験をされるでしょう。
それは、半端な嬉しさ、喜びではありません。温もりと安らぎを伴って、本当に嬉しいんです。
ああ自分が癒されていく感覚、心地よい中に広がっていく感覚です。
何も分からずに苦しんできた自分に、優しさと温もりを伝えている自分がいます。
その優しさと温もりにほだされて、どんどん癒されていくのです。それがたまらなく嬉しくて幸せなんです。
自分に癒されていく喜びと幸せ、そして、本来あった自分に再生させていく喜びと幸せを味わっていると言ってもいいでしょう。
そんな体験を重ねていけば、自然治癒力の世界とは、どんなに大きくて、喜びの世界なのか知っていくことになります。
それには、日々の生活の中で自分の心を見ることから始め、
「田池留吉の世界」から語っていることが信じられるようになるまで、
自分の心の中をしっかりと見つめていくことが必要だということは言うまでもありません。
「田池留吉の世界」から語っていることが信じられるようになるまでというのは、
世の中の人が、そうだと思い、そうだと信じている流れは、本来の流れ、本流ではなく、
濁流だと自分の心で確認できるまでということです。
濁流だと本当に自分の中で確認できれば、世の中との付き合い方、
自分の身の振り方、処し方が自ずと決まってくるのではないでしょうか。
凄まじい勢いの世の中の濁流に押し流されて、あっという間に人生を閉じるということは、本当はあってはならないことなんです。
なぜ生まれてきたかが分からずに死んでいくことは、本当に哀しい切ないことなんです。
自然治癒力は語ります。
「あなたの中で切実に訴えている自分の声に、もっと素直にそして真摯に耳を傾け、心を傾けていきませんか。
切実に訴えている自分の声に、耳を傾け、心を傾けていける優しい自分になっていきませんか。」
確かに、濁流の中で、みんなと流れていくほうが生きやすいかもしれません。
しかし、自分の心を見て、自分の心の中を感じていけば、自分を裏切る生き方はできないはずです。
切実に訴えてくる自分をほおっておけないはずです。
心をどんどん見ていき、どんどん自分の中を感じていけば、苦しい自分もあるけれど、
本当に優しい自分もあることが分かるからです。その優しさが自分に迫ってくるのです。
そういう心の見方をしていけば、やがて、本当の優しさ、本当の温もり、本当の喜びが心で分かってきます。
そうすれば、「田池留吉の世界」が語る自然治癒力とは、本当に喜びのエネルギーなんだと感じてきます。
本来あった私達に再生させていく喜びのパワーなんだと感じてきます。
喜びのエネルギーであり、喜びのパワーである自然治癒力は、たとえば、私達に、次のようなメッセージも伝えてくれています。
「川が氾濫して濁流が街中を流れ出す。山が崩れ土石流となってさらに岩肌を削いでいく。
そして大津波が人も街もみんな一瞬にしてさらっていく。
今、日本の国でも、そういうことがあちらこちらで起こっています。
それは、単に川が氾濫する、山が崩れる、大津波が起こるという一つひとつの災害ではありません。
それは、まさに私達の心の中の濁流です。
その濁流の勢いと凄まじさを、自分達の目で見える形で自分達に伝えているのです。
その場面に遭遇して、その場面を目の当たりにして、私達は何を感じ取っているのでしょうか。
ただ不安と恐怖の思いばかりを募らせ、そして祈ることしかできない心の中をしっかりと見つめていきなさいと、
川が氾濫していくのです。山が崩れ、大津波が起こってくるのです。」
そして、また、自然治癒力は語ります。
「メッセージを言葉でとらえることをせずに、あなたの心で感じてください。
自然治癒力が語るメッセージの波動を感じてください。
あなたの心が、本当に母の温もりに触れているならば、このことははっきりと分かっていただけると思います。
メッセージは波動です。メッセージはエネルギーです。エネルギーは仕事をします。メッセージ通りの仕事をします。
喜びのエネルギーが形の世界を崩していくのです。喜びで促し続けていくのです。」
■
自然災害によるものだけではなく、
私達人間が築き上げてきた社会、世界が、あちらからもこちらからも崩れていきます。
一見すれば、そこには様々な要因が重なってということかもしれませんが、
なぜそうなっていくのかという本当の訳は、たった一つです。
私達人間だけが、自分の本当の姿を知らずに今もなお存在しています。
私達は、自分を癒し生かす喜びのエネルギー、パワーが自分の中にあることを知りません。
喜びのエネルギーそのものであることを知りません。
私達は、喜びを忘れました。ありがとうの思いを忘れました。
喜びだけの私達だったのに、いつの間にか、欲の中に埋没してしまったのです。
これが私達人間の現状です。
喜びしかない世界があるなんて、全く信じられないということならば、それは、欲で塗り固められた中にあるからです。
欲で塗り固められた世界。それが、私達人間が築き上げた社会です。
どうぞ、皆さん、自分達の本当の姿を心に蘇らせていきましょう。
私達はみんな、本当の自分に出会えることを心待ちしているんです。
「私達は意識、波動、エネルギーです。目に見える姿、形が私達ではありません。」
これは、私達が、自分に伝えているメッセージなんです。
全く同じく、「田池留吉の世界」が語る、自然治癒力が語る、
肉体細胞が語るということは、私達自身が語っているということなんです。
私達は、意識、波動の世界に一つだからです。
「田池留吉の世界」が私達であり、
自然治癒力の世界が私達であり、
肉体細胞の世界が私達なんです。
私達は、もともと同じ喜びの波動、喜びのエネルギーだけを流していました。
すべては喜びの中にあったんです。
その私達が、目に見える姿、形を自分だと思った瞬間から、喜びの波動を流すことができなくなりました。
自分を見失ってしまったからです。
自分を見失った私達は、当然、さ迷い続け、苦しみ続けました。
そして、寂しい、苦しいと叫ぶ私達からは、暗い、真っ暗な波動だけが流れていくのでした。
あまりにも寂しくて、あまりにも苦しいから、私達はたまらなく癒しと温もり、安らぎを求めました。
そして、苦しみに打ち克つパワーの世界を求めていきました。
それが、いわゆる神の世界でした。私達は、自分の外に、神の世界を創り上げたのでした。
そうして、癒しも温もりも安らぎも、みんな自分の外に求めていくようになりました。
苦しみに打ち克つパワーを求め、さらに、より強いパワーを求めていくようになり、
そして、そのパワーの威力を競い合うようになったのです。
そのように、求めていけばいくほど、自分がさらに暗い真っ暗な中に沈んでいくことが、なかなか分かりませんでした。
苦しいから求める、求めていけばさらに苦しくなる、
この繰り返しを何度も、何度もして、私達は、今という時を迎えているんです。
そして、その中のほんの一握りの人達が、自分の心を見るということを知らされたということなんです。
自分の心を見るということを始めなければ、何も始まりません。
私達の世界には、喜びだけしか存在しません。
どうぞ、本当の喜び、本当の温もりを知っていきましょう。
それが本当の自分の姿だと心で知っていきましょう。
そして、ありがとうの思いが、あなたの道を開くことを信じていってください。
■
最後まで読んでいただきましてありがとうございます。
本書は、「自然治癒力を高めて、あなたの身体を元気にしましょう。あなたの心を元気にしましょう。
そのためにはこのようなことをしてください。このようなことを心掛けてください。」といった内容のものではありません。
私は、自然治癒力そのものに、あなたの心を向けていただきたいと思いながら、綴ってまいりました。
本書は、頭で理解して頭で納得するのではなくて、
心で感じて心で納得していただける内容に仕上がっていると私は思っています。
本書を通して、あなたの心に何かを感じていただければ嬉しいです。
あなたの心…、そうです。心で感じていくことをどうぞ、大切になさってください。
自然治癒力の世界は目に見えません。しかし、あなたの心で感じられるんです。
感じられる心をあなたの中で育んでいきましょうということなんです。
目に見える世界と目に見えない世界…。
書かせていただいたように、これから目に見える世界は、色々なところからその形を崩していきます。
何でそうなるのか、それは、あなたの頭では絶対に理解できないでしょう。
しかし、現実に起こってくるんです。必要だから起こってくるんです。
形の世界が崩れていくことが私達には必要なんです。
そうなっていくことで、私達は自らを促していきます。
だから、色々なところから、繰り返し崩壊していきます。
そして、その崩壊の規模も大きくなっていきます。
自らを促し、自らを気付かせるために、起こってくる様々な現象。
それらをどのように受け取っていけばいいのか、いくべきなのか。
それは、すべてあなたの心の中から回答が得られるはずなんです。
私達人間は、頭を駆使し、頭を誇っています。過去からのデーターを分析して、未来を予測しようとします。
しかし、私達の体験、経験、実績、そういったものは全く役に立たないという局面を私達は迎えていきます。
嘆き悲しみ苦しむ中から、私達が立ちあがるには、
まず間違った方向を向いていることに気付いていかなければならないでしょう。
それから、その方向を本来あるべき正しい方向に向けていくことが待たれるのです。
それがこれからの私達がしていかなければならないことです。
間違った方向、そして、本来あるべき正しい方向、これをそれぞれが自分の中で見極めるために、
これからの時間がそれぞれに用意されています。どうぞ、そのことを喜んで自分の中で受け入れていきましょう。
最後に、もう一度、本の見返し部分に綴った三行を掲載します。
自然治癒力は喜びのエネルギーです。
私達も喜びのエネルギーです。
だから、私達は自然治癒力そのものなんです。
私達は、自分を生かす喜びのエネルギー、自分を癒す喜びのエネルギーです。
どうぞ、自分の心を見て、本当の自分と出会っていってください。
「私の中に、田池留吉の世界がある。いつも、いつも、田池留吉、アルバートの意識を感じている。」
この一点の確立のために、私は今の肉を持ったことを自分の中で確認する毎日です。
日々の瞑想で、私の心に安心感が広がっていきます。心を向ける喜びが広がっていきます。
この安心感の中で、この喜びの中で、
私は、田池留吉、アルバートを感じながら存在していけばいいことを知って、
このように肉を持って学ばせていただいたことに本当に感謝しかありません。
自分の心を見る、自分を感じる。喜びの中で、温もりの中で、自分を感じ、
そして、自分を解き放していく幸せの中にありました。ありがとう、本当にありがとう。
■2011・10・5
自然治癒力をテーマーにした本が、近々発刊される予定です。
私は、当初、その中で磁場ということについて、少し触れる予定をしていましたが、今回は見送っています。
しかし、いずれまた、磁場ということについて書いてみようと思っています。
磁場を活用した治療方法が研究中だということで、
ひと月前くらいに磁場というものに心を向けたことがありました。
その時、本来の自分達は磁場だ、本当の自分を知っていけば、
自分達の中に磁場があるという思いを受けました。
もちろん、その磁場というのは測定することはできません。
一般的な磁場というのは何らかの方法で測定できます。数値で確認できます。
しかし、自分の心、自分の意識の世界が受け取る磁場は、自分の心でしか分かりません。
自分の心が測定するんです。
その学びというか、それを私は私の勉強として、これから進めていく予定をしています。
もちろん、田池留吉の磁場です。
田池留吉の世界に心の針を向け、合わせ、そして、田池留吉の磁場、
つまり、そのエネルギー、波動、パワーを私の心で測定していく学びです。
私はその勉強を通して、さらに意識の世界のバージョンを上げていくでしょう。
心で感じる世界です。心でしか分からない世界です。
肉を同一空間に置かなくても、田池留吉の磁場を感じ、田池留吉の磁場を学ぶ、
そして自分の中の磁場を高めていく、私はその方向に自分の学びを進めていきます。
思うだけで嬉しいです。
今世の肉を通して学んだことを、250年の間、自分の中で育てていき、
そして、来世の出会いから一気に進んでいくことを思うと、私はただただ嬉しい。
田池留吉の磁場、私は、学ばせていただきます。
■
磁場を活用した治療方法が今、研究中だということです。磁場に思いを向けてみます。
磁場を使って治療をする、その方向に思を向け、磁場を思います。
磁場はエネルギーです。磁場を活用して治療を行っていく。
その発想、それは正しい方向に、そのエネルギーを使っていけば、もちろんいい結果が生まれてきます。
従来の医学の世界を根底から揺るがすような研究発表がなされる可能性が高いと思います。
しかし、そこには必ずそれに携わる人間達の思いがあります。その思い、エネルギーがそこに加味されていくんです。
そういう研究をする人達の意識、エネルギーですね。それが、そこにプラスされていきます。
だから、本来の磁場を100%活用して治療を行うということは不可能です。
その人達が意識の転回を進めながら、そしてその研究の成果を発表し、
それを活用するという方向に行くならば、話は別ですが、それはほぼ100%不可能です。
そういうことは、少し横に置いて、磁場というところに思いを集中させてみます。
磁場は、本来はプラスマイナスゼロの何もない喜びのエネルギーです。
本来の磁場の世界は、喜び、喜びのエネルギー、喜びのパワーです。ただただそれなんです。
私達が本当の喜びの世界に目覚め、その世界にあった自分達を心に思い起こせば、自分達が磁場なんです。
自分達の中に、プラスマイナスゼロの世界、つまり磁場があるんです。
私達は、すでにその喜びのエネルギーの中にあります。喜びのエネルギーが私達なんです。
磁場というのは作り出されるものではありません。私達本来のエネルギーです。
ですから、
意識の転回が進み、100%自分が意識である、喜びのエネルギーであるとした意識が磁場というエネルギーを流します。
喜びのエネルギーがもとあった状態に戻していき、喜びのパワーを発散させていきます。
流れているんです。喜びの中で、喜びのパワーが流れている。ただただ喜びのパワーが生み出されていく。
限りなく無限に生み出されていくパワー。それが本来の磁場。
そういうことでしょう。
人間達が研究に研究を重ね、その結果、病気の治療に成功したとしても、それは完全なるものではありません。
なぜならば、100%純粋ではないからです。所詮人間達が作り上げた世界。
本来の喜びのエネルギー、本来あった喜びのエネルギーが
不純物を交えて不完全な状態なのに、それを完全だとしてしまう人間達の心の世界です。
しかし、確かに、磁場、エネルギー、そのエネルギーが本来の仕事をしていくという考え方。それは、その通りだと思います。
■
磁場を活用して、色々なところで研究され、またその成果が出ていることも確かなようです。
それが、目に見える形で公に示されていけば、医学界も飛躍的な発展をしていくだろうと思います。
治療方法が全く変わってきます。
将来的には、私達の身体、肉体細胞にも過重な負担をかけない治療方法に移行していくと思います。
その研究速度が、これからさらに加速されていくでしょう。それはそれで、喜ばしいことだと思います。
しかし、私達人間には、100%純粋で完全な磁場を活用することは不可能だと前に書きました。
それを可能にするには、私達の意識を変えていかなければならないのです。
私達から流れる波動と、磁場の波動とが全く同じでなければなりません。
つまり、私達から流れ出る波動を本来の波動に変えていく必要があるのです。
磁場はエネルギー、パワーです。本来喜びのエネルギーでありパワーです。
しかしながら、殆どの人は、この喜びのエネルギー、パワーを自分の中で遮ってしまうというか、
そのエネルギー、パワーと自分の中でひとつになれないのです。
それは自分達の中に、遮ってしまう、あるいは、ひとつになれないエネルギー、パワーを作ってしまったからです。
だから、本来は完全なものだったのが、人を介することにより、不完全なものになってしまうのです。
それは、質が変わるということではなくて、弱まる、薄れるということだと思います。
だから、ある程度の効果は見込まれるが、決して完全なものではないのです。
本来あるべき磁場のエネルギー、パワーを完全な状態で活用していくためには、
自分から流れるエネルギーを知り、それを本来のエネルギーに戻していく作業が必要となります。
自分の心の針を正しい方向に合わせて、磁場のエネルギーと一体化することが必要なんです。
では、心の針とは何か。正しい方向とはどの方向か。
そういうことにまで研究が広がっていかなければ、本当に成果ある研究だとは、とても言えないと思います。
■
今、私は自然治癒力とか磁場のほうに思いを向けて、私の勉強をさせていただいています。
その中で感じることは、自然治癒力も磁場も肉体細胞も、
ただひとつの方向を私に示しているだけだということです。
すべては、田池留吉、アルバートの世界なんです。
言葉は違うけれど、私には、田池留吉、アルバートの世界のエネルギーなんです。
田池留吉、アルバートの世界の中の自然治癒力であり、磁場であり、肉体細胞です。
みんな私の中ではひとつなんです。
だから、心を向ければ、ただただ喜びのエネルギーを感じます。温もりと優しさを感じます。
それらを通して、田池留吉、アルバートの世界に心を合わせられる、
ひとつを感じられる喜びだけが、私の心に広がっていくんです。
私は、おそらく死ぬまで元気です。死ぬまで大病は患わないでしょう。
次元移行の意識の流れの中で、今、肉を持って何をすべきか知っているからです。
それは肉体細胞の思いと同じだからです。肉体細胞があるときは、その思いとともに存在していくからです。
田池留吉の世界に心を向けて、合わせて、委ねる瞑想ができる。
心から、田池留吉、アルバートを呼べる。
温もりと喜びと安らぎの中にある私を感じることができる。
肉体細胞とともにある今、肉体細胞とともに喜びを感じる時間を持てることが幸せです。
■
田池です。
ともに、ともに存在していく喜びを、肉があってもなくても、ともに、喜びを感じてまいりましょう。
「私の中に田池留吉、アルバート。」あなたがそのように語っています。
「あなたの中に、田池留吉、アルバート。」それだけが私達の真実です。
これからさらに感じていくであろう田池留吉の磁場に心を向けてみます。
私の中の喜びと温もり。
田池留吉の磁場を感じることにより、その層が厚くなることは確かです、喜びと温もりがさらに大きく厚く深くなっていきます。
田池留吉の磁場の中に私はすっぽり収まっていく喜びです。
はい、私は田池留吉の磁場の中にすでにあります。
はい、すでに私の中でさらに田池留吉の磁場を学んでいける喜びを今、感じています。
私の中を一つにして、田池留吉の磁場をさらに深く感じてまいります。
磁場は、私の心が測定するんです。私の心で感じていく世界です。
磁場の喜び、磁場の温もり、すべては私の中で感じていきます。感じていけるんです。
すごいパワーが心の中で感じられるでしょう。
すごいエネルギー、すべてを生かすエネルギーをさらに、さらに感じさせていただきます。
■
田池留吉の磁場に思いを向けた時、私は肉体細胞の喜びを感じます。
肉的に言えば、肉体細胞が磁場のエネルギーを吸収して、活性化されていく感覚です。
たとえば、たとえばの話。
今、私の肉体細胞のどこかに異常があって、この田池留吉の磁場の中で、
私自身が心の針をピッタリと向けていけば、肉体細胞は間違いなく回復していくだろうという感じです。
しかし、これはあくまでたとえばの話で、今の私には現実味がありません。
ただ、少し前に、私は、自分について死ぬまで大病はしない、私はおそらく死ぬまで元気だろうと言ったのは、
私自身、すでに田池留吉の磁場にすっぽりと収まっているからなんだと分かりました。
田池留吉の磁場に心を向け合わせて、
いつも喜びを感じていれば、
肉体細胞に異常をきたすことはないでしょう。
もちろん、田池留吉の磁場に心を向ければ、私は限りなく広がっていくのを感じます。
限りない広がりの中で、温もりが湧いて出てくる感覚は、
幸せ、喜びを通り越して、ただただすごいエネルギー、ただただすごいパワーという感覚です。
田池留吉の磁場にすっぽりと収まっていると分かればいいだけです。
それではその分かるとはどういうことなのか。どうすれば、自分の心で分かるようになるのか。
田池留吉の顔を穴のあくほど眺めても、耳にたこができるほど話を聞いても、分かるものではありません。
結局は、自分の側の問題です。
母の反省と瞑想、他力の反省を丹念に繰り返し、まずは己の偉い自分に気付くことです。
なぜ己が偉いのか。肉という基盤を抱えているからです。
それでは自己供養はなかなか捗りません。
自己供養が捗らないということは、田池留吉の磁場も信じられないということになります。
だから、目の前の悩み事、問題事を解決するために、
この学びをしていくという他力信仰の延長をいつまでもやってしまうのです。
■
田池留吉の磁場を思って瞑想をすれば、安心なんです。心が安心なんです。まさに預けていける母の懐です。
肉体細胞という小さな宇宙も、限りなく広がっていく宇宙、意識の世界も喜んでいます。
その思いのまま、私は、今は特に飛鳥に心を向けています。
みんな、みんな、私の中で一つなんです。
飛鳥の私を思っていれば、そこに来世の私がいます。
ああ、私は、私の中でみんな一つになって、一つの方向を向いていることが感じられて、それが嬉しいです。
田池留吉の世界、田池留吉の磁場の中で、温かくて優しい中で、ただ思えることが嬉しいです。
そうです、思うこと、思えることが嬉しいです。
心の針を向け合わせていけば、そこに大きな喜びと温もりの世界があります。
遮るものが何もなく、どこまでも広がり続けていく世界です。
私はその中にある、田池留吉の磁場の中にある、心の中に安心感が広がっていきます。
田池留吉のという固有名詞が付いているから、肉をつかんでいく確率は高いのは確かです。
しかし、そんなところで引っかかっていては、本当にもったいないです。
田池留吉の肉は、学びについて心を向けていけば、懇切丁寧にどなたにもお話をされます。
しかし、肉は肉。愚かです。
確かに言葉に乗せて波動は流れています。
波動は流れていますが、それを受け取れるかどうか、肉が基盤であれば殆ど素通りに近い状態です。
頭は納得しても、心は納得していない状態です。
納得させるのは田池留吉の言葉ではなくて、自分が自分を納得させるようにしていかなければならないのです。
しかし、真実の世界を感じてくれば、田池留吉の磁場という波動の世界はただ一言「すごい」となってきます。
磁場の中で、一つになって溶け合っていく喜びの世界をどんどん感じていく、感じていける喜びだけが広がっていくのです。
■
私は何のために、ここにこうしているのか。肉体を持っているのか。
私は私に真実を伝えるため。私は私に本当の喜びと温もりを伝えるため。
今ここに肉体を持っています。
その成果はどうか。
私は私に本当の喜びと温もり、真実の世界を伝えることができました。
私の中は大いに変わりました。今世を境にして大いに変わりました。
私の転換期でした。私は今世を境に、これからの私はさらに変わってまいります。
どのように変わっていくのか。
喜び溢れる私がまだまだ真実を知らない私をどんどん目覚めさせていける。
その真なるパワーを私は自分の中に見出しました。
だから、私は、どんどん変わっていくんです。中から私はどんどん変わっていきます。
私は私をいざなう喜びと幸せ、その私を今、心に感じています。
飛鳥に生きてきた私を思い、瞑想をします。田池留吉の磁場の中で、私は私を思い、瞑想をします。
お母さん、ありがとうございます。私の心の中に母の思いが広がっていきます。
田池留吉のパワーの中で、私は喜びを感じています。
心は広がり続けていく。優しい、優しい中に広がっていく。
「お母さん、ありがとう。」自然に私の心がそう叫びます。
私にとってこの時間は本当にかけがえのない時間でした。
自分に用意してきたこの時間を私は、本当に堪能しています。ありがとうございます。ありがとうございます。
「ともに帰れることを伝えていただきました。ああ、嬉しいです。嬉しいです。ともに帰ろうと伝えていただきました。」
思いを向ければ、私が私にそう語ってくれました。
■
田池留吉の磁場にどんどん心を向けていきなさい。
そうすれば、あなたの自己供養は、さらに捗ります。
なぜならば、あなた自身が温もり、あなた自身が喜び。それをあなたは心で感じ知っているからです。
そういう意識の世界にあるあなたが、田池留吉の磁場に心を向けるとき、
さらに、あなたの心は広がり、喜び、温もりが大きく、大きく深くなっていくでしょう。
今朝の瞑想のメッセージです。その通りだと思います。
田池留吉の磁場に心を向けていけば、ただただ広がっていく私を感じます。
肉体細胞の喜びとともに、私が広がり、そして温もりと喜びが広がっていきます。
そうする時間を持つことが、私の自己供養だと言ってもいいと思います。
ふっと心を向けることが、すでに、喜びの中に、温もりの中に自分をいざなっている、
そういう世界が私の中に確立していることを、田池留吉の磁場に思いを向けることより、感じています。
学びの成果は、私の中で確実なものとなっています。
凄まじいエネルギーに振り回されることなく、踊らされることなく、私の中で大きく吸収していける温もりと喜びの世界です。
田池留吉の磁場、ますます私の中で、その効果を発揮していくでしょう。
ありがとうございます。
さらに、今日は、次のようなことも明確に私の中に伝わってきました。
私は、田池留吉の肉がこの世から消える日を心待ちしているわけでは決してありません。
しかし、その時点から、私の学びはさらに始まり、深まっていくことは確かです。
今世の肉を持ってする私の勉強の完成を必ずクリアして、250年後の来世の肉にバトンタッチです。
■
磁場を活用した治療方法を行っている人に向ける。
「私が研究してきた中で、不思議に思っていることがあります。
どうしてこの磁場を使っていけば、ガン細胞が増殖しないのか。
私のこの目で見ました。実験しました。本当にその結果が出ているんです。しかし、しかし、まだまだ途上です。
しかし、結果が出ていることは確かなんです。私のこの頭、能力、自分の経験、すべてから考えてみました。
私の中では、何も答えが出てきません。何故なのか分かりません。
何故なのかは分からないけれども、現実としてガン細胞が増殖しない。ある程度、一定のところで留まっている。
いいえ、留まっているどころか、そのガン細胞が変化しているんです。正常とは言わないまでも変化しているんです。
悪い方向ではなくて、良い方向に変化しています。
これは何なのでしょうか。何が作用しているのでしょうか。
私はそのところを、もう少し、自分の時間の中で研究していきたいと思っています。
しかし、私の能力は限界に来ています。
私がどれだけの時間をこれからかけようが、研究に勤しんでも、たぶん、たぶんですが、
この答えは私の中では引き出せない。それを私は少し感じ始めています。
これを世間に発表すれば、医学の世界は本当に根底から揺るがすようになります。
私の功名心ではありません。こうして、治療が出来るんだ。
本当にこうして治療が出来るんだ。私はそのことを皆さんに伝えたいんです。
私の功名心ではありません。不思議な、不思議な現象を私は目の前にしております。
はい、不思議です。患者さんも不思議だと思われていると思います。
患者さんに身体的、肉体的にあまり負担をかけずに治療が出来る。
このことを、私は一刻も早く発表したいのですが、まだ研究半ば。私自身がまだ信じていない。
そういう段階で発表することはできません。
ただ私は不思議なことを目の当たりにして、不思議だ、不思議だと、そんな思いが私の中に広がっています。」
はい、お名前は存じません。しかし、あなたの中に私達は伝えます。不思議でも何でもないんです。
はい、あなたの目にしていることは不思議でも何でもありません。
あなたが、心を見ていくことをされたら分かります。私達の言っていることが分かるんです。
私達は、意識、エネルギーです。そして、磁場も意識、エネルギーです。
そこに喜びのエネルギーを加えていけば、もっと不思議なことが起こるでしょう。
それを私達はあなたに感じていってほしいんですが、あなたが自分自身で感じているように、
あなたの今の段階では、限界です。限界を超えることはできません。
しかし、私達はその限界を超えることができることを、あなたに知っていただきたい。
ただそのことをお伝えします。
私達は意識、エネルギー。喜びのエネルギーがガン細胞とともに働いていけば、
その先にあるのは、本当に治っていくという現象です。
ガン細胞が喜びのエネルギーを受けて、喜びの状態に戻っていく。
ということは、つまり正常な状態に戻っていく。そういうことなんです。
私達には不思議でも何でもありません。ただ、しかし、これは現実的には難しいことです。
それは、患者さんが心を見ることをしてくれなければならないからです。
それを行うあなた自身も心を見ることをしていかなければならないからです。
心を見る者同士が行う中で、私達はその不思議なことが不思議でなくなることを、今、お伝えしています。
■
私は波動、あなたも波動。はいそのほうに意識を向けてみます。
はい、このメッセージ、そのほうに心を向けたとき、私の中に喜びが広がっていきます。
私は波動、あなたも波動。一つを感じています。
田池留吉の喜びの波動が伝わってきます。
ああ私達は一つなんですね。そのように伝わってきます。
田池留吉の磁場に思いを向けて、私は瞑想をしています。
そして、私の肉体細胞を思い瞑想をしています。
過去からの私、来世の私、今の私が心をひとつにして、磁場を思い瞑想をしています。
その中で私の心に響いてくる思い、それは喜びです。はい、ありがとうございます。
この時を大切に、大切に思います。
今、私は波動、あなたも波動と思い瞑想をした私の中を、大切に、大切にしていきます。
これからの私の勉強に大いにプラスになっていくと思います。
今の瞑想をした感覚、私の中の信をさらに深めていくような感じでした。
■
私は、今、良質のお水を飲んでいます。
良質というのはそのお水の質、物質的なものもそうですが、
お水を物質ととらえるのではなくて、私はお水に意識を向けながら口にしています。
私は、私が作ったお水、そうです、田池留吉の世界、田池留吉の磁場に心を向けてお水を作っています。
そのお水を、私は自分の心の針を田池留吉の世界、田池留吉の磁場に向けて合わせて飲んでいます。
お水は、私の肉体細胞にすうっと浸透していきます。
そのようにして、約3ケ月がまもなくやってきます。
お水を作って、お水を飲む。そして、肉体細胞とともに瞑想をする。
飲む喜びもさることながら、私はお水を作る喜びを日々感じています。
自分で作って、自分で飲んで、そして瞑想をして、私は私の勉強を進めていけることを感じています。
今は、それらがワンセットとなっています。
今そのようにして思うこと。
「喜びでお水を作って、喜びでそれを口にする。それが喜びなんだ。
その喜びで瞑想をして、自分に心の針を向ける。喜びが返ってくる。
私の中で良い循環が出来ている。肉体細胞とともにある今、ともに心を向けられる喜びにありがとう。」
■
心が証明する確かな世界。波動の世界。自分の心が証明しています。何度も、何度も確かめています。
私は広がっていきます。温もりの中に、喜びの中に、どんどんどんどん広がっていきます。
自分に針を向ける。自分を思う。それがたまらなく嬉しい。喜びです。
何度も、何度も、何度も体験できるから、瞑想をする時間がたまらなく嬉しい。
そして、磁場と思えば、私はやはり宇宙と出てきます。アルバートと出てきます。
宇宙を思うことが喜び。宇宙を呼べることが喜び。
磁場のエネルギー、パワーの世界を、私の心がさらにとらえていけば、宇宙はもっと、もっと深く大きく広がっていくでしょう。
私は、田池留吉の磁場を学ぶ喜びは、そこにあることを感じています。
宇宙です。アルバートです。その波動の世界を体験できる喜び。それが磁場を学ぶ、学びたい私の思いです。
「次元を超えてやってくる意識達とともに」と私の中からそう伝わってきます。
そうです。たくさんの肉を持たない意識達を心に感じます。
磁場の温もり、喜びを、伝えていける喜び。私は、それをどんどんやっていくだけです。
そういうところから思いを向けていくと、磁場を活用した研究が行われているということを、少し前に書きましたが、
そういう人達が、本来の磁場というものを心で知っていかれたならば、と思わざるを得ません。
今、すごいと思っている世界が、どんなにちっぽけな世界のことであるのか、そ
の中の誰か一人でも知っていただけたならと思います。
■
心を向ける喜び。自分に思いを向ける喜び。そして、自分に真実を伝えることができる喜び。
今、肉を持っていて本当によかった、本当にありがとうと、その思いを私は私に伝えています。
自分が温もりであり、喜びのエネルギーであること、この思いは、250年後に肉を持つまで、
引き続き私の中をどんどん、駆け巡っていくでしょう。
そして、そんな意識の世界、宇宙を抱えて、私は満を持して250年後に生まれてきます。
今世も、満を持して生まれてきて、今世の計画を滞りなく遂行しています。
「私の転生はなぜあと一回なのか。」
それは、あと一回だけを残す転生というのは自分の中から出てきた思いだったけれど、
ずっと前に、私は自分に問いかけたことがありました。
答えは、明確に出てきました。
「今度、アルバートが肉を持つのが250年後。だから、私はそれまでに肉を持つ必要がない。」
最近、田池留吉の磁場を思って瞑想を重ねていると、この問いかけが浮かんできます。
そして、やはりその通りだったと感じています。
アルバートを、アルバートの波動を待ち続けてきた私。
田池留吉の世界、その磁場の世界を思えば、アルバートの波動の世界を大きく開花させるために、
最終の肉を持ってくる私の計画に何の狂いもないことを感じます。
次元を超えてやってきた私が、次元を超えることができなかった意識達に伝えていきたい、
いいえ伝えていくんだ、そんな思いが響いてきます。
肉を持っている今も、肉を持たない間も、そんな流れの中にあることが感じられて、
それはもう嬉しい、幸せどころの話ではありません。
決定した事実が、私の意識の世界をさらに喜びへと広げていきます。
だから、肉は毎日を淡々と通過していけばいいだけのこと、
こんな幸せな肉の時間はありません。
■
もう私は、嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて、本当に嬉しい。
自分の深部に突き当たるというか、田池留吉の磁場、その波動の世界は、そんなことを私に思い出させてくれました。
やはり、アルバートです。宇宙です。
温かい、温かい 温もりの中に、たくさんの宇宙達をいざない、
そしてともに母なる宇宙へ帰る、本当にそんな喜びだけが心に広がっていきます。
三次元にやってきた私が、長い、長い時へ経て、
今ようやく、ようやく、この次元をあとにしていける喜びだけが心に広がっていきます。
田池留吉の世界、田池留吉の磁場、そのエネルギー、パワーこそが探し探し求めてきた私達の世界でした。
三次元にやってきた私の意識の世界が、今世、ようやくアルバートの波動と出会えることができた喜び。
それを、今、田池留吉の磁場に心を向けることによって、
そうだ、そうだ、本当にそうだ、ありがとう、ありがとうと私の中に上がってきます。
私の中には喜びしかない。温もりしかない。
宇宙にさ迷うたくさんの意識達とともに帰れる喜び。
田池留吉の磁場に思いを向ければ、そんな喜びの道筋がはっきりと感じられます。
そのために、私はこの三次元にやってきたんだ。
この次元にやってきた意識達も、次元を超えることができなかった意識達も、
今度はともに超えていこう、私は、これからの300年、そう呼びかけ続けるでしょう。
■
田池留吉の磁場と思うだけで嬉しいです。
私の中の意識達は待っていましたと心の底から喜びを伝えてきます。
温もりと広がり、そんな喜びの中にあった自分達だと、どんどんどんどん心の中に伝えていくような、そんな動きを感じます。
自己供養、ああそうです。私は、肉がなくてもこの波動の中で私に伝えることができる。
こんな嬉しいことはありません。こんな幸せなことはありません。
すべては次元移行を目指した意識の流れの中の出来事。
本当にありがとう。本当にありがとうございます。
私は、喜びでどんどん自分を進めていきます。本当に嬉しいです。心に湧き起こる喜び、温もりです。
宇宙を喜びで埋め尽くしていけます。それが250年、300年に至る道筋。私は、はっきりと感じます。
田池留吉の世界、田池留吉の磁場を思い瞑想をしていけばいいだけ。
そして、250年後の目と目の出会いを待つのみ。
■
心で分かる、心でしか分からない。そんな学びをさせていただき、本当にありがとうございます。
心を向けられる喜びです。向けることを知った喜びです。
その喜びだけが私を支えています。そして、そこには限りない優しさと温もりがあります。
変わらぬ優しさと温もりでした。本当にありがとう。こんな私と出会わせていただきました。
私の中には、田池留吉の磁場という言葉も何も要りません。
ただ肉を持っている私達には、最初は、何か言葉で示さなければなりません。
だから、田池留吉の世界であるとか、田池留吉の磁場であるとか、
アルバートとか言っているだけで、要は自分を向ければいいだけです。
向ければ分かります。それだけです。私は私の中に響いてきます。伝わってきます。
喜びが温もりが広がっていきます。ああ、これが私なんだと感じます。
■
学びの最初の取っ掛かりは、それぞれに色々な問題の解決であるとか、
その他、チャネラーになりたいとか、そういうことです。
つまり、学びをするに至る動機は殆どみんなそんなところにあります。
それは仕方がないことでしょう。誰しも自分の悩み、心配事、問題をどうにかしたいと思います。
また、目に見えない世界を自分が知っていけたら、
そしてそれを看板に自分を認めさせていけたらと思うのは、誰しもがはまるところです。
しかし、たとえ、目の前の悩み事、問題がある程度解消する方向にいっても、
そして、自分の心が敏感になっても、それは大したことではないんです。
そこから、どのように自分を学んでいくか。
まだまだ手つかずの部分が山のように残っている現実といつ向き合うのか。
それを先延ばし、先送りにしては、せっかく、今世、学びとの出会いがあったにも関わらず、
なあなあのところで満足していく羽目になってしまいます。
みんなが仲良く幸せになるということは、一人ひとりが、自分の本質に目覚めていく方向に進んでいかなければなりません。
その一歩も二歩も前で留まりながらでは、本当にもったいないと思います。
悩み事や問題を解決するために、そしてまた自分の心を敏感にさせるために、
田池留吉との出会いがあったわけではないのですから。
一日も早く、本来の学びの軌道に自分を乗せていただきたい、私はそのように感じています。
■
田池留吉の磁場を思い、その中にある喜びを心に感じ、
その思いをふうっと肉体細胞に向ければ、
肉体細胞は癒されていきます。活性化されていきます。
田池留吉の磁場、そのエネルギーは喜び100%だからです。温もり100%だからです。
喜びだけなんです。温もりだけなんです。
そこには、通常の医療の現場のように、治してください、治してあげたい、
治しましょうという一種の教祖と信者の欲の関係は一切ありません。
本来の磁場は、欲とは一切合わない。ただ喜びだけ。
そして、本当に喜びと温もりの波動の中で一体化していけば、
そこにすごいエネルギー、パワー、つまり本来の磁場を集中させていけるんです。
私は、田池留吉の磁場に心を向け合わせたとき、そのように感じます。
そのエネルギー、パワーの世界、波動、田池留吉の磁場を心で学ぶことによって、
肉体細胞の活性化はもちろんのこと、
さらに宇宙、意識の世界へ喜びのエネルギーが放射されていくスピードが加速されていくでしょう。
田池留吉の意識の世界にどんどん思いを向けて、
磁場のエネルギーをどんどん感じ吸収して、次元移行の流れをアップしていける喜び。
今、田池留吉の肉がある今、その喜びを学んでいきます
■
まずはゼロ歳の瞑想からです。基本はきちんと押さえてください。
母の反省と同時進行でゼロ歳の瞑想。そして、他力信仰の反省。
そのもっと前は、「意識の流れ 増補改訂版」を読み込むこと。
これらをきちんとしていないと、学びは結局、空回りです。
空回りということは、今は、形はどうにかこうにか学びに繋がっていても、
やがては、心を離していく結果となる可能性が大きいということです。
それほど個々の他力の心は根深いです。本当に根深いです。
しかし、それとは全く無関係に、意識の流れは滞りなくどんどん流れています。
次元移行へ向けて流れています。今は磁場です。喜んで、喜んで、心を向けていきましょう。
私達には喜びしかない、温もりしかないと、本当に心の底から知ったならば、
今、こうして肉を持って学ばせていただいていることが無条件にありがたいと、本当に心に響いてきます。
そんな波動の世界を心で感じれば、行きつ戻りつ、一歩進めば二歩後退、そんなことは絶対にあり得ません。
前進あるのみです。
過去、どんなに凄まじいエネルギーの坩堝の中にあったとしても、そんなものは雲散霧消していくほどのものだ、
私は、田池留吉の磁場、そのエネルギー、波動の世界を心に感じ、それを実感しています。
あとに残るものは、喜びだけ。温もりだけ。ああそうだ、これが私だったんだ。
それを実感できるからすごい、田池留吉の磁場はすごいに尽きるんです。
田池留吉の磁場を思い瞑想をすれば、私には次元移行の意識の流れしかないことを感じます。
意識の流れとは、次元移行です。
その流れの中で今という一点があり、今、田池留吉の世界、その磁場のエネルギー、パワー、真なる波動を心に感じています。
私の中では、これが次元移行へ大きなはずみをつけている、さらにつけていくことが明らかです。
私はそれがたまらなく嬉しいです。
田池留吉とともに思いを向ける、磁場を感じていく、宇宙に点在する数限りない意識達とともに磁場を感じていく、
その壮大なる流れ、学び、私の心をとらえて離しません。
300年に至る時間と空間、磁場を思い瞑想をする喜びの中で、今その様を感じています。
■
一人でも多くの人が、田池留吉の世界、田池留吉の磁場に少しでも触れてその肉を終えていっていただきたい。
田池留吉からのメッセージです。
磁場は温もり。磁場は喜び。私の中に広がっていく。
磁場を思い瞑想を続ける。たくさんの、たくさんの意識達を感じる。
ありがとう、ありがとう、ありがとうと、心から溢れてきます。
肉ができることは、心の針を向け合わせていくことだけ。
そうすれば、磁場の温もりと喜びの中で、たくさんの意識達がありがとうと喜んでくれる。
自己供養は簡単な作業でした。
私は幸せです。アルバートと心から呼べる私は幸せです。
田池留吉、本当にありがとう。本当にありがとう。
田池留吉を思えば思うほど、アルバートが私の中に広がっていきます。
田池留吉の磁場はすごい。
心が一瞬にして広がっていく。心が温かくて嬉しい。決して変わらない世界でした。
遠くに捨て去ったと思っていたのに、全く変わらずに、何も変わらずに、私の中にありました。
田池留吉の磁場を感じる。温もりと喜びと安心が広がっていきます。
■
田池留吉の磁場と思って瞑想をすれば、なぜこんなに嬉しいのだろうか。
本当に嬉しいです。温かい、温かい温もりの中で、本当に心が喜んでいることを実感します。
自己供養が私の中で本当に滞りなく進んでいることを感じています。
温もりにほだされて、優しさの中に包まれて、たくさんの、たくさんの意識達の喜びが、心に充満していくという感じです。
ああ、本当に肉ができることは、この瞑想をする時間を持つことだけ。
肉は磁場と思えばいいだけ。
そうすれば、自然に心が広がっていく。温もりと喜びの中で広がっていく。
もちろん、私は、こういう瞑想は、これまでにたくさん重ねてきました。
だから、瞑想をする大切さ、喜びは心に染み渡っています。
しかし、ここにきて、磁場、田池留吉の磁場という言葉、
そしてその波動の世界を心に感じ広げていく学びが、私の中でさらに始まりました。
これは、私の中で、さらに新しい発展というか、進化というかそういう方向に早くも進みつつあります。
磁場、田池留吉の磁場。
本来の磁場のエネルギーを、喜びのエネルギー、喜びのパワーを私の意識の世界は、確実に受けています。
「死ぬまで元気」、田池留吉の磁場と一体化していれば、それはごく自然なことだと納得です。
死ぬまで元気で、私は私の中とともに次元移行という意識の流れの中を流れていく、本当に嬉しいです。
磁場を思って瞑想をしていると、母からいただいたこの身体、大切にしていこう、改めてそう思います。
肉体細胞とともに、自分の中の宇宙を感じていく喜びを広げていけることに、改めて感謝の思いが出てきます。
磁場は温もり。磁場は優しさ。そして磁場は喜び。磁場は真なるパワー。
自分の中の磁場を高めていくことが喜び。高めていけることが喜び。
その時間を今、用意していることが喜びです。
次元移行の流れを感じる心には、肉はそれに沿って生活できることこそが、肉の喜びであり幸せだと伝わってきます。
次元移行という意識の流れとともに存在する肉でしたと分かれば、肉は、もう自然に幸せなはず。
ふっと思えばいいから。ふっと思えば、喜びと温もりの世界にある自分を感じるから。
あとは、淡々と時を刻んでいけばいいだけなんだ。
その中で瞑想を重ね、自分の宇宙をどんどん広げ、
そして自分の宇宙に伝えていく作業を続けていけば、知らない間に、さらに喜びと幸せが心に広がっています。
そういう状態まで、自分の意識の世界はなっているんだなあと、磁場を思い瞑想をする中で感じるところです。
磁場を思い瞑想をすると、自分の成長が感じられます。確実に変わった自分の意識の世界を感じます。
だから、どんどん前に進んでいけばいいだけ。自分の中の磁場を高めていく方向に、喜びの方向に進んでいけばいいだけです。
■
田池留吉の磁場を思い瞑想をする。
私は限りなく広がっていく。喜びとか温もりとかそういうものを全部ひっくるめて、私は限りなく広がっていきます。
どこまでも限りなく広がっていくことが喜び。それがただただ嬉しい。
そして、広がる私の心からパワー、喜びのエネルギーが限りなく、無尽蔵に心から湧いて出てくる。
ああこれが私なんだ。そう思えばまた私はどんどん広がっていきます。
私の肉体細胞からすごい熱量が発散されるのを感じます。身体が熱い。
そして、心はというと、宇宙と一体化している喜びを感じます。
私の中で、たくさんの数限りない宇宙が、田池留吉の磁場から発せられるエネルギーを吸収して 、
喜びへと一つの方向を目指して進んでいっている、そんな喜びが私の心をさらに広げていきます。
今、一つの肉体を通して、こういう体験をさせていただいていることが本当に嬉しいです。
磁場に思いを向ければ、間違いなくすごいエネルギー、パワーが心に充満して、私の世界をどんどん開いていってくれます。
温かい、温かい温もりの中で、一体となっている喜びだけが心に大きく広がっていきます。
田池留吉の磁場を思い瞑想をすれば、私の心の中には喜びしか出てきません。
そうです。喜びです。意識の世界には喜びしかないからです。
言葉にすれば、次元移行の喜び。宇宙達の喜び。
そういう表現になってしまうけれど、適切に表現する方法がないことがもどかしいです。
そうです、喜びだけなんです。
だから、その喜びと温もりの波動、エネルギー、パワーを100%心に受けていけば、
肉体細胞の不都合など解消されることに納得します。
しかし、そんなことは大したことではない。
そのエネルギー、パワーはそんなちっぽけなものではないからです。
田池留吉の磁場を思えば、意識の流れがはっきりと心に感じられるのです。
だから、この上もなく嬉しい。その意識の流れの中で、たくさんの意識達の喜びが伝わってきます。
どこまでも限りなく広がっていく意識の世界の素晴らしさを、田池留吉の磁場は伝えてくれます。
一体化する喜び。一つになっていく喜び。時間も空間もなく、そこにあるのはただ喜びだけ。
■
頭の後頭部に意識を向ける。
後頭部に意識を向けた時、私の心は本当に晴れやかに広がっていきます。
ああ心の中に何もない。はい、飛び跳ねるような嬉しさ、喜びの中に広がっていくんです。
これはいったいどういうことでしょうか。
(肉体細胞の意識) 人間は頭を誇ってきました。
頭で考えられること、頭を駆使していくこと、それは、人間が生きるうえでとても大切なことだと思ってきたんです。
しかし、その頭を外したとき、心の中、意識の世界がどんどん広がっていく体験を、あなたはされたんです。
そうです。人間が頭で考えることなど、本当にちっぽけなものなんです。
それよりも、もっと、もっと心を広げて意識の世界を、もっと、もっと感じていく、その喜びを体験されたんです。
喜びです。喜びです。喜びがどんどん広がっていく。
その頭、その肉を外したとき、あなたの心の世界がどんどん広がっていく。そのことを体験されたんです。
後頭部に意識を向けた時、あなたの心はパーンと弾けました。
どこまでも、どこまでも広がっていく、そう宇宙ですね。そう、意識の世界にあるあなた自身を感じたんですよ。
はい、そこには何もありません。ただただ喜びが広がっていくんです。温もりが広がっていくんです。
ありがとうの世界です。お母さん、ありがとうの世界が広がっていくことを体験されました。
心の中の喜びを、もっと、もっと信じていってください。
広がる喜びを、もっと、もっと信じていってください。
肉の離したあとの喜びの世界を信じていくんです。
頭で理解する世界は、ほんのちっぽけな世界だと、あなたの心の中に、しっかりとメッセージを送りました。
頭では決して理解できない世界、それがあなたの世界、意識の世界。
田池留吉の磁場、田池留吉の世界です。
はい、心をどんどん向けることをやっていってください。
■
眉間に意識を向けて感じる世界と、後頭部に意識を向けて感じる世界には、雲泥の差があります。
眉間に意識を向けて感じる世界は、私が培ってきた世界。
自分の本質を知らずに、欲の渦の中で創り上げてきた世界。
そんな中で、どんなに反転と伝えても、そして喜びに帰ろうと伝えても、所詮その思いは届かない。
凄まじいエネルギーにかき消されてしまいます。
しかし、後頭部に意識を向けた時、私の中に一瞬にして広がっていく世界は、
本当にどこまでも限りなく広い世界。何もない世界です。
そして、そこから、自分を見る。瞬間的に、凄まじいエネルギーは反転します。
あまりにもちっぽけな世界だった、それを実感します。
それから、温もりが押し寄せてきます。ありがとうが充満します。ただただ気持ちがいいです。
そして、一度、その瞑想を終えて、再び、田池留吉の磁場を思う瞑想を始めました。
田池留吉の磁場と思った瞬間です。広がり、パワー、温かさ、優しさ、喜び、すごいと思いました。
やはり、最後は瞑想なんだ、瞑想だけなんだと思えば、そうですよ、それしかありませんと伝わってきます。
心を向けていけば、もうどんどん学んでいけますとも伝わってきました。
■
私の身体の弱い部分、気管支を思う。そこに意識を向ける。
思いを詰め込み、飲み込み、口を閉ざしてきたエネルギー。
そして、それは、まさに喉をかき切るほどの凄まじいエネルギー。
ああたくさんの闇のエネルギーを垂れ流してきたことを感じます。
それでも、今、自分の中から反転の思いが響いてきます。
一瞬のうちに変わる。
凄まじいエネルギーは、温もりに触れ、優しさに触れ、
苦しみもがきながらも、その温もりに、優しさに包まれていることを知る。
知れば、もはや苦しみはどこにもない。ただただありがとうと、そして喜びが広がっていくだけ。
凄まじいエネルギーも私ならば、この温もりと優しさも私です。
いいえ、凄まじいエネルギーが、温もりと優しさを蘇らせてくれる。
本来の私を蘇らせてくれる。
喜びのエネルギーをそこへ転写し、
やがて凄まじいエネルギーは、自らどんどん元あった状態に戻っていける、
つまり転写が転写でなくなっていくような、そんな感じがします
■
つづく(作成中) in the works
そして、大いに 笑いましょう!!
\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/
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自分の身体は 自分で治そう!!
あなたの肉体細胞の自然治癒力を信じてください!
あなたを生かし続ける肉体細胞に感謝しましょう!
あなたを救えるのは アナタしかいない!!
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「人はどうして病気になるのか?!そしてその対策と克服法とは!」←クリック
早寝早起き、丹田呼吸、半身浴の励行、暴飲暴食を避けるという、
日常生活の基本から、正しい瞑想に至るまで、
手順を踏んでいけば、道は、曲がることはありません。
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今、ご自分の身体が不調であって、
どこかの病院で診察をしてもらおうと思っているならば、そうしてください。
それは、他力でも何でもありません。
病院にも行かず、ただ心を見ていくんだ、それは、少し違うと私は思います。
しかし、病院に頼り、薬に頼るばかりでは ダメだということです。
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臓 器 移 植 ・ 延 命 治 療
生体臓器移植も脳死臓器移植も延命治療も 全て間違っています!
(注)臓器移植と献体は、全く別のものです。混同されている方が多い様なので、明確にしておきます。
意識の世界から見ますと、臓器移植の場合は、いくら脳死状態で、医学的には 死んでいると判断しても、
その人の意識は、目には見えませんが、心の中に存在しており、全ての状況が分かっています。
しかし、回りの人に伝えることは、肉体的には何も出来ません。本人の意識は、状況に驚愕し・暴れまわります。
「私は、まだ生きているのに、何をするのか〜。この人殺し〜。」と叫び・悶絶しているのです。
まさに、殺人です。死後、大変な苦しみと憎悪・怨念を残すことになります。
ところが、献体は、死後すぐに 切りきざんで解剖するのではなく、死後、大学病院に運ばれ、
ホルマリンのプールに保存され、大学生の人体勉強のために、本物がどうなっているのか、
順番に、実験に 提供する訳です。もちろん、その時には、もう意識は、肉体から抜け出ていて、
完全に、抜け殻です。ただの物体です。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
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人生は、「ありがとう」で始まり、「ありがとう」で終わる。
「ありがとう」で始まり 「ありがとう」で終わる人生は、喜び幸せである。
【ありがとうの人生】を生きている人の顔は、明るく、
その笑顔は、実に美しく、周りを 明るく幸せにする。
===田池留吉===
\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/
「喜び・幸せ・ありがとう」を合言葉にしましょう!!
あなたの心は 明るいですか、暗いですか?
[喜・怒・哀・楽]の その時、心を見てください。
(意識の流れからのメッセージ)
■
心を見るということを 知識として知った人達は、
あとはそれをただ 実践していけば いいだけです。
そうすれば自然に分かってきます。それぞれに予定してきた道が見えてきます。
そして、その見えてきた道を、計画通りに淡々と歩む、
それさえしていけば、自ずと私は本当に幸せな存在でしたという思いが心から湧いて出てきます。
そうなってくれば、肉のあんなこともこんなことも、あまりこだわらなくなってきます。
と言って、いい加減ではなくてきちんと対応します。
意識の世界は理路整然としています。決していい加減ではないです。
本当に意識の世界の喜びや幸せを感じていけば、肉の生活など整って当たり前なんです。
形を整えようと奮闘努力しなくても、肉のことなど整ってきます。
意識の世界にある自分がはっきりと自分の中で感じてくれば、
その世界を、肉を通して感じていけることに本当に感謝の思いが出てきます。肉に感謝です。
すなわち、肉をきちんとする、生活を正す、
それは自分の中の感謝の表れです。
■
■ 私は、肉がしっかりとしていなければ、学びを進めていくことは難しいという考えを持っています。
しっかりとするというのは、人は人として、家族あるいは社会の一員として、
それぞれの役割分担をきちんとやっていくような生活を営んでいける状態にあること、
私は、まずそれが基本だと思います。
生活が乱れていては、心を見ることはできません。
なぜ乱れるのか、心を見ていないからです。
心を見ていけば、自分がどんな思いで肉というものを望んできたのか、
そして、肉という形を持っている今がどんな時なのか、心に響いてくるはずです。
そうすれば、肉の時間の使い方も、肉というものの扱い方も、ましてや自分の周りにいる人達に対する接し方も変ってきます。
学びをしている人の中には、何かといえば過去世云々を持ち出す人がいます。
みんなそれぞれにたくさんの過去世を持っていることは、分かりきったことです。
そんなことよりも、自分が今、肉を持っていることに対して、本当にどう思っているのかということを、
もっと真剣にとらえて、今を大切にしていくだけなのではないでしょうか。
この肉の時間はとても大切な時間です。
肉は大切な計画を遂行していくために、滞りなく存在していくことが必要です。
肉はその邪魔をしません。肉の管理はとても大切です。
意識の世界が本当の世界。ああしかし、肉を持っているからこそ、
意識の世界が本当の世界だと心で感じることができるのです。
この肉体細胞にありがとうしかありません。肉はとても大切な手段です。
肉体細胞はとても大切。
頭の先からつま先まで、私達には、とても大切な仲間です。
■自分の事は、自分でやらねばならない。 ⇒自力・自己供養 ⇒自分が汚したら自分で掃除する⇒自分が流した「闇」は自分が回収する。
■自分で蒔いた種(自分が出した思い)は、必ず現象化し形となって現れます。 あなたに降掛る問題を、あなたが自分で刈り取る(認め・受け入れる)のです。 他人に代わりにやってもらうことは出来ない! あなたを救えるのは アナタしかいない!
■どうするかはあなたの自由⇒自己選択・自己責任⇒全て結果は自分のものです。
■本当の自分自身を信じて下さい(頭でなく瞑想をして心で感じたものを信じる) 答えは自分の心の中に全部あります。他の人に頼り聞く必要はないのです。
■ あなたの回り・他人の心を、変えたい・変わって欲しいと思ったら、 先ず、自分の心を、根本的に 変えなければならない。(意識の転回) ◎ 先ず、あなたが変わらなければ、他の人を変える事は出来ないのです。
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人間はどこから来て何処へ行くのか<意識の流れ>真実の故郷を求めて!
「心の窓が開いた!」
目に見えない意識の世界
心で感じる波動の真実
「意識の世界は実にシンプルです。そして、極めて複雑怪奇です。」
霊能者になりたいあなた!チャネラーを求めるあなた!
有能な、本物のチャネラー・霊能者とは
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■ 私の思いは、 あなたに ぜひ 本当のことを 知ってもらいたい、
真実に 出会っていただきたい という事だけなのです。
なぜなら、「あなたは、私。 ワタシは、アナタ」なのですから・・・
さて、私のHPにて お伝えしている事の根本は、ただひとつ
「私達人間は、肉ではなく、意識であり、永遠に存在するものである。」
意識は心、思い、波動、エネルギーである。 意識は現象化する。
意識は一つ、私はあなた あなたは私である。
以上が 全てです。
人間は皆、もともと 「喜びで 幸せな存在」 なのですから。
あなたが 勝手に 苦しんでいるだけなんです。自作自演。
「心を見る」作業は、喜びです。
苦しいのは、あなたが間違っているからです。
■ 真実は、あなたの心でしか 分からない。そして、あなたの心で必ず分かる。
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人間の本質は 意識・波動、その事に目覚める事こそ
本当の 幸せなのです。
あなたを救えるのは アナタしかいない!!
真実とは・人間の本質 | 田池留吉著 「意識の流れ」 | 勉強会・UTAセミナーとHP |
現代の諸問題・社会問題 | 子供の諸問題・育児と教育 | 夫婦の縁・家族・友・人間関係 |
やるべき事とやってはいけない事
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
喜びと幸せの輪を広げよう
UTAブック http://uta-book.com/index.htm
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UTA・「意識の流れ」心の学び・関連本の紹介ページ ←クリック!
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松岡儀典(まつおかよしのり) 1946年・昭和21年の戦後生れです。
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