枠が黒く表示される方は、上のメニューバーの中心にある
「破れたページの形をしたアイコン」をクリックして下さい。
これから宇宙は変わっていきます。
地球も変わっていきます。
次元移行に向かって人類も変わっていきます。
******************************************************* 5月1日以降は、 に移転しました。 ******************************************************* |
心」の目次(田池留吉) ←クリック
「私は意識、永遠、無限、波動、エネルギーです。」
「私は愛、あなたも愛、ひとつです。」
塩川香世 の メッセージ |
平成31年 |
田池留吉を思って |
UTAの輪の中でともに学ぼう 平成31 |
塩川 香世 |
2019年・平成31年 4月 30日 終了
******************************************************* 5月1日以降は、 に移転しました。 ******************************************************* |
学ぶ方へ
セミナーに参加するまでに!(田池 留吉) ←クリック
塩川香世のメッセージ 令和元年←クリック!
塩川香世のメッセージ H.31←クリック!
塩川香世のメッセージ H.30←クリック!
塩川香世のメッセージ H.29・28←クリック!
H.31 「UTAの輪の中でともに学ぼう」 塩川香世
H.30 「UTAの輪の中でともに学ぼう」 塩川香世
令和/R年 NPO法人・UTAの輪セミナー(塩川香世) ←クリック
平成31・30・29・28.27年NPO法人・UTAの輪セミナー(塩川香世) ←クリック
令和/R年UTA ブック・塩川香世・「ZOOM(ズーム)ミーティング」・瞑想会
平成31・30年UTA ブック・塩川香世・NEW スカイプ反省・瞑想会
平成29・28・27・26・25年 UTA ブック ・ 塩川香世・スカイプ瞑想会
NPO法人・UTAの輪 (UTAの輪作り) 令和/R年 ←クリック
NPO法人・UTAの輪 (UTAの輪作り)H.31・30・29・28 ←クリック
UTAの輪 (UTAの輪作り)H.25・26・27 ←クリック
アルバートからのメッセージ←クリック
\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/
2019年・平成31年 4月 30日 終了
*******************************************************
5月1日以降は、
に移転しました。
*******************************************************
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
◆1596)
この道、田池留吉の意識の世界が指し示す道を真っ直ぐに、
ひたすら真っ直ぐに突き進むと決意して生まれ、
そしてそれを確かなものとしている今があります。
この今だけを真っ直ぐに見つめて存在していくことが、幸せと喜びの人生だと言えます。
その他のことは、少々不都合なことがあっても、大勢に影響はありません。
次元移行へと流れていく意識の流れを、
しっかりと自分の中で味わいながら、これからの時が流れていくでしょう。
出会いを持ちました。
予定通り確かな出会いの中で、心に響き伝わってくる波動の世界だけを信じて、
そして大切に育んでいくことに専念です。そのためにすべてを用意してきました。
昭和の時代、戦後高度経済成長時代、
その時代の猪突猛進の亥年に肉を持たせていただきました。
昭和、平成、令和と元号が変わっていく中で、
アマテラスの国日本を思いながら、
私に残された肉の時間、環境を最大限活用して、
250年後の来世とともに瞑想を楽しんでいます。
◆1595)
学びの友からのメールです。一読ください。
250年後に至るまでの転生、何度かあるであろうその転生に思いを向けて瞑想したとき、
私の中から突きあがる思いは、真実を求めて求めて求めて、
その求めてやまない思いがもう破裂寸前にまで膨れ上がって、
ただただ声にならない声で叫んでいる状態です。
どんなに求めても答えがない。
どんなに泣き叫んで求めて探しても、
決して見つかることのない絶望の転生を何度も繰り返すのでしょう。
だから、だからこそ、250年後のアルバートとの出会いを、
私は決して、決して、逃すことはありません。
絶対に、絶対に、真実と出会えるチャンスをあきらめません。
その思いは今世の思いとはまったく度合いが違うのだと思います。
今世とは比較できないほどの思いを持って、250年後に私は学びにつながります。
その来世の強い思いが、今世の、今のこのぼんくらな肉の
私を動かしていくこれからなんだと思います。
真実に出会うことのないその幾度かの転生が、私には絶対不可欠なんだと感じました。
その転生があってこその250年後なんだと。
そしてその250年後があっての今なんだと。
そんな思いを感じさせていただきました。
愛おしい思いです。ありがとうございました。
◆1594)
こうして今互いに肉という形を持って学びに繋がっているという関係、それは確かです。
しかしそれはそれ以上でもそれ以下の関係でもありません。
今、学びに繋がっているという事実を事実として、
互いにサラリと自分を学んでいく時間と空間にしましょう。
人間の心の奥底にあるのは真っ黒な真っ暗な欲の渦です。
本当のことを見捨てた見失った心の世界が作り出してきた欲の世界、
それはもうどうしようもないところまで膨らんでいます。
肉、形を本物とする思いがどんなにこの宇宙を汚しまくってきたのかを自らに示し、
そしてその張本人である自分達が懺悔に懺悔を重ねていく体験が待っています。
それでもふっと頭をもたげてくる世界、我を見よ、我は正しいという世界は、
なかなか崩れ去っていくことは難しいというのが悲しき現実かもしれません。
しかし、怯まず臆せず自分の世界と向き合いましょう。
自分の世界と向き合う思いだけは、自分の中から消し去ってはならないでしょう。
強い固い決心で今世の肉、環境を用意してきた思いを
いつも原点にという姿勢で学んでいくことが大切なことです。
◆1593)
今年初めての10連休明けるとまもなく志摩セミナーがあります。
昨日は、UTAホール大宝で、50歳未満の方達とともに
瞑想をする時間を持たせていただきました。
こうして、2019年も早や3分の一か月が過ぎようとしています。
その間の予定されたセミナー、みんな無事終了です。本当にあっという間です。
私はセミナー開催に体調その他を調整することをまず念頭に置き、
あとの日々の生活はゆったりとゆっくりと流れる時間の中で過ごしています。
泣いても笑ってももうあと僅かな三次元の時間です。
地球という星に数限りない転生の機会を持たせていただき、
いよいよ三次元最終段階のお勉強というところまで漕ぎつけました。
昨日のUTAホール大宝でのお勉強を終え、
帰宅してふとセミナーを振り返ったとき、こんな思いが心に上がってきました。
250年後の来世のことをほんの少し語ったからかもしれませんが、
どうぞ、あなたも250年後のあなたが心待ちしていることを心から感じられて、
そしてしっかりと三次元最終のお勉強へと自分を繋いでいってください。
心をひとつにして意識の流れに乗っていきましょう。
真の学びの友の輪を広げてまいりましょう。
◆1592)
特に何もない時に学んでください。
特に何もない時に肉に傾いていれば、肝心な時に自分を見失います。
事が起こって、さあ心を見よう、瞑想をしようと思ってみても、それは肉です。
欲だらけの中で真っ直ぐに純粋に真摯にと勢い込んでも、
欲の中から自分を解き放つことは難しいです。
肉という欲の渦の中に自分の切なる思いは、かき消されていくでしょう。
肉という思い、やっかいです。決して軽いものではありません。
なんやかんやと言い訳、理屈を並べて
結局は己という肉の牙城を崩すに至らないというところでしょうか。
それでも、それでも、これからの転生で繰り返し起こってくる未曽有の出来事です。
必ず帰ってきなさいという心からのメッセージのなせる業です。
波動の世界に生きていますよ、ともにこの波動の中にあることを
知ってくださいと強く強く伝え来る意識の流れです。
ああ、間違ってきましたとすべてを託していく喜びと
出会っていく計らいの中にあることをお伝えします。
◆1591)
学びの友からのメールです。一読ください。
ライブ瞑想を有難うございます。
死後の自分を思って瞑想しています。自分は自分をずっと嫌ってきました。
苦しい自分を、腹立つ自分を、怒りに震える自分を必死に正当化しながらも、
その自分をずっと嫌い続け、その自分を抹殺したくて、
宇宙なくなれ、自分なくなれと念じ続けてきました。
今、死後の自分を思うとき、そんな自分が苦しいので無くなりたい。
ただその思いばかりが出て来ます。
そして来世生まれて来る時も、この腹立つ心を持って生まれて来るのか。
そしてその自分を嫌い続け、その自分に死ねと、無くなれと叫び続けて行くのか。
こうして自分が自分を嫌い続ける限り、自分は本当に幸せには成れない。
喜びにも、安らぎにも成れない。それがよく解ります。
今の自分の思いが変わって行かない限り、自分は本当に幸せには成れない。
喜びにも、安らぎにも成れない。それがよく解ります。
そしてそんな自分に共に行こうと伝える事の大切さと困難さを痛感します。
しかし、そんな自分の中にも素直で優しい、真っ直ぐで爽やかな自分も感じます。
共に行こう。その自分の思いを自分の中で伝え合って行きます。 有難うございます。
◆1590)
生活のリズムがそれぞれにあるでしょう。
それは心地良いものですか。それとも乱れていますか。
生活のリズムはなるべく一定にされることをお勧めします。
心地良いリズムの中に肉を置くためには、
自分がなぜ生まれてきたのか、何をするために今があるのかを
心で知っていく必要があります。
肉を持って肉の中にある今だけれど、心に響くリズムは宇宙のリズムと呼応している、
そんな時間を持つというのが瞑想の時間です。
人生、肉の人生ではなくて、本当の人生を生きる喜び、
幸せにようやく巡り合っているという確信が強く深くなっていけば、
それはもう目を閉じて思いを向けることがどんなに素晴らしいことなのか、
どんなにありがたいことなのか、心に響いてきます。
だからこそ、自分がなぜ生まれてきたのか、何をするために今があるかが、
より一層鮮明に心に届き、肉の人生と本当の人生の違いがはっきりと分かるのです。
本当の人生をこれまで一度も生きてこなかったことが分かるのです。
◆1589)
学びに繋がっている人達みんなそれぞれ、様々な環境の中で、様々な事情を抱えています。
環境も事情も違うけれど、それぞれに用意したそれらの中で、
今世ようやく学び始めたことが嬉しくて、幸せでという思いは共通していると思います。
そうです、私達はようやく学び始めたんです。
自分達の選択してきたことが肉基盤の上だったから、
どんなにしても本当のことが分からなかったと。
まず、頭の理解から入っていきます。
そしてそれを段々と自分の心に、意識の世界に移行していくことを学んでいきます。
学べる今という時を心から喜んでください。
どんな自分の世界を感じても、今それをしっかりと学べるんだと喜んでいけばいいんです。
肉から意識へ軸足を変えていく難しさを感じながらも、
日々瞑想、正しい瞑想を継続していくこと、
継続していけることが嬉しいと自然に思えるようになると思います。
心を開いてどんどん自分の中の思いと出会っていきましょう。
出会って、出会って、これでもか、これでもかと次から次へと出てくる
エネルギーの凄さをしっかりと確認して、そして喜んでたったひとつの
ふるさとへ帰ることだけを自分の中に伝えてあげてください。
◆1588)
学びの友からのメールです。一読ください。
ずっと相対評価の中で生きてきたから 絶対評価が難しい。
人と比べて、いつも周りを意識してきた。
たくさんいると思ってきたから。でも本当の世界は誰もいない。
死後の瞑想は、それを実感できる時間。
ふっと出てくる心の引っかかりを見逃し握ってそのまま地獄に住むか、
そこですっと離して、田池留吉の方に針を向け、ともに帰ろうと自分の中でやっていけるか。
ただひたすらそれを自分の中でやり続けていくことが、
自分を救う道と、確信しながら、淡々とやっていく。
心が喜ぶ。すうっと心が開けてきて、やっぱりこの方向だと思える瞬間が嬉しい。
そして自分で、評価しながら、誰に聞くこともなく誰に誇ることもなく、
ただ自分の世界で自分との対話を楽しむ。
そこに充実感、楽しみ、喜びを感じつつ、
どんな出来事にも怯まない自信ができてくるのだと感じています。
自分しかない自分を信じてやっていくしかない。
できる様になっていると自分に言い聞かせながら。
学びに集った強い思いを信じて前へ進むしかないとやっていきます。
毎日の瞑想で、死んだ後も特別ではないと段々思えるようになってきた。
でも、本当に生半可な思いでは、肉離して自分のエネルギーが覆い被さってくるとき、
その中で、すうっとそこから心を離し、田池留吉を思えるか、呼べるか・・・まだまだというのも現実。
だから肉持っている最後の時まで、田池留吉に心合わせる訓練を怠りなく、
「思うは田池留吉、一筋。」その思いが強く響いてきます。
エゴ丸出しで生きてきた自分だったけど、死んだ後があるんだと、
死んだ自分を受け入れる優しさが自分にもあることが嬉しい。
苦しんできた自分のために、今世は違うんだと意識の変革を起こし、
250年後を見据えながら、待ってくれている未来の自分の思いを感じながら、
喜んで楽しみながら、自分の学びを自己確立していく為の大切な時間を使っていきます。
◆1587)
堂々巡りは止めましょう。
自分なりに正しい瞑想をして、
心に引っかかることに対して自分の中から回答が出てくれば、
それに従って生きていけばいいんです。
その選択が間違っているかどうかは、また自分の中に伝わってきます。
その伝わってくる波動の世界があなたが今住んでいる世界です。
それをどう思えるか、どう評価できるか、
絶対的評価の元で学びをしていくことが要求されます。
死後の世界を思う瞑想でお分かりのように、
思いの世界、意識の世界には、自分しか存在しません。
喜び、温もりとともに生きていくのか、苦しみの奥底に沈んだままであるのか、
二者択一するのは自分であり、心の針を向けていくのも自分です。
自己確立の厳しさを学んでください。
厳しいけれどそれがたったひとつの真実であり、愛なんだと心で知っていくべきです。
まやかしは通用しません。
田池留吉、アルバートの意識の世界にはまやかしは絶対に通用しません。
次回ライブ配信予定日、4月26日(金)午後2時です。
◆1586)
選択肢、生きていく選択肢をまだいくつも抱えていますか。
肉を維持するのにある程度のものを要しますが、それは文字通りある程度です。
度を過ぎれば、もうそこには地獄の世界が大きく口を開けて待っているだけです。
自らその中に入り込み、そして苦しいだの、辛いだの、悲しい、寂しい等々、
自分勝手な思いを垂れ流してきた、それがこれまでの数々の転生でした。
本当に自分勝手に生きて、自分勝手に苦しみ悩み嘆いてきただけのことでした。
本当の喜び人生を生きるには、その自分勝手な己という壁を自ら崩していく以外にないでしょう。
自ら崩していく以外にない、その通りです。
様々な現象を通して、本当の自分が偽物の自分を
正しい方向に引導していっていると気付いていけば、道は自ずと見えてきます。
喜びに帰る道、愛へ帰る一本道が見えてきます。
「思うは田池留吉一筋に生きていくことです。
選択肢はありません。」
瞑想してください。正しい瞑想をしてください。
そうすれば、どなたの心にも伝わってくる上記メッセージです。
安心安全喜び幸せの人生はこれ以外にありません。
◆1585)
桜の時期も終わり、花びらが風に乗って散っていきます。
変わって木々の緑が目に鮮やか、近くの公園には鯉のぼりも泳いでいます。
季節の移ろいは早いです。日本では10連休ももうまもなく。
平成から令和へ。ただし人々の心の中の歩みはまだまだです。
相も変わらず、目の前の出来事に一喜一憂。
そして、金、金、金の地獄から自分達の心を解き放していくには道遠しです。
相当の事が起こってこなければ、目を覚ませない現実です。
その中で、こうして肉を持たせていただいて、
自らに目覚めよう、真実の世界に目覚めていこうと決心してきた私達です。
どうぞ、その思いをぜひ実現できるように、今世の肉を持つ時間を大切にしてください。
そして、三次元最終時に必ず意識の流れの呼び掛けに心から応じていけるように、
ただひたすらに思うは田池留吉の道一本に心定めていきましょう。
◆1584)
先程、ZOOMミーティングを使って、
海外在住の方達とともに瞑想をする時間を持たせていただきました。
通信は非常に安定していてスムーズでよかったと思います。
僅かの時間でしたが、ポイントを押さえ凝縮した時間だったと思います。
UTAブックさん、現地に出向いていただき、お世話いただきありがとうございました。
ところで、ハドソン川の川辺散策、いいですね。
250年後の私には、ハドソン川が大きな転換場所となります。
出会いがあって、そして250年前の日本の国、
田池留吉という人物が走馬灯のように蘇ってきます。
今とは全く違う環境ですが、それでも心の中のエネルギーが喜びとともに
爆発していく瞬間を用意していることにただただ感謝です。
◆1583)
伸び伸びとゆったりと静かに喜んで今という時に心を向けて、
そして自分の切望してきた通りの道を歩んでいるか、検証してください。
喜びです。嬉しいと心から沸き起こってくる、突き上がってくる瞑想の時を持っていますか。
こんな幸せな時間に自分をいざなっているんだ、嬉しくてありがたくて、ただただ幸せを感じます。
田池留吉と思う、田池留吉と呼んでみる、
そして遥か遥か彼方の自分を思ってみる、幸せなことではないですか。
どんなにこの時を待ち侘びてきたことか、
自分の中から切実と伝えてくる自分達の思いに触れていけば、
今、肉を持っている今がどんなにすごいことなのか、はっきりと感じてくるはずです。
それが私達意識の世界の真実です。
意識の世界に生き続ける自分達だったことを、
一人でも多くの方が、肉を持っている今、
その喜びに出会っていけばと思います。
肉のことは程々に。本当の人生を生きていきましょう。
◆1582)
悠々自適の日々です。
悠々自適と言いましても、俗世間から離れて暮らしているわけではなく、
街中の雑踏の中に身を置いています。
一歩外に出れば、人は忙しそうに通りを歩き、大通りは車の行列、
24時間営業のコンビニ、フィットネスクラブと夜も灯りが消えることはない環境です。
ただ、私は、私の中ではゆったりとゆっくりと流れる時の中で
思いを馳せる喜びを感じられる今だという意味で、悠々自適の日々と表現しました。
生活をしていれば、色々と現象はありますが、
ふうっと思いを向けられるから幸せだと思います。
思う喜び、思える喜びを知った今世です。
決してお金では買えない喜びと幸せ、安心感が広がっていく中で、
何はなくとも幸せということが本当にあるんだとしみじみ感じます。
加齢とともに身体的不調、体力、気力の衰えは避けられないけれど、
心の針の向け先の管理は怠らず、
今の人生の閉めをきっちりとしていこうと、この頃よく思います。
肉を離すとき、持って帰れるものを大切に肉を持つ時間を過ごします。
◆1581)
苦しい現象、辛い現実、受け入れがたいこと、
みんなそれぞれ色々とあるでしょう。
それを通して自分の心を見るということは、なかなか難しいと思います。
暗い、真っ暗な思い、見たくない思いを確認することを
喜びでできないというのが本音ではないでしょうか。
それでも、しっかりと自分の今を、自分の現状を知ることから始めなければなりません。
今、ライブ配信のとき、死後の自分を思う瞑想をやっていますが、
その死後の自分は何を語っていますか。
苦しいとようやく伝えてくるのではないでしょうか。
そして、今だよ、今、肉を持っている今、感じていきたい、
本当は喜びの中に温もりの中に生きていることをしっかりと知っていきたい、
と切々と語ってくるのではないでしょうか。
そして、切々と語る中で、欲に塗れ、無知だったことを知り、
本当の自分を裏切り続けてきたのは私でしたと心から知っていくことが、
こんなにも嬉しいことだったと、何か一筋の灯りを感じているかもしれません。
苦しいとき、辛いとき、悲しいとき、その心を見ることは難しいことかもしれませんが、
そんなときほど、心の針を田池留吉の意識の世界に向けてしっかりと自分の思いを語る、
心を語ることが、自分を救っていくんだと知りましょう。
思いを語り、心を語ることによって、自らの愚かさに気付いていってください。
◆1580)
日々の中で、一瞬流すエネルギーがどんな凄まじい勢いで飛び出てきても、
次の瞬間、向け先をふっと変えていけることを知っているから、
何とも言えず嬉しいし幸せです。
そして、もう少し長く時間を取って落ち着いて
瞑想の時間を持てる日常であることも幸せな時だと思います。
心を向ける向け先を知っている、思える喜びと安心感を広げている、
これまでの転生とは全然違う肉を持つ時間です。
そのうえ、私達には、250年後の来世が待っているということも
学ばせていただいた強みがあります。
間違い続けてきた過去の転生、そしてこれからの転生は
過去の転生以上に大変厳しい転生になることは違いないことですが、
生き続けてきたたくさんの自分とともに、250年後の転生の
確かな手ごたえを感じたならば、こんな幸せはないと思います。
さて、あなたは力強い意識の流れに沿って存在していこうという思いが、
日々の瞑想の中で深く強くなっていますか。
心に呼ぶアルバートへの思い、
アルバートを求め続けてきた自分の中のたくさんの自分達。
瞑想でどんどん、どんどん感じていってください。
◆ 1579)
UTAブックさんが明日、アメリカへ行かれるそうな。
思えば、昔、昔アメリカでセミナーがあって私も何回か参加させていただいて、
それが終了したから、もうアメリカへは行くことはないと思ってきました。
UTAブックさんがアメリカへ行かれるのは今回が初めてではないし、
以前に行かれることを聞いても、特に何も思いませんでしたが、
今回はなぜかアメリカに行ってみたいなあと思いました。
身体の調子云々があるから、その思いは現実とはなりませんが、
アメリカセミナーに参加させていただいた頃が妙に懐かしく思い出されます。
来世、250年後に肉を持つニュージャージの地に、
今世の肉を運びたいという肉の思いが出ます。
そんなことをしなくても思いは、
意識の世界はすでに250年後の来世とともにあるのにと思います。
そんなこんなの思いを抱えて、
次の日曜日、21日には海外在住の方達とZOOMを使ってともに瞑想をする時間を持ちます。
短い時間ではありますが、ともに心を向けられることを喜んでいます。
◆1578)
日々の生活を楽しくゆったりと過ごせるのは、本当のことを心で知っているからです。
生まれてきた意味をしっかりと心で分かり、本当の自分の指し示す方向を向いて、
本当の自分が伝える意識の流れに沿って歩いていく道が見えているからこそ、
肉もまた楽しからずやというところです。
本当のことを知らなければ、肉の楽しみ喜びは空しさだけを残していきます。
いいえ、それどころか、相も変わらず闇を垂れ流し、宇宙を汚しまくっていく始末です。
そんな全く次元が違う愚かな生き方しかしてこなかったことを、
一日も早く自分の心で分かっていくことが要求されています。
あなたが本当に幸せを感じるには、喜びの世界へ温もりの世界へ戻っていくには、
こちらですよ、こちらしかありませんよ、そちらは違いますよ、
繰り返し、繰り返し伝え続けてくるでしょう。
当然、現象は厳しいものになってきます。
しかし、それはただ厳しいというだけではもちろんありません。
その根底にあるのは喜びと温もり、愛のエネルギーだからです。
他力の心のままではそれが感じられないだけです。
現象を呪って恨んで、そして自滅していったこれまでの道を、
あなたはこれからもまだ歩き続けますかということなんです。
今世をあなたの転換期にしてくださいという意味を心で受けてください。
◆1577)
心を見てください。真剣に自分の心を見てください。
そしてもうひとつ、真剣に自分の学びの姿勢を問いただしてください。
セミナーに参加しているから、学んでいるとは限りません。
どんな思いでセミナーに参加しようとしているのか、
セミナー会場の現象の場で感じたものをこれからの自分の生き方に
本当に活用していこうと心から思っているのか、
それともただ惰性でセミナーがあるから行く、
ただそれだけのことなのか、確認精査してください。
そうしないと学びに費やしているエネルギーに対しての効果は殆ど見受けられません。
はっきりとしたしっかりとした意思表示のもとで、
自分のこれからの生きていく方向を見定めてください。
250年に至る何度かの転生で自分を
見失ってしまう恐れを抱えている人達がまだまだ数多くいます。
学びは宗教、他力信仰ではないということを、
頭の理解ではなく 心から分かっていただきたいと思います。
◆1576)
UTAホール志摩セミナー、ありがとうございました。
今回も瞬間波動の勉強の時間をいただき、私は嬉しかったです。
さて、今回のセミナーでも感じたとおり、本当の喜びと幸せの人生とは、
自分の中の真っ黒なエネルギーと出会っていくことから始まります。
お金では幸せになれません。神も同じです。
そんなまやかしの人生ではなくて、自分の中の真っ黒な凄まじいエネルギーと対面し、
そのエネルギーすなわち自分の思いがどんな思いなのか、
心の底の底から絞り出し、ほとばしる思いに触れていったとき、どんなに嬉しいか、
どんなに喜びなのか、これこそ我が人生なりと叫ぶ体験をしてみてください。
お金や神や物や人などで絶対に味わえない喜びと幸せです。
全然違う、全く違う、肉を持ってきた本当の意味が全く違っていたことが頷けると思います。
自分の中にしっかりとしたはっきりとした生きていく道が見えてくることが、
もう幸せでたまらない、そうなってきます。
生きていく方向を定めて、その方向に歩んでいけば、
間違いなく喜び、幸せの道なんだと心で確信できれば、
こんなに幸せなことはないでしょう。
すべてはあなたの心の中の出来事です。
何を取捨選択していくか、そしてその結果は全部自分のものだ
ということを心にしっかりと留め置いてください。
他力の道は破滅自滅の道です。
◆1575)
平成の時代ももう後僅かです。
元号が令和に変わっていくけれども、
そうして時が流れていくけれども、私達の心の世界、意識の世界はどうでしょうか。
濁流の世の中の流れに浮き沈みの人生というところは、なかなか変えられそうにもありません。
意識を変えていく、意識の転回を図っていく、
なかなか本当の意味で浸透するに至っていません。
ただ、意識の流れは粛々として流れているから、
遠からず、形の世界の総崩れという現象はやってきます。
いつも心の針の向け先の確認を怠らず、
一瞬に合わせていける訓練を練習を積み重ねていってください。
肉のことは程々に。
何が最重要課題なのかということに焦点を合わせて、
ぶれずにしっかりと自分の切なる思いを果たしていきましょう。
それぞれがそれぞれに約束してきたこととは何だったのか、
それを思い出して必ず成し遂げてください。
何のために生まれてきたのか、何のための人生なのか、
自分に問い続けていくことが大切です。
すでに答えを出しているかもしれませんが、肉を持っている以上、
細心の注意を払って自分の学びの歩みを進めていきましょう。
あなたには心に隙間がありませんか。
その隙間に巧みに入り込んでくるのが肉という厄介な世界です。
心の針の向け先の管理をしっかりとしていきましょう。
◆1574)
自分の生きていく方向、進む方向が定まっていますか。
しっかりと定めて安らぎの喜びの人生にしましょう。
自分の中に戻っていく幸せを感じてください。
自分の中に本当の安らぎの場があったのでした。
目を閉じてそして思いをすうっと向けていけば、そう確認できると思います。
できるはずです。
たったひとつの喜びの道をしっかりと自分の中に
確立していける今世だということを知っていきましょう。
どうぞ、正しい瞑想を継続してください。
正しい瞑想を続けていく中にこそ、生まれてこれた喜びを味わえることでしょう。
生まれてこれたこと、産んでもらったこと、
自分の地獄を知っていけばいくほどに、
本当にすごいことなんだと痛感できます。
何を思っているか、何を思っていけるかで、喜びを広げていくのか、
苦しみの中から抜け出せないでいるかが決まってきます。
手に入れたものがどんなに多くあっても、
正しい方向を思えなければ、
安らぎの喜びの人生とは程遠い人生に終わってしまうことは、
学んでいる方ならばご存知だと思います。
本当の安らぎの人生、喜びの人生を味わえるチャンスをお見逃しなく。
◆1573)
大変厳しいけれど、大変優しい。
真実はそういうものだと思います。
いい加減なあやふやな肉の中に慣れ親しんできた私達です。
その思いで、その目線で意識の世界を理解しようとすることが、
どんなに傲慢なことなのかということだと思いますが、
それもどの程度心で分かっているかは、甚だ疑問です。
意識の世界の法則は、1+1=2、1+2=3、というように、はっきりとしています。
限りなく2に近い、限りなく3に近いということはあり得ないことです。
だから信じられるのです。
だからすべてを委ねていける安心感が広がっていくのです。
私達は、これまで信じても委ねても、結局それは違っていたのです。
信じること、委ねることがどういうことなのか、何を信じようとしてきたのか、
何に委ねていこうとしたのか、そう思いを馳せれば、その先には、
欲の思いがあったのではを見ていく必要があります。
◆1572)
昨日のライブ配信でお伝えしたメッセージです。
今一度、学びに対する自分の姿勢を確認ください。
何も持たない、持てない、ただあるのは、思いの世界だけです。
その思いの世界が実は自分なんだということを、心で知る心で分かっていく学びです。
肉として一人の人間として、どんなに満ち足り裕福であっても、
自分の思いの世界、すなわち自分自身がどんな状態であるのかを知らずでは、
生まれてきた意味が殆どありません。
なぜ、自分に肉という形を用意したのか、思いの世界にある自分をしっかりと学ぶためです。
学んで間違い狂い続けてきた自分の世界から本来の明るい世界へ
温もりと喜びの世界へ帰っていくために、全部自分で計画してきたことでした。
その自分の思いをいつ、どんなタイミングで心に感じていけるか、
そのタイミングをいつまでもどこまでも逸すれば、
もはや地獄の奥底の底のずっとずっと奥底から自らを浮き上がらせる術はなしです。
打つ手なしです。
こういうことを、どうぞ、今の学びの時間の中で、
正しい瞑想を通して、
自分の心で分かるようになってください。
今世、肉を持つ必要がない世界から肉を持ったという確かな事実がありました。
それはいったい何を意味するのか、決して軽いものではありません。
◆1571)
ライブ配信、リアルタイムで瞑想をしてくださる学びの友からのメール、ありがとうございます。
短い時間ですが、ともにふっと思いを向けられる今がやはりありがたいと思います。
当分の間、ライブ配信の時間の瞑想は、主として自分の死後に思いを向ける瞑想とします。
曜日は土、日も考えましたが、平日の午後2時の予定でいます。
お時間の都合がつく方は、ぜひリアルタイムでライブ配信に参加してみてください。
UTAブックさんが時を移さずにホームページにアップしてくれますので、
後でそれを活用なさってもいいと思いますが、
もし時間の都合がつくならば、
ぜひ同じ時間にあなたの心の針のチャンネルを合わせていただければと思います。
◆1570)
一定の生活のリズムを刻みながら、刻々と過ぎ去っていく時の流れの中で、
確かな喜びと幸せを感じていける今でしょうか。
生活のリズムはなるべく一定にしてください。
その安定したリズムの中に肉体を漂わせ、そして思うんです、遥か遥か彼方からの自分を。
ようやくここまで辿り着いたこと、心から喜んでいきましょう。
苦しくて辛くて悲しくて重くて冷たくて真っ暗闇の中から、
ようやく見え始めた一筋の灯り、一本の道です。
出会いを心から喜んでくれた波動の世界でした。
心から待っていましたとそう、しっかりと力強く伝えてくれた波動の世界でした。
素直になって、そしてすべてを託する喜びと安心感を広げていける瞑想に取り掛かってください。
何も恐れることはありません。心を開いていくだけです。
凄まじいむごたらしいエネルギーは、本当の自分に帰っていくことを切望しています。
母の温もりの中にこそ、たったひとつの救いがあったのです。
自分を救っていくことをしっかりとやっていきましょう。
◆1569)
今年後半から始まるお水を使っての反転力確認作業に、
新たに協力していただく方達が正式に決まりました。
このことをきっかけにして、それぞれご自身の学びの姿勢を
しっかりと確認していただければと期待します。
ともに学ぶ私達です。老いも若きも男も女もありません。
ただ今、こうしてともに肉を持ち学べるチャンスを自ら用意してきたことを
真摯に受け止め、喜んで喜んで前向きに学んでいきましょう。
どんな思いが出てきても、それはいいんです。
それを野放しにせずに、しっかりと確認して、自分の生きていく方向、
歩んでいく方向をきちんと田池留吉の意識の世界が指し示す方向に合わせていこうと、
その肉のすべてを活用していけばいいと思います。
みんなそれぞれに250年後の来世が待ち侘びています。
そのことはそれぞれがそれぞれの心の中で知っていくことができます。
もちろん、そこに行き着くまでには、大変な転生が待ち受けていますから、
今世、しっかりと自己確立をやる必要があるのです。
◆1568)
ゆったりと流れる時間の中で、
目を閉じて自分の中の宇宙のリズムを感じていくことは幸せなことです。喜びです。
どんなに間違った暗い真っ暗なエネルギーを垂れ流してきても、
それを喜びの中へ、温もりの中へ吸収していけることを感じるからです。
帰ってきなさいという確かな呼び掛けに素直にそうただ素直に応じていけばいいということでした。
それが意識の流れが伝えてくれているメッセージでした。
それを己というものを前面に出して、みんな自分で握り潰し踏みつけにしてきたんです。
どんなに愚かな自分達であるか、肉という形を本物として、肉という形を信じてその中で、
自分を見失ってきた愚かな人生に、自らピリオドを打つことが待たれています。
肉に引きずられ、肉に埋没していくその行き先は、もう先刻ご承知です。
自分の現実から目を逸らさず背けず、
勇気を出して意識の流れに沿った生き方を選び取っていきましょう。
選び取っていくべきだということを、どなたもご自分の心で確認なさってください。
正しい瞑想が出来てくれば、その確認も容易です。
ただし、愚かな肉を持っているので、心の針の向け先の管理を怠っては意味がありません。
次回ライブ配信予定日は、4月10日(水)午後2時です。
◆1567)
ともに学ぶ仲間がいる、幸せなことではないですか。
一切の利害関係なくただ、田池留吉を思い、アルバートを思い、意識の流れに思いを馳せる、
そんな時間と空間を共有しようと、様々なルートから学びに繋がってきた仲間です。
意識の世界には上下はありません。一切ありません。
ただ、どの程度純粋に真摯に素直に、田池留吉を思い、アルバートを思い、
意識の流れに思いを馳せているか、それによって、大きな開きがあることは確かです。
発する言葉が同じでも、波動は違います。
心の針の向け先、角度、それを確認できるのが、今、肉を持っている今です。
アルバートの波動と出会いたかった、心からそう叫んできた
自分自身との出会いを田池留吉の肉は叶えてくれました。
反発して抵抗して馬鹿にしてきたけれど、
あの波動との出会いは私に有無を言わせませんでした。
何もありませんでした。
心で感じ心で受け止めたから、だから信じていけるのです。
本当によかった、幸せ者だと思います。
そのうえ、ともに学ぶ仲間がいる、本当に幸せ者です。
全部、田池留吉の意識の世界が布石を打ってくれたものです。
それを辿っていくことが、自分を真実の世界へといざなっていくのです。
◆1566)
主として岐阜県にお住いの方達とのスカイプ瞑想会が昨日ありました。
広い部屋でゆったりと現象ができる環境があるんだと思いました。
人数が少ないので、集まる回数が多くなると、
癒着という恐れがあるということは否定できませんが、みんな学びの仲間なんです。
そこには、上下がありません。
それぞれが心に愛を広げていける、愛の中にある幸せな生き続ける生命(いのち)です。
自分の心の針を外に向けるのではなく、
中に向けることを絶対に忘れずに、どうぞ、学びの環境を活用してください。
そこに集まる人達が交代で、学びを進行する役を受け持って、
互いに学びの質を上げていこうと試みてください。
くれぐれもみんなでやっていく基本姿勢、自分の中の思いを憚ることなく吐き出して、
みんなで学んでいこうという雰囲気を大切に育ててください。
◆1565)
昨日に引き続き、今年後半から始まるお水を使っての反転力の確認作業について、
もう少し語らせていただきます。
反転力を数値で評価するという作業をしてくださる学びの友が新たに増えます。
形としては、評価する人、される人ということですが、それは形の上だけのことです。
この確認作業は、評価される人だけのお勉強ではありません。
それどころか、実はそれ以上に評価する人のお勉強だと言ってもいいのかもしれません。
互いに自分の学びに繋げてください。
この反転力の確認作業を通して、それぞれ色々な思いが錯綜します。
反転力を数値で評価するというところだけにポイントを置くのではなくて、
そのことを通して、
それぞれに自分の心に上がってくる思いを見るということのほうが
何倍も何十倍も大切だということを、お互いに心に留め置いて、
セミナー後のこの作業を楽しんでまいりましょう。
その中で、8とか9とかの数値が出れば、楽しみが倍増します。
◆1564)
2019年も、年の後半よりお水を使って、
それぞれの反転力を確認する作業が実施されます。
特定の人達にOリングの硬さを数字で評価されることに対して、
何か引っ掛かりがあるといったことを、私はこれまでに聞き知っています。
そんな中で、今年も作業を淡々と実施します。
気の進まない人はあえて参加されなくていいと思います。
ただ、Oリングのお手伝いをしてくれる人達は、それなりにそれ相当の練習を積んでいます。
Oリングの練習を積むということは、どういうことだと思いますか。
Oリングの硬さを数字で評価するという作業は、
確かに難しいし、微妙な部分があることは否定しません。
そもそも、評価をする必要があるのかということだと思いますが、
まあそう四角四面に考えずに、あの反転という一瞬を、
セミナー会場で体験してみてください。反転は一瞬です。
そして、そこで高い判定数値が出れば、
どうぞ、私の反転、一瞬の反転をあなたの肉体を通して知っていただければと思っています。
◆1563)
大切な肉ある時間です。
どうぞ、本当の自分の思いに沿って、
どなたもその大切な肉ある時間を喜んで使っていきましょう。
自分の中の切なる思いは、本当の自分に戻っていこうとしています。
「戻りたい、帰りたい、私のふるさとへ、
母の待つあの喜びと温もりの世界へ。」
言葉を連ねればこんな心の心からの叫びです。
その叫びに肉を持てば、耳を塞ぎ心を閉ざして生きてまいりました。
それが私達の今までの数限りない転生でした。
そんな本当の自分の思いに声に耳を塞ぎ、心を閉ざした状態では、
どんなに何をしても、何を手に入れても、決して幸せにはなれない、
幸せとはどういうことなのか、喜びとはどういうことなのか、分かるはずもありませんでした。
ただ己の欲のままに突っ走って、そして肉を離した瞬間、
地獄の奥底に沈み込んでいる自分があるだけだという現実があったのです。
もう止めよう。もう止めよう。自分が可哀そうです。
愚かな自分を抱きかかえ、そして、もう帰ってまいりましょう。
喜びの自分へ、温もりの自分へ、自分を戻していきましょう。
ともにある喜びの中で、心から喜びを味わっていきましょう。
◆1562)
約1か月ぶりのライブ配信でしたが、開始が遅れて申し訳ありませんでした。
今回も自分の死後に向ける瞑想をしていただきました。
死後の自分の状態を知るということがとても大切です。
とりもなおさずそれが自分達の現実だからです。
自分に肉という形を用意して、
自分の現実をしっかりと知っていくことを自分に約束してきたんです。
肉の中に埋もれ肉で紛れ、もう自分のするべきことを見誤らないようにしていきましょう。
生活の中ではすること、するべきこと、したいこと、色々とあると思います。
ですが、それは本当に程々にしましょう。
修行でもなく道徳でもない学びですが、
肉のことでとらわれて、掴んで、拘って、苦しみを膨らませていくのだけは、止めにしましょう。
肉は楽しんでいいんです。
肉の喜びと幸せを味わいながら、本来のするべきことをきちんとして、
自分の生きていく方向をきっちりと定めていくことが要求されます。
本当の自己確立の道とはどんな道なのか、
肉ある間に、どなたもしっかりと学んでください。
◆1561)
私は特別ではありません。
私も今肉を持っています。
愚かな私を自分の肉を通して見ています。学んでいます。
ただ、私は私の今世は違うことだけははっきりと知っています。
私の中の確信、本当の自分との出会い、
愛に目覚める道を知るという確信があって、
それを深めていく今世だということを、私ははっきりと知っています。
私は田池留吉を信じています。
田池留吉、アルバートの波動との出会いがありました。
その出会いはまさに衝撃的なものでした。
それ以降、右へ行ったり左を向いたり、後ろを向いたりしません。
ただ真っ直ぐに続き伸びる愛へ帰る道を見ています。
250年後の来世の私が今の私とともに、過去の私をすべて引導してくれています。
そこには大きく両手を広げ待ってくれている母の、
アルバートの広くて広いどこまでも広がっていく温かで力強い波動の世界があるだけです。
さあ行こう、力強く喜びのいざないに呼応していく時に向けて、
今、しっかりと学んでいこうではありませんか。
◆1560)
お金を稼ぐことから解放された私の日常に立ちはだかる強者(つわもの)がいます。
なかなか手ごわいアマテラスです。
闘いのエネルギーをつぶさに感じられて、私はとても楽しいです。
母とは最期までこういう闘いを繰り広げていくのだろうと思います。
闘いといっても、陰湿な相手を叩きのめす闘いではありません。
こうして互いにアマテラスの世界を抱え持って、
今世、親子の縁を結ばせていただいたことが、私にとってありがたいと思います。
自分の中からほとばしる闘いのエネルギーを、ふっと帰していける喜びと楽しさを感じます。
近しい関係だから、容赦なくまたストレートに学ばせていただく今の時間、
苦しいどころか、私にはとてもありがたくて楽しい時間です。
私はアマテラスのエネルギーが大好きなんです。
以前は違っていました。アマテラスを前面に出していただけでした。
しかし、アマテラスの心のひだに触れ、アマテラスが本当に好きになったんです。
皆さんも、アマテラスを心から愛してください。
ワン・ツー・アマテラスの現象、
ますます磨きがかかるでしょう。楽しみです。
◆1559)
いつの時代も必死で生きてきた、そんな感じです。
しかし、それは同時にすべての転生が暗闇の中で
もだえ苦しんできた動かぬ証拠だということです。
肉は肉としては、一生懸命、必死で報われないかもしれないことも承知で生き抜いてきた、
だから私は立派に人生を全うした、そう思って死んでいったたくさんの私がいます。
それらすべてに、違っていたんだ、間違っていたんだ、
何も分からずに、ただ己を前に出して生きてきただけのことだった、
だから、幸せなんてなれなかった、喜びとは程遠い中なのに、
それを認めることが怖くて仕方がなかっただけのことだった、
上辺は幸せそうに振舞っていても、そうじゃないことはみんな自分が知っていた、
だから苦しかった、そんな自分が嫌だった、呪い殺そうとしてきた、
振りほどいても振りほどいてもまつわり付いてくるその手が、思いがうっとうしくて、
自らを何度たたき殺してきたことか、そんな過去の私の思いが、
今、喜びの中でようやく日の目を見ることができて、私はとても嬉しいです。
温かい中へ喜びの中へ、安らぎの中へ、
自分をいざなっていける優しさを感じて、私は幸せを感じています。
苦しくて狂ってきたどうしようもない心の歴史が山ほどあるから、
今、正しく思える方向を知った今が、本当にありがたいです。
◆1558)
ZOOMミーティングの参加はどうでしたでしょうか。
私も9時30分過ぎ頃に参加させていただきました。
画像も綺麗でよかったと思います。
ただ何人かの方は、お部屋の照明が暗くて、誰なのか分かりませんでした。
お顔を隠しての方もおられたようです。
音声をミュートにするとか、パソコン等の操作に不慣れな方は戸惑うかもしれませんが、
それも最初だけで、一応手順を覚えて慣れてください。
UTAブックさんのホームページによると、
ともに瞑想をする企画も考えておられるようですが、
私としましては、まずはアメリカの方達との瞑想に活用させていただいてから
検討したいと思っています。
とりあえず、双方向ではないライブ配信を、
4月4日(木)の午後2時に予定しています。
お時間の都合がつく方は、ぜひともに瞑想をしていただければ嬉しいです。
◆1557)
幸せだなあって思います。
目を閉じて、すうっと思いを向けられる今があるからです。
思うことが嬉しい。思えることが嬉しい。
幸せも喜びも全部自分の中にあって、
その幸せと喜びを間違ってきた自分に伝えてやればいいということを知りました。
自分が自分に本当のことを伝えられることが嬉しい。
自分の中の喜びと温もり、すなわち自分の中の田池留吉を思うことが嬉しい。
思えることが嬉しい。そんな時間をいただいています。
私は、50代前半頃から身体に少しずつ変調があり、現在に至っています。
今60歳を迎え、元気溌剌とは言い難いですが、それに応じた環境設定の中で、
ゆっくりとゆったりと日々を過ごせることを喜んでいます。
皆さんも、家庭に、仕事に、自分の肉体細胞に様々な現象があると思います。
また、昨日令和という新元号が発表されました。
平成から令和へと元号が変わり、時は流れていきますが、
新元号に込められた思い通りに日本の国が歩んでいけるかどうかは、
学んでいる皆さんならば、もうお分かりだと思います。
私達がするべきことは、身の周りに起こる現象、世の中の流れから、
しっかりと自分達の間違いを確認していくことです。
自分の心の針の舵を正しい方向に切っていけるように、肉体時計を刻んでまいりましょう。
◆1556)
あなたが今、犬や猫などと暮らしているならば、
どうぞ、彼らから全托するという自然を教えてもらってください。
彼らは、自分を形あるものだと認識していません。
ただ委ねていく、すべてを任せていくことが自然になっています。
もちろん、人間とともに生活をしているわけですから、
少々自然から遠くなっている部分もあります。
ですが、基本的には、すべてを任せている自然の中にあります。
そこから流れ来る波動をしっかりと感じてください。
それが、あなたの中の本当の自分の存在と合致する波動です。
ただ可愛い、可愛いと溺愛するのではなく、今、ともにある喜びを感じ取ってください。
意識の流れに「はい」と応じていくことが、私達人間には難しい現実があります。
肉でいいことは「はい」と言えるけれども、
そうでないものはなかなか素直に受け入れられない他力の世界を自ら作ってしまいました。
けれど、今世、学び始めたのだから、
もうそろそろ自ら作ってきた他力の世界を崩していきましょう。
そしてもっと軽くすべてを任せていける
温かい安らぎの世界へと自分を解き放してまいりましょう。
心がつかみ、心を縛っているものを離していく、それは自分でする以外にありません。
そうやっていける私達なんだと学ばせていただいているのではないでしょうか。
◆1555)
田池留吉って何だ、アルバートって何だ、意識の流れってどういうこと、
学びに触れてからも、自分の中にそういう疑問があると感じたならば、
学びの基本から始めてください。
田池留吉、アルバートの存在を信じ、意識の流れがあることを信じていると
自分の中で確認できるまで、むやみやたらと瞑想をしないことです。
学びの動機が違っているからです。
瞑想をして一定の効果が出ることはないです。
だから、いつまでも肉か意識かの中でうろうろして、
自分の進むべき方向が定まらないのです。
学びと欲は合いません。
自分の欲を満たすために学びがあるわけではありません。
学びをしたから苦しくなった、どうすればいいのか迷ってしまって、
これならばいっそ何も知らなければよかったと、案外そういう思いを抱えながら、
惰性で学びに触れている人も多いのではないでしょうか。
純粋に真剣に学んでいこうとする人の数は少なくても、私には特に何も影響がありません。
特に困る、悩むこともないし、それこそ意識の流れの流れには全く関係がありません。
ただ、ともに行こう、同じ方向を向いて生きていきませんかという呼び掛け、
いざないを続けていくだけです。
素直に応じるか否かはそれぞれの決断です。
◆1554)
まだ先のこと、2020年のことです。
2020年UTAホール志摩での一泊二日のセミナー、4回あります。
UTAホール大宝での一日2時間のセミナー、3回あります。
それぞれ参加していただく条件を決めました。
内訳は、志摩は一回は同居の学びの友、夫婦親子等々です。
二回は仕事、子育て、介護等で二泊三日のセミナー参加が難しい方、
あと一回はこれまで一度も志摩ホールのセミナーに参加されていない方です。
ただし4回とも、原則ふるさと苑の枠はありません。
また、大宝は二回は、50歳未満の方、一回は50代の方です。
いずれ抽選の日時などはNPO法人UTAの輪のホームページに掲載されます。
来年のことなので、予定は未定ですが、一応ご報告まで。
◆1553)
何をするでもないぼぉーとする時間は確かに必要であり、
いいことだと実感しています。
肉が活動的であれば、生きているという実感があって
有意義な日々を過ごせるであろうと私はずっと思ってきました。
だけど、そこからいったい何を産み出してきたのだろうかと、今、思います。
肉として肉で生きていた頃は、それでよかったのかもしれないけれど、
今となっては、そうは言えません。
産み出すどころか、相も変わらずに、闇を垂れ流してきたんだと分かります。
見る観点が違えば、こうも違うんだということでした。
一番大切なことは、
思う思いの向け先をしっかりと知っていくことでした。
思う思いの向け先を正しい方向に向けて合わせていくことは難しいけれど、
それでもそうしていこうと学ぶ機会に恵まれているということが、
何よりも幸せなことだと思います。
一歩を前に踏み出せれば、それをただ喜んでいけばいいだけです。
田池留吉と思う、アルバートと思う、意識の流れを思う、
幸せな人生です。
◆1552)
真に幸せな喜びの人生の時間を刻んでいきましょう。
一度きりの人生ではありません。
生まれて死んでの繰り返しの中で、
まとう肉、形は変わっても、生まれてくる時代、場所は変わっても、
私達の中身は同じです。
肉から意識への転回がないということに変わりがなければ、
どこに生まれても、どんな時に生まれても、どんな肉という形を持っても、
真の幸せな喜びの転生とはなり得ない、
苦しみの垂れ流しをして、その生涯を終えていくということになります。
ようやく、そのことを心で分かり得るチャンスが到来したのです。
なぜ苦しみの奥底から抜け出せないでいるのか、真っ直ぐに伝えていただきました。
金、神で喜びの人生を送ることができると信じて疑わなかった意識に、
届いた衝撃の波動の世界。
信じて待っている真の波動の世界にしっかりと向き合って、
そして、自分の中の喜び、温もりを信じていくと決めた人生は、
真の幸せな喜びの人生となるに違いありません。
◆1551)
幸せな日々ですか。
田池留吉、アルバートを思い、意識の流れに沿って生きていると実感できていますか。
肉、形の世界はいずれ消えてなくなる世界です。
真っ暗闇の中で、幸せを喜びを探してみても、
それはもうお分かりのことと思いますが、空しさ、寂しさが残るだけです。
それよりも、本当のことを知っていきましょう。
私達は永遠に生き続ける生命(いのち)なんだと心で分かって、
真剣に自分の行く先を思っていきましょう。
この先も真っ暗闇の中に固まった状態のまま存在するのか、
それとも、意識を転回して、限りなく広がっていく世界に自分を解き放していくのか、
その方向、生きる方向を選択していくのは自分です。
ただし、それには意識の転回というハードルがあります。
このハードルを越えて、真実の世界に羽ばたいていきませんかと、
あなたの中に意識の流れからのメッセージが届けられているはずです。
真剣に自分の行く末を思って、日々の時間を大切になさってください。
正しい瞑想を重ね、本当のことを選び取っていくと決断してください。
◆1550)
何らかの縁あって、夫婦、親子、
その他近しい肉の繋がりを用意しました。
すべては自分の蓄えてきた
真っ黒で真っ暗なエネルギーを知っていくためです。
そして根本的に間違って生きてきたことを確認して、
そこから正しい方向に自分の心の針の舵を切っていくことが、
私達が生まれてきた本来の目的です。
肉持たずして、そういうことをしていくのは不可能です。
ということを、私達は本当はみんな知っているはずなんです。
肉持たずして不可能なであることも、肉持つがゆえに困難なことも、みんな知っています。
数限りない失敗の転生がそれを物語っています。
相当の覚悟で今世の今という時を迎えたということを、
それぞれがそれぞれの心の中で知り得たら、
自ずと自分の向いていく方向、生きていく道が感じられると思います。
喜びの中にあることを知る喜びに触れ、自分に用意してきた肉、環境を思いましょう。
◆1549)
気付き、自分で気付くということ、それが一番大切なことです。
自分の心で、心から気付いていくことがなければ、どんな適切なアドバイスも右から左です。
ただ耳を通過しているだけで、心は、意識の世界は受け取っていないことを知りましょう。
色々な出来事から瞑想を重ね、そして、自分の心で気付いていく、
そういう学び方を習得しなければ、どんなに学びの時間が長くても、
結局のところ、何も自分の中は殆ど変わっていないという現実があります。
思いを逸らさずに、自分を誤魔化さずに、人それぞれ、
生きていれば色々あるなんていう言葉で変に納得しないでいただきたいと思います。
凄まじいエネルギーを蓄えてきたことを、本当に今、心から喜んでいるかどうか、
そういう自分の間違った狂った生き方をしてきたからこそ、
今という時に、本当のことを自分に伝える決死の覚悟をしてきたということ、
どの程度、心で感じ心で分かっているのか、しっかりと精査してください。
こんな恵まれた環境の下で学びを進めていけることは今世をおいてもうないと、
知ってください。
◆1548)
寒い日もあるけれど、段々春めいてきました。
近くの公園の早咲きの桜が見頃です。
時間的に余裕がある生活は贅沢な生活です。
一定の生活のリズムの中で、意識の世界は宇宙を思う瞑想を継続。
宇宙のリズムの中に、喜びであったことを心に感じる今が本当にありがたいです。
幸せを感じるのに本当に何も要りませんでした。
日々の暮らしは程よく整っているし、
自分の中の凄まじいエネルギーは、
同居の母の肉を通して確認させていただいています。
そして、そのエネルギーを瞬間の瞑想で
喜びへ返していく作業をしています。
肉あればこそです。
そして、部屋で一人思いを向ければ、
もうそこには田池留吉、アルバートと呼ぶ喜びと幸せを堪能できます。
その繰り返しを、この肉の終わるその瞬間までできれば、もう何も言うことはありません。
心の中の愛、
私のふるさと 愛 を思う瞑想、
宇宙を思う瞑想とともに、
私は私を喜びで見ていきます。
◆1547)
毎日、楽しく暮らしておられますか。
時間に追われている方もそうでない方も、
決して自分を見失うことなく、本当の人生を全うしていきましょう。
自分に用意した環境の中で、自分のあり方を見直し、
そして、ふうっと、田池留吉を思うことを実践してください。
形も何もなく、ただ思うということは難しいことかもしれませんが、
私達は確かにエネルギーの中にあります。
エネルギーである自分が、どんなエネルギーと響き合うのかが問題なわけです。
五官を通して得られる情報により、
心の中から突き上がってくる思い、
エネルギーを確認しましょう。
日々の実践の中で、苦しみを垂れ流すことから、
喜びを広げていく生き方を、きちんと学んでいきましょう。
汚してきた宇宙にごめんなさい、
そしてありがとうの思いを伝えていける今であることが、本当にありがたいですね。
肉として肉に生きてきた暗い重みは相当なものだけれど、
喜びと温もりの中で溶かして、
自分を軽やかに解き放していく喜びと幸せを感じていく人生が最高の人生です。
そうすることが本当の人生です。
その人生を全うしていきましょうと呼び掛けています。
ただ息をして活動していくのが、人生を生きるということではありません。
◆1546)
「今世をあなたの転換期にしてください。」
このメッセージをしっかりとそれぞれの心でかみしめて、そして、心で実行に移してください。
今世こそ、今世こそと何度、肉体をいただいてきたことか。
今度こそは、今度こそはと心に誓った思いを実現するべく肉体をいただいてきたのに、
全部全部ダメでした。全部全部失敗でした。
けれど今世は違うんです。過去の転生とは決定的に違う一点があります。
だから、それを千載一遇のチャンスと表現しました。
気負うことなしに、焦らずに、淡々として、その喜びを味わえる時間としましょう。
何のために生まれてきたのか、
何をするために生まれてきたのか、
すでにその答えはあなたの心ではじき出されています。
世の中の流れは間違いなく濁流です。
その中でどんなに偉業を残しても、本当の自分に出会ない人生、
本当の自分の思いに心を傾けない人生は、空しいだけです。
それが分かりますか。
どんなに煌びやかで華やかな時を刻んでみても、
何のために生まれてきたのか、何をするために生まれてきたのか知らずでは、
真っ暗闇の中に存在しているんです。
その現実を心で知りましょう。
◆1545)
21日の春分の日に、UTAブックさんが新しいソフトを私のパソコンに入れてくださいました。
そして翌日、何組かの学びの友のご協力を得て、動作確認をさせていただきました。
なかなかいいようです。
これを活用すると、一度に多くのご自宅と繋がって、短時間に一斉に瞑想も可能です。
活用するかどうかはまだ検討中ですが、
とりあえず、4月にUTAブックさんが渡米なさるので、
アメリカの方達との瞑想で使わせていただきます。
アメリカの方達はその広さから、一か所に集まるということに少々難がありまして、
このソフトを活用すればそれも解消できると思います。
田池先生の元で学んでこられて今、60代、70代、80代の方達が多くおられます。
その世代の方でパソコン操作ができるならば、
そういう世代の方達をピックアップさせていただこうかなあとも思っています。
まだ未定ですけれど。
◆1544)
学びの友からのメールです。
よかったなあと思いました。一読ください。
久しぶりのセミナー参加でした。
主人は約2年ぶり、私も1年と3か月ほど通えない日々の中、
なぜ、セミナーに通えない状況になってしまったのか、
自分の心と向き合い、セミナーに出会う前、出会ってからの反省を繰り返す日々でした。
娘の協力もあり、今回参加できて、とても嬉しかったです。
主人も私もそれぞれ反省してきた結果を戴けた嬉しい嬉しいセミナーでした。
塩川さんに触れて戴いた水をオーリングした時感じた瞬間で飛んだ世界が心に残っています。
あれから、瞑想が変わりました。
嬉しくて嬉しくて、家に帰ってからも「UTAの輪の中でともに学ぼう」のホームページを見ても
感じる嬉しい意識の世界の波動、ああ、これだったんだ、私が知りたかったのは、
これ、ここでしか感じられない波動の世界。
セミナーはどんどん進化していっているのを感じ、
意識の転回をしていくのにセミナー参加はかかせないと実感しました。
今度はいつ行けるかは、未定ですが、瞑想するのが嬉しい、こんな幸せがあったんだ。
この感じたことを次へと繋げていけれるように、日々、瞑想していきます。
犬と留守番をしてくれた娘に「寂しくなかった」と聞くと、
「少し寂しかった」と言っていましたが、「またセミナーに行ってもいいかな」と聞くと、
「いいよ」と軽い返事が返ってきました。
主人と二人で参加できた喜びのセミナー、次へと繋げていきます。
嬉しさいっぱいの思いでありがとうございました。
◆1543)
私は社交性という面において劣っています。
人と関わり合っていくことが、どちらかと言えば苦手です。一人でいるほうが好きなほうです。
そんな私が、今、セミナーを通してたくさんの人との接触を持たせていただいています。
ある意味、不思議な展開ですが、ともに学んでいきましょう、
せっかくこうして学びに触れているのだから、ともに学ぶ喜びを味わっていきましょう、
そんな思いが肉を動かしているのだと思います。
もちろん、あなたの肉を使って私はセミナーをしますというメッセージ通り、
セミナーをしている私は私であって私でないことは、重々承知しています。
愚かな肉ながらも、そのメッセージを素直に喜んで受け止めて、
心のままにセミナーをさせていただいていることが、本当にありがたいと感じています。
上も下もなく、私達はともに学んでいく仲間なんだと、
UTAの輪に思いを向けて、輪の中心、愛の波動を感じていってください。
次元移行を伝えてくれる意識の流れに沿って生きていく喜びを共有してまいりましょう。
私達は本当に幸せ者です。
なぜならば、苦しみ喘いできた自分を安らぎの中へ、
温もりの中へ、返していける術を学んでいるからです。
その術とは何か。それぞれの心で答えを出してください。
◆1542)
「大事なことは、必要なことは異語で伝えている。」
そう田池先生から言われたことを、ふと思いました。
当時、それはすうっと私の中に入っていきました。その通りです。
セミナーで、異語で語る大切さと喜びと心地よさを感じさせていただいています。
異語で語るということは、私には喜びであり自然です。
ふるさとの歌を日本語で歌うのも嬉しいけれど、
異語でリズムを取っている時のほうが自然で例えようもなく嬉しいというのが本音です。
昔、愛犬がいるときは、抱いているとき、散歩しているとき、異語でふるさとを歌っていました。
私は異語を発する喜びを知っています。だからここぞという時は異語です。
異語のエネルギーはすごいことを確認しています。
「口を動かしてください。異語を語ってください。」と、
口を閉じている方にお伝えしています。
どうぞ、素直にやってみてください。
異語で語るという喜び、心地よさを一人でも多くの方に味わっていただきたいと思うからです。
頭を動かさずに、自分の思いを語る、語れるというのも異語ならではだと思います。
◆1541)
すべては自分の心の中の出来事です。
良いも悪いも何もなかったこと、ただあるのは、
本当のことが知りたい、本当の自分に帰っていこうとする切なる思いだけです。
自分はいったいどんな存在だったのか、
区別差別、不公平、不平等の世界はなぜあるのか、なくならないのか、
その中で、優越感と劣等感を互いに感じ合って、それでいったい私達は何を産み出してきたのか、
その他、生きていく中で、様々な壁にぶち当たり、
そのたびに自分を見失い、心の空しさを抱えたままだったのではないでしょうか。
全部、違っていたんです。
何が違っていたのか、何を取り違えてきたのか、
それがなかなか、なかなか分からなかったんです、
今でも何も分からず、ただ己を前に出して生きている人達が殆どです。
自分を見失い、踏みにじり、どこに喜びと幸せがあるものですか。
まず、自分の愚かさ、根本的に間違ってきたことを心で知っていきましょう。
そして、そこからではどのように生きていけばいいのか、
母の反省と他力の反省を通して、
自分の流してきたエネルギーの凄まじさから、気付いていきましょう。
◆1540)
琵琶湖グランドホテルには、田池先生との思い出がたくさんありまして、
そこでともに学べることがやはり嬉しいです。
参加された友が、セミナー、ありがとうございました、嬉しかったですと笑顔で帰っていかれたり、
セミナー、嬉しかったというメールを送っていただいたりして、
私には何より嬉しいことであり、励みにもなります。
心に伝わってくる思いのままに、セミナーをさせていただいています。
私は幸せ者です。
よかった、嬉しい、ありがとうと、今ともに学べる喜びを共有できることが幸せです。
田池先生が心血を注いで伝えてくださった道を、焦らずに素直になって真摯な思いで、
着実に歩んでいくことだけに思いを傾けていきましょう。
思うは田池留吉一筋の人生を選び取ってください。
◆1539)
それぞれの選択により、生きていく方向が決まっていきます。
どこに心の針を向けて生きていくのか、そのことによって、進む方向が違ってきます。
それは、肉としては同じことをして、大して変わりのない生活であっても、
その実、全く違う世界を見ているということになるでしょう。
形ある中で、決して幸せになれないことを心で知った方は、
すでに本当の幸せの道を歩いているはずです。
金、神、物、人等の形ある世界から、自分を解き放していくことが、
本当の人生なんだ、自分の本質、愛に目覚めていくことが、本当の喜びの人生なんだ、
そのことを知りたくて、知りたくて、そして、今、
こうして肉を持って学ぶチャンスを自ら用意してきたんだ、
田池留吉を思い、意識の流れに思いを馳せたとき、
伝わってくる波動が心に響いてくればくるほどに、
さらに、さらに、自分を幸せにいざなっていけると確信してください。
◆1538)
目を閉じて心に広がり感じる世界が自分なんだ、
この中に自分は生き続けているんだ、瞑想を重ねていくと、自ずとそう感じてきます。
では、目を開けて肉を動かしている私はいったい何なんだ、
何のために私は肉という形を持っているのか、自然な疑問です。
そして、その問いかけに対する答えは、また瞑想の中で自分に教えてくれます。
心を外に向けて生きていくのか、それとも中に向けて生きていくのか、
全く違う生き方だったことを心は伝えてきます。
そして、再び目を閉じて、田池留吉を思います。意識の流れを思います。
心の底から突き上がってくるエネルギーがあります。
苦しいエネルギーではありません。
どんなにこの時を待っていたか、自分の中から喜びが突き上げてくるのです。
それは、決して一過性の薄っぺらな思いではなく、
この思いに素直に真っ直ぐに応えていこうと、ただただ心に感じる思いです。
心から切望してきたことを、今、肉を持っている今、心にしっかりと感じたならば、
今が250年後、250年、300年は遠い未来のお話ではないことが感じられます。
ただし、これらのことはみんな、みんな、それぞれの心でしか分からないことです。
本当にそうなのか、あなたも自分の心で学んでください。
◆1537)
嘘もなく誤魔化しもない世界に生きている、
言うなれば、その世界が本当の私達だということを伝えていただいたんです。
あとは、それを自分の中で解き明かしていくだけです。証明していくだけです。
嬉しいではありませんか。
信じていますよという確たるメッセージをいただき、
そしてこうして今、肉という形を持って、
自分の作ってきた思いの世界、エネルギーを感じていける、
こんなありがたいことはありません。
肉というちっぽけな中に閉じこもっていては、
そういうことは全く別世界のお話であり、
とてもとてもまともに受けていけないでしょう。
やはり肉だと、形ある実感ある世界から自分を解き放していくことはできません。
肉にしがみついているだけなのに、そういう現実を誤魔化すために、
あれこれと尤もらしい言い訳をいくつもいくつも用意して、
自分を正当化していく生き方しかできないということになります。
それでもそこには微かな喜びと幸せは確かに感じられるかもしれません。
だから、そんな今にも消え入りそうな喜びと幸せのために、
生きていくことがどんなに空しい生き方なのか、
もうそれぞれに体験済みなのに、そこからなかなか抜け出せないでいるのかもしれません。
私達が目指すものは、そんなちっぽけな安っぽい喜び、幸せの世界ではありません。
しかし、自分の中の広さを感じない限り、それは分からないでしょう。
◆1536)
小さく日本の国に限定してみても、あちらこちらで頻繁に地表の揺れがあります。
地震を含む自然災害の波が、じわじわこの日本の国にやってきます。
一旦事が起こると、生きても地獄、死んでも地獄の展開になっていくでしょう。
それほどの頻度、規模で私達に指し示してくれる天変地異のエネルギーです。
250年に至る地球上に起こってくる天変地異は、
まさに想像を絶する規模のものとなっていく、
これは、意識の流れを感じている方達には、その通りだということがお分かりだと思います。
そんな中で、肉を持つ私達に何が必要なのでしょうか。
生きても地獄、死んでも地獄を突破するには、そうです、
心の針の向け先を知っているか否かに係っています。
何も持たない、何も持てない、ただひとつ
自分の心の中に真実があることを知っている意識だけが、
すうっと自分を救いゆく、そういうことになるかと思います。
そして、肉を持たずに意識と意識の世界の流れの中で、
ともにあることを感じていくということだと思います。
これはとてもとても肉の次元から推し量れるものではありません。
どうぞ、心で感じることを始めてみてください。
◆1535)
それぞれに自分に用意した学びの時間です。
なぜ自分は学びに触れたのかを漠然ととらえるのではなく、
瞑想の中で、自分に問いかけて心の中からその答えを引き出してください。
今世のこのチャンスを逃すということは、
どういうことなのかも、あなたの心から回答が得られます。
そうして、何事も自分に聞いてください。
自分に聞いて大丈夫なのかという思いが出てきたならば、
あなたの信はその程度のものだということです。
自分に問いかけ、自分から答えを出し、それに沿って生きていけばいいのではないでしょうか。
自分から答えを出し、それに沿って生きていく道、
仮にその道が違っていても、曲がっていても、
自分で出したものだから、誰にも何にも責任はありません。
全部自分の責任のもと、全部自分で選択して、
その結果どうなっていくのか、そう思うとすべてが公平であり、平等です。
それが意識の世界です。簡単明瞭、非常にシンプル。
意識の世界は嘘はつきません。
誤魔化しはありません。肉の世界とは違うんです。
嘘もなく誤魔化しもなく、真っ直ぐ、すごい世界です。
◆1534)
ようやく、ようやく、やっと、やっと、この言葉が繰り返し出てきます。
思いを語るならば、ようやくだね、やっとだね、長かったね、そんなところです。
もう決して後戻りはしない、もう決して自分を裏切らない、本当の自分とともに生きていく、
それが私の喜び、幸せの道なんだ、
ようやく、やっと、そう自分に言い切ることができる今世を迎えました。
嬉しいです。本当に嬉しいです。
愚かな肉だけれど、自分を嫌ってきたけれど、どのように生きていけば分からなかったけれど、
一本の道が真っ直ぐに心に見えてきた今世というこの時だから、もう心に迷いはありません。
ともに帰る喜びの道を、どうぞ、あなたもそしてあなたも、一人でも多くの方が、
その道を歩いていこうと自分の心で見極めていただけたならばと思います。
そうなってくると、もう肉のあれこれは本当に程々でいいということが分かって、
すうっと心が広がっていくと思います。
心で分かる、心でしか分からない、
だけど、厳然としてある意識の流れをしっかりと感じていきましょう。
◆1533)
セミナーはやっぱりいいです。
何とも言えないものを感じます。
ともに行こうの呼び掛けに、いざないに、一堂に会し、肉を持っている、持っていないに関わらず、
思いを向けていける喜び、幸せを感じさせていただいています。
体調万全でなくても、それでも、こうして学びの友とともに学ばせていただけるありがたさ、
喜び、幸せを感じます。
誰がというわけではありません。
みんなひとつ。
みんな地獄の底の底のもっと奥底から這い上がってきた、帰りたいから、
本当の自分に帰りたいから、何としてでも帰りたいから、そんな思いを秘めて、
今世の肉をいただいたことに違いはありません。
私はそういうふうに感じています。
だから、ともに学んでいこう、ともに次元を超えていこう、
250年後に必ず再会して、集結していこう、そんな思いが心から噴き上がってきます。
宇宙に思いを向けて、どんどんそんな思いを伝え合ってください。
田池留吉、アルバートと呼ぶことがどんなに喜び、幸せなことであるか、心で感じ入ってください。
◆1532)
UTAホール志摩セミナーも無事終了、帰阪してほっとしています。
今回は、夫婦、親子、兄弟姉妹、それぞれファミリーで参加のセミナーでした。
一泊でのセミナーですが、それぞれによかったのではないでしょうか。
学びは基本的には、お一人、お一人ですが、
今世こうして互いに培ってきたエネルギーをつぶさに感じさせていただける近しい環境は、
とても喜ばしいことだと思います。
それぞれに、喜びの中で心のたけを語り合ってください。
ともに同じ方向を目指し、そして、ともに生きていこうとする過程の中で、
こうして今世、縁あって学びに出会った仲間です。
どうぞ、肉としての繋がりに留まるのではなく、もっと広い世界から、感じ合ってください。
ともに帰りましょう。そうです。ともにあのふるさと、母なる宇宙へ帰りましょう。
そんな思いで、最後のふるさとの歌をともに歌わせていただきました。
ありがとうございました。
◆1531)
帰りたい、帰ろう、母なる宇宙へ。
私達のふるさと、母なる宇宙へ。
この思いを引っ下げて、私達は今世、田池留吉の意識の元に集いました。
荒れ狂った意識の世界を抱えて、
それでもあの母の温もりの中へ帰りたいという思いを強く持って、
そうして学びに集えたんです。
千載一遇のチャンスを自らの思いで実現可能にするか否かはあなた次第です。
肉を持っている今、それを自分に指し示しています。
真摯に素直にただこの道一本に生きる時をそれぞれに刻んでいきましょう。
それぞれに肉を持てば色々とあります。
けれど、それは母なる宇宙へ帰りたい、帰ろうという狂った中で絞り出した思いの表れです。
私はそう感じています。あなたはどうでしょうか。
私は自分の決めてきた予定のコース、愛、
母なる宇宙へ帰る道筋をしっかりと歩んでいくと確信しています。
愚かな肉ですが、瞑想をして思いを向ければ、それは歴然としています。
どうぞ、あなたの歩みをしっかり確認して、ともに行こう、ともに帰ろうの呼び掛け、
いざないに、あなたの心の針を向けて合わせてください。
あなたの中にどんどん響き伝わってくる、
田池留吉、アルバートの波動の世界に、全部を託してまいりましょう。
喜びと幸せの道、しっかりと今世の肉を通して知っていってください。
◆1530)
気持ちのいい朝の陽ざしを浴びて、さあ今日も一日始まる、嬉しいことです。
貴重な肉を持つ時間です。
どんな凄まじいエネルギーが噴き上げてきても、
それは喜び以外の何ものでもないと感じていきましょう。
どんなことも喜びで受けていける私達だったんです。
苦しい、辛い、嫌だ、逃げ出したい、見たくない、そういう思いを少しでも弱めて、
しっかりと自分の現状を今、知っていけることがありがたいことなんだと、
自然に思えてきたならば、心は軽くなっているはずです。
帰ろうとひとつの肉を用意してきた自分の思い、決意、心意気、
全部ありがとうと受け止めて、そして元あったところへ帰ってまいりましょう。
それがたったひとつの喜びの道、幸せの道だということは、間違いのない事実です。
肉にのみ生きる生き方が、どんなに自分をないがしろに落とし込めていくか、
もう目を覚ましましょう。
そして、本当の自分に素直に真っ直ぐに生き直していきましょう。
本当の自分が自分を待ってくれていると知ることが喜びです。
◆1529)
何よりも何よりも自分の思いを叶えること、そのために肉がある、
今という時がある、学びに集えてよかった、
本当によかった、そんな思いをいつも感じています。
瞑想の中で、自分の切なる思いと触れることが本当に嬉しいです。
ある程度の目途が付くまで、私はなりふり構わず学んでまいりました。
田池先生にも深く深くお手伝いいただき、
田池留吉の意識の世界にある私達である
ことを感じさせていただきました。
あとは、「この道一本、真っ直ぐにな。」
田池先生からの深いお言葉をしっかりと胸に刻み、
田池留吉、アルバートとともにの波動の世界を味わっていくことだけです。
私の人生、本当にアルバートとともに、
今世、そして250年後の来世、もう何とも言えない幸せです。
◆1528)
落ち着いてゆっくりとゆったりと、
そういう生活環境の中で、
自分を感じていくことが大切なことだと思います。
とは言っても、経済を含む生活基盤がある程度整っていなければ、これは難しいことでしょう。
とにかく、煩雑で雑然とした生活の中では、
動く心、出すエネルギーを確認できても、
しっかりとゆったりとそのエネルギーと向き合うことはできません。
自分の出すエネルギーを愛おしく包み込んで、
温もり、優しさの中に吸収していく喜びを味わうという、
今肉を持って感じる醍醐味は味わえないでしょう。
となれば、本当の人生の喜びとか幸せとは縁遠い時間が過ぎ去っていくだけで、
物や金や人に自分を紛らわせていくしかありません。
それって幸せとは言えません。
どんなにお金があっても、物が溢れていても、良き人と巡り合っても、
幸せとは言い難い人生ではありませんか。
自分を誤魔化して生きる、そんな哀しいことは止めにしましょう。
◆1527)
どんなことでも、ポイントということがあります。
この学びについても、もちろんそうです。
ポイントを外した学び方、ずれた、ぶれた学び方では、自分の中を変えていくことはできません。
それでは、ポイントを外した学び方、ずれた、ぶれた学び方とは、どういうことをいうのでしょうか。
一言で言えば、素直でない人はそういう学び方になってしまいます。
耳を通して学びの色々なことは聞いているのですが、なんせ素直でないから、
それを自分の中に入れていくときに、己の思いを混ぜ込んで、思い込み、
つまりは自己流で学んでいってしまうのです。
なるほど、心は敏感かもしれません。
肉を通して様々なことを感じるし、肉という形でそれを表現できるかもしれません。
ですが、それがどうだというのでしょうか。
自分の中が相変わらずの状態では、そんなことを何度感じようとも空しいだけではありませんか。
それよりも、心を空っぽにして、もっともっと素直になっていくことだけに
集中していけばいいと思うのですが。
私達は、過去、神とか仏とか、見えない世界に通じて
人を導き救っていくことを良しとしてきた思いが山積みされています。
大極悪人の過去、自分の中で振り返ってみてください。
◆1526)
温かく優しく広々と広がっていく中で、
何もかも全部託していく心の安らぎを、
少しでも感じてみてください。
私達は何を求めてきたのでしょうか。
そしてその結果はどうでしたでしょうか。
もう自分を落としていくことを止めて、
本当の自分に素直に真摯に向き合っていきましょう。
闘いのエネルギーで自滅してきた過去を、
今、肉を持っている今、しっかりと心で学び、
凄まじいエネルギーで覆い尽くされた自分を救いあげていきましょう。
心で学ぶということを忘れないように。
学びを頭で分かろうとすれば、色々と疑問が出てきます。
意識、意識と言って肉のことはどうでもいいのかとか、
とにかく頭を回す人は、学びはできません。
自分から瞬間出るエネルギーの確認をおざなりにしているから、
意識の世界を肉の基盤からとらえようとしている己偉しのエネルギーに気付けないのです。
上手に語れなくてもいいんです。
ただ自分は、田池留吉の世界を、本当の自分の世界を信じようとしているのか、
今世こそは、自分から流れ出す波動、エネルギーの質を少しでも明るい方向にと思っているのか、
いつも真摯な思いで、自分に問いかけてください。
◆1525)
生きる本当の目的を明確に知り、
そしてそれを心で感じ分かっていく過程の中で、
本当に幸せな自分と出会えるはずです。
肉を持っているから、肉の流れに少しだけ流れて、大切な肉という形を保持しながら、
しかし、世の中という濁流には決して流れていかない確たる思いで、
自分の歩みを前に一歩進めてください。
生きる本当の目的を心で明確にとらえている人とそうでない人とでは、
当然の如く、生きていく方向、見つめていく方向が全く違ってきます。
瞑想、正しい瞑想を継続して、本来の自分の軌道に乗っていきましょう。
色々と心を揺らす現象が、人を通して出来事を通して関わってくると思いますが、
揺れた心の針をしっかりと自分の中の本当の自分に、愛に合わせていく、
合わせようとしていく、そんな生き方を躊躇なく選び取ってください。
必ず心に響き伝わってきます。「ありがとう、ありがとう」と。
自分が自分に伝え来るその思いをしっかりと受け止めて、必ず帰っていくことを伝えてください。
そうすれば、また返ってきます。
「ありがとう、そうですよ、そうですよ、もう私を裏切らないでください」と。
◆1524)
私達は、同時期に肉を持って学びに繋がった仲間です。
夫婦、親子、兄弟姉妹、親友等の関係に関わらず、私達はそういう仲間です。
同時期に肉を持ち、そして学びに繋がった、これ以上の喜び、幸せはないと思います。
あなたはどう思われているか知りませんが、
私は、今世を千載一遇のチャンスだと認識してきました。
それは同時に、自身の意識の世界が救いようのない状態だった
ということを証明していると感じてきました。
だからこそ、今世、真実の世界から肉を持つのと同時期に肉を用意して、
学びに集い、手取り足取り学ばせていただいたんです。
救いようのない真っ暗闇の意識だったからこそです。
私達はそういう意識の集団だと私は感じています。知っています。
地獄の底の底の奥底から這い上がってきた真っ暗闇を抱えた意識だということを、
どなたも心で感じてください。
そして、そんな私達ですが、自分のふるさとへ帰りたい、帰ろうという思いが強いから、
今世、学びに繋がったと分かってください。
◆1523)
忙しい日々を過ごされている方もあるでしょう。
そういう方達は、時間に追われて、瞑想をする時間も心の余裕もないかもしれません。
様々な事情、環境があります。
その中でそれらを調整して学びに繋がった成果を上げていくのは、それぞれに係っています。
学びたいけれど自分の思うようにはいかないと、
もがいている時間はこれまでに、みんなそれなりに体験していることだと思います。
ですが、なるべく早く生活の流れを改善して、
しっかりと学びに触れた自分の計画を遂行できるように、それぞれ努めてまいりましょう。
そうでなくては、せっかく今、肉を持っている意味がまったくうやむやになってしまい、
過去の転生の二の舞になることは必至です。
今世、あなたの転換期にしてくださいとのメッセージを、心で受けてみてください。
このメッセージは、どなたの心にも届いているはずです。
その波動を受けて、あなたの中からどんな思いが出てくるのか、試してください。
そして、それを自分の学びの参考になさってください。
◆1522)
心はどこを向いていますか。いつも確認です。
暮らす中で心から色々な思いを吐き出し、瞬間出すエネルギーの凄さを感じながら、
心の向け先の管理を怠らないように。
肉塗れの中では、どんなに正しいと主張したところで、
自分の中に伝わってくるのは間違いなく苦しみのエネルギーです。
心の向け先が違っています、間違っていますと伝えてくるのです。
意識の世界は正直です。
自分に絶対嘘はつけません。
苦しいものは苦しいと自らに伝えてくる意識の世界です。
そんな真っ直ぐな決して曲げることのできない誤魔化せない意識の世界、
真実の波動の世界に自分達はあったのです。
そこから飛び出し捨て去り、苦しみの中に自ら落ちていったことを、
心で知っていく、心で知っていける今世の学びです。
学びに繋がったからには、その自分の切なる思い、
元あった喜び、温もりの中へ帰ろうの思いに真摯に向き合ってください。
今世こそ自分に責任を持ってください。
◆1521)
自分に肉を用意してきた喜びを、しっかりと心で味わってください。
肉を用意して、学びに繋がって、どんなに幸せなことでしょうか。
肉を持つこと、生まれてくること、その切実なる思いが心にしっかりと響いてくれば、
肉を用意して学びに繋がったことが、どんなに幸せなことなのかお分かりだと思います。
そこのところを、どなたも感じてください。
そして、自分の出すエネルギーを確認して、
そのエネルギーがどんなに凄まじい勢いで自らを破壊してきたか、
とっくりと学んで今世を終えてください。
生きる目的を間違えてきたと、はっきりと自分に言えますか。
数限りない転生のチャンスがあったけれど、
過去、何ひとつ本当のことを自分に伝えることができなかったと感じていますか。
頭でっかちになっていませんか。この学びは何を学ぶのですか。
宗教という既成概念から外れてください。
学びは宗教ではないことを、
今一度自分の中で本当に分かっているのか、
それぞれに起こる現象を通して確認してください。
他力信仰の延長線上に学びをとらえていると、
自分の心が伝えてきたら、そのメッセージを真摯に受け止めてください。
◆1520)
みんな幸せになりましょう。
いいえ、元々幸せな自分達だったことを知ってきましょう。
心から、心から知っていきましょう。
言うまでもないことですが、世の中は狂っています。
不幸せな人間が溢れています。
幸せそうに暮らしていても、肉という薄皮の下は真っ暗闇、それが私達人間の現実です。
なぜ毎日、毎日、悲しい辛い、欲まみれの事件ばかり起こってくるのでしょうか。
私達人間の心の醜さ、馬鹿さを示している事件ばかりです。
こんなにも地に落ちてしまったのか、肉という形を本物として生きていくということは、
本当の自分を捨て去るということは、こういうことなのか。
実に分かりやすく表現してくれています。
心の奥底に眠る真っ暗闇のエネルギーが、
条件、環境が整えば飛び出してくる、そういうことでしょう。
真っ暗闇のエネルギーを真っ暗闇のまま放置せず、
本当の優しさ、温もり、喜びのエネルギーに戻していくことを、
学びに触れたあなたからまず始めていきましょう。
それが、元々幸せだった自分に出会っていくたったひとつの方法です。
ライブ配信予定日、2月28日午後2時。
◆1519)
今、何も特に思い煩うことなくゆったりとする時間があるからかもしれません。
また好きな時に瞑想ができる今があるからかもしれません。
何ということもない時にふっと嬉しいなあという思いが、しばしば感じられて大変幸せです。
何もないのに嬉しい。心の中がはしゃいでいるという感覚です。
およそ肉からは想像がつきません。
余計に肉の愚かさが際立って我ながら苦笑しています。
そんな日々が飛ぶように過ぎ去っていきます。
日々、瞑想を重ね、心の向け先を知るということは大変幸せなことだとしみじみ感じています。
肉、形の世界はいずれ消え去っていく影の世界なんだと、
心で知っていけばいくほどに、消えることのない世界に自分達は生きているんだと
深く感じられるから、肉、形の世界にしがみつき、とらわれる思いも小さくなっていくはずです。
「ああここ、ここを思っていけばいいんだ。
そうすれば自ずと広がっていく優しさ、温かさを感じられる。
ああこういうことだったんだ。喜びとか幸せは全部自分の中にあったんだ。」
と、繰り返し自分の中で確認でき、私は幸せです。
学びに繋がったことにただただ感謝です。
◆1518)
自分の瞬間出すエネルギーを確認していくチャンスは、
日々の中でたくさんあるはずです。
心穏やかに生活をしていると思っていても、さてそれはどうでしょうか。
心から飛び出す凄まじい勢いのエネルギーを確認できる今が、
私達にとっては喜ばしいことなんです。
みんながみんな道を間違えて生きてきたから、どんなに凄いエネルギーを感じようとも、
それで落ち込む必要など全くありません。
何十年も学んできたのにと思うから、ああ学びは難しいとか、いくらやってもとか、
そういう思いが出てくるかもしれませんが、それこそがどれだけ己が偉いかということです。
間違い続けて生きてきた時間を思ってください。
だから、そんな思いに怯むことなく、
どんどん自分の凄まじいエネルギーに出会えることを、
ただただ喜んでいきましょう。
真っ暗闇を瞬間反転させていく喜びにはまっていけば、楽しみの日々が送れます。
もっと来い、どーんと来い、
自分の中の愛が全部吸収してくれる喜び、
心地よさを味わってください。
そうして、どんどん自分を吸収して、
大きく広く温かく優しい自分になっていきましょう。
◆1517)
今を喜ぶということはそんなに簡単なことではないかもしれませんが、
それでも喜びしかないことを学んでいける今は、やはり喜びです。
自分が切望してきた通りの展開の中で、自分との約束を果たしていこうとしていると、
はっきりと心で感じられれば、あとはその自分が切望してきたことの成就に向けて、
真摯に素直に喜んで生きていくだけなんだと思います。
愚かな肉を用意して、愚かな自分の世界をはっきりと示していく、
本当にそこには愛があるだけなんだと、正しい瞑想を重ねて知っていきましょう。
嬉しい、ありがとう、素直に心が伝えてくる喜びをしっかりと受け止めて、
そして真っ暗闇の自分から抜け出していきましょう。
真っ暗闇の自分を作り引き寄せている愚かな自分
でしたと気付いていくことが唯一の喜び、幸せの道です。
◆1516)
若いって素晴らしいと思います。
今日大宝で50歳未満の方達とともに瞑想をする時間を持たせていただきました。
その年齢は、仕事や子育等で何かと忙しい時ではありますが、
どうぞ、学びに繋がった意味を、忙しい日々の生活の中でもしっかりと自分の中で確認して、
体力、気力の充実している時に、自己確立の道を育んでいってください。
学びは修行ではないので、肉のあれこれで、
これをしたらいけない、あれはだめということはありません。
肉も楽しみながら、だけどそこにどっぷりはまり込まずに、
いつも一歩引いて自分を見るという姿勢は保持してください。
若いがゆえに学びをしていくことについての難しさはあるのは確かですが、
若いからこそ自分の生き方をきちんと正しい方向に追及していけるのも確かです。
意識の世界には年齢云々はございませんが、
肉を持って学んでいるというところから、
体力、気力のある年齢層というのは、
かけがえのない時間だと自身の体験から言えます。
十二分に学ばせていただいたからそう実感しています。
◆1515)
もう真っ直ぐに自分のあるべき方向に
向いて生きていきましょう。
肉、形ある世界は違っていることを、様々な現象を通して伝えます。
はっきりときちんと伝えます。
それが愛です。
愛しかないことを、自らが自らに伝えてくるんです。
肉、形の世界が崩れ去っていく中で、何を思い、何に心を向けていくか、
それぞれに示されていきます。
真っ直ぐに喜んで喜んで自分達の間違いを認め受け止めていきましょう。
どんなにしても、帰るべきところはたったひとつです。
ふるさと、帰りたくて帰りたくてどうしても帰りたい思いが、
今世、ひとつの肉を用意して、学びに繋がったことを知ってください。
心から知ってください。
そうすれば、今が、今世自分に用意してきたこと、
環境その他すべてがあるひとつの方向を、
確実にとらえていることが心で感じられます。
もう真っ直ぐに歩いてきなさいと、
自らが指し示している方向へ、
一歩、一歩、喜びとともに歩みを進めてまいりましょう。
◆1514)
まずは思いの向け先を確認です。
今まで、何を思い、どこに心を向けて生きてきたかを、しっかりと確認して、
その向け先はみんな間違っていたことが心で感じられるようになっていくことが大切です。
生れてきて死んでいく中で、何を得たのか、何をなしたのか。
なるほど、たくさんのものを得て、色々としてきたことでしょう。
ただ、そんな転生の中で、幸せや喜びは続いていましたか。
答えはいいえですね。
一時の幸せ、喜び、吹けば飛ぶような幸せ、喜びを得るために、
どんな凄まじいエネルギーを垂れ流してきたか。
自分を裏切り続けてきた哀しみ、辛さ、悔しさを抱えて、
幸せ、喜びと言っても本当に空しいものでした。
今世こそは、堂々と高らかに幸せです、喜びですと言い切って、
心に何もない開け放たれた世界を体験しましょう。
心に何もない。ただあるのは喜び、温もりとともにあった自分達でした。
ごめん、ありがとうと伝え合う意識の世界です。
私達のふるさとは、まだまだ遥か彼方だけれど、
必ず、必ず帰るという自分との約束がありました。
思い出し、約束を果たしていきましょう。
◆1513)
死後の自分の状態を知ることは大変大切なことです。
肉を持ちながら、今、自分の状態はどんな状態なのか、
死んだ自分から伝わってくる思いの世界を感じていくことにより、はっきりとしてきます。
日々の生活の中で、瞬間飛び出るエネルギーを感じて、それを反転していくことは、
もちろん、大切な大切な仕事ですが、それをさらにそうだと感じていくには、
肉、形もない、何もない中で、全く誤魔化しがきかない中で、
自分はどうなっているのか、それをはっきりと知っていくことが必要です。
他の誰でもない自分なんです。
その現実から目を背けて、田池留吉だ、アルバートだ、
250年後だ、次元移行だと言っても、どこか嘘っぽいと思いませんか。
現実把握です。しっかりと自分の今を把握しましょう。
肉を自分に持たせている今だからこそ、そのお勉強ができるのではないでしょうか。
肉のことばかりに思いを分散していては、もう自分の行きつく先は決まっています。
地獄の奥底の底の底のもっと奥底から這い上がってきた意識だということを、
それぞれの心で感じていくことが肝要です。
◆1512)
UTAブックさんが、死について寄せられた原稿を冊子に纏(まと)めるというのを見て、
今世学びに触れた仲間として、一言言いたいと思いました。
何としても自分が生まれてきた意味、
死んでいく意味を今世こそ間違えずに自分に伝えていきましょう。
学びに触れた、繋がったこんな絶好のチャンスを決して無駄にしないでという思いを強く感じます。
それぞれに、環境、事情が違い、その中で学ぶということについて、
それぞれに色々と思いがあるでしょうが、自分の心の叫びを、
色々な形で知らされていることは私達みんなに共通しています。
それを受け止めていけるような肉になりましょう。
自分の叫びです。
自分以外に受け止めてあげることはできないことを知っていきましょう。
肉がどんなに周りに認められても、中の自分を置いてきぼりでは、
どこまでいっても空虚な風が自分の中を吹き荒れます。
学びに触れ、田池留吉、お母さんを思う瞑想を続けている人ならば、
それは心でお分かりだと思います。
もう自分を誤魔化さずに、しっかりと自分を受け止めていきましょう。
心から、心から自分にありがとうと伝えられる喜びと幸せを感じてまいりましょう。
ライブ配信予定日、2月20日午後2時。
◆1511)
私は皆さんが今、どんな生活の流れの中で学びを進めているのか、あまり知りません。
だからついつい、自分のことを語ることになります。
私の生活はいたってシンプルです。
お金を稼ぐ必要がない私は、そういう意味では気楽な年齢になりました。
心を向ける、思いを向ける、ゆったりとした時間があります。
これから先、色々な出来事が起こってくると思いますが、
ぶれずに宇宙を呼ぶ瞑想をする時間はいただけると思います。
宇宙に帰るということで、今世の時間を約束してきたのだから、
その約束を遂行できることが最高に幸せな人生と言えます。
あとは、肉の生活はそれなりに整っているし、
これからもそれなりに整っていくだろうということです。
ようやく自分の生まれてきた意味の深さを心で知った今世だから、
そしてもうあとはないと知った今世だから、
自分に残された肉を持つ時間、しっかりと納得して使い切ろうと思います。
今世、アマテラスの国、日本に生まれてこれたことを、心から、心から喜んでいます。
◆1510)
思うは田池留吉一筋。
これ以外に喜びに目覚める、
本当の自分に出会う道はなしと断言しています。
田池留吉を思うということが、
どんなに大切ですごいことなのか、
まだまだあなたは軽く、軽くとらえていませんか。
確かにこの学びだという思いが、あなたの心に上がってくるというのは実際だと思いますが、
それでも、そこから真実の方向へ歩みを一歩踏み出すということは
難しいというのもまた実際のところではないでしょうか。
肉というものはやっかいなものです。
肉がなければ、本当の世界を、その波動の世界を学ぶことは不可能ですけれど、
肉があるから学び一本に自分を絞っていく難しさがあります。
そこのところを、しっかりとそれぞれに瞑想をする時間を用意して、
自分に聞いて、そしてさらに聞いていくことを繰り返してください。
なぜ自分は生まれてきたのか、
何をするために今ここにあるのか、
何度も何度も問い続けていくことが必要でしょう。
そんなもの、もうとっくに自分の中で答えが出ている、それはそうかもしれません。
それでは今、自分に聞いてください。
本当に田池留吉を信じているかと。
波動の世界は正直です。
嘘はつけません。誤魔化せません。
自信がありますか。
◆1509)
ここまでというものはありません。
意識の世界、波動の世界には限りがありません。
喜びを感じたから、温もりを感じたから、私は愛ですと中からはっきりと伝えてきたから、
けれど、それは何も特別なことではありません。
そこに留まることなく、どんどんどんどん、肉を離すその瞬間まで、
そしていつもいつも、田池留吉を思い、アルバートを思い、
意識の流れに沿っていくように、心の針の管理をしてまいりましょう。
あるのは喜びだけです。
喜び以外は全部、全部間違っています。
肉の中にあれば、そう断言できないでしょう。
事情、状況等から判断して、言い分、言い訳、理由付けが出てくるのが普通です。
私達の中には、自分の思いを正当化していきたいという思いが根付いているのだと思います。
それらは肉、形の世界ではある程度、容認されることはあっても、
意識の世界ではそうはいかないんです。
喜び以外は全部ブラックです。
それは厳しいと言えば厳しいことかもしれませんが、
厳しいのではなくて、それが本当は自然のことだったんですね。
厳しいと思ってしまうところに、私達がずっと肉、形の世界に生きてきた哀しみがあります。
ですが、その哀しみもまた喜びへ変わっていけることを知りましょう。
思うは田池留吉一筋で生きていく道をしっかりと選び取ってください。
◆1508)
肉として、肉の中で生きていくため、
こうしたらいい、ああしたらいい、こうすれば効率的、
便利、賢いというノウハウには明るくても、さて、自分の行く末はどうでしょうか。
自分の行く先に明るい兆しを感じておられますか。
見栄を張っても仕方がないことです。空しいことです。
実際のところを精査判断して、今、肉体を持っている今、
本当の意味で自分のために生きていくことをやってまいりましょう。
死後の自分から学ぶことは多々あると思います。
死後の自分も、今、肉体を持っている自分も、
何ら変わるところはないと心で学んでおられますか。
ただ、肉体を持っている今は、苦しみを誤魔化す方法はいくらでもありますが。
今、肉という形を持っているから生きているということは実感できますが、
そこからもう一歩踏み出して、では、この肉体を離したあとはどうなのかということを、
それぞれに学んでいく必要があるかと思います。
犬や猫など人間以外の生き物には、その必要がありません。
彼らは自分を肉としてとらえていないからです。
生死の問題を抱えているのは、私達人間だけです。
意識の世界の変革にしっかりと向き合っていきましょう。
◆1507)
瞑想をする時間を確保してください。
日々の生活で見て、聞いたとき、瞬間出る思い、エネルギーを確認して、
そして瞬間、田池留吉を思う、そういう作業はもうすでにどなたも身についていると思います。
瞑想をする時間を確保するというのは、
瞬間瞑想ではなく、5分、10分、20分、それ以上の時間、
ゆったりとしっかりと心を向けられる環境にあるかということです。
肉のことで思うことがあれこれあれば、ゆったりと瞑想ができないし、
身体が疲れていては、しっかりと瞑想ができない。
それは当たり前のことです。
その悪循環の中にある人は、自分の生活を見直し改善して、
自分なりに学びと向き合うようになさってください。
学びと向き合うということは、
偽物の自分が本物の自分と向き合うということだから、
そこには色々な抵抗勢力が発生します。
それにこれまでと同じく飲み込まれていくか、
それとも抵抗勢力を包んでいく喜びに目覚めていくか、
ふたつにひとつの選択を自らがして、
今世こそ、自分の本当の人生を生きてまいりましょう。
◆1506)
学びの本質に触れてください。
素直になって、委ねていく幸せと喜びを広げてまいりましょう。
全託です。
全部を託す、託せる安心感、安らぎを感じること、それは、肉、形の世界では不可能です。
肉、形の世界は影の世界であり、欲が渦巻いた世界だからです。
全部を託するということは、そこに何の思いもありません。
欲の思いは一切なく、ただただ委ねていく、
委ねていける幸せ、喜び、安らぎの世界は、たったひとつだけです。
田池留吉の意識の世界、波動の中にある自分でしたと心で知る以外にありません。
全託できる喜びと幸せ。すべてを委ねていく喜びと幸せ。
喜びも幸せも決してひも付きではありませんでした。
見返り、引き換え、裏表、そんなものは一切なかったんです。
あまりにも肉基盤で生きてきた時間が長いから、
にわかには分からない、信じられないということだったけれど、確かに、確かにありました。
無条件です。本当の喜び、本当の幸せの世界は、無条件でした。
次回ライブ配信予定日、2月15日午前11時。
◆1505)
特に何が欲しい、何がしたい、どこかへ行きたい、そういう思いは弱くなっています。
ただ一人、好きな時に部屋で思いを向けられる今、最高に幸せだと思います。
もちろん、学びの友と瞑想をする時間と空間を共有できることもまた最高に幸せなことです。
間違い続けてきたのに、宇宙を闇黒のエネルギーで塗りつぶしてきたのに、
こんな恵まれた環境を用意してきたこと、何とも言えない思いでいっぱいです。
田池留吉の意識の世界を、その肉とともに学ばせていただき、
優しいけれど厳しい意識の世界を伝えていただきました。
学んでいこうという友がたくさんいて、ともに帰っていこうといういざない、
呼び掛けを互いに確認できる今を私は喜んでいます。
他力のエネルギーを幾重にも巻き付け自ら苦しみの奥底に沈んできた私達ですが、
それでもそれでも、信じて待ってくれている本当の自分の存在を感じられる今が、
ただただ、ただただ嬉しいことですね。
今の肉体があればこそです。
思う喜びと思える喜びをしっかりと心に広げて、今世の出会いを心から喜んでいきましょう。
◆1504)
学びの友からのメールです。一読ください。
このようなメールが私にはとても嬉しいです。
なかなか学びに触れていても、
学びの本質から自ら遠ざかってしまう心癖が私達にはとても強いです。
ですが、様々な現象を通して、学びに触れている今を喜んでいけるのもまた私達の喜びです。
互いに今世、今という時を大切にしてまいりましょう。
「おはようございます。初メールをさせて頂きました。
メールは難しいですが、今日は嬉しかったので思い切って送らせて頂きました。
以前に学びの友から、自分の思いを素直にメールを送ることもいいですよ、と教えて頂きました。
がその時は病気のせいかも知れなかったのですがパソコンの前にも座れなかったんです。
今日はとっても嬉しくてどうしても、メールをしたくなり思い切って送らせて頂きました。
先日志摩セミナーの五日前に慢性硬膜下血腫と言う病気になり、即入院、即手術になりました。
その時いろんな勉強をさせて頂きました。
今まで当たり前のことが出来なくなり、セミナーにも行けて当たり前、
元気なことも当たり前と思っていましたが間違っていたこと。
そして、田池先生が仕事も60歳になったらやめなさいって言ってくれていたけど、
言い訳ばかりして欲と金とで過ごしてきました。
この突然の病気の現象で気づかせて頂き、嬉しくなりました。
私にとってはこれが一番の喜びでした。
こんなことが無かったら、まだまだ、自分の間違いに気づく事も無かったと思います。
この学びに繋がっていないと、まったくわかりませんでした。
病院で何もせずに今頃セミナーではこんな事をしてるのかなこの場所での
瞑想とあのセミナー会場での瞑想の違い、そして、こんなに家で仕事をせず、
ゆっくり勉強が出来ることが嬉しいのかとつくづく思いました。
塩川さんがホームページで言っておられていた事はこれだったんだと思いました。
今までは朝から晩までせかせかと気の休まる間もなく肉の思いで、
本当の自分の思いなどそっちのけで来た私でした。
本当に懺悔です。今年はしっかりと心を見て真実の道に向かって進みたいと思っています。
それでないと懇切丁寧にこれでもかこれでもかと、
真実の道を教えて頂いたのに申し訳なく思います。
又先生の後を私達に分かりやすく、学びを続けて頂ける事も本当ありがとうしかありません。
ただただ、感謝です。
私は学校もでていないので文章も上手く書けていませんがお許しください。」
◆1503)
来月3月の琵琶湖セミナーの参加者名簿の第一弾が届きました。
またこうして、ともに学べる機会をいただくことが嬉しいなあと名簿を眺めています。
私達、幸せですね。
色々な環境の中にあって、それぞれに事情も違いますが、
間違い続けてきた転生を積み重ねてきたことは共通しています。
そんな私達に、ようやく自分を浮上させる絶好のチャンスが巡ってきています。
真っ暗闇の中で、やっと、やっとです。
長い長いトンネルのずっと先のまだまだ先の先に、
間違い続けてきたけれど、ようやく何を間違えてきたのかを、
心にはっきりと知る学びに集えたことを喜んでいきましょう。
ようやく薄らぼんやりと見える灯りかもしれません。
薄らぼんやりでも灯っていることが確認できればいいのではないでしょうか。
その方向に心を向けていけば、今は薄らぼんやりでも、
明るさを増してくると分かっていくことが喜びではありませんか。
本当に自分の未来は明るいのかと、
まだまだ真っ暗闇の中でもがいている人もいるでしょうけれど、
長い長いトンネルの出口が見えているということは確かです。
くっきりと灯る灯りです。ぐっと近づいてまいりましょう。
◆1502)
今、志摩の地に月に一度は行っています。
UTAホール志摩は田池先生が残してくれたものです。
「しっかりとアマテラスを学んでください。
そしてあなたの中の闇黒の宇宙とともに帰ってきなさい、待っています。
250年後、必ず集結してともに次元を超えてまいりましょう。」
そんなメッセージを心に刻み、これからの時を経てまいります。
そういう経緯から、志摩の地は大変いいところです。
ただ、私の中では、今私が居住している上町台地にもまだまだ心の比重は高いです。
大阪に生まれ育ち、大阪から発信する意味を強く感じています。
大阪は田池留吉が肉をいただいたところであり、学びの発祥の地です。
大阪から奈良飛鳥へ通じる場所に、何度も肉体を運びました。
二上山を眺めながらの時間をたくさん持ちました。
喜びに帰ることを知ったアマテラスとともに、日々淡々と過ごせる今を嬉しく思います。
アマテラス。心から心からありがとう。
アマテラスの目覚めを待ち続けてくれていた
田池留吉の意識の世界との出会いを持たせていただきました。
◆1501)
先日、UTAブックさんがライブ配信の設定をするのに家に来られた際、
アメリカへ行くのはどうですかと聞かれました。
ちょっぴり心が動いたけれど、今の私の身体の状態ではとても無理だと思いました。
以前のように普通に足が動いてくれていれば、
今、時間はたっぷりとあるからアメリカへもう一度行ってみたいなあと思います。
昔、昔セミナーで行ったときには、まだ250年後の来世の私に確たるものはなかったけれど、
帰りの飛行機の中でなぜか涙が止まらなかったことを思い出します。
あと一度の転生の場所、アメリカ、ニュージャージー。心は知っていました。今なら分かります。
なぜアメリカのセミナーのあの帰りの飛行機の中で涙が止まらなかったのか。
昨日、田池先生が残していってくれたUTAホール志摩でお勉強した夜、
部屋で瞑想をしていたら、アメリカの思いが唐突に出てきて、
アルバートを思い、異語で語っていました。
懐かしい、懐かしい、喜びの出会いを用意していることにただただ感謝です。
アルバートと出会いたかった、この思いを,
田池留吉の肉を通してストレートに感じさせていただいた今世でした。
意識の流れはアルバートとともに、ああ本当にその通りでした。
250年後の私とともに今学ばせていただいている、
アルバートの肉とともに学べることを嬉しく思います。
◆1500)
田池先生のもと、私達は学んでまいりました。
この事実をしっかりとそれぞれの中でかみしめてください。
生半可な思いで学びに集ったのではないんです。
生半可な思いならば、もうとっくの昔に学びを去っているはずです。
現に一度、あるいは数回学びに来て、音沙汰もなく姿を消していった人達がいます。
尤もその方達がどうのこうの、今学びに繋がっている人達が
どうのこうのという次元の話ではありません。
学びに集っていても、依然として他力的にぶら下がった状態の人もいるでしょうし、
そういうことは論外なんです。
ただ、田池先生のもと、学びを進めてきたということをどう思っているのか、
その事実を自分のこれからにいかに活かしていこうとしているのか、
それが何よりも何よりも大切なことです。
生半可な思いで学びに集ってきたのではないことを瞑想の中で確認して、
どうぞ、自分の中の切なる思いとしっかりと真向かいになって、
今世の学びを大切になさってください。
◆1499)
超えられないものは設定していない、どんな大変なことであっても、
それらはみんな自分が自分に設定してきたものです。
それは何のためか。
もうお分かりのように、自分の軌道を本来あるべき軌道に戻すためです。
自分の本当の姿を見失ってしまった自分に、
本当の自分に帰っていこうとする決死の思い、
心の奥の奥の奥のもっと奥底から本当の自分の思いが伝わってくると思います。
「帰ってきなさい。あなたは愛です。」
毅然とした思いでしっかりと伝えてくれる本当の自分自身のいざない、
呼び掛けに真っ直ぐに応じてまいりましょう。
喜びの道を一歩ずつ。
その一歩を前に踏み出すことをしっかりとやっていきましょう。
それが、様々な現象を自分の前に出して、自らを正しい方向へと促しているのです。
◆1498)
UTAブックさんのご協力により、ライブ配信をさせていただきました。
ポッドキャストを試みながら、これがリアルタイムでできればいいかもと、
私自身少し前から思っていました。
そこへUTブックさんからの申し出があったのでよかったと思っています。
UTAブックさんのほうにも私のほうにもメールが届いていて、反応は上々でした。
時間にすれば短いですけれど、
これを機にともに瞑想をする時間を共有していきましょう。
意識の世界には、時間、空間はありません。
思えば通じる、そんな世界に私達は生きているということ、
それぞれの心で感じられることが喜び、幸せの道です。
ともにある喜びをどうぞ、あなたの心にしっかりと広げて、250年後に思いを馳せてください。
◆1497)
私達の心が憶えています。
しっかりと心の針を合わせて向けていけば、伝わってくる波動の世界です。
ただし、その世界は欲とは絶対に合わない世界です。
ただひたすら素直に、真摯に、純粋に思っていこうとしているか、自分に聞いてください。
自分と自分の学びです。
本物の自分と偽物の自分があります。あるのはそれだけです。
苦しみに沈んでいくのも自分だし、素直になって、本物の自分を蘇らせていくのも自分です。
苦しみに沈んでいくのはもう結構と思っても、
偽物の自分とともに生きている限り、行き着く先は苦しみの世界です。
自分で選んでおいて、なぜ苦しいのかが分からなかった私達でした。
そんな私達が、今世の肉を通して、偽物の自分とともに生きていくことは容易いけれど、
本物の自分と生きていくことは難しいことを学ばせていただきました。
難しいけれど学びに触れた以上、
本物の自分とともに生きていく道を、
しっかりと選び取っていきましょう。
心が憶えている、今世こそその心を裏切らない自分となっていきましょう。
◆1496)
学びに瞑想は欠かせません。
ただの瞑想ではありません。正しい瞑想です。
学びは頭で理解できるものではありません。
自分の心で分かってまいりましょう。
心で分かるということは、
どんなに今の自分が幸せだったかはっきりと分かってくるということです。
幸せなんです。
幸せも喜びもみんなみんな自分の中にあったんだとしみじみ感じ、
ただただ田池留吉を思うことが、どんなに幸せなのか、
どなたの心にも響き伝わってきます。
そんな学びの機会に恵まれた今、
本当にかけがえのない今という時を大切にしてまいりましょう。
このたび、今世、同時期に学びに触れた仲間として呼び掛けさせていただきます。
ともに瞑想をしてみませんかということで、リアルタイムで少々その機会を設けてみました。
ライブ配信する日時は、ホームページ上でお知らせします。
まずは試験的ではありますが、2月6日の午前11時を予定しています。
10時55分頃にUTAブックさんのホームページより、URLをご確認ください。
◆1495)
肉を持っている今、本当は何をすべきなのか、何をしたいのか、
心で感じ心で分かっている人は幸せです。
そんな本当の幸せと喜びを感じる機会に恵まれた私達です。
私達は本当に幸せ者なんです。
肉を持っている今、何をすべきなのか、
自分は本当に何をしたいのか。
それが分からないから、きっとみんな暗中模索の中、
とりあえずこうして生きていこうと自分を誤魔化してしまうのだと思います。
誤魔化しているつもりはなくても結果的にはそうなってしまいます。
色々な出来事があって、様々な人がいて、様々な考え、価値基準の中で、
何が本当のことなのかなんて、答えが見つかるはずはないのに、
見つけようとして、もがきながら苦しみながら悩みながらどんどん時間が過ぎ去って、
気が付けば、体力も気力も衰えているという
現実が待っているというところが大方ではないでしょうか。
それが世の中一般で、まあまあ我が人生よく生きてきたもんだと振り返りながら、
いい加減なところで手締めして終わりというところかもしれません。
意識の転回なしに、いい人生なんてあり得ないことに気付けないことが、
一番残念なことでした。そんな転生の山積み。どこにも安らぎはありませんでした。
◆1494)
今を喜ぶことが基本的なことなんだとしみじみ感じます。
今を喜ぶ、肉的に良いことも悪いことも、
意識の世界からはみんな良いことだったと
心から知っていく学びの時間を用意していることが、やはりありがたいと思います。
肉は馬鹿です、愚かです。
肉的に良いことは喜んですんなりと受け止めていけるけれど、
そうでないことを同じように受け止めていけるかどうか、
肉を持って学んでいける時間を残していることが、幸せなことだと思います。
根源的な寂しさがどこから来るのか、
しっかりと今、肉を持っている今、互いに学んでまいりましょう。
心の向け先を知った私達は、本当に幸せ者です。
田池留吉を思う、アルバートを思う、宇宙と呼んでみる、
学びのチャンスを自らに用意してきたことが、
何よりも何よりも幸せ、嬉しい、ありがとうです。
言葉にできない、言葉では表現できない幸せ、嬉しさを学ばせていただきました。
様々なことが起こってくるこれからに、
ここをしっかりと押さえて、いつもここに戻っていけばいい。
思うは田池留吉一筋しかない、このメッセージしか出てきません。
◆1493)
宇宙へ帰りたい。宇宙へ帰るんだ。
そんな思いを抱えて肉を自分に用意してきたことを、ようやく、今世知りました。
肉を持てば肉というものに心がとらわれ、自らの計画を無駄にしてしまった、
そんな転生の中で、今世こそはという強い、強い決意のもと、
こうして今の肉を用意して、田池留吉の意識の世界と出会うことを果たしました。
同時期に肉を持つ、大きな大きな計画でした。
その計画通りに、肉を通して学ばせていただいた今世でした。
「この道を真っ直ぐに」田池留吉の意識の世界からの
メッセージをしっかりと遂行していくだけです。
もう二度と自分を裏切ることのないように、
心の針の向け先の管理に専念です。
◆1492)
宇宙に向ける瞑想。宇宙を思って瞑想。
素直に、素直に、喜びでしてみてください。
きっとあなたの心に響いてきます。
私達は宇宙からやってきた意識です。宇宙は私達のふるさとです。
あの宇宙へ帰りましょう。
遠くに忘れ去った宇宙の波動、リズムをどうぞ、あなたの心で思い出してください。
闘いのエネルギーで闇黒に塗りつぶしてしまった私達ですが、
今世、真実の波動の世界からひとつの肉を通して、
宇宙の波動をしっかりと伝えていただきました。
正しい瞑想をして、その波動の中に生き続けていることを感じられるようになれば、
何も案ずることはありません。
今世、その肉を閉じるその瞬間まで、
どうぞ、宇宙を思い、愛を思い、瞑想をしていきましょう。
帰るべきところをきちんと知ってください。
戻っておいでのいざないに、勇気を出して、
素直に応えてまいりましょう。
◆1491)
本当の生きる喜び、生きる幸せ、生きる意味を伝えてくれました。
中の思いに心を向けることを学ばせていただきました。
「思いは中へ。
喜びも幸せも温もりもみんなみんな自分の中にあることを知っていきなさい。
信じていきなさい。」
そうしてポーンと背中を押してくれた、優しい優しい思いで背中を押して、
ともに行こうといざなってくれた、そんな意識の世界、
そんな波動の中にずっと生き続けていたことを、私は今世の肉を通して、ようやく気付けました。
なぜ今の肉を持ってきたのか、
なぜ今の環境を整えてきたのか、
溢れるほどの思いが突き上がってきます。
自分にありがとう、苦しかった自分にありがとうと伝えて肉を終えていける今世にしましょう。
お母さん、たくさんのお母さんの思いを心に持たせていただきました。
お母さん、ありがとう。心からありがとう。
そんな思いをしっかりと広げて、そして再び、肉を持てる喜びを感じながら、
今世の肉を閉じていきましょう。
◆1490)
自分が一番切望してきたことを淡々と成していける喜びと幸せ、
自分との約束を果たしていける喜びと幸せを感じながら、
今の肉を終えていけることに感謝です。
今世の閉めに向けて着実な歩みを、気を引き締めて進めていこうと決意を新たにしています。
私にはもう選択肢がありません。
たったひとつ選択したことを真っ直ぐに自分の思い通りに遂行していく途上にあります。
田池留吉の意識の世界が指し示す方向に心の針を向けて合わせて、
そしてともにある喜びを実感していける生き方が、
ようやく自分の中で現実のものとなった今世でした。
出会えたからこそそれが現実のものとして私の中で広がっています。
今世の出会いこそがすべてだと、このことに尽きます。
◆1489)
「私達は宇宙からやってきました。」
特別に目新しい文言ではありませんが、今回の志摩セミナーで、
私達は宇宙からやってきた意識ですという言葉が
心に響いたというメールを何通かいただきました。
母の温もりを心にしっかり感じていると思われたならば、
どんどん宇宙に向ける瞑想をしてください。していきましょう。
宇宙です。宇宙を思う瞑想です。
私達のふるさと、母なる宇宙へ帰る道筋をしっかりと心に見てください。
宇宙は制覇する世界ではありませんでした。
宇宙は私達のふるさとです。
母の中へ、温もりの宇宙へ帰っていく、喜びの宇宙へ帰っていく、ともに、ともに、
そんな思いをどんどん広げていけるように、日々、正しい瞑想を心掛けてください。
異語で通じ合える世界、波動の世界をともに感じてまいりましょう。
異語は宇宙のリズム。
その中にひとつになって溶け込んでいく喜びと幸せにどんどん出会ってまいりましょう。
◆1488)
真実の世界は単純な世界でした。
難しい言葉を連ねて分かる世界ではありませんでした。
母の温もりの中で安らいでいたあの感覚を思い起こせばいいんです。
ただ、肉で生きている間は、それが本当の喜びの道だなんて到底分かりません。
そこをないがしろにしているから、うまくいっているかのように見えても、
それは一時のことで、必ず躓(つまず)きがあります。
その躓きの修復は、形の世界から何とかできるものではないけれども、
何とかできると思ってしまいます。そこが大きな落とし穴でした。
このことに気づくのに、私達は長い時間を要しました。
今世、学びに出会ってようやく、そうだったんだと繰り返し伝えていただきました。
形ある世界は、不公平、不平等、持つ者、持たざる者、出来る人、出来ない人、千差万別です。
常に頂点を目指し競争して勝者が笑う、この図式は時代が移り変わろうとも同じです。
肉を持つものすべてが間違ってきたのに、私は正しい、間違っていないと互いに主張するから、
そこにはいつも闘いのエネルギーがまん延していきます。
完膚なきまでに叩きのめすことを繰り返しやってきたのです。
闘いを好んで常に覇者でなければならない、そうして自分を落とし込めてきたことにも
なかなか気付けなかったというのが現実のところだったのではないでしょうか。
全部ご破算にして、生き直していくことが求められます。
全部をご破算にするということが難しいけれど、生き直すということは、
全く違う基盤でということが条件だから、全部をご破算です。
全部をご破算にするために、250年、300年の猶予期間が用意されているということです。
それは自ずと大変厳しい転生となります。
喜んで飛び込んでいきましょう。
◆1487)
思うは田池留吉。思うは田池留吉一筋。
これ以外に幸せの自分を知っていく方法はありません。
喜びの自分を心から感じて知っていく道はありません。
ここが本当に自分の中でそうだと分かったならば、
今世生まれてきて本当によかった、ありがとうと必ず、必ずなっていきます。
生れてこれてよかった、ありがとう、
心から思いが沸き起こってくる喜びと幸せ、
これに勝るものは何もありません。
どんなにお金を積んでもお金と引き換えにできるものではありません。
そんなこと百も承知かもしれませんが、それを頭ではなくて心から、心から感じてみてください。
田池留吉、アルバートと呼ぶことが、思うことがどんなに幸せなことなのか、
宇宙を思うことが、意識の流れの中にある自分を知っていくことが、
どんなに幸せなことなのか、何度も、何度も、繰り返し、繰り返し、
深く、深く感じる瞑想をしていきましょう。
瞑想です。
正しい瞑想を重ねていける喜びを満喫していきましょう。
◆1486)
駆け引き、欲得で動いてきた人生ばかりだったのではないでしょうか。
過去の転生、そんな転生ばかりだったのではないでしょうか。
神の声を聞いてきた、身も心も捧げ忠誠を誓ってきた、
仏様のように慈悲深く生きていくことを願ってきた等々、
たとえ駆け引きや欲得に満ち溢れた俗世間とは一線を画して生きてきた転生であっても、
それらは上辺だけの綺麗ごとであって、
駆け引き、欲得、自我が欲に塗れた中に沈んできた転生に違いはありません。
なぜならば、神も仏も実在しないからです。
実在しない世界を真っ暗闇の世界を喜びと幸せに満ち満ちた世界だと信じて疑ってこなかった、
だからこそ、人を救い人を導いていこうとすることがいいこと、すごいことだと思ってきたんです。
これほど傲慢で無知なことはないのに、それが全く分からなかったということです。
そんな過ちを性懲りもなく繰り返してきたのが私達です。
私達の心の歴史に山積みされています。
さて、それではそれを知った今世、そこからどのように対処していくのか、
いっているのか、結果を出しましょう。
◆1485)
あなたに残された肉の時間、あとどのくらいでしょうか。
元気溌剌の方には現実味がないでしょうが、ある程度年齢を重ねていけば、
自分の残りの肉の時間を思うことが多くなります。
私の場合で言えば、250年後の来世と合わせても、
地球上で転生してきた過去からの時間からすれば、もうほんの微々たる時間です。
嬉しい思いとともに気の引き締まる思いを感じながら、日々過ごしています。
あなたはどうですか。
学びの友からのメールです。一読ください。
暗闇の中で思える事とは
昨日、中学校の同級生から電話がありました。
数年に一度会える友が十人程度いるのですが、一人欠け二人欠けていく話に、
私もそれだけの年令になったのかと寂しい思いです。
当時、品行方正でなかった私を迎え入れてくれた友を思うと涙が溢れます。
確実に死に向かっていく残り少ない肉体時間を思う時、
今私は何と幸せな場所に居るのかと、
つくづく、生まれて今日までの陳腐な生き方しかしてこなかった自分に、
こうして振り返る時間を頂いていることに幸せを感じます。
私はまだ死んだ後の世界をしっかりと見ていません、だからこんな質問をするのですが。
250年後の転生(私の中ではあると決めています)の時間まで、
闇の中で苦しみの中で、愛に気付く瞬間があるのでしょうか。
「今のあなたの質問の意図は何でしょうか、そうあって欲しいとか、
この学びをしているのだから少々の優しさがあっても良いのではないでしょうかと、
捉えますが。それと同時に、肉でしょ。」
「想像を絶する天変地異が目の前に来ます、その時あなたは何を思うのでしょうか、
今のあなたからは助けてくれ!の響きしか聞こえません。
どうぞどうぞ真摯な姿勢で、もっともっとあなたの心の状態を知ってください。
愚問です、あなたは意識の世界を美化しすぎです。
そんなに簡単に分かる世界ではありません、と同時に底が浅いです。」
精進します、ありがとうございました。
◆1484)
私は、訓練とかトレーニングという言葉をしばしば使いますが、
これも巫女の時の名残でしょう。ただ、もちろん、巫女の時と今とでは違います。
同じ訓練というのでも、辛く厳しく寂しさに堪えて不安と恐怖の中というのと、
喜びに向かって、喜びでというのとは違います。
今世を迎えて、ようやく喜びでしかも本物に向かって
心を向けていけるという作業ができるようになりました。
それを訓練と表現するならば訓練でしょう。
心の針の向け先を、自分の外から中へ、
その訓練を重ねていきましょうというものです。
自分の中に何があるのか知らずでは、
そして自分の中にあるものを信じられなくては、
中へ向けることはしないし、できません。
私達は、心を外に向け続ける限り、
本当のことは何も分からないということを学んでまいりました。
自分の中のドロドロをまずしっかりと確認して、そして、自分に絶望するけれど、
決してそこに留まらずに、そのまた奥の奥の奥に本当の自分があることを感じていく、
そこに触れていく訓練を続けていきましょう。
◆1483)
田池先生と20年余りともに学ばせていただいたことを決して無駄にしない、
それが自分を大切にそして自分に誠実に生きていく喜びの道だと、私は心得ています。
そうだ、そうだ、この道だと自分の心で感じ分かって、ともに学ぶ友は確かにいます。
それとは反対にいつまでも他力の看板を背負って、
学びの本質に触れることを躊躇している人もいます。
色々な人がいます。
あの人、この人と心を外に向けていけば、知らずのうちに自分の学びの方向が
ずれていく危険性はまだまだあるでしょう。
そういう心癖でずっと生き続けてきたことをしっかりと認識してください。
絶えず、自分の心の針の向け先の確認をしていくことは絶対に欠かせません。
それでも、人は群れれば、肉基盤の闇の中にたちまち沈んでいきます。
そういうことをしっかりと認識しながらも、
真摯に学びの道、正しい方向を目指して一歩、着実な一歩を進めてください。
死ねば一人の世界です。
死ななくても一人の世界なのですが、死ねばそれがはっきりとするだけです。
それが意識の世界の厳しさであり真実です。
何に心を向けられるか、合わせていけるか、
肉を持つ今、訓練に訓練を重ねてまいりましょう。
◆1482)
毎日、同じことを繰り返していく中に、今は嬉しさを感じます。
肉のことを淡々として、規則正しい生活のリズムを刻み、
そして思う時間をゆったりと持つ、幸せだと思います。
何が起きるか分からない、何が起きてもおかしくない時を迎えていますが、
そんな中において、日々穏やかに自分のペースで生きていけることが、
何よりも、何よりも幸せなことだとしみじみ感じています。
必要なものは目の前に現れ、必要でないものは消えていく、
全部、自分の意識の世界の計画だと、私は感じています。
その意識の流れにしっかりと沿い、
そして意識の流れの中にある自分を感じていく喜びと幸せの道を歩いていくだけです。
次元移行という意識の流れに乗って存在していくことだけが、
たったひとつの喜びの道だと伝わってきます。
この波動の世界からのメッセージをしっかりと感じていこうと、
私は私にいつも伝えています。
◆1481)
予定通り学びに集うことができ、そして予定通り学びを進めていけた幸せをかみしめています。
宇宙を汚しまくってきた私が私に用意してきた喜び、
幸せの道に自分をいざなっていっていることに、ただただありがとうしかありません。
恵まれた中で学びを進めていけたこと、いけること、これほどの幸せはないと私は思っています。
なぜ自分は生まれてきたのか、
何をするために生まれてきたのか、
繰り返し、繰り返し、いつも、いつもそこへ戻っていきましょう。
生れてきた意味を違えずに、自分の切なる思い、心からほとばしる叫び、
しっかりとしっかりと聞いていきましょう。感じていきましょう。
肉、形の中には本当の幸せはありません。本当の喜びはありません。
250年、300年に至る時間の中で徹底的に学んでまいりましょう。
◆1480)
何でも当たり前の生活でした。
当たり前、それって普通と気にも留めずに生活してきたことがたくさんありました、あります。
例えば、歩くということに対してもそうでした。
身体を動かすということ自体が当たり前という思いの中にずっとあったことを、
今つくづく感じています。
何気なく、何の思いもなく身体を動かしていたんだと今更ながら気付く私は、
本当に幼稚、傲慢でした。
こんな幼稚で傲慢な私に、本当に懇切丁寧に意識の世界のこと、本当の波動の世界のこと、
伝えていただいたことが、今何ともありがたいです。
訳も分からず、抵抗、反発しながらも、
田池先生の指し示す方向に食らいついていった学びの時間があったことが、
今の私をしっかりと牽引しています。
食らいつく、まさにそうでした。
何度否定し拒否しても、
寄せては返す波のように繰り返し伝えていただいた波動の世界に、
私は、自分の今世に賭けてきた思いを確認させていただきました。
「私はあなた、あなたは私、ひとつ」この波動、エネルギーのすごさを私は、
私の意識の世界は決して消し去る、忘れ去ることはできません。
ありがとう。
愚劣で稚拙な意識の世界に、「待っていました」と伝えてくれた波動をありがとうございました。
◆1479)
机上の学びではなく、実践を通して自分の心で学び取っていく、知っていくことが肝心です。
どんなことがあっても、いついかなる時も、思うは田池留吉一本で生きていこうとしているのか、
その見極めはそれぞれがしていかなければならないし、
その試金石はいくつも用意していると思います。
本当にただひたすらに真実を求めていこうと、
本来の自分の姿、あり方に自分を戻していこうと真摯に思い続けているか、
絶えずその検証は必要だと思います。
いい加減な思いでは、次元移行という意識の流れに沿っていけないことは明白です。
愛に帰る道は遠く険しい、これは事実です。
そしてまた、遠くて険しい道だけど、
どんなことも喜びなんだということを忘れなければ、
信じていれば必ず到達することも事実です。
◆1478)
生活の一部分として学びがあるのではなく、
学びをするために今ここにこうしてあることを
忘れてはならないでしょう。
そうしたならば、自ずと取捨選択が定まってきます。
最優先するものは何かが明白です。
だから、その選択が誤っていれば、必ずそれは自分の心に響いてきます。
学びに触れたからです。学びを知ったからです。
心で知ったとまではいかないまでも、とにかく学びに触れた肉を通して、
たくさんの意識達が動き始め、叫びの声を大きくしていきます。
色々な形を通して愚かな肉に訴えかけてきます。何度も何度も。
それは、形を見ればマイナスかもしれませんが、決してマイナスではないことは、
学びに触れたなら感じていくと思います。
中の思いが動き始め、声を大きくして訴えかけようとしていることに対して、
耳を塞ぎ、心を閉ざしていくことが、まさしくマイナスのことだと感じてくると思います。
苦しみもがき悩んでも、しっかりと自分のその苦しみを受けていこうとする優しさ、勇気、
それこそが大きな喜びのパワーとなって宇宙を駆け巡っていくことを知りましょう。
◆1477)
これからです。これからが学びをしている私達には正念場です。
田池先生が亡くなられた後、どのように学んでいくかです。
特に、長く学びに繋がっている方達は、二方向に分かれていきます。
次のメール、一読ください。
「はじめてメールさせて頂きます。
本当に30年も学ばせて頂き、動機が間違い、真っ暗闇の中に沈んで、何も分からない状態が、
ふるさとの歌の文にあるようにやっと やっと ほんの僅かでも、
針の穴程度の隙間から瞑想してたら、嬉しくて嬉しくて ただ言葉にならない喜びが、、、、。
今世 真剣に真摯にこの道を真っ直ぐに、歩いて行こうと心から思い メールさせて頂きました。
ありがとうございます。生んでもらった事、すべてにありがとうしか、ありません。」
◆1476)
こっちですよと正しい道を指し示してくれました。
その道しるべとなった肉は今現在はありません。
あとは、指し示された方向に、それぞれが自分の心の針を向けて合わせていくことだけです。
その結果はそれぞれのものです。
針の向け方、合わせ方はそれぞれの心の中にすでにあることも伝えていただきました。
何度も母のお腹の中でその波動を感じてきたこと、
それをしっかりと思い出して、そこへ戻っていきなさいということでした。
そして、その一応の集大成は250年、300年後ということになります。
次元移行の流れにしっかりと乗って、
自らの意識の世界をさらに愛の中心へ進めていこうとする大事な段階を迎えます。
今世をあなたの転換期にしてくださいというメッセージをそれぞれの心の中で温めていただいて、
何度かの転生を経て、必ず250年後集結しましょう。
◆1475)
自分が自分に用意した肉を持つ時間。
精一杯、可能な限り、自分を変えていく、
自分の意識の世界を少しでも温かい安らぎの方向へ、
本物の自分の世界へ近づけていく、そんな時間にしましょう。
本物志向でいきましょう。偽物は偽物です。
どんなに華やかで煌びやかで活気に満ちていても、それはほんの表面です。
薄皮一枚です。
中は、ドロドロ、真っ暗闇、腐敗の匂いに満ち満ちています。
肉を本物とする思いはそうです。そういうことです。
そこのところがなかなか、自分の中でしっくりとこないというだけで、
それはもうその真っ暗闇の腐った中に覆われ尽くしているからです。
そこからほんの僅かでも、針の穴程度の隙間から、本物を感じてくれば、
これまでの自分の生き方に必ず疑問を抱きます。
心がざわつきます。
これでいいのか、このままでいいのか、そんな小さな問いかけを
今まで無視し続けてきたのでないでしょうか。
今こそ、その問いかけにしっかりと応えていくべき時なのです。
それが今世、今という時です。あなたはそう思いませんか。
私は繰り返し、繰り返し、自分の中の秘めたる思いと出会ってきました。
だから、私は私の決めてきた予定のコースを真っ直ぐに歩んでいきます。
◆1474)
持たざる人も悩み多きかもしれませんが、
余りある財産を持っている人も悩み深き人になるでしょう。
財産処分の苦しみ、悩み、これは持たざる人には分からないと思いますが、
それは自分を苦しみの底に突き落とす大きな要因となることは確かです。
自分の生活が何とか回っていっていれば、それ以上のものは何も要らないということです。
中途半端に持っていれば、そこに心が囚われて学びどころではなくなります。
そんなことのないように、物の身辺整理はもちろんですが、
財産の処分も適時やっておく必要があると思います。
特に、年齢を重ねていけば、体力も気力も失せ、頭の回転も緩くなっていきます。
そんなどうでもいいようなことで、
自分の学びの足を自分で引っ張らないように、
互いに気を付けたいものです。
◆1473)
時間に追われることなく、好きな時に瞑想ができる今をただ喜んでいます。
幸い、私にはまだ母がいてくれています。
その肉を通して自分の中のエネルギーを確認することができます。
そして、これもまた幸いなことに、その肉の母も学びに触れています。
私はどこまでも恵まれています。今、少々身体が不自由なので丁度いいです。
これが10年前と同じくらい元気だったら、時間はたっぷりとあるんだから、
あちらへ行き、こちらをのぞきという生活パターンになってしまうところでした。
本当にうまくできているものです。
肉でするべきことは毎日、淡々と済ませ、あとは、ゆったりとのんびりと瞑想三昧です。
250年、300年に思いを馳せ、
そして田池留吉、アルバートの意識、波動の中に生き続ける自分というものを、
たっぷりと感じさせていただきます。
想定内、想定外に関わらず、様々なことが起こってくるこれからですが、
自己確立ができていさえすれば、何の憂いもありません。
◆1472)
自分の生き方、存在の仕方が真正面から問われる、
そういうことになっていきます。
何に価値を置くか、何を思って、どう生きていけばいいのか、
どう死んでいけばいいのか、それぞれにそれぞれが答えを求めるでしょう。
肉に塗れ、肉に沈み、闇のまた闇の中に落ちていくのも、
全部自分の選択です。
肉、形を信じる心に、そこに活路を見出そうとする心に、
どうぞ、真剣に真向かいになってください。
自分に肉を持たせた思いに出会っていますか。
どんな思いでそうしたのか、心に響いていますか。
ほんの僅かでも心に響いているならば、
どうぞ、その微かな思い、微かな叫びに蓋をせずに、
さらにその思いをその叫びを聞くようにしてください。
優しさです。
母の温もりの中へ帰ろうとする自分の思いに素直になってください。
◆1471)
大変な時期を迎えていきますが、
今、自分のその肉を通して学んでいる意識の世界のことに、
肉ではなく自分達は意識、エネルギーなんだということに、
可能な限り心を向けてください。
肉で、肉としてどんなに形が整えられても、
自分の中、心、思いがどんな状態であるのかをしっかりと知ることがなければ、
永遠に喜びなど分かりません。
元々幸せだったということに心から分かるということはありません。
そして、いつも自分の外に、外に喜びを幸せを求め続けていく人生から
自分を解き放つことはできないでしょう。
しかし、いつまでもそんな人生が繰り返されるということではありません。
地球という星は、もうやがて住めなくなる時がやってきます。
そうなれば、文字通り宇宙のもくずとなって、
さあどのくらい真っ暗闇の中で寂しく冷たく重苦しく固まっていくのでしょうか。
それもこれもみんなみんな、それぞれの心に響いてくることだと思います。
自分の心に響き伝わってきたならば、
今、その肉を持っている時間がどんなに貴重な時であるのか、分かると思います。
どうぞ、今を大切にしていきましょう。
◆1470)
何をするべきなのか、どう生きていけばいいのか、
暗中模索の中で苦しみ悩み憂えてきた過去からの転生でした。
幸せと喜びを感じても一瞬で消え去っていく儚いものだったことは確かにそうでした。
肉、形の上で築いたものは、全くその通りでした。
形を実感あるものとしてとらえてきた心の世界が、何とも哀れで仕方がありませんでした。
ですが、それもこれもみんなみんな今世、今という時にそうだった、
間違ってきた、何も分からずに知らずに生きてきたことを証明しているとはっきりと知ったから、
これは大変幸せなことだと思います。
今のこの肉体がなければ、永久的に闇のまた闇の中だったことを思えば、
こうして、自分に完璧なチャンスを用意してきたことに、ただただ感謝しかありません。
狂い続けてきたけれど、ようやく宇宙へ本当の宇宙へ帰れることを知った心に、
もう何も迷いはありません。
「ただこの道をひたすらに」瞑想をしていつも心に響いてくるメッセージです。
◆1469)
心を軽くしましょう。
背負っているものをひとつ離し、ふたつ離していきましょう。
たくさんのものを抱えたまま、重い背中のままでは、真っ直ぐに軽やかに歩むことはできません。
背中の荷物を降ろし、そしてもっと自由に軽やかに生きていける喜びを味わってみませんか。
心ひとつで生まれてきたんです。だから、心ひとつで死んでいきましょう。
できることならば、生まれてきた心をほんの少しでも明るく開いて、
そして温もりの中へ自分の心を自分を戻していこうと、肉を持っている今、
学べたならば、最高に幸せな人生の時間となるでしょう。
できるんです。
なぜならば、私達はそう自分に約束して学びに集ってきたからです。
今世の私達、今世、学びに集ってきた人はみんな、
そう自分に固い約束をしてきたことに間違いはありません。
ただし、過去からの思いの重圧から自分を解き放つことが難しいというのも現実だから、
そう計画通りにはなかなかうまくいかないかもしれませんが、
それでも、日々正しい瞑想をして、そんな自分の中の思いに触れていってください。
それぞれに起こってくる現象はみんなそれを待っています。
◆1468)
肉として、肉で生きている状態からは、
決して学びで言うところのことは心から受け取れないことは確かです。
真逆に生きているから、価値のないものを価値があると信じて疑っていないから、
その立場からは、学びの一部分はなるほどと思ってみても、
それはほんの一部分に過ぎなく、肉として、肉で生きている状態とそうでない状態とでは、
やはり、生き方、生きていく方向は全く相異なるでしょう。
生き方、生きていく方向が相異なるということは、
両者の接点は永久的に訪れませんということですが、
あなたは、両者は決して見えることがない、本当にそう思っていますか。
肉では互いに交流があっても、基本的に住む世界、見ている世界、
感じている世界が違うという現実があります。
それを踏まえた上で、生活をしていく必要があるでしょう。
自分がこれだとこの学びだと思っている、やっていこうと思っているならば、
その辺のところ上手に調整して、淡々と自分の生き方、生きていく方向に
集中していけばいいのではないでしょうか。
その信、中心棒がどの程度自分の中で育まれているか、そこが一番のポイントです。
◆1467)
誤魔化して取り繕って生きてきた過去の転生があまりにも多いから、
今世、学びに触れて、学びの本質を成就するには、
本当に純粋な思いしか通用しないことについて、
ある意味大変さを感じ難しさも感じますが、
それでも純粋に、ただひたすらにというところに心が惹かれます。
意識の世界において、ただひたすら真っ直ぐに、純粋に、真摯に、素直に、
真実を追求していくということは、肉、形の世界からは、
絶対に感じ得ない喜びと幸せを広げていけるということなんだと、私は知っています。
だから惹かれるんです。求めて求めてきた私の切なる思いによって、引き寄せられます。
肉、形の世界は裏表のある世界です。喜びも幸せもみんなひも付きです。
状況が変わり時間が経てば、色あせていくであろう喜びも幸せも、もうたくさんです。
どんなに時を経ても、どんなに状況が変わっても、
意識の世界にはそれがないことを知った今、
限りなく純粋な思いで学んでいくべきだと思っています。
◆1466)
何を選びどう生きていくか、それはそれぞれの自由かもしれません。
ただ、その結果はどなたも潔く自分で受けていく覚悟は必要です。
誰のせいでもない、ましてや世間など関係ありません。
全部、自分が流してきた思いの世界の出来事です。
やはり、どんなことがあっても、いついかなるときも、私達は喜びの中に生きているんだ、
喜びだけがある世界に生きているんだということを忘れてはならないでしょう。
そこへ戻っていく、そうだったんだと自分の中で分かっていく、感じていく、
そうなっていけば、自ずと、心の世界は、自分の世界は広がっていっているはずです。
そこには確かに苦しみや悲しみ、何とも言えない暗くて重い思いがあるかもしれないけれど、
それとは真逆の世界にあることを実感するから、
そんな暗くて重い思いは本当に小さな、小さな世界のことだったんだと感じます。
ありがとう、ごめん、
ただただそう言えることが、嬉しくて幸せとなってくるでしょう。
◆1465)
田池先生が亡くなられて丸三年が過ぎ、どうでしょうか、皆さん、
もう学びをするしかない、自分のことは自分でという思いが、
段々と強くなってきているのではないでしょうか。
自分のこれまでの学びに対する姿勢の甘さを感じて、
それでも自分の中からの叫びに応えるしかない、
学びをやるしかないという学びの友からのメールもボツボツ届き始め、
いい傾向だなあと思っています。
そうです。やるしかないんです。
道はすでに指し示されています。
それぞれの心に届いています。
それを何としても、今世の肉を通して、現実のものとして活かしていく以外に、
自分達に残された道はなしです。
どうぞ、気を引き締めて、自分の人生と真向かいになる本当の勇気を奮い起こしてください。
肉を置いていくとき、少しの後悔もないように。
◆1464)
間違いだらけの生き方しかしてこなかったけれど、
ここにこうして今肉体を持ってあるということは、
そんな自分に生き方の修正をしなさいと促しているんだと、
ようやく今世にして初めてそう学習することができました。
ああ、本当に間違って生きてきた。
間違った人生を山積みにして、
そのたびに真っ黒なエネルギーを吐き出してきたこと、
宇宙を汚しまくってきたこと、思いを向ければ向けるほどに、
そんな自分の生き方が鮮明に感じられます。
それでも、生き方の修正の機会をこうして今世もまた用意してきたのだから、
自分の中の本当の自分の思いはすごいと思いました。
愛へ帰る、本当の自分の世界に帰る、
ただそのことだけを伝え続けてくれた本当の自分の思いに
しっかりと確実に応えていこうとただそう思います。
◆1463)
幸せを感じるのに何も要らなかった。何も要りませんでした。
思えば呼べば通じる喜びと温もりの世界にありました。
それで十二分です。それ以外に何が必要なのでしょうか。
物に溢れています。お金を出せば欲しいものは手に入ります。
必要なものはもちろん買いますが、必要でないものまで買ってきたこれまででした。
無駄に生きてきたけれど、それも許しの中にあることを思い、
残りの肉の時間をありがたく大切に過ごしていこうと思います。
シンプルに生きていくというのが私の目指すところです。
ひとつ捨て、ふたつ捨て、それは形の世界もそうですが、
思いの世界をそのようにしましょうということです。
そうして生きていくことがベストだと私は思っています。
思いの世界を整理するというのは、思いを断ち切るというのではなくて、
目指す一点により集中して生きていく、そんな生き方をしていこうということです。
宇宙へ母なる宇宙へ帰りたかった、この思いをただひたすら大切に育んで、
そして、望み通りの道を一歩、一歩歩んでいくことが、喜びの道だと心得ています。
◆1462)
何をするでもないボォーとする時間を持つ生活はいいもんだと思っています。
身体も心もリラックスして、ゆったりとした時間を過ごす中で、
色々と新たに見えてくることもあるだろうし、
もちろん感じていく世界も広がっていくだろうと漠然と思っています。
今世、学びに触れた私達は思うことの大切さを知りました。
何に心を向けていけばいいのかを知りました。
思うことの大切さと思える喜びを知った私達は、本当に幸せだと思います。
肉を生かす人生ではなくて、意識の転回を図っていく、
つまりは本当の人生を生きていこうと生まれてきたんだと感じていけること自体が、
もう幸せの第一歩だと私は思っています。
本当に長い、長い時間を経てきました。
気の遠くなるような時間を経て、ようやく、
ようやくというところまで漕ぎつけたことを素直に喜んでいます。
◆1461)
思いを吐き出すことが大切です。
言葉にしなければ相手に分からないという考えは捨ててください。
学んでいる方には当然のことですが、
言葉にしてもしなくても思った瞬間、エネルギーを発しているということを忘れずに。
そしてその思いの吐き出し方に工夫をしてください。
むやみやたらとすれば、肉の中でトラブります。それは避けてください。
とすると、やはり学びの場での現象に参加して、自分のエネルギーをしっかりと確認して、
それを正しい方向へ向けていくことが欠かせません。
肉を持ってそれができる今をただ喜んで、
そして、本物の自分の世界とどんどん出会っていきましょう。
そのためにこうして肉を持ち、環境を整えてきたんですから、
幸せだった自分を知っていかなくては、全部それらが無駄になってしまいます。
肉の自分は偽物なんだ、私の本質を知っていこう、感じていこう、
そう素直に真摯になって、今の肉を持つ時間を自分のために生き抜いてください。
◆1460)
守るもの、守りたいものをたくさん抱えている人ほど不幸せな人です。
それがあるから人生楽しい、人生有意義なんだ、そんな思いはもうさっさと捨ててください。
そして、そんなものに逃げずに、真っ直ぐにただ真っ直ぐに
自分の狂ってきた思いの世界だけをしっかりと追及していきましょう。
影を掴んで影に踊って、自分のこれからを台無しにする人生の時間を重ねていくのは、
もう止めにしませんか。
せっかく本当の自分の世界を知るべく、切望して肉体を用意してきたのに、
その自分の思いをまたもや裏切っていくのは本当に忍びないことだと思います。
世間に染まらずに、無難に生きることは止めて、自分との約束をしっかりと果たしてください。
それが自分に対する優しさです。
愛へ帰る厳しさとともに本当の優しさを感じていきましょう。
◆1459)
心ひとつで生まれてきたのだから、
心ひとつで死んでいく、自然です。
心ひとつで死んでいくにはどうすればいいのか。さあ真剣に考えましょう。
そして、自分の中で答えを出してください。出した答えに従って、肉の時間を過ごしましょう。
死に向かって生きている今であることをしっかりと確認してください。
肉を外した後の自分の世界、それが現実のものになっていますか。
思いを背けず目を逸らさずに、しっかりと自分の行く先を見つめて、そして瞑想をしましょう。
どんな思いで瞑想をしようとしているのか、瞑想をしている時、
どんな思いが突き上がってくるのか、厳しく自己評価をしていきましょう。
意識の世界は絶対に誤魔化せない世界です。
1+1=2の世界が意識の世界です。
◆1458)
肉のことについて思い煩うものをどんどん少なくしてください。
肉の中にいれば、ある程度肉の流れに沿う必要がありますが、それも文字通りある程度です。
程々です。
肉のことは所詮どんなことも大したことはないのです。
大したことがないものを大したことだと思い込んでしまった心癖がそれぞれにあると思います。
しかし、学びに触れた私達だから、
その闇から少しでも抜け出す努力はしっかりと続けていくべきでしょう。
なぜ生まれてきたのか。
何をするために生まれてきたのか。
人生の目的は何だったのか。
いつもそこへ戻っていつもそこから出発していかなくては、
闇のまた闇から自分を救い出すことはできないことを、
それぞれの心で知っていかなければならないでしょう。
もう宇宙のもくずになり果てることだけは絶対に避けたいところです。
◆1457)
今世に照準を合わせてきたこと、
それは全部自分で決めてきたことでした。
それをこの今の肉を持ちながら完遂していくことだけを思います。
田池留吉の意識の世界との出会いがあり、
心に響き伝わってくる波動の世界を何度も学んでまいりました。
田池留吉の意識がその肉を持っていたときの学びを、
自分の中でいかに持続していくか、レベルを落とさずにと、心掛けています。
いいえほんの少しでもレベル向上を目指して、今世の閉めに向けて、
淡々と学んでいくことが、何よりも大事なことだと自分に伝えています。
田池先生が亡くなられて丸三年経過して、ようやく文字通り形も学び一本の状態になりました。
もうすでに250年後の来世に照準を合わせ、今世の肉は学びをしています。
意識の流れからのメッセージを心にしっかりと広げ、
次元移行に思いを馳せていくだけです。
◆1456)
年の初めに皆さん、何を心に思いましたか。
これからの自分のするべきこと、進んでいく方向をしっかりと定め、
しっかりとした足取りで自分の人生を歩んでいこうと思えましたか。
ただ何となく年が明け、雑煮を食し、また日常に戻っていくということでしょうか。
若くて身体も元気でという時は、それでもいいかもしれませんが、
そんな時はそう長くは続きません。時間の経つのは早いです。
体力、気力のある間に、自己確立をお勧めします。
どうぞ、どなたも今世学びに触れた意味を心でしっかりと味わってください。
何となく偶然に学びに集ってきた訳では決してありません。
経済的その他自分の肉の人生の目途が殆ど立っている方は、
早急に自分の行くべき方向をしっかりと感じ、
死に向かって一日、一日消化していることを現実として考えてください。
もう時間は残されていません。
300年に至る次元移行の波は、
容赦なく地球に降り注いでまいります。
◆1455)
明けて亥年です。
私は今、少々身体が不自由ですが、時間はたっぷりとゆったりとあります。
思う喜び、思える喜びを持つ時間を自分に用意しました。
肉のことは淡々と済ませ、あとやはり自分が一番切望してきたことに
時間その他を費やしていけることに嬉しさを感じます。
心の中に宇宙を広げ、そして来世、250年後の来世になすべき喜びを思います。
今がすべてだということを、さらにしっかりと心に感じ広げていくこと、
田池留吉、アルバートとともに生きていく喜びの道を一歩、一歩
歩んでいける喜びと幸せをかみしめて今世の肉を終えていこうという思いで、
しっかりと前を向いています。
心からありがとうの思いを広げ、
そして私は私の決めてきた予定のコースを喜んで完遂していきます。
********************************************************
◆
田池先生、ありがとう、ありがとうございました。
真っ直ぐにこの道を。
その思いに応えていくだけです。
ともにある喜びを伝えてくれました。
伝え続けてくれています。
◆
*******************************************************
U T A ⇒ ユー ・ ティー ・ エー と読みます。
U T A
U、T、A、文字通り、UTAを心で感じる喜びに、あなたもその第一歩を踏み出してください。
U=宇宙・UFO。 T=田池留吉・天変地異。 A=アルバート・愛。
250年後に至る大きなキーワード。
そのキーワードを大切に、これからあなたの時間を使っていきましょう。
たくさんの私達の仲間、UFOとともに次元移行していく時を楽しみにしています。
「田池留吉に心を向ける。」ことが、全てです。
肉の田池留吉ではなく、意識のタイケトメキチ(本当のあなた)のことです。
*******************************************************
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
最後まで 読んでいただいて ありがとうございます。
松岡儀典(まつおかよしのり) 1946年・昭和21年の戦後生れです。
(メッセージの分類・編集人)