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学びの友から  「田池留吉の磁場を思う」

 

喜びのエネルギー・波動

(田池留吉・アルバートの世界、磁場、自然治癒力、肉体細胞)

2014年・平成26年 4月 20日更新

 

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***************************************

あなたも、真実の世界を学ぶために、生まれてきました。

それ以外の目的はありません。

 

今、学ばなくて、いつ学べるのでしょうか

ホームページを通して、呼びかけています。

***************************************

 

脱神。脱仏。


お正月に神社に行った。お墓参りをした。仏壇に手を合わせた。

高橋信次を心に入れた。南無阿弥陀仏と唱えた。そしてアマテラス。大神神社に伊勢神宮。



たくさんの、たくさんの間違いを繰り返してきた。

だけど、今の私の心の中にあるのは、ありがとう、ありがとう、ありがとう、

私は愛に帰ります、私のふるさと、母なる宇宙へ帰ります、この思いだけです。


だから、私は、今こうして、肉体を持っています。

田池留吉の意識と出会わせていただきました。学んでまいりました。

千載一遇のチャンスだと、千載一隅の出会いだと心で知りました。

田池留吉の意識、アルバートの世界、その宇宙、母なる宇宙の波動、

心で感じさせていただきました。


どんどん心を向けていく喜びを感じています。

私の中で、田池留吉、アルバートの世界は広がってまいります。

限りなく広がっていく意識の中で、ともに歩めることを喜んでいる私があります。


間違い続けてきました。

祈り、願い、宇宙を支配し、自分の保身のために、我が一族の保身のために、虫けらの如く殺傷してまいりました。


政治を動かす影の力となり、神の言葉を発してまいりました。

すべてがブラックの世界。

心を闇に売り渡し、私は、地獄の奥底の底の、底の、奥底に真っ逆さまに落ちていくだけの転生でした。


しかし、私は、懲りずに、何度も、何度も同じ間違いを繰り返し、

こうして、今、ひとつの肉体を持たせていただいています。


今世、私は、自分のすべてを懸けてきました。

心を田池留吉、アルバート、お母さん、温もりに、しっかりと向けることを拒否してきた私にとって、

そのことを遂行していくことは、とても、とても困難なことでした。

 

しかし、私の心の中からの思いがそれを可能にしました。


今世を外せない。

今世は、私にとって、たったひとつの、そして最後のチャンスでした。


今世、私はここを外せば、もう、殆ど再び、自分の本質に出会う、愛へ帰る道へ自分をいざなうことは、殆ど難しい状況でした。

その背景を全部抱えて、私は、今世の肉体をいただきました。

だからこそ、田池留吉の学びに食らいついてまいりました。


今世は、そういう状況から、20年という時間を必要としましたが、

ようやく、私の中にも、ようやく自分が愛でした、

私はこの道を真っ直ぐに歩いてまいります、

その確信が芽生え、その芽生えが育ち、

今、自己確立の道を喜び、喜びで歩いていく状況にあります。


私は、心から田池留吉を信じています

アルバートにどれだけ出会いたかったか。

 

アルバートの波動を心の中に広げたかったか。

その思いは、私自身、一番よく知っています。

だから、田池留吉がアルバートの波動を伝えにきてくれたということを、私はどれだけ喜びで受けていったか。

 

アルバートを待っていた私にとって、田池留吉を信じているかいないか、

そういう思いを向けられること自体が、もう愚かなことだと、私は、言い切れます。


私は田池留吉とともに歩いてまいります。

田池留吉の世界は、私の世界です。

アルバートの世界は、私の中にあります。

アルバートの中にあった私。

その私をどんどん知っていくことが、喜びへ帰る道。愛へ帰る道。

 


母なる宇宙への思いをしっかりと心に受け止め、私は一歩、一歩着実に歩みを進めています。

だから、私は田池留吉、アルバートを思う瞑想をします。

宇宙を思う瞑想をします。


瞑想は喜びです。ただただ喜びです。

 

学びの友の反省文



  01 

 

神を求め、神を祭り、神にすべてを託した思いはいつからうまれたのか、自分自身に問いかけます。


「私達人間は、困難な場に直面した時、

自分達の力ではどうにもならない出来事を抱え、進むことも退くこともできないと感じた時、

自然に神の存在を求めました。

それは全知全能で解決への道を示してくれるものなくてはならなかった。

自分達の手の届かない存在、それは太陽であったり、風であったり、大いなる木であったり、心の拠り所を求めていったのです。

次第に人間は私達の太陽と限定し、太陽神を作り上げていきました。

恐れ敬い、その燦然と輝く太陽は私達に恵みを与えてくれました。

アポロン神殿は太陽を祭る神殿、私はそこで神託を受け、時の権力者の望むような神託を伝えました。

自分への賛辞、栄光を求め、神の声を聞いていきました。

 

でも私はそれが自分の中で捻じ曲げられたものであることを、誰にも知られてはなりませんでした。

権力者におもね、機嫌を損ねないように気を遣いました。

次第に私は神託を受ける能力を失っていきました。それは死を意味します。

だからなおさら権力者の庇護を求めました。

しかし誰の目にも私の能力が衰えていること、まやかしであることが明らかになってきて

、私は苦しみの中、怒りと後悔の中、処刑されていきました。

 

死後の世界へ心を向けると、当時の苦しみが蘇ってきます

同じような生き方を日本の卑弥呼の時代にも繰り返しました。

もっと陰湿で残忍な光景が繰り返されました。

神託というより、占い、呪術、鬼道の世界。

やるかやられるか、駆け引き、裏切り、だましの世界が繰り返されました。


神託を受けると称し、薬草の煎じたものを飲み、トランス状態になって心に浮かんでくる言葉を発しました。

巫女の間では競争がつのり、より有効の薬草をと、あちらこちらに薬草を求めて歩きました。

薬草で死に至った者もたくさん現れました。恐ろしい世界でしたが、だれもやめることができませんでした。

 

「あいつには負けたくない、あいつより素晴らしい神託を下してやる、

すべてが的中し、私の名声を上げていきたい、あいつは邪魔だ、殺してしまえ」、

互いにそんな思い、エネルギーをぶつけ合っていきました。

そのエネルギーが今なお死後の世界に残存します。


卑弥呼は巫女の頭首、神に匹敵する存在でした。巫女たちは恐れおののきました。

しかし卑弥呼も同じように何かを恐れていたとは、当時は考えられませんでした。

心の中には卑弥呼は特別だけれど、いつかは追い落としてやろう、とって代わってやろうという欲望が渦巻いていました。

凄まじい真っ黒なエネルギーをぶつけていった当時の苦しみが、心の記憶に残っています。

利用できるものはなんでも利用し、利用できないものは切り捨てていく、その繰り返しで世の中を、泳いでいきました。


飛鳥時代、奈良時代も使った心は同じです。

僧になっても、仏の道を極めようとする思いなどは、いつしか忘れ、

ただただ権力をもちたい、時の政治に口を挟み、状況を自分の都合の良いように変えていこうと思っていました。

女帝に取り入るもの、婿に収まるもの、占い、祈祷、念力を自由自在に操り、人々の関心を集めていきました。

人々の心に仏の存在を植え付けていきました。

慈悲を説きながら、伝えている波動は冷たく人々を分断するものでした。


庶民、農民、奴婢たちは互いに比較し、あちらよりはまだ私等の方がましだという、比較、競争の心を膨らませていきました。

求めていたのは終始肉の幸せ、肉の向上でした。そして肉で競い合いました。

すべての世界に上下、大小を決め、仏の世界にも上下、階級を作り出していきました。

人間が作った神、仏に何の矛盾も感じませんでした。

仏を求めることで、自分自身の価値を高めようとし、自分は正しい、間違って入ない、

何故なら仏の声を聞いているから、他の者とは違うのだという思いを膨らませていきました。


戦国時代には、毘沙門天、不動明王を戦いの神仏として祭り、

戦いのエネルギー、破壊のエネルギーを増大させていきました。

武運を祈り、相手を叩きのめすことを目的 にした毘沙門天、不動明王はあちらこちらに祭られるようになりました。

私は毘沙門天の加護のもとと語ることは、戦いが正当なものであると吹聴したかったからです。


戦いで敗れ、野に朽ち果てた武士たちは、恨みや無念の思いを抱えたまま、

今だに戦地で死んだことも分からずに彷徨っている、長浜での戦いは壮絶を極めました。

勝っても負けても地獄でした。

生きて地獄を味合ったからこそ、神、仏に救いを求める、血で汚してしまった自分を清めたくて、仏の加護に頼りました。

どんなに勇ましいことを言っても、武勇を誇っても、心の中は不安と悔やむ心、そして焦燥感がありました。

戦い続け勝利しなければ明日はない、それが戦国時代でした。


「あぁ、我らに勝利を、授けたまえ、勝利した暁には素晴らしい社をつくりましょう。

末代までも我が家を守る神仏であってください。

戦いの神、武神よ守りたまえ。」   そんな思いで戦に出向いていきました。


広い土地を所有することが、石高を上げることが、武勇を誇ることが、

そして武家の頂点に立つことが、私達の生きる目的だったとは、今その間違いに気づきつつあります。

本当に自分を粗末にしてきました。私の心の中にはその時の思いが詰まっています。

共に戦った者達の思い、助けてくれ、救ってくれ、今我らはどこにいる、

殿を守らねば、殊勲を上げなければと戦い死んでいった仲間が、待っています。

 

愛に帰る道を知りたいと待っています。みな心に神仏を抱えています。観音を背負った者もいます。

必ず伝えていきます。愛に帰る道を、母親の温もりを伝えていきます。


私の死後の世界は過去からずっと続く他力の心、己一番と己を誇った心、

そして人を恨み、嫉み呪ったエネルギーが渦巻いて身動きが取れず、固まった状態が続いています。

でも少しでも自分に真実を伝えていかなければと、前向きに自己供養を進めています。

終わりのない自己供養、私の心には宇宙時代から引き継いできた我は神、宇宙の創造主というエネルギーが存在します。

これから根っこの宇宙時代の闇に向き合って、自己供養を進めていきたいと思っています。


02 

 

心の針をどんどん田池留吉、あなたの中の田池留吉に向けていってください。

たくさんの意識が動き出します。

いままで固まって動けなかった意識たちが温もりを感じて動き出してくるのです。

焦らず、丁寧に心を見ていってください。

母の温もりをしっかり心に蘇らせて、伝えてください。

苦しんでいる意識に語りかける実践をしていってください。

怖がる必要はありません。

それがあなたが今世生まれてきた理由だからです。


瞑想をしていますか。

心の針を田池留吉に向ける時間をしっかりとってください。


  03 

 

自分のエネルギーの根幹には、凄まじい殺戮のエネルギーが渦巻いている。

そのエネルギーが今も、呻き声、泣き声、狂気の叫びとなって心に響いてくる。

人間でありながら、人間を人間とも思えない。

当然、動物達への思いも同じ、何処までも極悪非道な自分が次から次に浮かんでくる。

排除してきた思いがここに繋がっていく。

殺戮のエネルギーが作り出した漆黒の世界、冷たい冷たい冷え冷えとした固まりの中に身動きとれずに固まっている。

固く硬く固まっている。

何千年も固まり続ける漆黒の世界、これが私の死後の世界なのだと思えてくる。



自然現象を神の祟りと伝え、神の怒りを静めるために、生贄の世界を作り出しました。

たくさんの生贄を差し出し、自分の身の安泰を願い祈り続けた私の過去世が心に響く。

いまも、生贄にした人達の、呻き声、泣き声、狂気の叫び、怒りが心に響いてくる。

誰に教わったわけでもないのに、次から次に殺戮の方法が浮かんでくる。

人間でありながら人間の肉を纏った悪魔でしかない。

生贄の世界は凄い世界、言葉に出来ない殺戮の世界です。

一瞬にして沢山の人を焼き殺す。ドンドン生贄のエネルギーが大きく形を変えていく。


自然現象を神の祟りと語り、神の怒りを静めるためにと、生贄のエネルギーを作り出したのは私自身です。

関わるすべての人達を巻き込み奈落の底に突き落として平然と生きてきたことが心に響きます。

間違ってきた。本当に間違ってきた。正しい自分など何処にもいない。意識の世界が真実でした。


自分の現実の姿をしっかりと心で確認していきます。自分と真向かいになって自分に伝えます。

自然現象は神の祟りではなかったことを伝えます。

神の祟り、神の怒りなど無い事を伝えます。

天変地異は愛。この思いを伝えていきます。

ともに帰れるチャンスであることを伝えていきます。

どれだけ伝えられるのか分からないけれど、待っていてくれている意識達です。ともに帰ろうと伝えます。

田池留吉、お母さんを思えることが嬉しいです。嬉しいです。


  04 

 

神、仏を信じる、その心の奥底にあるもの、私は特別、特別な存在、

だからすべての災害、事故から私を守り、有意義で楽しい人生を約束してくれる存在、それが神であり仏であった。

何度もそんな思いを出してきた。

台風も水害も地震も私を避けて通るだろう、何故なら、私は特別な力があり、

自然さえも私の意のままにできる、何の根拠もないのにそんな思いを出し続けてきました。

天変地異は愛、それは私にとって驚愕でした。なかなか受け入れられないことでした。

根底を見れば、肉の幸せこそ、私の幸せ。

災害、地震で死ぬことなど、特別な存在の私には受け入れられないことでした。


  でも過去に何度も災害に遭っている私でした。

火山の噴火で火砕流に巻き込まれ死んだことも、

唐への航海中、嵐にあい海の底に沈んだことも、その度に、神、仏を呪い、自分の運命を呪いました。

「神など存在しない、仏もイエスも存在しない、この私を救ってくれるものはないのか」、

その思いは神を否定するものではなく、さらに神を肉の思いで求めたあげくの叫びでした。


  絶対的存在を常に追い求めた結果、私は転生の中で、自分のみならず衆生を救う阿弥陀を心に作り上げていきました。

中国から伝わる仏教を、農民、商人にもわかりやすく説き、阿弥陀の教えを流布していきました。

でも次第にそれは形骸化し、心を説きながら真実からは逆に遠のく道を人々に伝え、

共々に真っ逆さま、真っ暗な世界を作り上げていきました。

私の中にその思いが、エネルギーが燻っているのを感じます。


  僧の世界も競争でした。密かに殺人も行われました。

誰が時の権力者に重用されるか死活問題でした。

重用されなかった者は密かに都を離れ、人目につかない寂れた村で自分の命を繋ぎました。

諦めきれず、悔しさと羨望で身を焼き、失意のまま世を去る者もいました。

重用されても自分の地位、寵愛を守るため、どれほどの思いを出し続けたか、

「自分以外はすべて抹殺してやる、私だけ、私が、私がこの仏教界を支配してやるのだ、わかったか、去れ、死ね」、

と凄まじい思いを出し続けました。


  すべてが私は一番、我こそはと己を誇る思い、

それが今世にも引き継がれ、様々な場面で競争心を露わにし、

心の中で相手を抹殺し、相手の不幸を望む思いまで出す始末でした。


  今、そんな自分を振り返り、愛に帰していく学びを知りました。

それは本当に幸せなことでした。

自分が愛であると目覚めゆく今世の目的を、遂行していきます。

 

■ 05 

死後の自分と語る。



  苦しいばかりです。固まっています。

「田池留吉を呼べますか、田池留吉を思うことができますか。」

  とてもとてもそんな状態ではありません。心を向けて呼びたいという思いはあります。

でも、思っても心が合いません。合わせようとする私に覆いかぶさるものがあります。

思おうとすれば私を絞めつけてくるのです。苦しくて苦しくて息ができない、死に匹敵する苦しみです。

何故こんな状態なのか、少しずつ感じ始めています。

私は自分を裏切り続けてきた、自分を捨ててきた、間違い続けてきたということを、

やっと自分のこととして捉えることができる、そんな一歩を歩み始めています。

他力、存在しない神、仏をあると信じ込み、それを広めていった、

それはこの私が木端微塵に弾け飛んでしまうほどの過ちでした。

一度、二度ならず、転生する度に、様々な宗教にはまり、また興し、自分を抹殺し続けてきた。

しかしそんな私を、私はこれほど素晴らしい存在はないと誇示してきました。


  今私は真っ暗闇の中にいながら手探り状態で、自分が心を向けてきた様々な宗教、教祖、教えに思いを向けています。

そしてわかったことはそれは凄まじいエネルギー、波動を放っているということ、

何故、神、仏を求め続けてきたか、その根底に思いを向けています。

簡単に欲という言葉で片付けられないもの、

それが田池留吉への反逆の思いだったと気づくのにとても時間を要しました。


  いつから田池留吉への反逆の思いが生じたのか、地球以前からでした。

地球に移行してきた時、私達の心には、肉をもって新たに学びたいと言う強い思いがありました。

でも肉をもつと学ぶどころか、いかに肉を向上させ、人と競い他を寄せ付けず、抜きんでていくかばかりに心を使い続けてきました。


  みなと同じでは嫌だ、特別でなければならない、そして田池留吉をしのぐ力、パワーを求めて何度も転生してきたことを思います。

  他を圧倒する為に念力、パワーを求め、さらに宇宙は我のもの、宇宙即我、宇宙の創造主と、傲慢な思いは巨大化するばかりでした。


  地球以前から今世まで、田池留吉以外のものに心を向けた結果が死後の自分に集結しています。

「それを心から認めることができますか。」

  はい、認めざるをえません。間違っていたということは、心で納得しています。

そして今この自分を供養する方法を教えていただきました。

でも田池留吉に心を合わせることが前提ですよね。

それが今四苦八苦なのです。

今世の自分が

「自分の中の温もりを感じていきましょう、自分が愛であること、愛のエネルギーであることを確信していきましょう」

と伝えてくれますが、母親の温もりが今ひとつわからない、自分の中にあることが感じられません。

あぁ、でもいつもいつも母に愛された存在であった、母の優しい温もりは、心に伝わってきています。

何でも私は自分の外に求めていた、神も仏も救世主も全部自分の外に求め、その力に縋ろうとしてきた、そんな自分が見えてきます。


  そうではなかったのですね、自分の中にすべてがある、愛も愛のエネルギーも母親の温もりも、すべて自分の中に、自分自身だったのですね。

田池留吉に心を向けるとは自分に心を真摯に向けていくと言うことだったのですね

あぁ、苦しい苦しい状態の私ですが、今何か希望がわいてきます。


  はい本当の自分に帰っていきます。

ひたすら田池留吉に心を合わせる、それがどれほど嬉しい事か、それが自分を救いゆくことだと伝わってきます。

気づいた意識から、まだ気づいていない意識へ伝えていける、

私の宇宙がすべて歓喜に震えるまで伝え続けていくことを望んでいます。



 ■ 06 

 

水は愛、愛そのもの、すべての源です


  私の中からそう伝わってきます。水はどのようにできたのでしょうか。

水は今では実験で作り出せるでしょう。

しかし私達が地球に始めて肉を持った時から、水は存在していました。

その水を作ったのは誰でしょう。


  人間でないことは明らかです。水はエネルギー、愛のエネルギーによって作られました。

人間の体がおよそ60兆個という細胞からできていることをご存じですか。

一つひとつの細胞が愛を伝えています。

肉体があるから今心を見て愛に帰っていくことができるということをどのように受け止めていますか。

人類の歴史はその細胞の在り方までも変えてしまう傲慢さに満ちています。

体の80パーセントが水分であることも知っていますか。

水がいかに私達肉体生命の維持に必要不可欠か、水から流れる愛に無関心になっていませんか。


  水を愛の水に変える、その目的は、愛のエネルギーの存在を、その流れを体験してほしいからです。

科学では証明できない、目に見えないエネルギーを感じて欲しいからです。

「あっ、変わった、おいしくなった。」ただそれだけで済ませてしまうのは実にもったいないことだと思いませんか。


  自分で自分を検証して欲しいのです。

  どれだけ田池留吉を信じているのか。

  田池留吉を心から信じているか。

  自分が愛のエネルギー、愛を流す存在だと心から確信しているか。

  ただ田池留吉を信じ、愛を通しているのか、念じる思いはないのか。

  水がおいしくなった時に、どんな思いがでるか、己を誇る思いはないか。

  水に意識を向けた時に伝わってくる思いを感じていきましょう。

愛の水から伝わってくる喜びの波動を感じていきましょう。


  次第に水と自分が一体であると、共に愛の存在であると感じられてくるのではないでしょうか。

そしてそこに大いなる愛のエネルギーが働いていること、

そしてそのエネルギーと自分は一つであるということに気づいていかれるのではないでしょうか。

大いなる愛のエネルギーがつくりだしてきた自然ともどんどん対話していってください。


■ 07 

 

反省・宇宙を思う

私は宇宙とともにある、たくさんの真っ黒い凄まじい宇宙とともにある、

ああ、嬉しい・・・今までとは違った感覚を受けています。

薄っぺらい、薄皮一枚の宇宙を見ていました。

今、心の遠くから、奥底から顔を覗かせる宇宙はとてつもなく暗黒です。

この肉を貫いて、ようやく顔を出せる喜びの雄叫びが上がってくる。

ああ、凄いです、この肉を通して這い出てくる暗黒の宇宙の姿、もう肉の思いでは捉えきれません。

何と言う唸り、何と言う声、何と言う波動、肉を突き破るエネルギーは、ただただ己の姿をようやく露わに出来る雄叫びです。


なぜ肉を持ったのか、私は今その遠大な自分の計画の一端を垣間見ています。

ああ、肉を持たせていただいてありがとうございます、お母さん、これからです、

これからです、私の本番はこれからです、そんな思いが吹き上がります。


小さな世界で自分を見ていた、心に積み重ねた闇のその向こうには、宇宙がありました。

田池留吉に心の針を向け、合わせる中で、誘われて、包まれて、ようやくちらっと顔を見せました。

ああ、もう嬉しさが心に漲ってきます。


宇宙の凄まじいエネルギーは、私の存在そのものです。

愛に歯向かって歯向かって、歯向かい続けた己自身です。

ああ、果てしない時と空間を経て、やっとやっと見ようとしています。

私はこんな小さな肉ではなかった、肉の中で己一番、我に従え、我こそはといくら誇っても、所詮は小さな世界でした。

ここを自分の中で確認しなければ、小さな範囲での学びに終わります。

大噴出、総崩壊、私の中ではこれからです。

この宇宙とともに、喜びの大噴出を経て、総崩壊へと、学びを進めていきます。

何と遠大な、壮大な、愛の道でしょうか。

ああ、自分と言う存在をはっきりと確認できる、心の広がりを感じながら、ひたすら正しい瞑想を心がけます。


はじめに意識ありき、その意識は愛。

宇宙の存在は愛、宇宙は一つ、愛の宇宙。

 

形を持たせていただいた私という宇宙は、たくさんの仲間とともに愛に目覚め行く私でした。

言葉に出来ないことが何かもどかしい、しかし、言葉に出来る世界ではない、ああ、大きい、大きい、私はもうすべてを委ねていきます。

 

■ 08 

 

先日(H26.2月22日〜24日)のセミナーで、

「この地球は人が住めないような星になります」と言われました。

それがなんですと伝えていただきました。

その時はもう一つピンとこなかったけれど、今、改めて思いを向けると、ああ、そうだったんだ、

形を崩して崩して、最後はそうなるのか、ああ私達は肉ではなく意識だと言うことを、最後の最後まで伝えてくれる世界、

ただありがとうと肉を終えれば良い、形はどうでもいいんだ、自分の心が見える最後のチャンス、そのように思います。


すべてを捨てていく、すべてを捨てる、捨ててもなくならないものがある、

それが愛の自分、そこまで心を見つめ実践し、肉を最大限に活用することが肉体細胞とともに生きると言うことだと受け取ります。


すべては愛のエネルギー、愛のエネルギーが形を持った、

それが3次元の世界、形の世界、肉で見るとただのもの、しかし意識の世界ではみんな愛の存在

愛のエネルギーが流れる存在、人間だけがそれを忘れ捨て去った。

元は愛、愛のエネルギー

水、空気、太陽、光、地球、肉体細胞、山川草木、ああ、すべてから愛が流れているんですね、

愛を放出しているんですね、生命エネルギーは愛そのもの、愛のエネルギーがすべてを生かしている

ああ、言葉では言い表せない、まだまだ浅い、浅い、

しかし、すべてが生きている、愛の中に生きている、生かされている、そう感じるんです。


肉と言う枠を外せば、みんな一つ、一つの存在でした。

何もかもが愛、愛のエネルギー、私が空、私が空気、私は花、私が・・・ああ、すべてが私を伝えてくれている。

本来は、愛のエネルギーがともにその存在を喜ぶことのできる世界だった、

それが3次元の現象界、ああ、それを真っ黒にしたのは肉持った人間だった。そういうことが心に伝わってくる。



地球が形を変えてゆく、宇宙からの愛が降り注がれる、

人間よ、気付きなさい、大いなる愛に気付きなさい、

あなた方は肉ではありません、そのようなメッセージがこれから届く

 

ああ、そこに思いを向けると、喜びの渦です。

何もかもが崩れゆく、宗教はことごとく崩れゆく、形を変えてやがては消えてゆく、

人間が作りだした世界が何もかも消えてゆく、そこに働く大きなエネルギーは、肉持つ人間にはっきりと示してゆく。

ああ、これからの激動の時が、すぐそこにやってきた。足音高く、もうそこに来ている。

宇宙の目覚め、闇の宇宙が姿を変えてゆくそのエネルギーは、高らかに宣言している、人類よ、目覚めの時が来たと。

すべての宇宙が喜びのエネルギーを流してくる、天変地異を告げている。

それは次元移行への誘い、ともに行こう、次元を超えていこう、愛に戻ろう、

母なる宇宙に帰ろう、田池留吉とともに、アルバートとともに、ああ、喜びの雄叫びです。

 

光に融合していく喜び、一つになってゆく喜び、それが次元移行となってゆく。

夢物語ではなく、心の中ではもうその準備ができている、そのように感じます。

宇宙規模の天変地異、それが現実のものとして感じられる。

私は今、自分の心が感じている意識の世界に、もう言葉もありません。

呼吸するように、愛に吸収されまた放射して行く、そのエネルギーが大きな大きな仕事をして行く、それが私たちでした。


人類が辿る道、肉で見れば恐怖であり消滅です。

それが愛などと決して思うことはできません。

しかし、心を田池留吉に向け、250年後の未来を思う時、そこに感じられる世界はただただ喜びの渦の中。

愛に目覚め行く喜びに満ち満ちて、愛しかないことを確信し、愛に戻る自分であると狂喜し、

苦しみに狂ってきた自分を喜びの中で懺悔し、何もかもが一つになる、

田池留吉、アルバートとともに、どこまでも、どこまでも次元移行してゆく自分であるとはっきりと感じます。

 

いくら言葉で聞かされても、いくら説明されても分からなかった真実がここにある、この心の中にある、すべては心の中にある、私の心にあった。


凄まじいエネルギーで語ってくる宇宙達、心の中にぐいぐいと分け入ってくる。

その一つ一つが嬉しい、愛しい、懐かしい、語る異語は伝えてくる、

愛に戻れる自分だと、母が待っていると言う喜びを、そしてともに行こうと誘ってくる。

どれほどたくさんの宇宙が存在するのか分かりません。

けれども、みんな仲間、みんな友、みんな一つ、その思いが膨らんでいく。

ああ、嬉しい、嬉しい、語れることが嬉しい、心を交わせることが嬉しい、この喜びは凄いです。



アマテラスよ、ともに、ともに意識の流れに乗っていきましょう。

次元移行を果たしましょう。あなたのエネルギーを使いに使ってきた私です。

苦しみにもがいてきました、呪って呪って、呪い尽くしてきた私です。

この心に蓄えた凄まじいエネルギーは、そのまま宇宙の存在となって暗黒の帝国を築き上げてきたのです。

肉持つ意味を忘れ去った私は、地獄の帝王となり果てて、ようやく今と言う時を得ました。

 

私は宇宙とともにありました。宇宙そのものです。

暗黒の宇宙を蘇らせることを心に誓って、母の愛をいただきました。

もう、強烈に響き渡る母の思いがあります。

どんなに逆らっても忘れ去っても、お母さんは待って待って信じて信じてくれました。

その思いが伝わってきます。

ああ、あなたにこの思いを伝えたい、アマテラスよ、母の思いを伝えたい、

帰っておいで、我が子よと呼びかけてくれる母の思いを伝えたい。

ともに帰ろう、真実の世界へ、愛の自分に、ああ、その思いが溢れます。

■09

 

 不妊治療に携わる医師の意識



はい、私はもう狂ってしまいそうです。いいえ、すでに狂っているのかもしれません。

こんなこと、とても正常な精神ではできません。卵子を取り出し、体外で受精させ、また子宮に戻す。

冷凍保存された卵子や精子を使い、いつでも妊娠できるように準備する。

第三者の子宮を借りて妊娠出産する代理出産。


ああ、苦しい、苦しい、苦しい、苦しいだけです。間違っていると思います。

自然の摂理を捻じ曲げていると思います。人間はどこまで行けば気が済むのでしょうか。

なぜ、こんな治療法がまかり通るのでしょうか。人間が神の真似事をしているのです。

間違っていると感じていますが、今の私にはどうにもできません。


妊娠を望むすべての女性に未来を与えることができる、こんなに素晴らしいことはないと初めはそう思っていました。

昔はできなかったことが、医療技術の進歩でそれが可能になったことは素晴らしいことだ、人間の英知の結集だと信じて疑わなかった。


今は何が正しいのか分からなくなりました。何を信じていいのか分からなくなりました。

ただ、私の心は苦しみでいっぱいです。苦しみと寂しさ、むなしさでいっぱいです。

もうやめてしまいたい、狂ってしまう前にやめてしまいたいと私の心は叫んでいます。


私ひとりがやめても別の誰かが受け継いでいくでしょう。一度流れ出した動きはもはや止めようがありません。

人間の欲はとどまるところを知らないのでしょうか。

健康でいたい、長生きしたい、赤ちゃんを産みたい、若返りたい、

そんな欲望は、ますます医療の世界を真っ黒いエネルギーの中に飲み込んでいくでしょう。

そこには必ずお金が絡んでいます。

お金、お金、お金のどす黒いエネルギーの中で、すべてが歪んでいくのです。

先は分かってます。このままいけばどうなるのか、分かっています。

でも、今の私にその流れは止めようがありません。今、私の心は狂う寸前です。


■10

 

 私達宇宙は、あなたを待って待って待ち続けてまいりました。

あなたの心を待ち続けてきたのです。

ああ、ありがとうございます、田池留吉、ありがとうございます。

ようやくのことにして、心を通じ合わせることができます。

どれほどこの時を待ち続けたことか。

あなたの心の語りかける私達を、どうぞ、どうぞ、喜んで受け入れてください。

宇宙は待っていますと、何度伝えても、あなたの心には届かなかった。

 

今、やっとやっと私達に気付いてくれました。


長い長い時間と空間を経て、私達は存在してまいりました。

苦しみの暗黒の宇宙を彷徨って来ました。

そこから逃れる術を求めて、果てしない宇宙を漂って来ました。

ああ、待てど暮らせど思いは届かず、地球に降り立った友よと叫んでも、心は閉ざされたままでした。

私達を恐怖と捉え、まったく心は通じ合うことなく、私達の存在も知らずに生きて来たのです。


心を向けてください、あなたの心をもっともっと向けてください

ああ、私達は語りたい、語りたいのです。この心を伝えたい、この心の躍動感を伝えたい。

ともに帰ろうと呼びかけていただきました。

その声をどれほど聞きたかったか、いま、ようやく私達も自分の存在を愛の中に見ております。

暗黒でした、どうにもできないほど真っ黒でした。

そんな苦しみに喘ぎもがく私達に語ってくれる意識がありました。

私達は愛です、あなた方も愛です、愛しかないんです、みんな愛に帰る宇宙です、母なる宇宙に帰る私達ですと。

ああ、その声は私達の心を揺り動かし、あなたは愛ですというその力強い誘いは、

もうこの暗黒から自分を救いだそうと、そんな優しい温かな風を吹かせました。


次元移行、ああ、なんと言う流れの中に私たちは生かされているのか、それが伝わってきます。

もうみんな喜びの渦の中、湧き上がるエネルギーは歓喜。

これからです、これから私達は変わってまいります。

暗黒の宇宙がまさに変身します、見事に変わって行くでしょう。

もうその固い固い約束は交わされました。

ああ、ありがとうございます、田池留吉、アルバート、そしていち早く愛に目覚めた核の存在、それは全宇宙の喜びです。


はい、はい、私達も参加します、喜んで喜んで、私達も変わってまいります。

ああ、今までの私達の姿を変えてまいります。

そして、ともに進もうと、未だ心彷徨うたくさんの仲間にこの喜びを伝えます。ああ、ありがとう、ありがとう、ありがとう。


■ 11 

 

色々な愛のグッズ。自分の心をしっかりと見る素晴らしい教材だと感じています。

愛のグッズにどんな思いを向けるか、向けてしまうか、私の中に他力の残存をしっかりと感じています。

何も持たずマイナスをプラスに変える、ふと不安を感じるのです。

水もおいしくなります、Oリングもしっかりと固い、でもふとグッズに手を伸ばしてしまう自分があります。

手を伸ばす思いの中に「お願い」という思いがあったら、お札、お守りと何ら変わりありません。

田池留吉にしっかりと心を合わせていく一つの手がかりが、それがなければになってしまうと本末転倒です。


ふと心を田池留吉に向け合わせることに、本当は何も必要ないのでしょう。

でも積み重ねてきた他力の心が、田池留吉に心を瞬時に合わせることを阻んでいる、

その垣根を低くしていくために、グッズがいろいろと用意されていると思っています。

愛はいつも流れている、それを感じ信じていくだけなんです。

肉体細胞からもすべての自然、物体からも、愛は脈々と流れている

そう思うとありがとうだけです、幸せの中に存在する自分を感じます。


そして愛のグッズが単なるものではないということが、田池留吉そのもの、愛だということが心に伝わってきます。

そしてそれは自分の中に存在している、そんな思いが広がってきます。

何か知らないうちに心が宇宙へ向けて広がっていく、小さな事に捉われて心を小さく閉じ込めていた自分が見えてきます。

私達はみな歓喜の中にあった、喜びだけがあった、私達は幸せな存在だった、お母さん、ありがとう、今世をありがとう、幸せです。

たくさんの宇宙達と共に母なる宇宙に帰ります。 

■12 

 

今日のメッセージを読んで、心を田池留吉に向けました。



長く長く肉を本物として生きてきた私には、この学びはとてつもなく厳しく難しいものと感じてきました。

自分の地獄の声もまともに聞けず、己を守り逃げ続けてきた歴史は深いものでした。

この心に培った暗黒の宇宙の思いを知ることなく存在してきた私は、宇宙を恐れながらもそんな宇宙をひけらかしてきました。

UTAの輪、次元移行への道は肉を基盤とする意識にとっては不可能なこと、

意識の転回なくして、他力を抱えていては絶対に不可能なこと、その図式が自分の心に描けませんでした。


自己確立の進んだ結果がUTAの輪であり、宇宙との交信であり、次元移行です。

すべてを狂わせてきた宇宙を受け入れることなしには、また元の、いいえ、もっと深い闇に堕ちてしまう。

だからこそ母の温もりを、田池留吉に0・1秒で心を向ける訓練をと、

向けやすいように、向けやすいように、様々な工夫が提示されている。

しかし、それも肉ある間だけ、肉なくなってはグッズも何もない。この心一つです。

自分の歩く道がはっきりと見えていない状態で、何ができるでしょうか。そんな答えが自分から返ってきます。




私はこの肉を使って、私の仕事を成してきました。

あなた方とともに、時間と空間をともにし、ともに学んでまいりました。

私がなぜこの地球に肉を持ったのか、なぜ日本なのか、

あなたはなぜ生まれてきたのか、どう生きて行けばいいのか、

肉か意識か、有限か無限か、死後の自分とは、未来の自分とは、

そして宇宙との係わり、次元移行への誘い、学びはどんどん進んでいきました。

学びのすべてはもうお伝えしてあります。

真摯に、素直に、私の指し示す方向に心を向けるだけ、信じて確信を持てるまで実践するだけ、

あとはすべてを委ねて心を向けてくださいと伝えました。


人間は心を忘れ去りました、自分で投げ捨てました、地獄は人間が作った世界です。

そのようなものはなかった、ないものを作り、自分で作った世界にはまり、苦しみ続けてきたのです。

そんな愚かなことは止めましょうと、苦しむことは止めましょうと言い続けてきました。

神も仏も宇宙のパワーも、何もなかったでしょう。

なのに、なぜ他力から自分を解放できないのか、なぜ未だ握って放せないものがあるのか、もう一度心を見てください。


私の肉も限りがあります。いつまでも肉基盤の方を対象にはできません。

この肉ある間に、私のするべき仕事をせねばなりません。

肉を置いても私は変わりなく、すべての意識とともにあります。

それはまったく何ら変わりないのです。

すべての意識とともに次元移行する、この大前提のもと、私の仕事は遂行されていきます。

その呼びかけに応じるかどうか、それはひとえにあなた方自身にかかっています。

水と油はまじりあうことはできません、そのように、肉と意識、それは決してまじりあうことはできません。

何のために肉を持ったのか、それが答えです。

肉は有限、しかし、肉体細胞は無限の意識、肉と意識の基盤の違いを心で分かっていなければ、すべては徒労に終わります。

どうぞ、自分自身に素直に誠実に従ってください、母の心に素直になってください。

もうこれからは、私は自分に素直に誠実に従って行こうと思っています。

いつまでも肉の田池留吉はありません。

今というチャンスを最大に活かし、自分の望んできた道に進んでください。

他力をすべて払拭してください、未だ残る冷たい自分を、どうぞ母の温もりに返してください。

自分のために生きましょう、自分に優しく生きましょう。

ともに次元移行を果たしたい、一心不乱に突き進む熱意と勇気を示してください。

私はあなた、あなたは私、ひとつ、愛、愛。

大きく包み込む愛のエネルギー、母なる宇宙、あなたは私とひとつです。


■ 14

 

 今だかつて、誰が心を見ましょうと伝えてくれたでしょうか。

あなたは愛ですと、誰が真実を語ってくれたでしょうか。


私達は今世、学びに出会い、集い、学び、少なくても知識で、

自分は肉ではなく永遠に生き通すエネルギー、それも愛のエネルギーであることを知りました。

後は、自分で実践し、確認し、確証を得て肉を終える、その先には次元移行と言う思いもつかなかった未来が待っている、

いいえ、もうすでに心の中に存在する自分なのです。

 

そういうことをこの心で分かる学びをしてきたかどうか、それがこれから、田池留吉の肉がなくなってから、自分が自分に出す答えです。


自分をどれほど蔑(ないがしろ)にしてきたか、それは自分の心を垣間見れば一目瞭然です。

あらゆるパワーを蓄えて、愛に歯向かい続けたエネルギーが私でした

肉を持たせていただく意味が、どんなに響いてくることか、ああ、お母さんと呼んでいるたくさんの自分がここにいます。


自分を知ることの喜び、こんこんと湧いずる泉のごとく、心の中から伝わってくる温もり。

これが私、これが宇宙、これが母、これが田池留吉。

心は果てしなく温もりを求めて、内へ内へと入っていく。

すべてが喜びですと、すべては田池留吉、アルバートですと、そう語る自分がいます。


肉あればこそ、こうして真実に巡り合えた、宇宙の存在も知った、本当の世界を垣間見ることができる、

そしてその世界を広げる喜びを味わえる、心をただただまっすぐに田池留吉に向け合わせることが、一体どれだけの喜びでしょうか。

 

何もなかった、ほんとうに何も要らなかった、ただこの心一つあれば良かったのに、何と、何と、欲深い私であったろうか。

未だその残骸を抱え、捨てきれないものを抱え、けれども意識の自分は肉の自分とは違うと言うことを、今、戸惑いながらも感じています。


自分が何者か知らないと言うことの罪深さ、それこそが人類を破滅に追いやってきた。

すべてが田池留吉、アルバートを指し示し、優しさと温もりの波動を流す中で、いかに無知と欲とエゴを垂れ流しても、

やがては元の自分に戻りなさいというメッセージを受け取らなくてはならない、それが人類が愛だと言う証。

 

自ら蘇るシナリオを描いた所以。

私自身も、心に描いたシナリオ通り、意識の自分に従って行くだけです。


たくさんの宇宙達が語っている、これからの喜びの時を語り、故郷に帰ろうと呼びかけあう思いが、宇宙に飛び交っている。

■15

 

 3月のセミナーから帰ってきて、もうひとつ自分の心の向け先がずれているような気がしてなりませんでした。

セミナーで自分が出した思いを見つめ直したり、何が間違っているのだろうかと自分に問いかけてみました。



あなたは自分が出してきた思い、特に念力、パワーについて間違った捉え方をしているのではないでしょうか。

念力、パワーを競い合った時代もあったでしょう、その念力、パワーで相手を倒すどころか、自分の身を破滅させていったこともあるでしょう。

念力、パワーはあなたが考えているような単純なものではありません。

その意識をプラスに転じていかない限り、再び暗黒の世界を自分の宇宙に広げていってしまう、そんな危険性をはらんでいるのです。

笑って対峙するようなことではないのです。

もっともっと自分の心をどんどん掘り下げて見ていってください。

甘いとしか言いようがない、何事も中途半端な心の見かたでは見ない方がましだと言わせていただきます。


次元移行をしていく中で、念力、パワーはとてもとても重大な結果を残していきます。

念力、パワーは自分の外にあるものを操作しようという思いです。

自分の内には心が向いていません。他力そのものの世界なのです。

過去の密教も念力、パワーの温床でした、でも思い出してください、あなたと宇宙の関係を思い出していってください。

宇宙空間に放ってきたエネルギー、凄まじいエネルギーそのものが念力、パワーの世界を培っていたことを、

そしてそれがどれほどの現象を引き起こしていったのか、目をそむけずに見ていってください。

そして今だからこそ、母なる宇宙に共に帰っていけるということを、喜んで喜んで受け止めていってください。

意識の流れに素直に委ねていくだけでいい、我はいらないのです。

■16 自問自答


私は自分の人生に、きちんと責任を持って臨みたい、意識の自分に従ってこれから残りの人生を送りたい、その思いを強く強くしています。

先日の南河内UTAの輪の勉強会での先生の講話は、大きな大きな意味を持って、私の心に響きました。

いろんな方から、いろんな情報が入り、心を揺さぶられました。けれども、私は自分の心が伝える思いを信じて、進んでいきます。


私は愛、あなたも愛、ひとつ。これしかないのですね。人生はひとつ、選択肢はひとつ。

何のために肉をいただいたのか、この世は何のためにあるのか、枝葉は切り捨て、ただほんとうに自分と約束したことのみに心を向けていきます。

残された時間は限りある。その中で、私は本当に生きたいのです。

そのためのこれからだと、覚悟と言うか、決意と言うか、ただひたすら前を見ていきます。



「田池留吉を小さく見ていませんか。?」  
この問いかけは大きかったです。

申し訳ございません、肉の田池留吉をつかみ、自分のレベルで田池留吉を推し量る愚かさがはっきりと感じられます。

私は私の仕事をしていきます、そう語られた田池留吉から流れる波動に、いかに自分がこの学びを、

そして田池留吉を小さく見て、蔑にしてきたか、それは自分自身をも蔑にしてきたということだと、痛切に感じました。

その反省は大きかったです。

何もかも奢った心で捉えてきた自分が浮かびあがり、生かされてあることすら当然と捉え、誇り、肉肉肉の世界が広がっていました。

自分自身をもっと知る、自分を学ぶ、真摯な心、素直な心、与えられた環境がいかに恵まれているか、

私は愛ですという自覚がいかほどあるのか、そんな反省を促されました。



私の言葉を肉で捉えていれば、誤解、六階、もっともっと離れていきます。

私は肝心なところでは、いい加減な言葉は発しません。

そのほかは吉本と言っていますが、本筋は決して離れてはいないのです。

それをどう受け取るかはあなた方次第です。

しかし、時がここに来て、もう冗談で済ませられる段階ではありません。

肉のお付き合いはほどほどと言って来ましたが、それもそろそろお終いです。

私には私の計画があります。今世、こうして肉を持った結果を出していかねばなりません。

いつまでも肉肉で、そこから一歩も出ようとしない意識達に、付き合っている時間はありません。

はっきりと言います。私にどのような思いを向けられようが、それはすべて返っていきます。

結果は自分のものと言っています。皆さんは、もっと自分を大事にしてほしいです。

自分自身を知って欲しいです。偉大なる存在と伝えています。

その通りです、偉大なる存在なのです。その自分を蔑にして、何のための人生でしょうか。

一度、自分に聞いてください。人生はいい加減な思いで用意されたものではありません。

自分自身が、地獄から這い出てきて、母の温もりに帰ろうと自らが望んで与えられたものです。

肉のあなたの自由にはできません。このことは、いくら言葉で語ろうが、あなた自身の心でしか分からないことです。

しかし、人間は誰でも、どんな人でも分かるのです、それが人間だからです。


どれほど奢ればいいのでしょうか、どれほど肉を本物と信じるのでしょうか。

この学びをしているから本道を進んでいると思うことのお粗末さに気付いてください。

すでにあなた方に示されている指針にすら素直になれずして、どうして愛が分かるのでしょうか。

信じるとは何でしょうか、田池留吉の存在はあなたにとって何でしょうか、私からお尋ねします。

たくさんの愛のグッズから、何を学びとって行くのでしょうか。

たくさんの体験を語りながら、あなたの心はどんな思いを流しているでしょうか。

どうか、真摯に、本当に真摯に、学んでください。

お願いすることでもありませんが、私は一人でも多くの学びの友に、真実の道を歩いていただきたい、ともに愛に帰ろうと呼びかけています。


道はだんだん厳しくなってきます。

真剣に学びたいという熱意を持った友とこれからの時間を共有したい

、田池留吉に心を向け合わせる喜びだけが人生だと確信持たれた方たちとともに、次元移行への道を歩みたい、そう思っています。

残された時間、私はもう田池留吉という肉を使い、自分の仕事を仕上げていきたい、そう思っています。

私は田池留吉という宇宙を、それぞれの心に確立していただきたいと願っています。

それは、肉を本物とする心とは、絶対に相容れない世界です。

私は肉ではないのです、もうそんな次元で私をご覧になれば、到底私達と同じ道は歩めません。

私の肉をつかんでいる方達は、私の肉がなくなれば、一体なにを信じて行かれるのでしょうか。

しかし、それもまた、自分が選択した結果です。


どうぞ、自分が計画したことをすべてやり遂げる覚悟でお越しください。

この学びは厳しく険しく、ハードルはますます高くなるでしょう。

しかし、そこで得ることのできる幸せは、本物です。あなたの肉はあなたがあなたに与えた愛です。

母の愛です、田池留吉の愛です、分かりますか、その肉を持って、真実のあなたを知って行きましょう。

仕事をしてください、本当の仕事をしてください。



宇宙を思い瞑想をする、これがこれからの学びになるのだろうと感じています。

たくさんの宇宙、心に広げてきた宇宙、暗黒の宇宙とともに愛に帰る道を歩く喜び、

宇宙は一つを感じる喜び、それは肉では決して分からない喜びでした。

ほんの少し感じただけでも、ただただ凄いの一言です。

ああ、田池留吉は全宇宙へメッセージを発信している、もう肉で推し量ることはまったくできない、

それを肉で語る傲慢さ、心だけ、波動だけの世界。それを痛切に感じます。

 



どんどん宇宙に思いを向けて行きなさい、あなたが広げてきた真っ黒が呼んでいますよ。

待っていますよ。やっとそんな時がきたのです。

肉ではなかったでしょう、いかに素晴らしく高めた肉でも、この喜びは決して分からなかったことでした。

あなたはまだまだ自分を知らない、自分の宇宙を知りません。

田池留吉に心を向け、合わせる中で、分かる世界があるのです。

握ったものをすべて捨てて行くことを自分に課して行きなさい。

何かを握っていては、愛を遮るということはもうお分かりでしょう。

消えて行くものを握るほど愚かなことはありません。

真実に目覚めるために用意した道具、環境に過ぎないのです。

ありがとうと放して行けばいいだけです。

新たな自分を探して行きましょう。新たなステップにレベルアップして行きましょう。




■17 自問自答


この学びは超常識と言われている、けれども、ほんとうにこの学びをして行けば、肉は常識も常識、至って常識ある行動をとることを感じています。

肉持てばお互いに愚かな極み、その中で肉の常識は極めてはっきりとした道を示していると思います。

争いを避ける方便と言おうか、諍いを回避する肉の方法と言おうか、とにかく暗黙のうちに肉がとる道だと思います。


常識なんか要らない、そんなことはない、肉はみんな我がまま勝手、放っておけばしたい放題、自分は正しいの思いで暴走する。

肉の生活を送る上で、肉が選んだ方便、それでも自分の思いを優先させ、我に従えと生きている。

法律もそんな肉を唯一縛る方法。

本当の常識は、この学び、私は愛ですと言うこと、その常識が忘れ去られ、捨て去られたからこそ、偽者の常識が生まれた、そのように感じます。



本当は道徳も法律も必要ないんです。意識の世界にはそのようなものはありません。

肉が何のためにあるのか、自分は何者という基本を、真実を忘れた故に、そういうものを肉は必要とします。

いたずらに混乱を来さぬように、何かで縛り、枠を作ってその中にはめて行かねばどうなるか、

弱肉強食、そのままの世界が広がります。それを自分達は知っています、心の歴史として知っているのです。

だからこそ、肉で作った世界の秩序を守るため、肉でまた新たなものを作り出す。

しかし、心を見れば、そのようなもので縛ることができないエネルギーが渦巻いているのです。

そこを知って行かねばなりません。肉基準と言うことは、どこまでも肉基準。

自分が意識という目覚めがなければ、すべてが肉基準で進めて行きます。

それをできると錯覚します。しかし、心は隠せません、誤魔化せません。きっちりと返答をします。

あなた方は愛です、すべてが愛、愛のエネルギー、その真実は決して変わらない、だから真実なのです。

肉を纏うと言うことは、肉を自分と思う心から自分を解き放つためにいただいたもの、

本末転倒した心こそ見るべきものなのです。



いまだかつて誰も分からなかった真実の世界を、今、こうして肉持って学ばせていただく、このことを甘く甘く捉えてきた。

いくら修行して悟ったと思っていても、心を覗けば一目瞭然。頭を誇りに誇っても、中味は空っぽ。

金銀財宝を山と積んで、権力を欲しいままにしても、心の寂しさは消せなかった。それが私の肉の結果でした。

それを今、自分で感じ、自分で認め、自分で救うことができるチャンスをいただいている。

その自覚がどれほどあるのか、自分で精査する必要を感じます。いい加減でお茶を濁せば、結果は自分のもの。

誰もそれを肩代わりすることは出来ない。厳しくなんかない、本当はこれほど優しく有難いことはない。


田池留吉氏は今、私達と肉のお付き合いをしてくれている。基準は意識。

いかに肉の思いをぶつけようが、返してくれるのはすべて愛。

出した思いを忘れ、心を見ることを怠れば、田池留吉氏から返されるメッセージを読み誤ることになる。

その結果、憾み辛み、呪い怒りという他力の心で自滅していく結果を自らが導きかねない。

そんな危険性を今日の核のメッセージは伝えてくれていると思います。

肉で近いということは、ともすれば田池留吉に近いという、学びを正しく進めている、いいえ、学びの中心にいると言うような錯覚に陥る。

特に、学びの中で特別だと言うような思いを、知らず知らずのうちに広げる結果となることを、警告していると感じています。

そういうところをしっかりと見て行かねば、今世は失敗、失敗どころか二度と浮かび上がれない暗闇の底に堕ちて行くことになる。

そういうことを、人ごとではなく、自分のこれからを思う時、重々心して行かねばと感じます。



私は極めてはっきりとしています。厳しいです。もう肉でともにと言うことはありません。

進むか進まないか、それはあなた方自身が決めることです。来るものは拒まず、去るものは追わずと言いました。

来るなら意識の転回をしてください。

いくら肉でどうこう言われても、決して相容れない世界に住んでいると告げなければならないでしょう。

すべては愛の中の現象です。愛しかないと伝えています。

欲と私とは合いません。それがこれからははっきりと現象化します。

それが流れだからです。自己選択、自己責任。これしかないのです。

他力にどっぷりと染まった心は、あなた方に何を示してくるでしょうか。

本当に天変地異しかないのです、決して脅かしではありません。

肉を本物とする心で、私、田池留吉を見ていれば、何も分かりません、

分かるどころか、ますます自分を疑念疑惑の世界へと追いやるでしょう。

やがて、私は厳しく告げるでしょう、あなたは愛ですと、

それはどのような形で伝えられるか分かりませんが、私からの最大の愛ととっていただけるでしょうか。

私とともに進むと言うことは、とても厳しいことでしょう。

肉では到底受け入れられないことかもしれません。

しかし、私は決して曲げられない真実を伝えます、まっすぐに伝えます。

私からは愛しか流れません。あなたは愛です、これしかないのです。

自分に誠実に存在していますか、それを自分に問いかけてください。


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つづく(作成中) in the works

瞑想中に、ふと「神と自分」という文言が浮かび上がってきました。(2014年・平成26年 2月 12日

自分に問いかけました。今思った神に心を向けました。


「お前は離したつもりでも、そうはいかない、長い年月、過去から今この瞬間まで私はお前の心で生きている、

田池留吉に心を向けながら、抜け切れていない自分を感じているはずだ。

蓋をして自分はもう田池留吉一筋に進んでいくなどとは言わせない。

どれほど欲の思いで向かってきたか、散々利用して、今は都合が悪いから引っ込んでおれとは、何とも自分勝手な奴だ。

わし等は肉の向上、肉の幸せ、肉の優位、比較し満足を得るために、人間に力を貸してきた。

その力までも比較し、自分にとって何が一番有利か、さらに自分に肉の幸せを与えてくれるものは何かと、

値踏みをしながら、こちらの神、あちらの神と選択し、渡り歩いてきたではないか。

この学びに出会ったのも、その過程ではなかったのか。

自分の心をもう一度振り返ってみろ、もっともっと根こそぎ自分の中の神仏を見定めていけ。

待っているのだ、お前がわし等を本当に心に迎え入れ、温かな思いで、共に歩んでいこうと伝えてくれるのを。」



  長い間、神仏を求めてきた自分、自分の心は置き去りにし、神仏を悪として忌み嫌う思いを出してきた自分。

大きな間違いでした。

神仏は自分の心が作り出したもの、神仏が悪いのではなく、それを作り出した自分の心に問題があった、

そこに蓋をしたつもりはないけれど、結局何も見てはいなかった、蓋をしたのも同然でした。


  そして、今私の中から、神と名乗って注意を喚起してくれた意識は、私と共に愛に帰る意識でした。

放置してきた自分は愚かで冷たいです。

何一つ隠すことなく、忘れることなく、根こそぎ自分の心の深部まで見つめていく覚悟です。

 

宗教の世界はそうです。本当に無責任極まりないです(2013年・平成25年 12月 9日

しかし、そこには、大きな、大きな欲があるから、立派な言葉を発したり、

さもそこに何かがあるようなパフォーマンスを示したりしていけば、欲深い人達は群がってきます。

欲です。みんな欲です。欲というのは肉です。

肉の喜び、肉の幸せ、己、己の思いばかりを募らせて、そういうところに人は集まります。金も集まります。

それが宗教という世界です。無茶苦茶なことと思いがちですが、それは日常茶飯事のことなんです。


  欲、人間の欲というのは凄いんです。教祖に仕立てあげたのは欲です。

教祖さんだって、最初はもう少し、真摯な思いで何かを伝えようとしていたと思います。

しかし、そこには心を見ることを知らないから、どんどんどんどん、自分の過去世が前に出てきて、いつの間にか我は神なりという思いを広げていくんです。

そういうエネルギー、波動を流していくんです。そして、そこに集まる人達もまた同類項です。

欲と欲が繋がり合って、一つの大きな宗教団体が出来上がっていきます。


これを信じていけば、自分達は必ず幸せになる、パワーが与えられる、本当にそう信じ込ませていくのが、宗教の常套手段です。

組織化していけば、裾野はどんどん広がっていきます。

どうして、そういうことにも気付けずに、どんどん深みにはまり込んでいくのか、人間の欲の深さは、恐ろしいほどのものです。


波動、エネルギー、本当の世界から発する波動、エネルギーは、温もり、優しさ、喜び、広がりです。

これは、心を見て、自分の心の中にあった凄まじいエネルギーを心に感じていく。

そして、その感じていく過程で、温もりが響いてくる。そういうことを体験していくことがなければ、決して分かるはずはありません。


己が前に出て、欲、欲だけの醜い汚い凄まじいエネルギーで、また自らを落とし込めていきます。

そういうことをどれだけ繰り返しても、人間はなかなかそこから抜け出ることはできません。

  意識の転回。これは、本当に難しいことなんです。

ただただ心の中に湧き起こる喜びと温もり。それを信じて、信じて広げていく喜び。

この波動の世界の中に生きてきた自分であったと心で知っていく道は、本当に険しい厳しい道です。

しかし、これが唯一の道。

このことに出会わなければ、どんなに立派な言葉を連ねようとも、真実を解明することもできなければ、

幸せ、喜びの中にある自分であったということに、全く気付けないままです。

そこから自分を浮上させることはできません。

そのことをどなたも自分の心で知っていかなければならないでしょう。

 ■

 

自己流の学び方をしていないだろうか、自分に問いかけます。    (2013年・平成25年 11月 28日


  田池留吉を心から素直に呼べるかどうか、問いかけます。

  自己流と言える学び方を長い間してきました。素直に指針にはいと従えない自分がありました。

「でも、だって、そうはいっても」。肉に振り回され、肉の常識、規則を優先し、それで自分を縛ってきました。

思うように進んでいかない原因を自分の中に見るのではなく、責任転嫁してきました。


  自分に都合が悪い事には耳を塞ぎ、都合の良い捉え方をしてきました。

  反省、瞑想を進めていくうちに、自分の間違いに気づいてきました。

自己流の学びをして一番苦しいのは自分、自分を見捨てることを平気でしている自分、今世生まれてきた目的に背くことをしている自分。


  そうであってはならない、素直な心で指針にそって学ぶことこそ、私の宇宙すべてが待ち望んでいることだと感じています。


  指針にそって学んでいけば、必ず素直に心から田池留吉を心に呼べる。

  田池留吉に心の針を合わせて今世を全うする、死後もまた田池留吉を心に呼ぶ、

そのすべての基本が指針に沿って学ぶことから始まっていることに、やっと心で気づき納得しています。


  ありがとうございます。

 

愛を思い瞑想   (2013年・平成25年 11月 21日


死後の世界を思えることが喜びです。意識の世界が本当の世界、肉を纏えば自分が分からなくなってしまう。

自分の意識の実態が分からなくなってしまう。今、死後の世界を思えることがどれだけ幸せな事なのかを心に感じています。


お母さん、嬉しいです。ありがとうございます。

私は自分の死後の世界を心に感じるとき、絶対に曲げられない、絶対に誤魔化せない死後の世界であることを学びます。

肉もってどれほど満たされたとしても、死後の世界は2+3=5であることを伝えてくれます。

絶対に曲げられない、厳しい意識の世界を気付かせていただきます。

自分の死後の世界を心に感じてくれば、自分の生き方を変えていこうと心から思います。

これから、どのように生きていけばいいのか、どのように死んでいけばいいのかを自分に伝える事ができます。

凄い事です。生きていても死んでも同じだという事を心で学びます。凄いです。

肉もって自分の死後の世界を知る事ができる事がどれだけ私が望んできた事なのかを心は感じています。



本当に千歳一隅のチャンスであることを、私の死後の世界が教えてくれます。

亡くなった方の意識と会話をすることにより、肉を本物とする心は本当に哀れで愚かで空しい事を気付かせてくれます。

自分の死後の世界を知っていけば本当に今がどれだけ大切なときなのかが心に響き渡り、

これからどのように生きていけばいいのか、どのように死んでいけばいいのか、本当に真剣に自分の生き方を思えてくる。

自分のために生きたいと心から思えてくる。今が千歳一隅のチャンスです。今しかない。今しかない。

今を喜んで生きる。今あることを喜んで生きる。

自分の死に向かって喜びで歩いていく、自分の死を思い、自分の死後を思い、今を生きる。生かされている喜びが心に響きます。

自分に、ごめんなさい、ありがとうと伝えていける喜び、ともに帰ろうと心から伝えられる喜び、お母さん、ありがとうございます。

私は幸せです。自分で自分を救っていける今が本当に幸せです。

私は私の中の意識達とともに帰ります。

私は愛、あなたも愛、一つ。を自分の中に伝えて今を大切に一歩また一歩と歩いていきます。

中から伝わってくるメッセージです。

喜びで自分の死に向かって歩いていける喜び、

そして、死んだ人を喜びで思って歩いていける喜び、喜びで思えることが喜び、喜びで思うことが優しさです。

 

 

 

田池留吉に心の針をしっかりと合わせる、でもそれを妨げているエネルギーがしっかりとあるのを感じる。

そのエネルギーに心を向ける。(2013年・平成25年 11月 15日)

 



  「そうだ、お前と共にこの地球に転生してきた。宇宙時代、いやその前からいつもお前と共にあった。

宇宙の愛のエネルギーに反発して、いつも抵抗してきた。戦いのエネルギーを膨らませ、すべてを破壊、壊滅させてきた。

何が目的かって、決まっているだろう、絶対、愛に目覚めさせてはならない、我らの居場所がなくなる、愛はすべてに勝つ

何をほざくか、愛は闇のエネルギーには勝てない、今地球にいるすべての人間は我らの僕(しもべ)ではないか、

みな欲、欲で動いている、自分さえよければいいのだ、金、神、健康、いいではないか、生きていく上で一番大事なものではないか。

真実への目覚めなどさせてなるものか。

お前は金が必要ではないのか、健康が欲しくはないか、神に散々たよってきたではないか。

自分の行く先も自分で決めてこなかったではないか。

  私は宇宙を支配し、欲の心を膨らませた意識達を牛耳ってきた。囁き続けてきた。

もっと素晴らしいお前にしてやろう、さらに上を目指す道を切り開いてやろう。金と健康な体とそして啓示を与えてやろう。

  みな平伏した。愛に向かって歩もうとしても、私は邪魔してきた。不安と疑問の心を増大させる為に囁き続けてきた。

  学んで何の得がある、学んだからってどうなるものでもあるまい、目に見える実感できる幸せが本当の幸せだ、

目を閉じて感じる幸せ、喜び、それが何だ、結局消えてしまうではないか、心で感じるだと、何とでも言えるだろう、

でもお前は本当に感じているのか、疑いながら感じているつもりになっているだけだろう、

辞めてしまえ、すっぱりと辞めてしまえ、もっと実態のある幸せを与えてやろう。

  私に逆らうな、無駄だ、多くの時間を費やして何にも得るものはなかっただろう。

お前は本当に幸せか、惰性で学んでいるだけではないのか、30年近くも学んできて、使ってきた時間と金が惜しいのだろう。

何とかなるだろうと、ただぶら下がっているだけだろう。

  こんな私がお前をずっと支配してきた、それに目をつぶるわけにはいかないだろう、無視するわけにはいかないだろう。

過去からお前には龍神として力を与えてきた、指導してきた、不思議なことがたくさんあったはずだ、

龍神は天候も、田畑の実りも、支配してきた。人の心を見抜く力も与えてきた。

念力、パワー、密教の世界は私等の活躍の場、我らのパワーを存分に見せつけ、畏敬と恐怖の念を人々の心に植え付けてきた。

  今世もお前は龍神の力を利用してきたではないか、お前の心から(南無八大龍徳恩)を呼ぶ思いが届く度に小躍りした。

宇宙を司る神、龍徳恩という思いを感じる度に我らのパワーはみなぎってきた。

お前と我らは一心同体だ。南無大師遍照金剛の題目を聞く度に我らの力はみなぎった。

  今お前は、我らを嫌な存在だと思っただろう。   どこかへ消えて欲しいと思っただろう。

そんな思いを感じる度に、もっともっとお前を惑わしてやろう、ずっとつきまとい、愛への道を妨げてやろうと力が湧いてくる。

  我らと勝負するか、お前が勝つか、我らが勝つか。反転、そんなものわしらには通用せん。」

 


 
  私は過去世で密教を学んできました。時代を超えて密教を学んできました。

すべてを自分の思い通りにするために九字を切り、都合の悪いものは切り捨ててきました。

力こそすべてだと思ってきました。密教、念力パワーで政治も人々の心も自由自在にうごかせると信じてきたのです。

その力を得るために厳しい修行に耐えてきたのです。修行も競争でした。我一番の世界こそ、密教の神髄でした。

人を陥れる、危害を加えることもありました。岩に結びつけた綱に細工もしました。

自分より先に他の者が修行を進め、能力を高めることが許せませんでした。

書物を隠したことも捨ててやったこともありました。人間は本当に自分のことだけを考える生き物です。

密教は人を狂わせていきました。その中にあり、自分もまた狂っていきました。

  今世もまた龍神なるものに縁をいただき、自分の肉の幸せを求め続けてきました。

  私は神社仏閣を参っても、神、仏を尊崇する思いが湧きませんでした。

根拠なく、神仏を下に見て、馬鹿にし、我、今参上する、よく照覧あれ、そんな思いを出していたことを今も忘れられません。

  何故そんな思いを出していたのか、そこまで己偉い私であったのか。

私は何を感じ、何に操られていたのか、何か今、本当に真っ黒な闇に支配されていたことを感じています。

 


 
  はい、私は長い年月を経て、今日本に肉をもちました。待ち続けていました。

  田池留吉に真っ向から逆らうためです。真実への道、愛への道を妨げるためです。

私は闇の世界をこの地球に繰り広げ、宇宙時代の失敗を繰り返させようとしてきました。

  抵抗勢力、そのものだと言っていいでしょう。

  今まで耳にしてきた言葉が本当にそうだった、まさしくそうだったと納得できます。

渾身のエネルギーで立ち向かってきました。その一つの表れとして第一の危機がありました。

あって当然でした。そのエネルギーの根本がずっと過去にさかのぼり宇宙時代から培ってきたものだと言うことが感じられます。

  第一の危機で何があったのか、どう動いていったのか、そんなことはどうでもよかった、

根本のエネルギーの解明と自分との繋がりを感じ、逃げずにそのエネルギーを温かく包んでいくだけでした。

一生懸命、田池留吉に心を合わせることに努めるだけでした。

  第一の危機の反省も、表に現れる出来事に目をやり、その反省は一生懸命やったつもりでしたが、

根本のエネルギー、田池留吉に逆らい、愛に逆らいぶっ潰そうとする闇のエネルギーを反転するまでには至りませんでした。

  本当の反省は自己供養を遂行することでした。

田池留吉に心を合わせ反転、道は示されたのです。実践しないことは抵抗勢力にまた成り果てることでした。

  立ち塞がる闇は私自身、待ち続けている私自身です。

 

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学びの友の反省を読ませていただきました。私の心の中に思いを向けます。

かつて全く同じような思いをエネルギーとして流してきた私でした。

今、学びの友の反省を読ませていただき、そのような感想を持ちました。

そして、同時に私は違う自分も感じています。読んでも心が動じません。

確かにかつてはそうであった。そこから私は自分の中を感じ自分に聞きました。

私は田池留吉の世界を感じ、そこから発せられる喜びと温もりのエネルギーを、愛のエネルギーを心に感じています。

だから、私はもうそのかつての私と決別したことを確認できたかと自分自身に問いました。

今、そのほうに思いを向けてみます。



あまりにも大きくて、大きくて、広くて、広くて、温かくて、優しくて、

そんな田池留吉の波動、エネルギーの中で、私のかつて作り続けてきたエネルギーは、本当にちっぽけなものでした。

私は今世の肉を通して、その世界を感じました。

だから、私は、自分が作り続けてきた宇宙、その宇宙にただただ愛を流していく段階になっています。

今、喜び、温もりの中に私自身があったことを本当に心で感じられる。

田池留吉とともに次元移行を果たしていく仕事を、本当に私は喜びで、喜びでやっていける自分を感じています。

かつての私と決別というか、かつての私に愛を流せるような状態になったことを、私は、ただただ喜んでいくだけだと、今、心から伝わってきます。

ともに歩める、ともに仕事ができるという喜びと幸せ。

優等生の答えではなく、私は自分の心でそのように感じています。

愛に目覚めた意識。愛に目覚めていく意識。ともに、ともに歩んでいこう。

私は私の中のたくさんの私に、そのようにはっきりと伝えることができる。

田池留吉の世界は、私の中でより大きく、より深く、温かく広がっていくだろう。

温もりと喜びの中に私は私をいざない、そして、ともに、ともに帰る、

そんな喜びだけをしっかりと心に携えながら、これからの時間、私は存在していくことを私に伝えています。

これが喜びでなくて何なのだろうかと、私は私に返してきます。

ありがとうございます。淡々と語れる私の中。田池留吉に心を向けるだけ。

田池留吉、アルバートと私の心は、私の宇宙は一斉に呼んでいる。

呼んで心を向けて、ともに、ともに帰れる喜びだけを伝え合っていこう。

私は、今、ここにこうして肉を持ち存在している意味を知りました。

ありがとう。本当にありがとう。喜び、喜びで、一歩、一歩、着実に前に進んでいける、
そんな思いが伝わってきます。



私はそのように自分の中を語りました。田池留吉に心の針を向け、田池留吉からのメッセージを受けます。



私の中の田池留吉は答えてくれる。

そうです。あなたと私は一つ。一つの世界の中で、ともに仕事をしていける喜びと幸せを、私はあなたに伝えています。

どんなに、どんなに過去狂い続け、間違い続け、苦しみ喘ぎ、そんな中にあったあなたであっても、

あなたは今世のその肉を通して、私、田池留吉、アルバートの世界を心で知りました。

波動、エネルギーを心に感じたあなたは、ともに、ともに歩める意識であることに目覚めました。

愛に目覚めました。

愛を、さらに、さらに流していく存在である自分だと心にしっかりと感じ、

そして、私とともに、ともに次元を超えて、そして次元を超えたあとも、

ともに存在していく喜びだけをあなたの心に広げてください。

そんなあなたを、私は嬉しく、嬉しく、喜びでただただ喜びで感じています。

喜びでともに仕事をしてまいりましょう。宇宙に愛を流していける仕事です。

私達は、その仕事に向かって、一つになって歩んでいく、進んでいく、そんなメッセージをあなたに送ります。

 

毎日、毎日ホームページを読んでいますか。

パソコンを持っていない人には印刷をして渡してあげてください。

見難い人には読んで聞かせてあげてください。

老若男女を問わず、皆皆、
草書体の愛の文字に手を触れ、目を軽く閉じ、

お母さんありがとう、産んでくれてありがとう、肉体細胞ありがとうと声を出していってください。

そして、
瞑想三昧といきましょう。

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学びの友から

「お母さんありがとう、産んでくれてありがとう、肉体細胞ありがとう と声を出していってください。」


間違ってきました、間違ってきました。 お母さんのすべてを否定してきました。

温もりに帰りたかった、愛に帰りたかった。

私は正しい、私は間違っていない。その思いですべてお母さんを否定してきました。

もりに帰りたかった、愛に帰りたかった。 そんな自分を切り捨ててきた。

私は間違っていない、私は立派、私は正しい、の思いが苦しかった。

苦しくて、苦しくて、のた打ち回って、己、己、己、と叫びつづけてきた。私は自分を地獄に叩き付けただけだった。

あぁお母さんありがとう、ありがとうございます。ごめんなさい、間違っていました。

田池留吉の磁場、嬉しいです ありがとう。

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私は自分で自分の心を小さくしていました。

今、ゆったりとした中に自分を感じます。お母さんの温もりを感じます。柔らかな温かい思いです。

とてもとてもゆったりとしています。何もない何もいらない。幸せなときを感じています。

母への思いがどんどん変化していきます。

あれほど嫌っていた母への思いも温もりと共にありがとう、ありがとう。嬉しい、嬉しいに変わっていきます。

とても幸せです。本当に本当に幸せです。

私の心にも愛があります。私の心にも愛がありました。

お母さん、お母さん、ありがとう、ありがとう。

お母さん、お母さん、ありがとう。

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愛に触れながらお母さんありがとう、産んでくれてありがとう、肉体細胞ありがとうと声に出して言ってみます。

自分の中から異語が溢れてきます。中から突き上げてくる思いと共に、異語で語ります。嬉しいです。

自分の心が愛に触れて愛を思えば思うほど、心の底からただただ間違ってきた、何もかも間違ってきた。

温もりの中でそう叫んでいる私がいます。喜びの思いと共に、ただただ間違ってきた自分が愛に触れていく思いを感じます。

愛に触れるから、間違ってきた思いが湧き上がってくるのだと感じました。

本当に愛を感じているから、自分が浮き彫りになってくる。

それがただただ苦しかったけれど、とても不思議に感じるほど喜びの中でその思いが溢れてきます。

間違ってきた、何もかも間違ってきたんだ。愛を思うことが嬉しい、愛に触れられることが嬉しい。何とも言えない瞑想です。

ただただ心で感じる瞑想です。心に響き、心で感じているだけです。肉の私は驚いています。

自分の心が感じているから、肉の私がどうとか関係なく心が感じている感覚です。

肉はその思いを妨げないように、ゼロ歳の自分を信じていくだけです。心で感じる瞑想に変わってきているように感じます。

本当の温もり、愛に触れていくから、その中で感じる自分の思いは前とは違っています。

許されている、愛されている、包まれている、受け入れてもらっている、認めてもらっている、そんな感覚の中です。

愛の中で自分の間違いに気付くことができる、こんなに嬉しいことはありません。本当に喜びだけです。

ただ間違い続けてきた自分の思いが本当の自分の思いに触れることができるように、私の肉は思いを愛に向けていくだけです。

肉で妨げてきたことを感じます。愛はすごいです。愛があるから、田池留吉の磁場を思うことがもっと嬉しくなってきます。

ゼロ歳の自分を思うことが嬉しくなってきます。信じられてきます。

この思いに出会えていることが喜びです。心で感じられることが本当に嬉しいです。肉の私は少し驚いています。

思いが溢れて、愚かな自分が嬉しくて、こんなに愛の中にあるんだって信じられてきます。

実践、実験、心で体験していけること、肉を持ってできることです。

自分に与えてもらったことを喜んでいける人生が、本当の喜びの人生だと感じます。

嬉しいです、ありがとうございます。

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「私は素晴らしい、私は駄目だ」。そのどちらも偽物、肉の私であったことに気づきます。

本当の私、自分自身には素晴らしいも駄目もありません。本当の私は喜びと温もり、愛であったことに気づきます。

本当の自分に気づき、そしてとことん信じていく道を歩むことが喜び、幸せでした。他力の道は自分を信じていくことを阻止します。

自分を小さく小さく固めてしまいます。真っ暗な世界へ埋没し、本当の自分を見失わせていたことに気づきます。

「何もかも間違っていた」、そこから出発し

田池留吉の磁場に心の針をぴったりと合わせる訓練をしながら

自分の中のエネルギーをマイナスからプラスへ反転していく、それがどんなに素晴らしい画期的な喜びであるのか、

素直な心で学び続けていく限り、自分の心で感じていける、その確信を持ちました。

磁場を思う、愛を思う、思うことがどんなに喜びであるか、ひしひしと伝わってきます。

こんな幸せが自分の中にあったのだ、心の中にある喜び、温もりをさらに私の宇宙に、そして彷徨っている縁ある意識達に伝えていきます。

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田池留吉の磁場へ思いを向ける。穏やかな温もりの中でエネルギーに包まれる感覚です。

そして肉を掴んでいる自分の心を感じます。夫の肉を掴んでいる、それが感じられます。

肉を掴むその思いを解き放していこう。その手を緩めていこう。穏やかな温もりの中でそう感じました。私の課題です。



母に思いを向ければ、ありがとう、ごめんなさい、ありがとうが込み上げます。温かいです。母も自分も家族も、すべて肉として捉えてきました。

それが大きな間違いでした。それが怒りの原因でした。苦しみの原因でした。みんなみんな、共に次元移行を果たしていく仲間でした。



田池留吉の磁場、愛を思います。
 
「真実は、あなたの心の中にあります。愛は永遠に存在しています。愛と共に生きてください。

田池留吉の磁場に心を合わせるということはそういうことです。

愛と共に、自分を厳しく見る目を養ってください。常に自分の心に問いかけてください。

喜びで、自分の心に思いを向けてください。私は田池留吉、あなたの中にいつもいつも存在しています。」

  私が、今ここに存在していることが愛でした。私は愛です。ありがとうございます。



宇宙を思えば嬉しくなります。田池留吉の磁場を思えば、又嬉しさが込み上げます。

宇宙、磁場、愛……心が感じている……嬉しいです。

穏やかな中で、自分の心が感じている……心が応えてくれている……ありがとう。嬉しいです。

これから私がなしていくこと。肉を握っているその手を緩めていくこと、どんどん緩めていくこと、それしかありません。

それが喜び、幸せへの道なんです。心が伝えてくれます。 宇宙を思えることが喜びでした。幸せでした。心に伝わってきます。

私の中の冷たい宇宙と共に、心を見つめてまいります。磁場・反転……温もりが湧いてきます。幸せです。ありがとうございます。



草書体の愛に手を置いて瞑想。お母さん、ありがとうが溢れます。私は愛と思えば、喜びが湧いてきます。

これから、肉を掴んできた思いを緩めていくだけです。淡々と進めていくだけです。ありがとうございました。

心に詰まったエネルギーを感じます。磁場・反転。



(異語)苦しい苦しい人生でした。我先に我先に、己の利益のみを願った人生でした。

私はこの私、つまりこの形ある自分が本当の自分と思い生きてきました。だから闘いました。争いました。

自分を生かすためには、何にでも手を染めてきました。苦しい苦しいちっぽけなちっぽけな生き方をしてきました。

共に共に、磁場・反転



あー私は死んだはずでした。でも今こうして私は生きています。思いを語っています。語れることが嬉しいです。

あー私は何を信じてきたのでしょうか。私はこうして生きている。私はあの肉ではなかったのですね。

私はずっとずっと生き続けるエネルギーなんですね。はい、そうでした。

あー私が苦しんできたこと、すべてすべてどうでもいいことばかりでした。そんな気がします。

私は自由です。あんな小さな重い肉に縛られていた私は愚かだったと感じます。心が少し楽になりました。

心を見ていくのですね。もっともっと深く心を見ていくのですね。はい、心をしっかりと見ていきます。


今年、 25年の第一四半期、1月、2月、3月の間にしっかり反転力をつけましょう。

3月には、「磁場と反転」出版記念セミナーがあります。それまでに必ず反転力をと思っています。

そのためには、
草書体の愛の文字を使って瞑想を、

マイナスの思いが出てきたら直ちに反転という思いを発するようにしていきましょう。

同時に、愛の文字か出てくるエネルギー・パワーの素晴らしさを確認していきましょう。

そのためには、沢山、沢山実験を、体験を重ねていくように努めましょう。




もう一つの
反転力のつけかたは次のようにしてみてはどうでしょうか。、

家庭のこと、仕事のこと、病気のことで悩み苦しんでいる人があなたの周りにいたら、

まず、学びの話をする、興味を持ってきたら磁場と反転の本を貸して上げるか

1冊差し上げる、出来れば、磁場と反転の実践を一緒にする。

そういった友達を沢山作っていく。    如何がでしょうか。

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学びの友の反省


苦しい!!苦しい!!苦しかったあー!!、、、とめどもなく迸(ほとばし)り出てくる闇、真っ黒な凄まじいエネルギーが

田池留吉の磁場、反転により温もりに帰っていく様を心で感じられる今、本当に奇跡です。

長きに亘り、間違えに間違ってきた自分、この自分に本当に申し訳なく、申し訳ない 思い一杯です。

自分の心を見てきませんでした。

外ばかりを見て心を右往左往し、びくびく怯え、誤魔化して、誤魔化してきたのが実状です。

これが間違い、間違いにも気付くことなく今に至ったのでした。

この学びの最後になって、草書体の愛、この愛により自分の心を見る機会を得まし た。

こんな嬉しいこと、他に在りません。本当に有難うございます。

肉の田池先生にお出会いできたこと、本当に感謝と有難うだけです。

まさに千載一遇、奇跡でした。本当に有難うございます。

ただただ、この道一筋に歩いてまいります。ああ、嬉しいです。

あなたは愛です。愛のパワーは素晴らしいです。

草書体の愛の文字を活用しながら愛のエネルギーの凄さ、

仕事の素晴らしさを確認していってください。

あなた自身がパワーですよ。

凄くて素晴らしいパワーです。

地球人類は、肉を本物とする思いを強く大きくしてきて、

自分が意識、愛だということが分からなくなり、

外に、宇宙と思っているものに向かってパワーを求め始めたのです。

この事実は自己矛盾、自己破壊、恐ろしい結果を齎(もたら)すことになると思っています。

宇宙のパワーだと思って求めてきた人は、

早急に、愛のエネルギー、磁場と反転のエネルギーを活用して

自分が作ってきたパワーの闇、闇の厚い壁から自分を救い出すように心掛けてください。

当面の大仕事です。必ずやり遂げてください。

素直に聞き入れてください。ハイと言って実行してください。

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学びの友の反省
 
  「ハイ」と素直に応える、それができていませんでした。

肉ですら「ハイ」と言えなかった自分はいったい何だったのだろう、何を思って学んでいたのだろうと振り返っています。

恐ろしいくらい己が偉く聳え立っている自分に目をつぶり、得手勝手な学び方をしてきたのです。

「前者の轍を踏まないでください」というメッセージは本当に自分の間違いを明らかにしてくれます。

肉を基盤に学びを進め、そして他力のエネルギーの中に埋もれたままで、

心の向け先がまったく見当違いのまま、それでよしと年月だけを重ねてきた自分を思います。

だからこそ、今与えられている草書体の愛、そして田池留吉の磁場を思い、反転を重ねていく学びは、

これを実践しないで学びの輪の中に入っているとは絶対言えない、

何をさておいても一番に実践していく、そしてそれが喜びなんだと伝わってきます。

自分を振り返り、何を間違えたのか、すべてが間違いでしたと今はっきりと自分に伝えることができると感じています。

今までの自分はすべて崩してあらたな自分に生まれ変わる、そんな2013年にしたいと思っています。



2013年を迎えるに当たって、

この学びに入ってきた動機を、もう一度しっかりと検証してください。

あなたは間違っていませんか。

その後、いや、初めからぶれていませんか。

心の向け先が間違ってきませんでしたか。

案外このような学び方をしている人が多いですよ。


いくら、いろいろ都合をつけてセミナーに参加してこられても、

五訓にあるように、何を間違えたのか、なぜ間違ったのか、分からなければ一歩も前へ進めません。

文字通り、悔い改めて学び直していきましょう。

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学びの友の反省 

今までの学びの過程の中で、何度も何度もこの学びの動機を検証することを促されてきました。

私も霊道がほしい、チャネラーになりたいという思いから学び始めました。

そしてそこには競争、醜い争い、我こそは一番というエネルギーが渦巻き、かつての巫女たちの争いが具現化したかのような様相がありました。

自分の使ってきた心、だしてきたエネルギーを見つめ、認め、それを回収するという学びを進めてきたつもりでした。

でも今もう一度見直してみると、本当に回収できたのだろうか、

学びが進化した今ならさらに本当の自己供養ができるという思いが湧いてきます。

意識の世界すらも肉を基盤に学びを進めてきた、そしてその結果は明らかでした。

学びの動機を振り返り、自分の間違いをしっかりと認識していけば、自分のこれからの学び、

どのように学びを進めていけばいいのか、おのずとはっきりと自分に伝わってくるでしょう。

それを信じて自分と自分の学びを進めていきたいと思っています。

すべてにおいてこれでよしという点はありません、いつも原点に立ち戻って、さらなる検証の大切さを感じてます。

 

◆ 

この学びの肉的な動機は、チャネラーになりたいということでした。

しかしその奥に、打倒 田池、「田池留吉の宇宙」に挑む暗黒の宇宙が存在していました。

凄まじいエネルギーで宇宙を真っ黒に塗りつぶし、すべてを支配し、破壊し、抹殺する宇宙です。

己一番、他は認めず。氷のように凍てついた孤独な世界。私は自分の中のアマテラスを感じています。

今世、この日本に、この地に生かされる目的、そこには肉では分からない本当の自分の思いがある。

すべてが許される中で、どんなに狂いに狂った宇宙でも、すべてが真実に目覚めるように計らわれ、

馬鹿な肉にも分かるように現象化される、これほどの愛があるでしょうか。

真摯に、素直に、草書体の愛を思えば、私はなんという世界に今生きているのかと絶句です。

「田池殺してやる」の思いはまた、「田池留吉を信じ、愛を信じ、喜びでゆべてを委ねます」ということでした。



草書体の愛は、瞑想状態になかなか入っていけない方達には、願っても無いものだと思います。

自分の人生、これまでの自分、これまでの生き方が、ほんの一ミリでも何か間違ってきたのではないか、

そんな風に思って、この学びで伝えられていることに素直に耳を傾け、心を傾けていく方であるならば、

本も飛ばし読みではなくて、真面目に繰り返し読んでおられるだろうし、

ホームページは欠かさずに開くということが日課になり、楽しみになっておられるだろうと思います。


そのような方であれば、ある時何気なく草書体の愛を見た瞬間、あるいは、ふっとその文字を思い浮かべた時、

今までとは何か違うものを感じる、心に伝わる、響く、そういう体験をきっとされるでしょう。

それは何時なのかは分かりません。ただそうだろうということは私には感じられます。意識の世界ってそういうものだと思います。

何かを期待してとか、頑張って、気張って分かるものでもないし、そういうものはみんな欲。肉です。

ところで、ラミネートした草書体の愛の活用方法は色々とあるようですが、正直申しまして、私はそれにはあまり関心がありません。

私の活用方法は、やはり瞑想一本です。それは、私自身の瞑想に大いに効果を上げていると思います。

思うこと、思えること、ただそれが喜びなんです。

磁場、反転、エネルギー、パワー、愛、喜び、温もり、宇宙、お母さん、アルバート、そして次元移行、

それらが一直線上に並んでいるというか、そして、一丸となって心に迫ってくるというか、そういうことを感じる瞑想は喜びだけです。

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学びの友から


死後の世界に思いを向ける。苦しい世界が展開する。

ふと草書体の愛を思う、一生懸命思う。死後の世界に大きな変化を感じる。

過去、現在、未来、意識の世界は現在のみ、現在を生きることの意味を感じる。

草書体の愛をいただいた今、その波動に包まれて、私のすべてを包み込む存在を私自身の中に感じる。

もう外に何も求めなくても、すべてが自分の中にある、外に求めれば求めるほどそれは遠くに行ってしまう、自分自身を破滅に追いやることを知る。

草書体の「愛」。それはお札やお守りのたぐいでは断じてない、「愛」は私自身であり、そしてすべての源である。

愛に帰ろうという言葉が私の中で大きくこだまする。嬉しくて幸せな時間を過ごす。

ありがとう、お母さん、すべてにありがとう、その思いが大きく膨らむ。

 

  未だに、間違っていました、間違ってきましたと気付けない方、気付こうとしない方がまだまだ沢山います。

「あなた間違っていますよ。」と伝えた途端、心を閉ざし、

どこが間違っているのよと反発し、落ち込んでいく方がまだまだ沢山います。

いつになったら分かってくれるのでしょうか。

この学びに抵抗し、自分が崩れるのを恐れている方が多いのを残念に思っています。

「自分は愛です。」この真実を信じていこうとして日々生きていればよいだけです。

自分に素直に、自分に誠実に生きておればよいだけなのに、

本当に己が偉いとしか思われない人がまだまだおられます。

お母さんの温もりを感じながら一歩前へ進むように心掛けてください。

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学びの友の反省


  どこまでも自分が正しい、間違っていない、そう突っぱねて生きてきたことを、ようやく頷(うなず)けるようになりました。

田池留吉から直接に、もしくは誰かを通して間違いを指摘されたなら、

とたんにむくむくと頭を持ち上げる偉い自分が、たくさんたくさんのさばっています。

どこが間違いよ、あんたがおかしいのでしょう、私は何も間違っていない、これが正義だ、そう言い張ってがんとして引きませんでした。

その苦しさをひたすら押し隠して、何くそとやっていたのですから、滑稽(こっけい)極まりありません。

肉は間違った自分の思い、流したエネルギーに気付く器、苦しくなったら間違っている証拠、これほどはっきりとしたことはありませんでした。

自分で間違っているとうすうす気づいても決して認めず、

それでいて心は疾(やま)しい思いに苛(さいな)まれ、自分が己偉いことも分からずに落ち込んでいた。

それが私の肉の生き方でした。今思えば、落ち込むこと自体己偉いんだということすら分かっていませんでした。

敵を周りにたくさん作って、勝手に闘ってきた。だから休まる時がありませんでした。

それもこれも、すべてが愛の中のできごと。帰ってくるのは温もりだけ。温もりと受け取れない自分を見れば良いだけでした。

がんじがらめにした手をゆるめ、素直にお母さんを思えば、始めからこんなにゆったりとした中にあったのだなあと、馬鹿だなあと、何だか嬉しいです。

どれほど間違ってきたか、そんなことすべてが間違いだった、そうつくづく感じます。だから今が余計に嬉しいです。

あなたは次の存在を信じていますか。今、どのように拘(こだ)わっていますか。

憑依霊、守護霊、悪霊等々。

意識を聞いてみては如何がですか。この際、はっきりしておいてはと思っています。

 

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■ 憑依霊、守護霊、悪霊、私はそれらに心を向けて語ります。(塩川香世)



悪霊が憑いた、憑依した、守護霊に私達は守られている。間違った思いを広げてまいりました。

そうです、すべてはブラックです。

今、私の中に伝わってくる思いは、悪霊などいない。憑依霊などあり得ない。守護霊などどこにも存在しない。

明確に答えが返ってきます。


  私達は愛なんです。愛とは私達です。私達は一つ。

愛の中にあった私達の本質を、今、心で感じられる時がやってまいりました。

それがこの学びなんです。

この学びをしっかりと心に広げていったならば、

私達は愛、私は愛、みんな一つ、私達は一つの中にあった、喜びと温もりの中にあった、

そんなことは手に取るように分かってきます。



今ここで、悪霊とか憑依霊とか守護霊とかを出しました。

とても、とても愚かな私達を心で感じてほしかったからです。そんな中に私達はいたのではありません。

私達はそんなものに振り回され、惑(まど)わされてはならないんです。

そうです、私達は本当の愛なんです。本当の愛の中にあった私達を蘇らせることです。

この学びに出会った意識達よ、本当の自分の姿に目覚めてください。私は今そのようにお伝えします。



  「はい、とてもとても大切なことです。

本当の自分に目覚める、このことを、人類は、長い間、長い間、どうしても、どうしてもクリアできませんでした。

すべては自分を見失ってきたからです。自分の本当の姿を知らなかったからです。

無知だったからです。愚かだったからです。

だから、憑依霊、悪霊の存在を信じ、守護霊に守られているなどと大真面目に伝えてきました。

本当に愚かなことを繰り返してきたことを、ご自分の心で感じてください。

そして、もう一言付け加えるならば、悪霊、憑依霊、守護霊、それらはあなた方が間違ってつけてきたあなた方のブラックです。

そのあなた自身をしっかりと愛の方向に向けていくのが、今のあなたの役目です。

あなた方は真実をまだまだ知りません。そして、その中に埋没しているのが、この地球上の人類すべてです。」


私は今、宇宙へ思いを向けるとき、宇宙からのメッセージとして、このように、受けさせていただいています。

宇宙からのメッセージを私は今、流しています。

「悪霊、憑依霊、守護霊などで心を振り回される、心を惑わされる、そのような愚かなことは本当に一日も早くお止めください。

そして、あなたの心の中をしっかりと愛の方向に向けていくことです。そのことを私達はお伝えします。」

 

シャーマン(巫女)達よ、己の間違いに一刻も早く気付いてください。

  あなた方がしてきた予言とか託宣とかいったものがどのようなものであったか、一刻も早く分かって欲しいと思います。

  あなた方が信じてきたもののエネルギーは決して大きいものではなかったと気付いて欲しいと思います。

  直ちに、意識の転回、磁場と反転、愛に帰る道を真っ直ぐに進んでいってください。

  結果、現象はあなた達が間違った、間違てきた証です。

  時間はありません。早速、真剣に取り組んでください。忠告しておきます。

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学びの友の反省

シャーマン(巫女)、予言者。

そこに流れるエネルギーは真っ黒でした。

己一番の世界を繰り広げ、小さな自分をいかに大きく見せ、人々に誇示していくか、

政治の世界に入り込み、時の権力者を動かし、自分の思い通りの欲望を満たせる社会をつくりあげようとしてきた意識。

人々を恐怖に陥れ、支配し抑圧する。

一族の為に、泣く泣く巫女になった意識でも、時の権力に迎合し、自分の肉を生かそうとしたことには変わりありません。

自分の外に神を求め、その神の力を最大限に利用し、自分が神の代理だと豪語するようになった意識、

人々に他力の思いを植え付け、他力のエネルギーを増大させていった意識。

人に上下、差別の思いを根づかせ、一方では人々を堕落させ、自らも地獄の底に沈んでいった意識。

今、自分の中のそんな意識達に思いを向け、間違いに気づき、共に正していこうと学んでいます。

重苦しく沈んでいる意識達に、磁場を思い、反転と働きかけています。

草書体の愛は思えば思うほど、私の中の宇宙に働きかけ、苦しい意識達を明るい世界へ誘ってくれます。

そして自然に愛は自分の中に存在する、
草書体の愛は自分自身なんだという思いが強くなっていきます。


 
私も、シャーマン(巫女)、そちらのほうに意識を向けてみます。 (
塩川香世)

私の心の中にも巫女の意識、その過去世がたくさん、たくさんありました。そして私は、その意識達に心を向けてきました。

心の中に喜びと温もりを伝えてきました。

私がシャーマンと巫女と思いを向けたとき、私の中に伝わってくる思いは、

間違ってきました、はいこの喜びと温もりを信じていきます、という思いです。

しっかりと愛を実践してきた私です。私は愛、私は温もり、そのように私は心に伝えてきました。

今、私はその結果を心に返しています。

私の中で巫女は喜びの存在です。もう苦しみではありません。

私の中で、シャーマン(巫女)は私とともに喜びへ帰る道、愛へ帰る道を淡々と歩いていっている意識、私はそのように感じています。

私の中で巫女と思ったとき、荒れ狂う思いはありません。恐怖もありません。不安もありません。

人々を支配してきた思い、人々を恐怖の底に陥れてきた思い、己の欲望のために、

ただただそのためだけに真実を曲げて伝えた苦しみの底に沈んできた私自身をしっかりと見つめてきました。

私は、今そのように自分を感じています。私の中には、喜びへ帰る道しかありません。すべては喜び、温もりへ帰る道。

心の中へ今、私はそのことを今一度、伝えています。

 

 

   

 

このの文字の草書は、田池留吉氏による書です。

この文字から流れてくる波動を感じて下さい。

この世の森羅万象・全てのものは、波動なんです。

 

意識の世界を信じ切った、意識の世界からの言動からは、

あったかい、温もりのの波動が、常に流れています。

このことこそ、「真実」なのです。

このHPでは、この「真実」について、詳しく お伝えしています。

 

草書体で書かれた「愛」は、

あなたの外にあるのではありません。

そこから流れる波動、エネルギーは、あなたの外からくるのではなく、

あなたの中にすでにあるんです。

あなた自身がそうなんです。

草書体の「愛」の活用法・そして実験と実践  ←クリック


草書体の愛を通して流れてくる波動、エネルギー、パワーの世界こそ真実の世界です。

そしてそれが私達の本当の世界です。草書体の愛は私達自身なんです。

私達の心の中から伝えてくれている本当の自分です。

 

 「草書体の愛」を、まず目でしっかり見てから瞑想をしてみましょう。

の文字は波動、エネルギーです。

愛の文字はあなたの心の中にあります。

愛の文字は喜び、温もりです。

信じていきましょう。

ストラップの愛、ラミネータの愛とともに 毎日を過ごすように心掛けていきましょう。

 

 

学びの友から 

「田池留吉の磁場を思う」

 

・田池留吉の磁場を思う瞑想 心の奥の方から温かいエネルギーが湧き上がってくるようなそんな感覚になりました。

肉体も内側から温かくなるのを感じました。心がすごく軽くふわっふわっと漂うようなそんな感覚を少し感じました。

その後、肉のことが頭によぎり、肉のことに気がいくと、

とたんに不安定な、うまく言葉では言えませんが、肉のことに向いてるエネルギーは重いと感じました。

そしてまた、田池留吉の磁場に思いを向け直し、ずっと思いを向けていると、

不安定な思いがスーッと吸収されるようにひいて、ただ温かく循環してるようなエネルギーを感じました。 

もっと素直に心を向けてください、という思いを、ふと自分の中から感じました。

それから、ただただ田池留吉の磁場を思っていました。


 田池留吉の磁場の中では、ただ嬉しくて、楽しくて、ありがとう、そんな自分に変わっていく。

磁場ってなんなんだろう、すごいなあと思いながら本当にいつの間にか嬉しい自分になっている。

凄まじい思い、自分に逆らう者は皆殺しにしてやる、我に背くものは抹殺してやる、本当に殺しまくってきた自分が出てくる。

でも田池留吉の磁場を思う自分の中では、その自分が癒されていく、あたたかさにただ受け入れられている。

こんなに戦って、こんなに許せなくて、すべてを破壊してきた自分なのに、嬉しくなっていく。ありがとう、そんな思いが出てくる。

ゼロ歳の自分、本来のエネルギーを全身で感じていた自分、その自分を思うことが本当の自分を取り戻していくんだって感じる。

 ゼロ歳の自分はその思いで満ち満ちていた。だからゼロ歳の自分を思うんだ。

喜びだけを流していた。喜びだけを感じていた。そんな自分があったんだ。

感じているのはほんの少しかもしれないけれど、田池留吉の磁場の中に肉であることを思った時、

何とも言えない嬉しい思いが、あったかい思いが出てくる。こんなにやさしい中にある自分にありがとう。

何があるから、自分が特別な存在だから、そんなんじゃなくて、ただありがとう、嬉しい。

そんな世界が本当にあった、そのことを自分が自分に伝えたい、だから今がある。今が嬉しい、今にありがとう。

その今を忘れてしまったから、私の心はいっぺんに変わっていった。黒に塗り替えていったのは私だったんだ。

水を思う事、ゼロ歳の自分を思う事、田池留吉の磁場を思う事、自分を感じること。

磁場の中にあることを感じていくこと、信じていくことってすごいことなんだなって感じます。

その思いが自分を変えていく、自分で自分を変えよう、素晴らしい自分になろう、そんなことできるはずがなかった。

殺戮の自分が、田池留吉の磁場の中でありがとう、嬉しいに変わっていく。

今まではとても信じられなかったけれど、今嬉しい、とても不思議です。

肉を通して、瞑想を通してそういう体験をすることができる、それがとても嬉しいです。

 

 

 

学びの友からのメール

 

■ 01

 田池留吉の磁場、そして反転を信じていくことは輪になっていくこと、一つに向かって流れていくことなのだなと感じます。

反転を実践していくこと、田池留吉の磁場を信じていくこと。

このことはいろいろなことが見えてくる、分かってくる、信じられてくる。

でもそれは肉の自分を握っていては本当に見過ごしてしまう、通り過ぎてしまうことも感じます。


私が握っているのは肉の自分、己という思い。

過去何度も何度も間違いを繰り返し、地獄の奥底に落ちていったたくさんの私がいます。

その自分に真実を伝えてくれているのが田池先生、田池留吉の磁場です。

本当のことを忘れてしまった私が選んできたとは、すべてが間違いだった。

真実から遠く離れた、肉を信じてきた世界のことでした。

肉でも本当のことがわからないから、最後に頼るのは肉の自分だけでした。

そしてまた心が叫び、くそったれの中で狂っていきました。


真実の波動に出会えていることが、真実を伝えていただいていることが、

心の転回に向けてこうしていくのですよと伝えていただいていることが、どれだけどれだけすごいことなのか。

反転を通して、自分の真っ黒を通して、その思いが変わっていくことを体験する中で、

どれだけ小さな己という世界の中でしか生きてこなかったのかということが響いてきます。

反転は本来の自分に戻していく、みんな輪になって共に進んでいく方向に流れています。

それがどんなにやさしい思いなのか、田池留吉の磁場はその方向を指し示しています。

肉を信じていくのか、田池留吉の磁場を信じて、反転をしていくのかいかないのか、本当にそれはまるで違う世界です。

今まで自分が普通だと思ってきたことが、常識だと思ってきたことが狂っていることを伝えてくれます。

それさえもわからなくなってしまった自分に、本当のことを伝えられるのはこの道しかありません。

田池留吉の磁場、反転しかありません。


その今がある喜び、これからがある喜び、掴んでいるものを離していくことが

自分を大切にしていくこと、本当の自分が流れていくこと。そう感じます。

みんなありがとう、自分の掴んでいるものを伝えてくれます。

私はそんな幸せな環境にあります。嬉しいです、ありがとうございます。

 

■02 

田池留吉の磁場に心の針を合わせる、それがどんなに幸せなことなのか。

みなそれぞれ自分の課題に取り組みながら、辿る道は違っても、到達点は同じ、そう信じています。

みなひとつ、それは肉が基盤ではわかりません。

肉の世界は差別、区別の世界、競争の世界、そしてその中にどっぷりと浸かってきました。

だから学びの過程でその肉の世界を繰り広げたこともありました。


でも今は違います。

田池留吉の磁場は今までの世界がいかにちっぽけで取るに足らないものだったかを知らせてくれます。

自分の本質がそんなに小さくて自分を縛るものではないことを知らせてくれます。

どんな汚点も闇のエネルギーもブラックのパワーも母親の温もりに包まれて優しい温もりに帰っていく学びをしています。

ふと目を閉じると、心の中から「お母さん、ありがとう」の思いが広がってきます。

心の中のすべての意識から伝わってくる「ありがとう」の思いがさらなる反転への原動力です。


■03 

磁場反転、そこに響く温もりは更なる闇を気付かせる。

温もりのエネルギーが仕事をする。

そこにはただ闇との出会いを喜び感謝する思いが生まれる。

この肉はただその道具、大事な道具。こんな人生を知りそして送れる、これほど嬉しいことはありません。

■04 

私の心の中で、あぁそうか、そういうことだったのかストンと紐の結び目がほどけていくような感覚があります。

瞑想の中で、自分の学んできた道を振り返っています。

こんなことも、あんなことも、そしてその時出したエネルギー、思いを拾っています。

頑固、剛情で素直さのない私は多くのことでつまずき、ひっくり返りを繰り返してきました。

メッセージにあったように、曲解、誤解、そしてズレを生じる、まさしくその通りでした。

でもそれにも気付かず、私は学んでいると、真剣に自分に向き合うことを避けていました。恐かったのだと思います。


でも今は自分に心の針を向けて、どんな闇も凄まじいエネルギーも、出会っていけることに喜びを感じています。

自分の中に存在する意識達に思いを向けて、

ただ田池留吉の磁場に心の針を合わせていこうと思うだけで、

喜びが噴出してきます。温もりが溢れてきます。

田池留吉の磁場へ心を合わせ、反転、それはそれは素晴らしい、すごいというのが実感です。

■ 05

 田池留吉の磁場、反転は過去から培ってきた闇、

瞬時に出すエネルギーを母親の温もりで包み、田池留吉の磁場に返していきます。


以前、死後の自分を供養する課題がありました。

今、同時にそのことを実践しているのだと死後の私から伝わってくるものがあります。

コチコチに固まって息もつけない苦しみの中に埋没していた意識達が、

田池留吉の磁場に、今この肉持つ私が心の針を合わせることでどれほど喜びの中に誘われているか、端的に語ってくれます。


死後の自分を供養するという思いの中に、己がという思いがありました。

なかなか思うようには進みませんでした。

でも田池留吉の磁場に心の針を合わせ、反転する時には己という思いも気負いもありません。

そこには何とも言えない喜び、安らぎがあります。そして心の底からわーっと湧き起こってくるような温もりを感じます。


嬉しいな、幸せだな、その思いがふつふつと湧いてきます。

今の私は意識の通過点です。過去から未来へこの意識を繋いでいく為に、この肉を使っていきます。

ありがとうございます。この素晴らしい道を伝えてくださった田池留吉に心から感謝です。

 

■06 

瞑想の中で、自分の学んできた道を振り返っています。

こんなことも、あんなことも、そしてその時出したエネルギー、思いを拾っています。

頑固、剛情で素直さのない私は多くのことでつまずき、ひっくり返りを繰り返してきました。

メッセージにあったように、曲解、誤解、そしてズレを生じる、まさしくその通りでした。

でもそれにも気付かず、私は学んでいると、真剣に自分に向き合うことを避けていました。恐かったのだと思います。

でも今は自分に心の針を向けて、どんな闇も凄まじいエネルギーも、出会っていけることに喜びを感じています。

自分の中に存在する意識達に思いを向けて、

ただ田池留吉の磁場に心の針を合わせていこうと思うだけで、

喜びが噴出してきます。温もりが溢れてきます。

田池留吉の磁場へ心を合わせ、反転、それはそれは素晴らしい、すごいというのが実感です。

 

■07

 田池留吉の磁場は、本当のことはこうですよと伝え続けてくれています。

バラバラだった思いが次元移行に向けて一つになって流れていく、その流れを伝え続けてくれています。

お母さんの温もりみたい、何の縛りもなくただただ本当のこと思いを伝えてくれています。

そうしていくと自分の狭さも感じられてきます。肉に凝り固まった偏った思いも見えてきます。

広がっていかないこと、どれだけ肉の世界だけで生きていることが小さな世界に向かって進んでいるのかを感じます。


田池留吉の磁場は、お母さんの温もりは、広い世界に向かって歩いていくことを教えてくれます。

輪になって、一つに向かって、本当の流れに向けて進んでいくこれからがいつもいつもあることを伝えてくれます。

だから田池留吉の磁場を思う、お母さんの温もりを思うことが、小さな小さな自分を解放していくことが信じられてきます。


自分では何もわからなくなってしまったけれど、

比べ物にならない何倍も何倍も広い世界が存在する。

自分が生きてきた信じてきた世界の狭さ、

常識、何もかもが固くて冷たい世界なのだと感じられてきて、

本当のことを知ることができる嬉しさが何とも言えないです。


自分は幸せだった、何かを達成することが幸せだと感じていたけれど、

間違ってきたこと、自分が信じてきた世界や思いが見えてくるから、少しずつ自分が軽くなっていく、

と同時に大事なものが見えてくる。本当の生き方をすることができる、選択していくことができる。

未熟で無知で何もわからなかった、でも私はわかっていると信じていた自分よりも、

本当のことが少しずつ感じられて響いてきて、こういう風に生きていったらいいのだと実感できることが嬉しいです。

今は一つひとつだけれど当たり前だと思ってきた思いが、自分の中でオセロのように変わっていく感じがしています。

と同時に軽くなっていきます。でも思いがあっちこっちとんでいない、そんな感覚です。

磁場反転、お母さんの温もり、自己供養、まだまだこれから積み重ねていくけれど、

それが自分の人生なのだと思えることが嬉しいです。共にが嬉しいです。ありがとうございます。

■08 

自分の中の他力のエネルギー、輪がなくなっていく、輪がない思い。

バラバラにしていく思い、戦う思い。肉が本当だと信じてきた思い、他力のエネルギー。

自分の中にあることを伝えてくれる、自分は正しいと叫び続けて、輪がないことがわからなかった。

自分させよければそれでいい、自分を認めさせるために戦っていく。

ああ、自分の中の他力のエネルギーは、自分は正しいという思い、最後は輪を切っていく思いになっていく。

温もりを知らない自分がたくさん存在する。肉を信じてきた自分がたくさん存在している。

他力のエネルギーは戦いしか生んでこなかったことを感じます。

そのマイナスのエネルギーを嫌ってきたのが私です。

地獄の底にたたきつけてきたのが私です。

自分を苦しめるものは排除する。何も知らない私だったことがわかります。


反転を伝えてもらっていることが、自分の中の他力のエネルギーが何を訴えているのか、なぜ叫び続けているのか。

そういうことを思うことなく、マイナスを消そう消そうとしてきたのが今までの自分です。

プラスに帰っていきたい、本当のことを知らない自分がたくさん存在しているその思いを、受け止めることができなかったです。

反転はそのことを自分に伝えてくれます。

本当のことを知って、自分が上になるのではなくて、何かが解けていくというか、楽になっていく。


反転を知らなかったときは、本当に答えが見つからずにいました。

でも反転の思いは、嫌うのではなくて、苦しむのではなくて、

その思いを見ていく楽しみが出てくる、広がっていくというか、だから嬉しいです。

苦しい、そこで終わりではないです。

マイナスから何を感じていくか、学んでいくか、知っていくか。

自分が正しいと信じていたときは、そこでストップしていた感覚です。

でも反転は何かを感じて、気付いていける、またそこから自分が広がっていく、嬉しいです。ありがとうございます。

 

■09 

私はUTA の輪を心の癖のままに、形あるもののごとくに捉えていました。

だから心が苦しく沈んでいきました。

輪の中に何とか入らなければいけない、そう思えば思うほど心は遠くに離れていくのに気付きませんでした。

またまた心の癖を全開に人より早く、人より素晴らしく、比較競争の心丸出しでした。

 瞬時、瞬時に出る心を真剣に見つめ、

反転、反転は自己供養、暗い心を明るい心へ...


心がふと翳ったり寂しく感じる時こそ田池留吉の磁場を思い、心の針を合わせる、

その中で自分の間違いに気付いていく、他力の癖に気付いていく、そして反転へ繋げていく学びをしていきます。

それにしても本当に心の癖はしぶといと感じる毎日です。

 

■10

 自分が間違っていたと思えることは、楽なことなのだなと感じます。

反転と思いを向けてそこから何かが分かっていく。

絶対に自分は間違っていない、これがあれがと悶々としていた思いが、変わっていきます。

誰の言うことも聞かなかった思いがとても固かったことを感じます。

自分も間違っていたんだ、変わっていかなければいけないことを伝えてくれているんだ、

輪を切っていたのはこの思いなんだなと感じられてきて、なんだか思いが楽になっていきます。


反転の思いは自分が間違っていたことを感じられてくる、一つずつだけれど自分の中が反転されていく。

責める思いが少なくなっていくって楽だなあ、何かが緩んでいく感覚がします。

苦しんでいる自分が間違っている、何度も何度も耳にして頭で分かっていてもそう思えなかった。

頭だけだったことがわかります。そこにはプラスのエネルギーが流れていなかった、

本当のことに思いを向けることなく変わっていくことはできなかったことがわかります。


反転の作業は自分が変わっていく、そのことを感じます、信じられてきます。

だからマイナスなことだと感じていたことが、ありがとうになってきます。

そのマイナスをつかみ続けずに方向が変わっていく、自分が変わっていく。

見えるものが違ってくる。気が付けば相手もやさしくなっています。

輪を切っていたのは自分だと分かってくるから、

そこに流れている思いが冷たくて厳しかった、だから戦いしかなかったことを感じます。


今までわからなかったこと、自分から出てくることがなかった思いに出会っています。

反転はすごいことです。

磁場反転を伝えてもらっていることが自己供養に繋がっていく、そう信じられてきます。

毎日の気付きがとても嬉しいです。自分の中から思いが感じられる、そのことが嬉しいです。ありがとうございます。

 

 11

 収入もない、年金もない、貯金もない、そしてさらには夫婦の仲も悪い。

こんな母を、どれだけのエネルギーで蔑み、責め立て、心で切り捨ててきたか知れません。

この思いは父ではなく、母に100%すべて向いていました。それはそれは凄まじいエネルギーでした。

今 田池留吉の磁場を思い、母を思い、0歳の自分を思うとき、ギブアンドギブの思いで産み育ててくれた母の思いを感じます。

何を計算するでもなく、見返りを求めるでもなく、ただただ産み育ててくれた母でした。

それに引き替え私の思いは、無一文の母と生活するときのメリットは何かと考えるばかりでした。


でも、以前母と生活したときと、今は違います。

私は反転を知りました。反転の喜びも感じ始めました。

沢山の思いを引き出してくれる母がいるということは、

沢山の闇に出会えるということ、沢山の闇を反転していけるチャンスがあるということです

もし計算するというならば、なぜ反転できるチャンスを計算しなかったのかと思いました。

田池留吉の肉がある間、母の肉がある間、その間に母と生活をし、

一つでも多くの私の中のぬくもりを忘れた心を反転していけるということが、

どれだけ恵まれているか、それが肉でいうメリットでした。最高のメリットでした。


肉の自分を信じる心では、お金の計算しかできません。

でも、田池留吉の磁場を思う心には、反転できるチャンスを喜ぶ素直な私が存在します。

だから、この素直な自分を信じていきたいです。

瞑想するたびに出会える素直な自分が、本当に嬉しいです。

だから、やはり瞑想でした。瞑想が一番でした。

 

■  12 

ゼロ歳の瞑想で母親の胸に抱かれておっぱいを飲む、すやすや眠る、

そして温もりに包まれて安心の境地にある自分を感じると、欲のかけらはどこにも存在しません。


成長にともなって欲が芽生え、欲だらけになっていった経過をたどっています。

どれほど欲を膨らませ、エゴ丸出しの人間になっても、それで当たり前、

それどころか、向上心などと勝手な言い草で自分を正当化してきたことを思います。

自分の欲の心に思いを向けると、重く厳しく、どろどろとそして悪臭を撒き散らし、すべてを破壊してきたことを思います。


肉の思いはすべて欲から生じる、その思いを反転していく時に少しずつ本当の自分が現れてくるように思います。

簡単なことでないのは重々承知ですが、でもそれが喜びに繋がっていくことを感じています。

学びの始めから教えていただいた「苦しいのは自分が間違っている」、という言葉の重みを噛みしめています。

肉の思いが苦しい、肉の思いが苦しいと私自身が訴え続けていてくれていた、そんな自分を大切にしていきたいです。

 

■13 

心の針の向け先ひとつで自分の世界が変わってくる、本当に確かな事実だということに気付きます。

どのように生き、どのように死ぬか、自分でしか決められない、自分が選んでいく道筋です。

肉の世界に、形ある世界に、そして他力の世界に心の針を向けながら、

何故こんなに苦しいのか、幸せになれないのかと、責任転嫁の相手を探す転生を繰り返してきました。


その集大成が田池留吉に向ける刃だったことに気付きます。

間違っていると気付きながら、矢を射らざるを得ない自分の中のブラックのエネルギーを

今世こそ反転するチャンスをいただきました。


それがどんなに素晴らしいことなのか、どんなに鈍感な私でも心の奥底からジワジワと伝わってきて、

田池留吉の磁場を思うたびに、何とも言えない感謝の思いがわいてきます。

言葉で言えば「ありがとう」、でも心の中はもう踊り出したいくらい、沸き立っています。

はい、そうなんです、意識の転回しかないんです、

真実の幸せと喜びは意識の転回につきるんです、

そう伝え合う意識達を感じ、嬉しさが込み上げてきます。 

 

■14

ホームページのメッセージを読んで、身の引き締まる思いがしました。

意識の世界の厳粛さ、そして田池留吉の意識の世界に生きる姿勢を感じ、

命をかけるとはこんなにもすごいことなのかと改めて感じました。


意識が肉を動かしている、すべてが田池留吉の磁場の中で動いている、

それに委ねるということのすごさをひしひしと感じました。

この学びの真髄にふれたような気がしました。


こんな学びに出会ったことがない、今までもやの中にかすんでいたものが、はっきりと心に訴えかけてきました。

こんなすごい学びの中で学ばせていただいている、

それを心得違いでもったいないことをしてきたけれど、

これを機にしっかりとした一歩を歩んでいこうと決意を新たにしました。


次元移行、一点へ狙いを定めて、自分自身を見つめ、

磁場、反転の実践に勤しんでいきます。


今、この学びに出会った幸せを最高に感じています。

ありがとう田池留吉、香世さん、そのすごさを感じています。

 

自分の中の大きな闇に出会います、一瞬 怯(ひる)む思いも出ます。

反転に反転を重ねても、次から次へと現れてくる闇に、田池留吉の磁場への信の薄さを感じます。

マイナスからプラスへすぐ反転される闇はエネルギーの小さな闇だったことを確認します。


無尽蔵に溢れるばかりにある母親の温もりを、もっと心に広げていくには、

母親の反省、ゼロ歳の瞑想を励行していくしかないとわかっていても、なかなか難しいと感じています。

  田池留吉の磁場に、心の針をぴったりと合わせることができたなら済むことなのに、

それが出来ない歯がゆさを感じます。

何故できないのか、深く掘り下げていこうと思っても、それを邪魔するのは他力の思いです。

母親の反省と他力の反省の大事さをつくづく感じています。

やったつもりの反省はしていないのと同じこと、自分が証明してしまう、そう感じる毎日です。

 



田池留吉の磁場に心を向け瞑想していて出てくる思いは、

お母さん、生んでくれてありがとう・ありがとう・ありがとうです。

そして夫にも、田池留吉に出会わせてくれて、ありがとう・ありがとう・ありがとうです。

 肉体を生んでくれたお母さんに、凄まじいマイナスの情報を向けてきました。

今、お母さん、ありがとう、ごめんなさ、ありがとう、反転の実践ができることが嬉しいです。ありがとうです。 


また、死んでしまいたいほどの苦しみを夫のせいにし、

この30年間それはそれは凄まじいマイナスの情報を流し続けてきました。

夫にも、ありがとう、ごめんなさい、ありがとう、反転と素直に思えることが、本当に嬉しいです。

 

 水道水の遠隔反転の〇ーリングテストの結果は、近くで反転するのとまったく同じです。

また、「学びが短いから」と渋っていた夫も、結果が同じでびっくりしていました。

田池留吉の磁場を信じていることの証でもあると思え、嬉しいでした。

***の水は消毒臭いです。反転でまったく臭いが消え、美味しい水に変わります。

お風呂のお湯も臭いが消え、優しいお湯に変わります。


肉体細胞は、マイナスの情報を流した途端、直ぐに身体の痛みで教えてくれます。

手が痛くて上がらなくなったり、足が動けなくなるのでは、と思うほどの痛みで間違った情報を教えてくています。

肉体細胞の痛いところに思いを向け、ありがとう、ごめんなさい、ありがとう、

反転の思いを向けると、少しずつ痛みが和らいでいくのを感じます。

また、「太陽、空気、水」みんな私ですを、目にした途端、涙と共に喜びが溢れ出てきました。

この世に一つが欠けても、生きていけません。

ああ、こんな私でも、田池留吉の懐の中で生かされ愛されている意識だと思えた時、とっても嬉しかったです。

 日々ホームページで学び、

田池留吉の磁場と反転を信じることは、

喜び幸せへと続く道だと信じて、

これから先も、一歩一歩、歩いていきたいです。ありがとうございます。

反転実践報告  学びの友

 

思いが仕事をする。思えば伝わる。

反転を通して前は信じられなかったことが、少しずつ信じられてくる。

プラスもマイナスも、自分が何を思っているのか、どこに心を向けているのかで違ってくる。

ずっとずっと間違ったことにばかり心を向けて、ただ思いを流し続けてきたけれど、

それも自分の中で田池留吉を思っていくことで、マイナスがプラスに変わっていく。

反転していくことができる。やっていけばいくほど、信が培われていく。

全部自分の中から出てくる思い、またその思いを信じていける喜び。

自分が思えば思いが流れる、伝わる、仕事をする。

今伝えてもらっているすべてのことを通して、意識の世界を信じられてくるようになる。


反転、そして転写をお水の実験を通して、思いが伝わること、そして仕事をするということを体験しています。

自分が出す思いがどれだけ仕事をしてきたのか、ただ思っているだけじゃなかった。

ただ苦しいって思っているだけじゃなかった。

マイナスの仕事もしていくけれど、プラスに反転していったら喜びが増えていく

自分の中でその作業をすることができる。

人間というものはそういうものなのですよと、初めて伝えてもらっている、

これってすごいなあ、すごいことだなあ、毎日感じられる体験している喜びがあります。

 

田池留吉の磁場の中にあるとどうして心地いいのか、

反転されていくのか、マイナスがプラスに一瞬にして変わっていくのか。

田池留吉の磁場を信じていけばいくほど、幸せが信じられるようになってくる。

どうして一瞬にしてプラスに変わっていくのか、その不思議な体験を何度かしていくうちに、

自分が何に思いを向けているのか、信じているか、本当にそこに大きな違いがあるんだなあ。

そのことを肉の田池留吉を通して田池留吉の磁場は伝えてくれているんだって感じます。


今がどれだけ幸せなのか、自分の中をどんどん信じていけることを伝えてくれています。

本当に今まで体験したことのない思いを感じて、だから驚きも嬉しさもあります。

少しずつ信じていく思いが一つひとつ増えていくことが、とても嬉しいです。

こうやって自分で確認していきながら、学べることが幸せです。ありがとうございます。

 

 

苦しい思いが突き上げてきます。その苦しい思いとともに、しっかりと田池留吉の磁場を思います。

そして、しっかりと反転と言葉を出します。また、心の中で反転と思います。

それでも、苦しい思いがそのまま続くときがあります。

それでも、また、田池留吉の磁場を思い、また同じように反転と言葉を出します。心でも思います。

何度も何度もその繰り返しをします。

一瞬にして苦しい思いが消える時もあれば、消えないときもあります。

反転を繰り返すなかで、自分の思いのしつこさを感じます。

素直でない自分を感じます。正直でない自分を感じます。

そして、何よりも冷たい自分を感じます。

その自分を確認して、また田池留吉の磁場を思います。反転と言葉を出します。心で思います。

繰り返し続けていくことの大切さをその流れの中で感じていきます。

その一回一回の反転の作業の中で私の思いが確実に変わっていくのを感じてきました。

苦しい自分から逃げずに、誤魔化さずに、

ただただ素直になって繰り返し続けることの大切さを教えてもらっています。

自分に優しくなければ続けることができない。そう思います。

続けることの大切さを改めて教えていただいています。

淡々と続けることの大切さを学んでいます。嬉しいです。

瞬間に自分の中の苦しい思いを包むことができる時も、できない時も、一回一回の実践の積み重ねを大切にしていこう。

嬉しい思いでそう思える私がいます。嬉しいです。

 

 

瞑想  学びの友

 

 田池留吉の磁場を思う、そして反転って思う。

反転のエネルギー、ああすごくうれしい、反転と思うことが嬉しい。

心で感じられることってすごいなあ、信じていけるって嬉しいなあ、思うってやっぱり嬉しいことなんだなあ。

 

お水の実験、反転と転写を通して、本当に思いが伝わる、仕事をする、おいしく感じるなあ、変わったように感じるなあ、

そう自分で体験するたびに、自分の思いが仕事をする、伝わるということを信じられるようになってくる。

プラスに反転されていくことを信じられると同時に、

自分から一瞬にして流れるマイナスの波動もすごいことなんだって感じてくる。

その思いがずっとずっと仕事をしていたんだ。相手を憎んだらその思いが返ってくる。

それがわからずに、ただ心を外に向けて責めたり裁いたりしているけれど、全部自分の思いが返ってきたもの。

そう思ったら、自分の思いだけが存在しているんだって感じてくる。

田池留吉の磁場の中では、憎しみや悲しみ、恨みや戦いの思いが本当に反転されていくというか包まれていく。

嬉しい思いに変わって、喜べる素直な自分に少しずつなっていく。

田池留吉の磁場、本当の世界の中ではそうだったんだ。

憎んだり、呪ったりしていたのは、田池留吉の磁場を信じられない自分の世界だったんだ。


その中で自分と相手とすべてを見ていた。

それがすべてだと思って、どうすることもできないから、ただ苦しみ続けていただけだった。

確かにそこにあるのはやさしい自分、ゼロ歳の自分、お母さんの温もりの中にいる自分を信じられない自分だった。

本当のことを知らないから、最後は生きることが苦しみになっていったんだ。

有限の中で生きてきた思いは、相手が変わるまで、自分の思い通りになるまで、

いいえ思い通りになっても苦しみ続けることしかできなかった。


自分の思いが何を基盤としているのか、肉なのか意識なのか、有限の世界と無限の世界。

有限の世界の中だけでぐるぐるぐるぐるしていた。

嬉しい思い、楽しい思い、やさしい思い、本当の思いを心で感じて始めて自分が小さな世界だけで生きてきたことを感じます。

有限がすべてで、無限を知らずに生きてきました。

田池留吉の磁場を思うって、無限の世界の自分に思いを向けていくことなんだ。

だからずっとずっと広がっていくものなんだ。

小さな世界の自分が、少しずつ本当の自分を感じて嬉しくなってくる。

その思いは本当の世界から見たらすごくすごく小さいかもしれないけれど、

感じること信じていく思いを少しずつ自分の中で培っていけることが嬉しい。

そういう毎日を生きていることが嬉しい。

嬉しい思いを信じて、田池留吉の磁場を思っていきます。反転を心で感じていきます。ありがとうございます。

■ 

田池留吉の磁場を思う。嬉しい自分を信じていけばいいんだなあ、そう思いながら反転って思う。

嬉しい思いが出てくる。この思いを信じていこう、思っていこう。

マイナスがプラスに変わっていくって、どれだけすごいことなのか。

自分の中のマイナスがプラスに変わっていくから、マイナスが苦しくなくなってくる。

マイナスと思う思いが違ってくる。その嬉しさを信じていけばいいんだって思う。

こんな風に思えるなんて、感じられるなんて、今が嬉しい。ああそうだ、生まれてきたことが嬉しい。

生まれてくることができたから、こんな自分に出会うことができるんだ。


お母さんに生んでもらったから、お母さんが喜びで生んでくれたことがどんなにすごいことなのか。幸せなことだったのか。

ああお母さん、ありがとう、お母さん、ありがとう。生んでくれてありがとう、喜んで受け入れてくれてありがとう。

嬉しいって自分の中で一つずつ感じた思いが、ありがとうになって湧き出てくる感じがする。

力強く中からありがとうありがとうって自分が言っている。

水の実験で反転した水を手にしてオーリングした時、

自分の中から力が湧いてくるのを感じて、その時みたいにありがとうの思いが強く湧き出てくる感じがする。


お母さんありがとうと思える自分があったなんて、

ずっとずっとお母さんを信じられなくてくそったれって叫び続けてきた自分が、お母さんありがとうって思っている。

嬉しい自分に出会えば出会うほど、ありがとうの思いが湧き出てくるんだ。

その自分を信じることができるんだ。

喜ぶことがどれだけやさしい思いなのか、嬉しい自分を信じて田池留吉の磁場を思っていこう、そう思うことが嬉しくて楽しい。

自分の中のマイナスがプラスに変わっていく、

その思いが嬉しい思い、ありがとうになって感じられてくるから、また信じていこうって思える。

思いってすごいなあ。嬉しい思いって喜びになって自分の中から湧き出てくるんだなあ。

そんな瞑想の時間が持てました。嬉しいです。ありがとうございます。

握り続けてきた思いに向けて反転って思う。

自分の中から少しずつ解放されていく感じがする。

ずっとずっと握り続けて、思い続けて、マイナスを膨らませることしか知らなかった。

そうやって周りを見て、自分を見て縛る思いばかりを出し続けてきた。

誰がとか何がとかではなくて、自分が小さい世界に生きていることを伝えてくれていた。

そんな思いをいっぱいいっぱい抱えてきました。

相手を変えよう、自分が何とかして状況を変えよう、

そうやって必死になって動いてきたことも、結局出てくる思いは苦しみでしかなかったです。


自分の思いを反転していく、外に向き続けていた思いがあまり感じなくなってくる。

自分の思いが基盤で動いて、思いを使ってきたことがわかる。

外にどんどん向き続けていくか、田池留吉の磁場を思う中で反転していくのか、それは本当に全く違いました。

私が信じてきたマイナスを変えたい思いは、肉の思いの中だけ、欲の思いだけでした。

自分で感じて、自分で確認していく。学んでいくことが嬉しいです。ありがとうございます。

 \(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/

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喜びのエネルギー・波動

(田池留吉・アルバートの世界、磁場、自然治癒力、肉体細胞)

01

 思うだけでした。

母を思う。肉体細胞を頂いた喜びが噴き上がってきます。同時に肉体細胞、ありがとう、ありがとうと噴き上がってきます。

 肉を頂いたこと、これ以上の喜びはありません。 思うだけでした。ただ思うだけでした。 思えば感じる世界がありました。

私が居る世界です。喜びでした。 心が温かく包まれています。温かい世界に居ます。 

お母さん、お母さん、ありがとう、私は幸せです。 生まれてこれて幸せです。 お母さん、ありがとう。

 

田池留吉の磁場を思います。 

凄いです。 何がどうとかない。ただ凄いです。

 私はその中に居ます。 居るんです。 伝わってきます。 伝わってきます。 

私が感じているのは、まだちっぽけな世界です。でも、私はこの世界に居ます。 

 

嬉しいです。驚きです。 嬉しいです。肉があればこそ感じられる世界です。 

ありがとう、お母さん。肉体細胞ありがとう。

あなたの愛 無しでは、私は1秒も生きることは出来ません。私は愛されていました。

私はこんなにも、お母さんに愛されていました。おかあさんへ帰ります。心を向けるだけでした。


 私は自分を見下げてきました。 いいえ、田池留吉を、田池陽子を、夫を、全て全てを見下げてきました。

本当の自分を蔑ろにしてきました。己を高く高く掲げていました。ごめんなさい。

本当の自分を見捨ててきた心は、苦しかったです。寂しかったです。怖かったです。今、そんな自分を抱きしめています。

 一緒に帰ろうって、抱き締めています。 今こうして私は肉の時間を貰っています。 

そして、自分の闇を抱き締めようとしています。お母さんへ一緒に帰ろうって伝えています。 肉をありがとうございます。 

肉体細胞も、癌細胞も、いいえ、全てのものは、私に愛を流してくれていました。

 受け取る私の心が、間違っていました。

お母さんを思います。 田池留吉を思います。

 

 

\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/

 

あなたの反省と瞑想は進んでいますか


 あなたは、転生の意味が分かっていますか。

 あなたは、田池留吉の肉と意識についてどこまで知っていますか。

 あなたは、田池留吉がなぜ日本人として大阪の地で肉体を持ったか分かっていますか。

 あなたは、田池留吉がお伝えしてきたことをどの程度信じていますか。

 あなたは、田池留吉のメッセージを受けていますか。

 あなたは、田池留吉の死後、田池留吉と交信していますか。

 あなたは、あなたの死後も田池留吉と交信していますか。それとも固まっていますか。

 あなたは、田池留吉の来世 アルバートと交信していますか。

 あなたは、来世、アルバートとどのような出会いがありますか。 

 あなたは、次元移行を果たしましたか。 その時の様子を語ってください。


 
 参考; 意識の転回 母親の温もり 自己供養 田池留吉・アルバートを思う瞑想

 

  はじめに、愛がありました。

  意識は愛、宇宙は愛,母親は愛です。

  私は愛、あなたも愛、ひとつです。

  生も、死も、愛の中での現象です。

  愛は喜び、愛は温もり、愛はパワーです。

  人間は、愛から出て愛に帰る存在です。

  愛なき宇宙は暗黒、愛なき人生は暗闇です。

 意識の転回、自己確立・独立独歩、次元移行は愛に帰る道です。

 人々よ、目覚めて愛に帰りましょう。

 

学びの友の反省 

田池、おまえよりも他力の神の方が好き。他力の神の方が大好き。田池なんか嫌いだ。大嫌いだ。

他力の神の方が願えば、頼めば叶えてくれる。何でも願い、頼めばよい。

助けてくれ、幸せにしてくれ、自分の思いどうりにしてくれと手を合わせ祈り拝んでいればよい。

他力の神の方が優しい素晴らしい、ただ手を合わせ祈り拝んでいるだけでよい。簡単、手っ取り早い。

おまえのように難しくて突き放すような冷たい事はしない。

私はセミナーに来ながら他力の神を 確り握っていました。

表向きは田池留吉が正しい、この学びが正しいとセミナーに来ていました。でも私は心を見ていませんでした。

他力の反省をしていませんでした。他力の反省が出来ませんでした。他力の神を握ったままでした。

他力の神を大事にかくまっていた。他力の神を切り捨て、神棚もお札も焼き払い、仏壇は締め切ってきた。

私は他力の神なんか怖くない。私は他力の神は捨てました。もう他力の神とは関わりたくない。冷たかったです。

欲で他力の神を切り捨て形だけ整えていました。心を見ていませんでした。私の心は他力の神を恐れていました。

握っていました。本当に冷たい心でした。やっと他力信仰してきた自分に心を向けられる。そう思えます。

田池先生の言われた通りでした。

 

眉間に意識をむけ、中の目を開いて、田池留吉と声を出し、呼ぶ練習を何回もしました。

最初は呼ぶ先も違うためか、声がしっかりと出ませんでした。

田池留吉と何度も繰り返し呼ぶうちに、田池留吉の波動が伝わってきました。

そして、呼ぶと同時に答えてくれるようになり、私の心は田池留吉の波動に触れ、嬉しい、心の底から嬉しさが出てくる。

田池留吉より、「しっかりと私に向け、呼んでください、何度も繰り返し、心で感じてください」

と私にメッセージを伝えてくれています。

素直に、誠実に田池留吉を呼ぶ大切さを学びました。

 

 田池留吉に逆らって逆らってきた。私に中に確りと他力の神が鎮座している。他力の神々を確り握っている。

形だけ切り捨て整えていただけだった。心の中では、離していなかった。分かっていても他力の方に向けられなかった。

田池留吉、私は田池留吉の方にに向きたい、向けたいと思って形だけきれいにしていただけでした。心は確り握っていました。

他力の神が居座っている。やっとそれを感じる、認められる本当にそうでした。認めたくなかった。

他力の神を掴んだまま田池留吉に向くことは出来ない、分かり切った事でした。それでも認められなかった。

他力の神は、私の心に深く染み込んでいました。他力の神を切り捨て、他力の神なんか怖くないと嘯いていました。

他力の神を恐怖する心確りありました。

他力の神を恐れる思い、罰が当たる、天罰が下る、神仏の祟りが怖いそんな思いを軽く見過ごしていた。

今の時代に恥ずかしいと抑えていました。神仏を恐怖する心、崇め奉る心確り掴んだままでした。

他力の心を当たり前に使っていた。他力と気付かないまま普通に使っていました。

他力と言われても何故、他力なのか分からないほど他力の根は深かった。


 私の中から過去 他力の道をひたすら歩み、真っ黒なエネルギーを流し続けた意識達が語ってきます。


 この肉持つ者が田池留吉に心を向けると、途端に苦しくなる、息が詰まる、

でも「恐れることはありません、あなた方も共に田池留吉に心を向けていきましょう」という

優しい誘いを受けて田池留吉に心を向けています。そのような思いになるまで、私達はこの者を疑っていました。

自分が信じていない癖に何を言うか、反発もしました、抵抗もしました。

でもどんな思いも受け入れてくれる、消えろ、失せろ、お前など知らないと言っていたこの者が

優しい思いを向けてくれるのが嬉しい。私達はこの日本の国で遥か昔、肉体をもったことを思い出しています。

 

パワー、超能力、呪術、ありとあらゆる力を駆使し、その時代を治めようとしていたのです。

邪魔な者は抹殺し、策略を張り巡らしました。今私達が正しいと行ってきたことがすべて間違いであったことに気付きます。


 国を治める、民を治める、自分の権力を伸ばし、すべてを意のままに動かそうとしたエネルギーは凄まじかった。

 何度も何度もそのエネルギーを出し続けていた、この者の中で脈々と流れる権力、力、名誉、金銀財宝への思いは

時代を超えて消えることはありませんでした。形を変え、状況は変わっていても、同じ思いを持ち続けていたのです。


 でも今やっと、やっとです、私達に伝えてくれている、本当に大切なことを伝えてくれている。

 「田池留吉の宇宙、母親の温もりに帰りましょう」という言葉を信じることができる、

もっともっと過去からごちごちに固めてきた我は神なり、宇宙の創造主なり、その思い、エネルギーが溶けていくのを感じます。


 あぁ、こんな安らぎがあったのですね、温もりに包まれて母なる宇宙、温もりそのものに帰っていく思いがします。

ありがとう、ありがとう、心を向けて受け入れてくれてありがとう、幸せです。

 氷のように凍える世界から今少しずつ温かな温もりを感じています。

固まった世界から少しずつゆったりと広がっていくように感じます。

 

 自己供養を重ねていく上で、自分の田池留吉への信が強く培われていくのを感じます。

 半信半疑で不安を感じながら自己供養を重ねてきたことを申し訳なく思います。

 自己供養は本当に喜びです、幸せな時間です、瞑想の中で自己供養を進めていくことは、喜びでした、今心からそう思います。
    

今回、私は他力の神々を心に掴んだままの自分だったという現象をマザマザと体験しました。

今となってはとても貴重な体験だと思える自分がいます。

どうして自分が神を離せなくなっているのかその理由がやっとおぼろげながらにも分かってくるものがあります。

神々の反省という時、またしても神を偉大な存在として崇め奉った先に 噴出してくる  

神々に裏切られたと思うその呪いのエネルギーというものが 置き去りにされたままになっていたということでした。


神に縋った自分、神に恐怖した自分、神を呪った自分というように神にありとあらゆる思いを使った自分が出てきます。

自分のこの狂ったエネルギーは全て神に纏(まつ)わる自分の心の闇の為せる業でした。

神を離せなくなっている自分、神に翻弄され続けている自分の実態がやっと見えるようになりました。


今回のセミナーの現象で 田池留吉を呪う自分から出てくる思いは

依然として 他力の神々を掴むエネルギーに 奔走され続けている自分の間違ったエネルギーでした。

私が敵対している神々のひとりに田池留吉が加わっていただけに過ぎませんでした。

田池留吉を本当の自分、忘れ去ってきた温もりだと信じられずに、

ただ、神に裏切られ続けてきた怒りと呪いだけを田池留吉目がけてまき散らしていました。


自分の中の神々を供養していくことの難しさ、神を心から放していくことの難しさを

今回のセミナーで強く実感せずにはいられませんでした。

確かに 日々使う心が此処に突き当たる、お母さんの温もりが分かったと思っても

この他力のエネルギーに 覆い尽くされていることさえ 感じることができない、

それほどまでに 神を掴んだ心は幾重にも折り重なったままで 本当の自分との出会いをより困難にしてくる、

最初から自分から出ているエネルギーは この神々との切っても切れない関係を見れなくしてしまっている 

自分の心の闇の実態だと捉えることができませんでした。


今やっと 自分の作ってきた神に対して ありとあらゆる心を出してきたのが今の私なんだ と思えるようになりました。

間違ってきた神々との心の繋がりを認めることができます。


成る程神に出す心はお母さんに出した心をそっくりそのまま再現していました。

縋って、拝んで、呪って、最後は敵対して抹殺していく、この構図を何度作ってきたことか、

私が出した心は神に出した心、そしてそれよりも先にお母さんを肉と見る心の間違いを犯した結果でした。


生まれる度にお母さんと神に同じ心を出し続けて此処まできました。

その繰り返しに終止符を打つために、どうしてもお母さんの温もりを蘇らせるために私は今世のシナリオが必要でした。


そのシナリオを 心から本当にそうでしたと 今度こそきっと、きっと全うしていきたい、

誰と比較も要らない、ただ自分の心を田池留吉に向けるだけでした。

他力に翻弄され続けてきた自分には 心の向け先の確認さえもとても困難な状況だということは百も承知です、

でもこの中から田池留吉に出会ったというこの奇跡とも思える巡り合わせを、

本当に温もりに帰りたいという一念、本当に実現していきたいのです。


今までの自分は転生の度にお母さんの温もりを忘れ去り、

それに変わる神に思いのたけをぶつけることを繰り返してもこの心は満足することはできなかったのです。


そして 何を間違ったから神の呪縛から 抜けられなくなっているのかも 分からないままだった自分に

ほんの少し神とお母さんの違いを 心で捉えようとしている自分を感じます。

神の存在を疑うことしかできなくなっているのに その向け先が分からないから 神を呪い続けることが止められない、

そのエネルギーは お母さんだけしか終息させることができないことも分からない、

全てはお母さんを忘れて神に使った思いが このように本当の事を求めて出てきてくれていました。

お母さんを忘れた心が 神の存在を信じ、その神に向けて

エネルギーを放出していると思っているのに その神は存在しませんでした。

何度も、何度も心に入れてその度に反省してきていると思っていたのは 肉でしかなかった、これでもか、

これでもかと この愚かな肉に訴えてきていることを どれ程のエネルギーで封印してきたことか、

今この心に尋ねれば 全ての心が帰ってきます。

凄いエネルギーです、心の向け先を見失ったエネルギーの凄まじさだけが伝わってきます、

今の私は自分の出したエネルギーが 本当のことが分からないままに 苦しい中に存在しているのを感じるだけです

、一にも二にも 他力の反省、お母さんの反省が 優先されなければなりません。

今使う心を 田池留吉に向けて見ていくだけです。

言葉ではほんの一行ですがこの言葉の中身を分かっていません、

でもどうしてもその言葉の意味を心で分かって私の苦しんでいる意識達に本当の事が伝えたいとより強く思うのです。


私が闘っている相手は、私が縋っている相手は何処にも存在しませんでした。ただそのエネルギーだけが存在するだけでした。

そのことを 本当に 心で分かっていきたいのです。

今、心を中に向けると私が拝んで祀って救いを求めて、最後には呪い、呪われたたくさんの神々が押し寄せてきます。


頭を通過せずにストレートに語ってくるそのエネルギーは 神を掴んだ分だけその苦しみも大きいですが

やっと狂い続けてきた私の中の神々だったと お母さんに懺悔と喜びで報告していきたいと強く思います。

本当の事を伝えていける喜びに出会っていきたいです。

これからが温もりへ帰るための本当の出発です、

私の中の狂った神々のエネルギーを感じる度にそのエネルギーに恐怖することなく、

己を出すことなくただ、喜び、喜びでお母さんの温もりを伝えていくことだと思います。


これを私の自己供養の第一歩としていきたいです。

いつでもやり直しのできる温もりへの道が開かれていると思うと本当にありがたいです、

気付かせてくれてありがとう、私の闇達の声援は本当に心強いものになっていきました。

最後には必ずありがとうと思える自分に出会える、ほんとうに嬉しいかぎりです。ほんとうにありがとうございました。

 


 何のために私は瞑想するのか。

「苦しみから逃れるため」と出てくる。

この心があるのは分かっていた。しかし少しはましになってきたと思っていた。

とんでもなかった以前のままだった。

「苦しい心なんか嫌い、いらない、あっちへ行け、あっちへ行け、

私の心から出てくるな、私の心に存在するな。私は素晴らしい、素晴らしい。そんな見苦しい心など出すな。

こんな私であってはならない。こんな私であるはずがない。お前など認めない、認めない、早く消えうせろ消えうせろ」

暗い苦しい心など認めない冷たい冷たい心です。自分を切り捨てています。自分を抹殺しています。

 

私は自分の苦しみを見たくないから、

受け入れたくないから、瞑想によってこの苦しみを拭い去ろうとしてきました。

瞑想することによりこの心が和らぎ救われるのではないかと思ってきました。

祈るような思いで救いを求めていました。

「私を救ってください、私を幸せにしてください。もっともっと幸せにしてください」と。

自分の中に全てがあることが分かっていません。

自分の中に優しさが、温もりが、幸せもがあることを…

外に外に向かって私は祈り救いを求めていました。その思いで瞑想をしていました。

他力の思いそのものです。まだまだ根強く私の心にあります。

もっとしっかり自分を見つめ、自分の中に向けて瞑想をしていきます。


 瞑想は目的をもちません。なかなかそうはいかず、欲が見え隠れする瞑想を続けてきました。


 今田池留吉に心を向け合わせ委ねると、確かに培ってきた他力のエネルギーが出てきます。

私はそれを情けないと 善しとしませんでした。

でもそうではない事を知り、凄まじいエネルギーを感じることに喜びを見い出しています。


 どんどん自分が愛しくなります。私はとにかく自分をよく見せようとしていたこと、

汚い自分は少しでも押し隠そうとしていたこと、

正面から自分に向き合おうとしてこなかったこと、様々なことに気付かせてもらっています。

 自分に冷たく冷ややかな思いを出し続けていました。

 光も闇もすべて私自身、私はすべてと共に田池留吉の宇宙へ帰ります、

その思いで瞑想を続けていくと何とも言えない喜びが伝わってきます。


 今何のために瞑想をするのか自分に問いかけています。

欲がないとは言い切れなかった、でもふと眼を閉じて 田池留吉に心を向けることが楽しい、

楽しいから瞑想する、それだけでいいのではないかなと思っています。


 私自身が私を包む、その時感じる優しさ、幸せな思いは日に日に増して、これが消えない幸せだなと実感します。

 肉から意識へ基盤を移す、

それを進めていけばさらに真実の幸せが心に強く感じられる、私はその道が開かれてくることを信じています。

 田池留吉、気負わずあせらず心を開いて田池留吉に心を向けていきます、

合わせていきます、委ねていきます、その思いが心に満ちてきます。
 

自分の凄まじいエネルギーが喜びのエネルギーに変わる、

そうです、田池留吉の波動に触れた途端、どれほどの凄まじいエネルギーも戦い、殺戮のエネルギーから

安らかな温もりに満ちた喜びのエネルギーに変わっていくことを波動の勉強などで体験させていただきました。


 それをこつこつと自分で積み重ねていくだけでした。

心に田池留吉を信じる信を確立していれば、田池留吉を思うだけですべてが変わっていく、それを心は知っています。

意識の私が肉の私を誘う、私は意識、その思いが自分を幸せにしてくれます。

 自己供養の日誌、私も日々 記していきます。

 喜びの中で自己供養を進める、私自身の学びです。

 私自身の喜びです。

決してきれいごとではすまされない私の現実があります。

金と神・・・自分を肉と思い、肉基盤の世界を創り上げた私は、すべての心を汚しに汚しました。

そしてその結果を自分の心と見ることなく、まさに金と神にがんじがらめになりながら、今の今まで存在してきました。

 

金と神、その世界は温もりを否定し、田池留吉に歯向かい、

何としても己が正しい、素晴らしい、我以外誰も認めない、冷たい破壊の世界です。

心の拠り所を金もしくは神に求めました。求める心は同じです。

 

私を幸せにしてくれる、私を支えてくれる、唯一のものとして金と神が必要でした。

誰も信じない、誰にも心を許せない冷たく孤独な私の姿があります。

そこには寂しくて空しくてどうしようもない心を抱えた私がいます。泣き叫ぶ私がいます。


金と神、それが私を人間のように裏切らないと信じてきた。

けれど、そう信じた自分が自分自身を裏切ってきたとは、お母さんの思いを知るまでは分からなかった。

私の心の世界は真っ暗でした。真っ暗さが分からないから、ますます心を金と神に向けてきた、それが私でした。


苦しみの原因は自分の心にある、いくら誤魔化しても、助けを求めても、

一時の癒しは得られても、心を見ずして本当の癒しは得られない。

いくらお金を持とうとも、神に祈ろうとも、自分の心が「ノー」と返してくる。

それでも求め続け、苦しみ続けた私の現実、私の転生すべてが語っている。


どれほどの地獄を抱えているか、その中で「我は神なり」と誇る私がある。

誤魔化しの効かない世界に生かされていることも知らず、人を騙し、支配し、力を誇り、結局自分自身を侮った。

そんな自分を見るにつけ、真実の世界を知るチャンスをいただいたことに、何と言って良いだろうか・・・

まだまだ自分を、自分の闇を知ってはいない、その思いが深くなる。


幸せになるにはお金も神もいらなかった、心さえあれば、この心さえあれば私は初めから幸せでした。

この心に広げてきた世界を、お母さん、あなたに委ねました。

私のすべてを受け入れてくれたお母さん、私はどれほど自分自身に懺悔してもし切れません。

お母さん、あなたの温もりがそんな私を包んでくれます。

そこには、私が自分を縛りあげながらも繋がり続けた金と神の世界から、自分を解き放って行く安らぎがありました。

そして心の中の金と神の世界に、そこには本当の幸せはないんだよ、ともに母の温もりに帰ろうと語る私がいます。

 この学びから心を離すということ、それは決して他人事ではなかったと自分を振り返り思います。


 己が偉く、己が一番、田池留吉に認めてもらいたい、己を認めよという欲の思い、

それは田池留吉が肉ある時ですら、学びから自分を遠ざけていきます。

まして認めよという対象が亡くなった時、学びと自分という関係をしっかりと確信していない限り、

いつの間にか他力のエネルギーが膨らんで田池留吉の存在すら心から消してしまうでしょう。


それほど他力のエネルギーの凄まじさを何度も体験してきました。

何とか曲がりなりにもそこから脱却し、決して田池留吉を心から離さないと確信するまで、20数年という年月を要しました。


 決して他力のエネルギーを甘く見てはいけない、自分自身に言い聞かせています。


 どんなに暗く落ち込んだ時でも、ふと田池留吉を思う、心を向け合わす、委ねる、励行していこうと思っています。

 田池留吉しか存在しない、私の前には田池留吉の宇宙に繋がる道しか存在しない、私の人生そのもの、

徐々にその思いが強くなっていくと、暗く重く自分を取り巻くエネルギーがやわらぎ安らいでいくのを感じます。


 共に学べてよかったね、共に田池留吉に心を合わせていこう、すべてにそう呼びかけています。

 「私達はひとつです、共に歩んでいきましょう」、そう答えが返ってきます。

自分の心の中は心を見つめていけば見つめていくほど、広くなっていく、広がっていくことが感じられます。

意識が本当の自分、瞑想を通してしか分からないことでした。

自分の心の中の自分との対話を通して、実践を通して、

自分は意識、肉ではなく意識であるということに心が気づいていくような気がしています。


意識の世界を信じれば信じるほど、心が広がっていく、喜びが大きくなっていく、

田池留吉の世界が大きく大きく感じられていく、今までの田池留吉と違う感じがします。


自分の心の中に心を向けることが喜びです。

無数の自分と出会うと言うことが喜びです。

出会えば出会うほど心が広がり、喜びがわいてきます。

真っ暗な自分、何も分からなくなってしまった自分、何も分からない、

すべてをあきらめていた自分、そんな自分との出会いがただただ嬉しいです。


何も分からなくなり、すべてをあきらめ、真っ暗な中で固まっている自分、それが自分の心の世界の現実でした。

真っ暗な中で固まってしまい、何の反応もない、うめくことも悲しむことも助けを呼ぶこともどうすることもできない。

すべてを分からなくし、自分を捨て、自分のすべてをあきらめきった自分が真っ暗な世界の底の底の奥底に沈んでいます。

それが自分の偽りのない意識の世界でした。

 

「お母さんを呼んでみよう、一緒にお母さんを呼んでみよう」と語りかける。

ああ、お母さんですか・・・・。お母さんですか・・・・・。ああ・・・・・、ああ・・・・・、懐かしい・・・・。

もう、遠い遠い過去に忘れ去り、あきらめきっていました

でも、お母さんですか・・・、ああ・・・、お母さんですか・・・・。

懐かしい・・・・、ただただ懐かしい・・・・、ああ・・・、お母さん・・・・・、会いたい・・・・・、お母さんに会いたい・・・・。


自分の心の中は心を見つめていけば見つめていくほど、広くなっていく、広がっていくことが感じられます。

意識が本当の自分、瞑想を通してしか 分からないことでした。

自分の心の中の自分との対話を通して、実践を通して、

自分は意識、肉ではなく意識であるということに心が気づいていくような気がしています。

意識の世界を信じれば信じるほど、心が広がっていく、喜びが大きくなっていく、

田池留吉の世界が大きく大きく感じられていく、今までの田池留吉と違う感じがします。

 どんなに凄まじい闇が心の中に存在し、そしてそれが田池留吉に心を向け、合わせ、委ねる思いから自分を遠ざけよう

としても、それでも私は決して自分を諦めることはしない、見捨てることはしない、その確信は心の中に育っています。


 何故こうなんだろうと、自分の状態に頭を抱えたくなることはあっても、

それでも次元移行へ向けて確かな一歩を歩んでいくんだという意気込みはあります。


 闇の自分、温もり優しさの自分、本当の自分を信じていくことからすべてが始まっていました。

肉の思いはすべてを破壊していきます。次元移行の道を閉ざしてしまいます。


 意識の世界を信じることなく、田池留吉を信じていると言えるでしょうか。それでは他力そのものです。

 自分を振り返れば、本当に間違った学びの進め方をしていたとつくづく思います。

 間違っていた学びの動機を見つめても、そのまま放置し、変わっていなかったのが現実です。

何を求めてこの学びに繋がっていたのか、私は肉を基盤にあらゆる欲の思いで繋がっていた、

そしてそれを改めていなかった、言葉だけを変え、体裁だけを変え、

根底の他力の思い、欲の心をうやむやにし、自らを誤魔化していたことに気付きます。


 己、己と肉の己を誇り、認めさせようとしていた私がそのまま存在しているのを感じます。

 本当に救いようのない自分を感じています。それでもそんな自分を置き去りにすることなく、共に歩んでいきます。

 それが今世肉をいただいた意味、今、この肉のある私が唯一できることです。

 私は私を救っていきます、その思いが大きく膨らんでいき、嬉しい思いが広がります。

自分を思えば嬉しい、田池留吉を思えば嬉しい、本当に心から嬉しい思いが溢れてきます。

もちろん、地獄の底の底の思い、たくさんの苦しみを抱えて今、こうして肉を持っていることは認識しています。

それでも、みんな、みんな、温もりに包まれていることが感じられます。

どんなに凄ましい闇でも、冷酷極まりない心でも、奈落の底にはいずり回っている意識、

我一番と叫び、己を表していくことしか知らない意識達、みんな、みんな、真実を忘れ去っているだけのことでした。

 

だから私は、今、肉を持って田池留吉に心を向けることができます。自分のエネルギーを知っていくことができます。

そう、自己供養です。自己供養ができる肉があります。

このことがとてもとてもうれしい、心が解放されていく、それは喜びとなって心に広がっていきます、、、

、幸せな自分をつくづくと感じられます。

 

どんなに、どんなに恐ろしいエネルギーでもいいです。心の叫びを聞いていくことが私の幸せです。

何故ならそれは私自身だから、そして優しい優しい温もりの私、決して消えることのない本当の私がいます。

だから自分を思うと嬉しい、その自分は田池留吉の目の中にいます。

温もりの波動の中です、、、、瞑想をして心に感じられます。


形の世界の崩壊、、、、形の世界、それは本物ではないからですね。

喜びに甦(よみがえ)っていくための喜びの現象、、、、心に響いてきます。

 

真っ黒な心の世界に心を向けます、、、、。


ああ、恐怖、恐怖、、、、、私は殺される、息ができない、手足も自由にならない、どんどん埋まっていく、、、、、

苦しい、誰か助けてくれ、神よ、何故私を救わない、必死の思いで精魂こめて懇願しているのに、、、、、、

見捨てられた、、、裏切られた、、、ああ、どんどん暗黒の、闇の中へと沈んでいく、

真っ暗闇の凍える冷たい世界で一人、孤独、、孤独な心で恨み辛みの思いが私を縛っていく、、、、、、

重くのしかかり、、、奈落の底へと沈んでいく、、、、、、、私は神を信じてきたのに、

窮地に陥った時、最後の最後は、必ず救ってくれるはずと、心から神を信じてきた、、、、

、しかし、呼べど叫べど、私の信じた神は、慈悲深い神はどこにもいない、

私は独りぼっち、真っ暗闇の世界であまりの苦しさでじっと蹲(うずくま)っていることしかできない、、、、、

そんな私に心を語ってくださいと、、、、、私は今、こうして心を語っています。

語ることすらできない私が、、、、、優しい優しい温もりが私の心を包んでいきます。

 

ああ、何て優しい温もりなのでしょう、、、、お母さん、、お母さんを思い出しています、、、、、、。

温もりから伝わってきます、、、、私達は喜び、温もりのエネルギーでした。

もう、苦しまなくていいんですよ、共に心を見つめていきましょう、共に温もりへ帰っていきましょう、、、、、、。

 

何て優しい優しい波動なのでしょう、温もりが心を包んでいきます。

私は誰なのか、何なのでしょう、、、、、私達は喜びのエネルギーと伝えてくれました。

心を温もりが包んでいきます。

この温もりが私なんですか、、、、、お母さん、お母さん、懐かしい、懐かしい、、、

お母さん、、、、ありがとう、ありがとう、心を向けてくださりありがとうございます。

 

肉を持って、こうして自己供養していくことがとてもとても嬉しい、残されている肉の時間、

心を転生に繋いでいくための今を大切にしていこうと思います。

宇宙を思う、、、、、ただ、ただ、ありがとう、ありがとうの思いが心の中から溢れてきます。

愚劣極まりない私だった、、、、その思いも溢れてきます。


 セミナーへの予習1


 学びの動機について、最初にこの学びを知ったときのことに思いを向けてみました。


覚えているのは、「あんた、金持ちやな」という言葉と、「すべての宗教は間違っている」という二つの先生の言葉です。

この二つの言葉をかみ締めています。


両方ともに私は反発しました。金持ちと言うのも「そんなことはない」と思ったし、宗教が間違いと言うのも分かりませんでした。

みんなが拝んだり祭ったりしているのに、それが間違いか・・・なんと言う事を言う人だ・・

・だから、先生に失礼な言葉を出しました。先生は本物ですかと・・・

 

 「この人は霊道が欲しいのです、でも私はこの人が愛しいから霊道は与えません。

この人がすべてを捨てた時、私はこの人が欲しいものを与えます」

この言葉が今でも耳の奥にこびりついています。学びの動機・・・霊道でした。能力が欲しかった。

認めて欲しい、この私を・・・いいえ、この私を認めよ、田池留吉、我を認めよ、

そしてそのもっと奥には「田池を殺せ、打倒田池」の旗印が掲げられていた。

己一番、アマテラスのエネルギーの存在を、今こそはっきりと感じます。


ああ、このエネルギーが私をこの学びに誘いました。

私に肉を持たせ、肉持った田池留吉に出会うため、私は河内の地に嫁いで来た。

今世、この時を逃してはならない、この時を待っていた、そんな思いが伝わってくる。

どんなに己を誇っても、栄耀栄華を極めても、心の中を吹きすさぶ寒々しい空虚な寂しさを決してうずめることはできなかった。

今なら分かります、アマテラスが何を求めてきたのか、何を叫びたかったのか・・・

お母さん、お母さんと呼びたい、温もりを感じたい、安らいだ自分に戻りたい、ああこの心をこの心を・・・


 学びへの動機は欲でした。霊道という能力への欲でした。

そしてその能力を持って己を現し、田池留吉の宇宙に我の優位さを示すこと、

そんな大それた欲望を心に潜ませて、私はこの学びに入りました。

そんな心で集っていると言う自覚もないまま、長い間大きな顔をして先生の前に座って話を聞いてきたのです。


「みんな私を殺しにやってきたのです」・・・そうです、そうだったのです、なのにこんなに長く学ばせていただきました。

すべてを受け入れ、すべてを愛に返すエネルギー、戦いを挑んできた私が本当に求めていたのは田池留吉だった、

心から求めていた波動が田池留吉だった、間違った動機で、間違った歯向かう心で何食わぬ顔をして集ってきたのに・・・

それを思うと、温もり優しさが本当の愛のパワーだということをつくづく思います。


 今でも己を現したい、認めさせたい、己一番、この思いはどっかりと私の心にあります。

けれどもこの心の裏には、母を求め、寂しいと孤独の底でうずくまる自分がいることを感じ、

ともにお母さんを思おうとする優しい自分をまた思い起こさせてくれます。


 学びへの動機を心に問うとき、愚かな自分を見るとともに、

母の温もりに帰りたいと叫ぶ私をしっかりと受け止めてくれた田池留吉に、

限りない優しさと許しをいただいてきたと、ただただ感謝しかありません。

アマテラスの心のままに学びに吸い寄せられるように集わせていただきました。

私はそんな自分に、真実に帰りたいと言う心の叫びを聞き、私の中に流れる意識の流れをしっかりと感じます。

 今世という時間と空間、この肉をいただき、自らの計画を遂行できるチャンスを手にできたこと、大切に大切にしていきます。

セミナーへの予習2


 どれほど意識が聞けたくさんの言葉を出せても、すべては闇の中、真っ黒なエネルギーの垂れ流しに過ぎなかった。

我こそはと己を誇りに誇り、田池留吉の世界の中で、愛の中でやりたい放題やらせていただきました。

挙句の果ては「田池留吉を支配してやる」という私の本音を前面に出して、

我一番という冷酷無比なアマテラスの世界を具現して参りました。


やればやるだけどんどん深みに入り、苦しみが増すと言うことも分からず、

私はこの学びをしていると大きな自信と自負を持って生きてきた。

お母さんの反省、こんなものチョロコイものだ、そう本気で思うほど私は驕り驕っていました。

それなのに、私の肉の生活は次々に苦しい現象が起こる。

これほど頑張っているのになぜ?いいや、これこそ試練、私を試す試練なのだ、

乗り越えられない試練はないと先生は言っておられる、そうだ、私の力を試されているのだ、本当にそう思い自分を励ましてきた。


色々な出来事があったけれど、とうとうどうしようもないところまで来て、実家の母としばらくの間暮らすことになって、

初めて母の反省がまったくできていない、母の温もりをが分かっていないことにうすうす気付きだした。

肉の母を前に、私の心から出て行く思いは凄まじいものでした。

「早く死んでしまえ、いつまで私を苦しめるのだ、いい加減にしてくれ」こんな思いはまだ生易しいもので、

言葉に出しては言えない思いが私の心から噴出しました。

「肉のお母さんをどれほど見ても、何も分かりませんよ」これが先生からの言葉でした。


同居から半年で、母はあっけなく亡くなってしまった。私は一人取り残された思いで腹立たしかったです。

母の最期、「握手しよう」と「あんたも元気でな」と握った母の手の感触が忘れられず、

あの握手は何だったのかと何度も何度も母の意識に聞きました。

その頃からお母さんの思い、温もりが心に響くようになりました。


私は病気で体の自由が効かない母の看病に実家に帰ったと思っていた。

いいえ、帰ってやる、世話をしてやると思っていました。

けれど本当は私が余りにお粗末なのを見かねた母が、その身を呈して教えてくれたのだと、

あの握手はたくさんの意味を語っていたのだと、初めて「お母さん」の存在の大きさを知りました。


肉の母がどんな姿でもよかった、母に出す思いが私の心をすべて露にしてくれた、

もう隠しようもありませんでした、そこには肉の母ではなく、大きな大きな温もりのお母さんがありました。

お母さんありがとう、その思いが噴出して今も続いています。


温もりがどんなものか、どんなに優しいものか、母から伝わる思いが田池留吉から伝わる思いと同じだと、

そして私の中にもあるということを、感じ始めました。


母の温もり、それをどれだけ言い続けてこられたか、学びの最初から「お母さんの反省」ばかりでした。

「またか・・・」と、不遜な思いを出し続けた私は、本当に地に落ちた自分だったことを思い知りました。


母を見下げ、足蹴にし、切捨て、死んでくれとまで思った私が、

自分自身をもまた見下げ、足蹴にし切り捨ててきたことを知りました。


「お母さん」、この言葉の響きが温かく心に響きます。

ゼロ歳の自分を思うとき、やっと心が安らぎ安心できる自分に出会います。

心を裸にして、すべてを委ねることの喜びを、母から伝えていただきました。

この心がすべての反省を誘ってくれます。

心が乱れ、何も感じられなくなったとき、母を思います。

母の温もりの中に戻れる自分を確認します。いつもこの繰り返しです。


母の温もりの感じられない心からは、真実の世界は分からない、

田池留吉も、本当の自分も、本当の喜び幸せも何もない、真実から遠い遠い世界だと言うことを知りました。


私の中のすべての意識が、お母さんと素直に呼べることを望んでいます、

それが嬉しいから、幸せだから、本当の自分だから・・・


本当に母の温もりを心に取り戻すことこそ学びの第一歩であることを、

そしてそこから喜びの道が始まることを、私は心から素直に喜びたいと思います。

 

セミナーへの予習を通して、もう一度自分の心を確認できる機会をいただきました。

改めて自分と対面していきます。ありがとうございます。

 

 セミナーへの予習3


 「私と欲とは合いません」この言葉はセミナーの中でずっと言い続けてこられた言葉です。


私の学びの動機は欲でした。その欲は肉、肉を基盤としたところから出た私の心です。

その心をしっかりと持ったまま、学びに集ってきました。

これではいくらやっても、いくら瞑想して感じたと言っても、その奥にあるのは己偉い自分でした。

長い間、ただ集ってきただけでした、学んではいなかった、

命を懸けて学んではいなかった、自己満足のお遊びにしか過ぎなかった。


ただ、セミナーの会場は、その場に肉を置くだけで田池留吉の世界を感じられたし、

無意識のうちに心が安らぎ、母の温もりの中にいる自分を垣間見ることができた、

れが嬉しくて足を運んできたのだと、今改めて思います。


肉持った田池留吉に出会い、真実の波動を伝えていただき、

闇出しを通して自分の実態に遭遇してきたにもかかわらず、

あまりにも己が偉く、聳え立った心では自分を変えていこうとか、

真実に帰ろうと言う学びの本当の道筋に至りませんでした。

時ここに至ってもまだ、自分の甘さに気付けない状態です。


いくら本を読み、ホームページを開き、瞑想を重ねても、

心の底に欲を潜ませていては、その欲を余計に膨らませるだけでした。

それでも本当の私は、「間違っているよ、しっかりと心を見なさい」と促してくれていた。

私は本当に自分のために生きてきただろうか、学んできただろうか、それが突きつけられます。


田池留吉を思い、心を向け、心を合わせ、すべてを委ねる・・・これは欲を持ってはできません。

ましてや「私はあなた、あなたは私、私たちはひとつ」は、決して分かりません。


ああ、どれだけ己が偉く、強欲で、無知なのか・・・今頃ようやくそんな思いになっています。


田池留吉のメッセージを受けることも、それが本物であるかどうかも、自分の心を見ればはっきりします。


私はあまりにもこの学びに対し、田池留吉に対し、傲慢すぎました、

見くびってきました、それを言葉だけではなく、これが私でしたという思いでおります。

本当に真摯な心に欠けていました。

「私はこの学びに命を懸けています」という田池留吉の言葉に、私はただただ頭を下げるしかありません。


「私は、真実に触れた人間の笑顔が見たいのです。ただそれだけです。」

という田池留吉の言葉に、私は己が恥ずかしくてたまりません。


そして、私はやっと自分を安心して委ねることのできる人に出会った、本物に出会った

これが私の捜し求めていた学びだと、心から懺悔とともに喜びが湧き上がります。

 


 私は、最初から間違っていました。


この学びは、一体どういうものなのか、心にガツンと響かせぬままきました。

「素直に真摯に」と言われてきたことが、今、少しだけ分かります。

****という肉を前面に出したまま、そのままでこの学びの前に立ちました。

己を表したい、つつがなく一生を終えたい。

その目的地に向かい霊道を開くことが最良最速の道と、まったくの我流で突き進み23年も経ちました。


この学びこそは最高のものと、「生長の家」の延長線上で、生きる支えと思ってきました。

「分からない、何にも分からない。」と未だに言っている私の目的と結果でした。


最初から、私はこの学びのスタートラインにも立っていなければ、当然ゴールもありませんでした。

終着点を見据えた出発点に立たなければ何にもならない。

単発的にチョロチョロ反省まがいのことをやったところでそれだけのこと。ただの自己満足でした。

一番大事な「母の反省」がそうでした。

私の目的は、ただ温もりを感じたいから、ただそれだけでした。


正しい道の上にあって、素直に心を見ていったら、どんな思いの主なのか、それこそが私そのものだと。
 
苦しい自分がいっぱい詰まっていることに気が付けたはずでした。

「反省」そのものが分かっていなかったです。


「心を見る」ということが何のためなのか、こんな初歩的ことさえ分かっていなかったです。

「心の叫び」を聞くことをせず、偉い私は、苦しいなんてとんでもない、我慢と忍耐、知らんぷりして

全部押さえ込んできて、その上で、はたきをかけて掃除しているような反省でした。


前回からのセミナーから半年、私は、この肉の協力で、とことん諦めません。

 

私の瞑想はこれでいいのでしょうか、自分自身に問うてみました。


 「良い瞑想、悪い瞑想、それを知りたいという思いはどこから来るのでしょうか、

瞑想に行き詰っていますか、あなたが願うような成果が得られないからでしょうか、

何を求めているのですか、もう一度原点に戻って、素直な赤子の気持ちで瞑想を続けてください。


 比較の心があるのではないでしょうか、根本に他力で培ったエネルギーがあなたを動かしているのではないでしょうか。

自分が善しとする瞑想の実態を心で感じてください。

どうですか、田池留吉の波動を感じますか、違うのではないでしょうか、

今だからはっきり伝えたいのです、方向が、心の向け先がずれています。


 もっと自分の中にある他力のエネルギーを確認していってください、さらなる自己供養をお願いします。


 自分が望むような瞑想、それこそ大きな間違いではないでしょうか、

瞑想とは意識の世界です、その意識の世界すらも肉の思いで支配しようとするのですか。


 どんな瞑想でも、あなたにとっては必要なのです、そこから学んでいってください。

自分と真向かいになって自分自身と対話を進めていってください。私はそれを待っていたのです」。

死後の私を感じる時、生まれてくることを真剣に真剣に母の心にお願いした私であったことを心から気が付きます。

私が死後の私に気が付くまで、ただただ待ち続けてくれていた私を思うと、本当に心から愛おしい思いが溢れてきます。

申し訳ありませんでした。

厳しくて冷たくて激しいそんな真っ暗な中に一人で固まっている私に気が付いて、この私を私は救いたい。

私はこの私を救うために母の心に切望したのだ。と心から思いました。

自分のために生きていきたい。私の心が叫びました。心の底から叫びました。


根本が間違っていました。

「生んでくださいとお願いした私なのに、勝手に母が私を生んだ」その思いで生き抜いてきたのです。

母の心に反逆して生きてきたんです。まったくすべてが間違っていました。


幸せにしてくれない母を恨み呪う私は間違っていたのです。不平不満不足を母に向けていくことが間違っていました。

どのような肉体でもよかったのです。

死後の私は、間違って生き続けることしかできなくなってしまった私に、気が付いてくださいと伝えてくれていました。

これがあなたの現実の心の世界ですよと伝えてくれていました。

生きていても、死んでも、これがあなたの現実の世界ですよと教えてくれていました。

この自分を自分で救えない限り、また地獄から生まれてきて、地獄に帰ることしかできないことを教えてくれていました。


スタートが間違っていました。

お願いして生れてきた自分を忘れて、勝手に私を産んだという思いに変えてしまったのは私でした。

私は私を裏切り続けてきたんです。やっとそのことに気が付きました。申し訳ありませんでした。

私は私の思いを裏切り続けてきただけでした。本当に申し訳ありませんでした。

「苦しんでいる私が間違っていました。」苦しんでいる私が私に間違っている事を伝え続けてくれています。

苦しみは愛」やっと素直に心で納得しています。嬉しいです。


母に切望した時のその思いが溢れてきます。お母さん。ありがとうございました。私は自由を間違えました。

自分勝手な自由を叫んで生きてきました。それが自分を裏切り続けて生きることしかできなくなってしまった私の姿でした。

これから私は本当の自分に帰るために自分の人生を歩いていきます。

結果はすべて私のものとして素直に受け入れていきます。


死後の自分に出会えることは、私にとって奇跡としか思えないことでした。

死後の自分に出会えることで、これからの私の生き方が変わっていけることが信じられる。

死後の私とともに私は変わっていける。今の私達は、ともに変わっていける喜びの中にいます。

過去の私も未来の私も今の私とひとつです。今を大切にその思いが、ともに帰ろうと私の心に溢れてきます。


過去も未来も今とひとつになって、お母さんを思える私達は幸せです。ともにともに歩いていきます。

何をするための人生なのか。死後の世界の自分に出会い、命がけで自分を救っていける道を教えていただきました。

死後の自分に出会って、やっと私は生れることを切望したことが信じられる今です。ありがとうしかありませんでした。

どのような肉体でもよかったんです。どのような環境でもよかった。

なぜ生まれてきたかが分からないということは、自分で自分を狂わせていく方向にしか生きられない。

はっきりと心で確認できました。同じ間違いは繰り返せません。待ち続けてくれた地獄の私に申し訳ないからです。

私を信じてただひたすらに待ち続けてくれていた死後の私が本当に愛おしいです。


私達は地獄の底の底から必死に母の心にお願いして生れてきました。

苦しい自分を自分で救うためにお母さんに産んでいただきました。

母の心は、「間違い続けてきた自分に気が付いて、本当の自分に出会って、母の心にともに帰って来なさい。

待っています。そのようにいつも私に語りかけてくれていました。」

そのことに気が付けなかったのは肉しか信じられない私だけでした。

私の中の意識達は私がそのことに気が付くのをただただともに待っていてくれたのでした。

ただただ自分を見つめ、自分の間違いに気が付いていける喜びの道を歩いていくだけです。

田池留吉に出会えたこと、本当に幸せでした。

最近は私にとって、出会う現象、出会う人達、すべてが自分の間違いに気付かせてくれた存在でした。

すべてがプラスであったと心から思える日々です。

この思いを大切にして、残された時間とともに喜びの道を歩いて行きます。ありがとうございました。


「田池、ぶっ殺してやる、お前など消えうせろ」。この思いは消えることがあるのでしょうか。

自分自身に問うてみました。

 

 今まで積み重ねてきた思い、エネルギーがそう簡単に消えることはありません。

でもそれもあせらず一歩一歩自己供養を重ねていくことによってやわらいでいく、それを感じていくこともまた喜びなのです。


 「田池ぶっ殺してやる」の思いをもつのも自分なら、それを包む母親の温もりも自分自身なのです。

闇は無尽蔵に出てきます、喜びで出てきます、今受け入れてもらっていると感じた闇たちはやっと切り捨てられない、

見捨てられない自分を感じて喜んでいるのです。


 今までは「田池、ぶっ殺してやる」のエネルギーで突き進んできた、

それが間違っていると今世始めて知ったことはどれほどの衝撃を自分の宇宙に与えたか、

そしてそれでざわめく意識達を田池留吉の宇宙へ誘っていくことができるのは、今肉持つ自分自身なのです。


 そして「田池、ぶっ殺してやる」のエネルギーは

真実の道からことごとく自分自身を遠ざけるエネルギーだということをしっかりと認識していってください。

このエネルギーを放置しては決して次元移行の道は開かれてこないということをしっかりと知ってください。


 「田池、ぶっ殺してやる」のエネルギーが今までの自分を培ってきた、

そのエネルギーを愛に変えていくことがすべてを変えていく原動力なのです。

喜んでください、隠す必要はありません、今さらと嘆く必要もありません。

淡々と見つめていく中で、いかに自分が間違った道を歩んできたかがさらにはっきりと心で感じられてくるでしょう。


 すべてがよかった、そう思える日が必ずきます。

あせらず心を見る、そして瞑想を淡々と続けていってください。


心を外に向けると言うことは地獄でした。

心を内に向け、どんなに苦しんでいる自分であっても、自分と出会っていくことが喜びの道でした。

地獄街道まっしぐらの自分でした。

 

1時間瞑想を継続する、これがどれほど大切なことであるかと思います。

瞑想をしなければ何一つ分からない、まったく無知なままの自分であると思いました。

瞑想に入れない自分、それは無知で真っ暗な自分だからでした。

死後の自分、真っ暗な自分、いかに田池留吉を呼べるかでした。

真っ暗な中にいる自分であっても、ふと田池留吉を呼べれば、世界が広がっていきます。

温かく、自由な世界が開けていく感じがします。

 

 真っ暗な中でもがいてもがいて、どんなに自分をかきむしってもどうすることもできない自分

しかし、ふと田池留吉を思えたとき、一瞬にしてすべてが変わっていくのでした。

真っ暗な自分と出会っていくことが嬉しい、嬉しいから世界が開けていく、それが嬉しい。

 

心を見れば見ていくほど、真っ暗な深い深い暗黒の世界で真っ黒な重いエネルギーに押しつぶされている自分がみえてくる。

みえればみえるほど、世界が広がっていく。

みえることが嬉しい、出会うことが喜びです。

 

とてつもなく重い真っ黒なエネルギーが自分を覆い尽くし、何も分からなくなっていました。

そのエネルギーを見ていけばさらに大きな真っ黒なエネルギーが自分を覆い尽くしているのがみえます。

そうやってみえていくにつれ、心が開けていきます。

自分がどこまでも真っ暗に落ち込んで落ち込んでいくのは、これが自分が住んでいる世界だったからでした。

瞑想をしながら、心を見つめて見つめていく、とてつもない喜びです。

 

ゼロ歳の自分を思う瞑想をすると、本当に安らいで、幸せな自分を感じます。


こんなにも優しい穏やかな温もりがあったのに、

苦しみの中で苦しみ続けてきた自分が、自分に対して申し訳なかったと思いました。

この温もりに心を向けてこなかったことが申し訳なかったと思いました。

 

母の温もりを感じるたびに、何もいらなかった、

母を思うこの心と肉体があればよかった、あまりにもたくさんのものを求めすぎていたと感じます。

 

死後の自分に向けました。


前回向けたときは、苦しくて、ただただ唸るばかりで、苦しくて語れないということを語るのがやっとでした。

今日は、ひたすらにお母さんを呼んでいました。

苦しい苦しい思いでお母さんを呼んでいました。

死後の自分と一緒にゼロ歳の自分を思う瞑想をしました。

心が穏やかになってうれしくなりました。

今の自分と死後の自分が心を一つにして、

生まれたばかりの自分を思っていることが不思議な感じもしましたが、

でもこんなにも幸せだったのかとうれしくなりました。

 

田池留吉に向けました。


幸せですという思いを感じ、その思いに向けると、異語が出て、心が広がっていきました。

自分の中に広い心があったのだと思いました。

波動の勉強の時のことを思いだしました。

■ 

死後の私の思い。


 苦しいです。清く正しく美しく、そう思って生きてきました。

それは自分がそう思えることも当然ながら、人様から見ての評価もそうあるべきと、

清く正しく美しく見えるようにと、私の心をねじ伏せながら整えてきたんです。それが苦しかった。

 

 そうです。私はプライドを高く掲げて生きてきました。人からどう評価されるか、それを気にしながら生きてきました。

そのことの間違いを死後の私が教えてくれます

プライドを持って生きる、清く正しく美しくをモットーに生きることの愚かさ、滑稽さ、間違いを、死後の私が教えてくれます。


 私は、清く正しく美しくが正しいと思って生きてきました。

その正しさは土台のない、吹けば飛ぶような危ういものの上に成り立っていました。

自分だけがプライドに拘り、相手の評価に拘って、少しでも私を高く評価してもらおう、

評価させようとしてただけに過ぎませんでした。


 プライドなんて何の役にも立たないんです。あればあるほど自分をギュウギュウ締め付けるだけなんです。

清く正しく美しいなんて、あり得ないんです。肉を基準にしているから清く正しく美しくに価値ありと思っていただけなんです。

肉を基準にしているから優劣を競い、そのために満身の力を持って戦ってきただけのこと。

所詮は同じブラックの穴のムジナでしかありませんでした。


 そして、清く正しく美しく生きることを素晴らしいとしてきた他力信仰が、私の中に根付いていました。

敬虔であること、謙虚であること、清貧であることが、素晴らしいと讃えられる世界。

れこそがブラックのエネルギーの中に成り立った他力の神々の世界であることに気が付かず、

清く正しく美しいことに憧れを抱いていました。


 何のことはない、どこにも清く正しく美しいなんてないんです。

あるのは、おぞましいほど汚くて、間違いだらけを続ける厚かましさと、何をどう捉えても欲だらけの生き方でしかないんです。

己の欲を満たすためには人も、すべてのものも破壊し抹殺する。己の欲のためには、どんな汚い手でも使う。

言葉では綺麗なことを並べても、その心に流れるエネルギーは凍りつくような冷たさと厳しさでしかないんです。

優しさなど欠片もないんです。


 そんな生き方を続けてきた私の死後は苦しくて当たり前でした。間違って来たのだから苦しくて当たり前でした。

間違って生きてきたのに、間違った心を使い続けてきたのに、

死後の自分が救われているはずと思うほど能天気な私の実は厳しいです。

けれど、その厳しい現実が私なんです。


 たくさんの間違いを続けてきた私です。

ブラックのエネルギーを宇宙に膨らませ、宇宙を破壊し、自分も自滅して、宇宙のもくずとなって彷徨い続けてきたんです。


 それでも、今世、こうしてこの学びに、真実に出会うことができました。そして、少しずつ私の現実を教えてもらっています。

肉の私が思うのとは雲泥の差があります。

私の現実は頭で思っているのとは雲泥の差があるのに、その差をまだまだ実感できずにいる愚かさです。


 ああ、清く正しく美しくなど、そんな形などいらない世界でした。

目を閉じて、田池留吉を思う、アルバートを思う、お母さんを思う世界には形はありませんでした。

ただ、思う、思えることが嬉しいだけでした。


 プライドや清く正しく美しい形にしがみ付かなくても、その手を放していけばよかったんです。

戦う必要も卑下する必要もない。

ただ、嬉しいか苦しいか、縮こまっているか広がっているか、冷たいか温もりか、それだけでした。

心で感じることだけでした。握った手を離していけば、いいだけでした。

それをしていける今でした。ありがとうございました。


 田池留吉に心を向けると、地獄の底でもがき、苦しみ、戦い続けてきた私が喜びを語ってきます。

田池留吉、今世貴方に出会えたことを、心から嬉しく思います。


自分が何者なのか、どんなところに存在しているのか、私は帰りたい、でもどちらに向いているのか、帰る方向が分からない。

ずっとずっと長い間、地獄の底の底の真っ暗な中に存在してきました。

 だから求めたんです、必死で他力をしてきました。すればするほど、全てが苦しみと?がっている。

本当に本当に間違った道を歩き続けてきました。


 お母さん、お母さん、私はお母さんを求め続けてきました。

お母さんのお腹の中で感じた、あの思いをもっと、もっと感じていたい・・、だから肉のお母さんを求めたんです。

どれだけの欲の心で己、己と己一番にと求め続けてきたことか。肉の母からは厳しい思いのみでした。

 私は母を殺しました。お前なんかいらない、死んでしまえ。どれだけの闇を吐き出して来たことか。

でも、意識の母からは、こんな私を全て受け入れてくれる、優しい優しい温もりだけです。


 肉しか信じられない私は、その温もりを全て抹殺して生きてきました。己一番、己己己と全てを全てを支配する
エネルギー。

自分の心を見れば見るほど、母の愛の中にいる私を感じます。

私の意識はどんどん語ってきます。やっと、やっと、自分の間違いに気づけました。

貴方の温もりが、優しさが、私を包んでくれています。

私は苦しみでは無かったのですね。

私達は一つ、共に共に進んで行きましょうと伝えてくれる温かな波動。


私は幸せです。全てを委ね、温もりに包まれています。私の意識がどんどん喜びを叫んでいます。

ありがとう、ありがとう、嬉しいです。全てが全てが愛の中でした。

私は今、大きく手を広げ、喜びで受け入れて・・・、言葉が出てきません。


そう、受け入れて行きますと言いたかった。でも、まだまだ語れない私がいます。

もっと、もっと私と向き合ってくれと語ってきます。

その苦しみの奥に、アルバートに帰りたいと言う必死の思いが伝わってきます。私は甘かったです。

はい、私は冷たかった。こんな冷たい私をそのままに、苦しんでいる意識に何を伝えると言うのか?

 田池留吉に心を向ける、波動を感じる。ああ、それだけだったんですね。


 間違いがはっきりと分かります。温もりの前には私の凄しい冷たいエネルギーも癒えて行きます。

何もありません、解き放たれた意識は本当に軽やかです。

宇宙の風、ずっとずっとこのまま居たい。幸せです。

 はい、「心をみる」、「瞑想をする」、この両輪で進んでいく。今まで何度となく聞いてきた来た言葉が心に沁みます。

それを出来るいまが本当に嬉しいです。有難うございます。


 死後の私


 ドンドンドンドン落ちてゆく、暗い暗い、真っ暗、真っ暗。こんな世界にいて語ることが出来るのかと思いました。

でも語ってくださいと呼びかけました。お母さんを呼べますか、お母さんを呼んで下さい。

クソ―クソ―クソ―ったれー、クソったれな奴なんか知るものか。あー苦しい苦しい。

お母さん、あー苦しい。 お母さんなんて呼びたくない、でも 呼びたい。

お母さん、お母さん、お母さん、クソ―クソーくそったれー、憎んで呪って恨んできた。

あ奴がいけない、あ奴のせいで私はずーとずーと苦しんできた、その思いで今まできたんだ、だから苦しい、苦しかった。

恨む思い、責めさばく思い、あーそんな心が苦しい。


私は間違っていない、私は正しい、とその思いを強く強くしてきた。

真黒な世界、真黒、真っ暗、何処を見渡しても真っ暗、真黒、そんな世界。

そう私はこんな世界にずーとずーと存在してきたんだ。

お母さん、お母さん、お母さん、ずーとずーとこの時を待っていた、私はお母さんって呼びたいと待っていた、そんな気がする。

心が軽くなる、嬉しい、お母さん。 お母さん、お母さん、嬉しい。

 

死後の自分と語ってくださいと言われて、初めて自分の死後に向けたとき、

真っ暗中で固まって何も話したくない自分を知り愕然としました。これが今の自分なんだと思ったからです。


でも、私はセミナーで沢山沢山気ずかせてもらいました。

0歳の私、私は貴方、貴方は私、私の中にしっかりあることを伝えてもらいました。

アルバートと初めて呼べた時の驚きと嬉しさ、田池留吉がどれほど伝えてくれたか、

待っていてくれるお母さんの思い、本当に沢山沢山伝えてくださいました。

 

ホームページを見ているとセミナーが蘇ってきます。

変わりたいという思い、真黒が嬉しい、とゆう思いが出てきてビックリしたり、

ホームページを見ていると私の心は優しくて暖かくなります。少し変わってきた自分が嬉しいです。


死語の自分と語ってください、どれほど優しい中で学ばせてもらっていたか自分の死後と語ってみて思いました。

死後の自分と語る語れる嬉しいです。これからも自分と自分、語っていきます。

先生、私嬉しいって思っていました。嬉しい嬉しい嬉しい嬉しいって思ってきました。

自分の中から湧き出る喜び、今でもそれは確かな手応えとして心に響いていますが、

でもだからと言ってそれがすべてではありませんでした。

その喜びの状態になって初めて本格的に心が見れるんですよ、そんな思いが伝わってきています。

私はこの喜びの世界を別天地だと思っていました。ゴールとは思ってなかったけど、だいぶ進んだ位に捉えていました。

違いました。スタートだったんですね。入口だったんですね。私はようやく学びの入口に立っている、そんな感じがします。

 あります。私の中に寂しい思い、暗い思いが確かにありました。恐怖感。声が出ません。声を出せません。

声を出したら自分の声が虚しく響き渡るのがわかるから。そしてそれはますます寂しさを決定づけるだけだから。

 幼い頃、夜中トイレに行く時に一人で家の階段を降りて行かなければならない、あの時の恐怖に似ている。

足がすくんで動けない。怖くて怖くてお母さんを起こして一緒に一階のトイレに着いていってもらった。


あとやはりそれも幼い頃。夜中に目が醒めて寝つけなくて、

天井の木目が人の顔に見えて、怖くて怖くて布団の中で縮こまっていた。

寝よう、寝てしまえばこの恐怖心とおさらばできる。でも結局寝れなくてお母さんの布団に飛び込んだ。


 あの時は肉のお母さんがいたからクリア出来たけど、死んだらあの状態が永遠だ。

お母さんのぬくもりをこの心に確立できなかったら恐怖心の塊になって身動きもとれず、

泣き声すらあげれずに嘆き悲しみ恐怖におののき続けるだけ。

 そして祈る。ここから助け出して欲しいと。救い出して欲しいと。

祈って祈って祈り続けていく、救って救って救い出して欲しいと懇願し続けていく。

 ああそうです。祈っていました。祈ってきました。


真っ暗闇の中にいる自分。

伝えなければ、学んだ事を死後の自分に伝えなければ、どんなに学んでも学んだつもりでいても、また私は祈り続ける。

祈り続けてしまう。祈り続けてしまうんだ。

初めて実感しました。私は祈り続けてしまいます。

はい、それはもうイコールというか、セットというか、その事実を今リアルに実感しています。


 田池留吉のいうとおりでした。塩川さんが伝えてくれている通りでした。

やっぱり私、学びを舐めていたんですね。

己が高かった。その事にも気付かずに真面目に学んでいると思ってきました。

私は一生懸命真摯に学んでいると密かに心の中で豪語していました。


 密かにと言っても全部バレているのに。それを知りながら本当に懇切丁寧に教えて伝えていただきました。

今もいただいています。すいません。すいませんでした。そしてありがとうございます。

 まだまだ垣間見る程度ではありますが、ようやく自分の現状を把握するにいたりました。


なにか叫び声が聞こえてきます。こんなところにはいたくないというアプローチが聞こえてきます。

その響き、その波動。今までそれを洞窟の中に虚しく響き渡るこだまのように捉えていました。嫌っていました。

嫌だ、やめてくれ。聞きたくない、知らない。そんな恐ろしい世界、果てしなく虚しい世界など思い出したくはない。

関わりたくはない。そうやって対応してきたのが今までの自分、今までの私でした。

自分に冷たかった。その事がひしひしと伝わってきます。


 その自分に伝えて行くんですよ。その自分と学んで行くんですよ。それが今あなたが一番するべきことなんです。

ありがとうございます。田池留吉が伝えてくれている優しさを自分に伝えていきます。温もりを伝えていきます。

冷たい私が塞き止めていました。塩川さんが愛の放射搭なら、私は愛の遮断壁でした。

愛を遮っていました。愛を遮断していました。


 一つですよ。あなたは私、私はあなた、一つですよ。田池留吉はそう伝えてくれています。

その思いを感じていくだけでよかった。田池留吉に思いを向けて行くだけでよかった。

この事だったんですね。伝えてくださっていたことは。学びの仲間が次々と証明してくれていることは。

やってまいります。田池留吉に心を合わせて参ります。ありがとうございました。ありがとうございました。


 たくさんの自分と語ること、どれほど苦しい自分であってもいいんです、私は自分と語ることが今一番嬉しいです。

なぜなら、優しい自分、愛しいと思える自分、心から包みこめる自分と出会えるからです。


心の会話、通じ合う喜び、共有できる思い、そんな世界が広がって行きます。

自分と自分、一番分かっている相手です、何も隠す必要はないし安心して心を曝け出せる、そんな時間が嬉しいです。


自己供養の喜び、伝えあう喜び、過去の自分も死後の自分も、

大きな世界に存在する喜びを共有する嬉しさ、そんな時、肉を超えた自分をしっかりと感じます。


そして、私の思いは田池留吉の世界に向いていきます。

言葉にならないくらい、心が膨らんでいきます。後はひたすら異語で語るだけです。

すべての自分は温もりを、優しさを、抱きしめられることを求めていた。

そのことを訴えていた。

自分で自分を受け入れられる、この心に受け入れられる、私の中のすべての私を感じられる、それが喜びでした。

自分に優しくなれることが喜びでした。抱きしめることが喜びでした。それが出来る私だった。

ともに帰ろう、この言葉にたくさんの思いを込めて、私は私に伝えます。

瞑想の中で出会える世界、苦しい世界も広がる世界も、すべてが喜びです。

自分が自分に出会えることが嬉しいです。

「死後の自分」

 反省をしている時、今、死んだ自分に思いを向けました。


 「申し訳ございません。私の死後の世界は真っ暗でございます。死んでいるのかさえも分からず彷徨っています。

こんな筈ではなかったと思うばかりで、どうすればいいのか真っ暗な中で私は一人ぽつんと蹲(うずくま)っております。

死とはこのような世界なのですね。

そういえば私はかつてこのような中に一人居て、不安と寂しさで泣き叫んでいた私を体験したことがありました。

真っ暗な漆黒の中に蹲る私を感じたことがありました。私はこの世界を受け入れていかなくてはならないのですか。

こんな筈ではなかった、私なりに学んできたと思ってきましたが、私の死後はこんなに苦しい世界です。

肉ある時は本当に分からなかった悠長な私でした。

死ぬまでにはまだ時間があるという、甘ったれた漠然とした思いで生きてきました。

死後の自分をもっと真剣に見つめられなかった私です。あーやり直せるものならやり直したい。

自分を救うのは自分だとあれ程伝えてもらっていたのに私は何も分かっていませんでした。申し訳ございません。」


 死後の自分を聞いてこれが今の私の死後の実態です。言葉もありませんでした。

私は命がけで学んできたのか、甘かった自分だけが心に浮き彫りになりました。

この現実から逃れることは出来ない自分の甘さをしっかりと教えていただきました。


 田池留吉に心を向けて瞑想をしていると中から悲しい思いが伝わってきました。


 「あー、苦しい苦しい苦しい・・・・田池留吉、何が愛だ、何が愛だ、愛などどこにもない。

あるのは苦しみだけだ、誰も助けてはくれん。この世に愛などどこにも存在しない、あるのは死の恐怖と苦しみだけだ。

愛が欲しくても愛などどこにもない。そんなもの信じられるか。」


 私は愛を求めてきたはずなのに愛が分からない、お母さんの温もりが分からない、

この苦しい心を隅から隅まで知り尽くしてきた意識たちが今世の肉を繋いでくれました。

どんな思いでこの肉にその思いを託したかを思わずにはいられません。

まだまだ肉を本物とする他力の心、何も分かっていない私です。

己が偉い心にはその肉の愚かさ難しさをいやと言うほど感じています。

そんな私に0才の瞑想は素直な私に出会える時間です。

お母さんのお腹の中で喜びの十月十日、母のお乳を無心に吸っている時に感じていた

あの優しい母の温もり、意識の転回を託して喜びでこの肉を生んでくれた母の心を思い出させてくれます。

 

私は自分の中の沢山の苦しんできた自分、アマテラスとともに生きてきた自分にこの幸せこの安らぎを伝えていきたいです。


 「あなたはいつも私の中にあります」と心の中から伝えてくれる田池留吉、真実の波動に出会うために生まれてきました。

この思いに立ち向かうものは何も無かった、田池留吉の温もりに触れるだけでよかった。

今世の肉はそれをしっかりと学ぶためにありました。

アマテラスは待ってくれています、

この心の中にしっかりと感じている意識の流れ、それは田池留吉、アルバートの思いです。

次元移行に向けて私の宇宙とともに約束を果たしてまいります。

死後の自分と話していこうとして気付いた事と感想     

 狂い続けて苦しみもがく地獄の奥底の自分。

息もつけないほどの苦しい思いの中で必死に助けを、救いを求め続けている自分を感じます。

私が突き落としてきた地獄、冷たい心で踏みつけにし捻り潰してきた哀れなむごたらしい私が苦しみうめき声を上げています。

目も背けたいような惨状が広がっています。

 

 ああ今まで目をそむけてきました。ごめんなさい。自分なのに絶対に見ること出来なかった。

怖かった怖かった、この心が怖かった。冷たい凍りつくような残忍な自分を知る事が怖かった。 

        

だからずっとずっと心の奥深くに隠してきた。

今、田池留吉の波動の中でようやく自分から目をそ向けず自分に語りかけようとしている私がいます。

自分に優しいい思いを向けてくださいという思いが伝わってきます。

 

「苦しかったね、苦しかったね。でももう苦しまなくてもいいんですよ。あなたはもう救われていますよ。

初めから幸せの意識ですよ。肉を自分と思ってきた事が間違いだったのですよ。あなたは意識ですよ。

お母さんを思い出してください。ほら温もりが伝わってきませんか。お母さんを呼んでみてください。

お母さんを思えばなんだか嬉しくなってきませんか。お母さんからみんな生まれてきたんですよ。みんないっしょですよ。

お母さんと呼べば広がる温もりそれがあなた自身ですよ。私と一緒にお母さんを思っていきましょう。

お母さんから生まれて、お母さんに帰る途中の私たちなんですよ。お母さんに帰って行きましょう。

田池留吉、アルバートはお母さんの温もりを伝えにきてくれたんですよ。アルバートと共にの道を歩きましょう。」

 

 とそう死後の自分に語りかけています。これからも語っていきます。

 

瞑想をする中で田池留吉の波動を感じれば感じるほど苦しんでいる自分を感じます。

その自分を知れば知るほど、私は自分を救う為にこうして肉を持たせてもらっていたとはっきり感じます。

 

一番に自分がする事は自分が自分を救う事でした。それが私の唯一しなければならない事でした。

自分の責任は自分でとる。その事をしていけるこれからと思えばうれしいばかりです。

 

肉ある時も肉持たない時もこうしてやっていけばいいのですね。

それが出来るようになる為、毎日、瞑想で、田池留吉、アルバートを思い自分と語っていきます。

私はやっと自分の生まれてきた目的、意義が心で分かりかけてきたと思います。

 

自分の本当の仕事、人生を送っていきたいと思います。

これからを思うとうれしいです。田池留吉、アルバート、有難うございます。

 


どんなに頭を使っても、心の中の苦しい自分を救えなかった。

狂いに狂い、苦しみの坩堝(るつぼ)に落ちた自分を救い出すことはできなかった。

あまりの苦しさに他力を求めたその果てには、より深い苦しみが待っていた。

素晴らしいと誇った自分は、苦しい自分さえ救えなかった。これが私の歩んできた今までの転生でした。


今世、肉持ってその苦しい歩みを止め、喜びへと誘ってくれる意識に出会った。

そこではっきりと告げられたことは、肉の自分は無力だと言うことでした。

私達は意識、肉ではありません・・・

このことを心で分かり、己が無力であることを知るまで、苦しみは次から次にやってくる、

もはやどうしようもない所までやってくる。これが愛、これが温もり、厳しい厳しい優しさです。


苦しいことはやめましょう、そして心を見てください、この言葉に流れる真実を、私はおろそかにしてきました、侮ってきました。

その己偉い思いが苦しみの原因でした。こんな心ではとても田池留吉にすべてを委ねることはできません。

委ねると言うことの意味すら分かっていませんでした。


すべては「はい」しかなかった、その「はい」が言えなかった。委ねることのできない偉さです。信じることのできない偉さです。


今、自分の前にこれからの自分が歩く道が見えているか、

次元移行への道がついているかと聞かれたら、答えられない私がある。

薄らぼんやりではだめなんです、はっきりと心に描きだせなかったらだめなんです。

その思いが強くある。

死後の自分と語り合い、田池留吉・アルバートを呼べるか、そして次元移行という道筋を心で確認出来るか・・・


もう、なりふり構わずに、ただただ自分のために生きていこう、出来るだけのことはやろう、

私は私の人生に責任を持とう、私の中のたくさんの意識とともに、

田池留吉・アルバートにひたすら心を向けていこう、そう思っています。


 私の心の中で天変地異が繰り返し繰り返し起きていました。

そのエネルギーをしっかりと自分の温もりで吸収していきます。

そして、その温もりが私の中にあることをしっかりと自分で確認し、

その温もりを心の中に広げていけるチャンスを、私の中で繰り返し起きてくる天変地異が私に与えてくれていました。

天変地異を現象化させていくのも私であり、その天変地異のエネルギーを吸収していくのも私がすることでした。

私の心の中から突き上げてくる凄まじいエネルギーは私の中で天変地異を起こしていました。

その凄まじいエネルギーを一つ一つ自分の中の温もりで吸収していく。受け止めて抱きしめていく。

その積み重ねこそ、私の中の優しさ温もりがしていくことでした。私の中にその温もりがありました。

優しさがありました。天変地異とともに私は自分の心の中に温もりを蘇らせていける。

「天変地異は愛」瞑想の中でしっかりと自分の心で感じています。

私の中の苦しみは私にともに温もりに帰りたいと伝えてくれていました。

「私はあなた、あなたは私、ひとつ」その思いを広げながら、ともに帰ります。

やっと、私の中で、天変地異は愛でした。と素直に喜びの中で伝えていける私に出会いました。嬉しいです

 

 

 自分の中の全ての思いを自分で吸収していくだけです。

自分の中から出てくる肉の思いを全て自分て吸収していく。あなたの心の中で天変地異は繰り返し起きています。

そのことに気が付けないのです。

気が付けないと言うことは、自分で自分を地獄に突き落とし続けて生きてきたということなんです。

その思いは遥か遠い遠い過去から、延々と積み重ねてきた思いであるからです。

その思いは肉を本物とするところから作りだした思いです。

肉を本物とする思いから作りだしたその思いは、肉ある時にでしか吸収できないのです。

自分が作り出したエネルギーをしっかりと自分で吸収していく。自分の中のエネルギーを吸収して、元の自分に蘇る。

 

それが出来るのは母の温もりです。自分の中の欲の思いをしっかりと見ていってください。

あなたが必要な物はもう全て整っています。

あなたの心の底の凄まじいエネルギーを引き出してくれる教材は、これからも用意されています。

全てが整った中でしっかりと心を見つめていってください。

自分の中のエネルギーをしっかりと自分の心で確認し、包んでいけるあなたであってください。

肉を本物とする自分が作り出したその思いは、全てがブラックのエネルギーです。

そのブラックのエネルギーを自分の温もり、優しさで吸収していってください。

それがあなたがあなたのために出来る最高の仕事、最愛の仕事です。

自分のために生きる。自分を大切に、それを伝え続けてください。

 

この三次元に肉持った意味がわかりましたね。

自分がエネルギーであることを知るためです。

そして、そのエネルギーを自分の温もりで吸収して元の自分に自分で戻していける。

その仕事をこれからあなたの肉はしていきます。その肉が無ければできないことです。

自分で自分自身を吸収しながら喜びの道を歩いていってください。あなたの目の前に一本の道が見えてきましたね。

温もりに自分自身を蘇らせるのは自分です。自分で歩いて、自分で辿りつく道です。

本当の自分に帰れる道、あなたの中のエネルギーを、

一つまた一つと温もりの思いで吸収していけば、自然に一つになって未来に向かって歩いていける。

田池留吉、アルバートとともに歩いていきましょう。温もりが私でした。優しさが私でした。喜びが私でした。

とその思いをどんどん広げていく道をしっかりと次元移行に向かって歩いていってください。

田池留吉、アルバートとひとつです。


 

 自分がつくりあげてきた神々を心から離す、本当にそれは至難の業だと感じています。

自分の心の動きを見ていけば、一歩前進、一歩後退、その繰り返しです。

田池留吉への思いもすべて神をつくりあげてきた思いに通じています。

田池留吉を心の中から追い出して捨て去り、いつしか驕り高ぶり、自分を、自分の肉を祭り上げてきたのです。


「田池留吉、消えうせろ」の思いは意識の世界を否定し、肉の幸せを最上とするエネルギーそのものでした。


 何事も余りにも安易に考えていた、肉を基盤にする思いから少しも脱却できていなかった自分が見えてきます。


 そして本当のところ、少しも心を見ていなかった、見たくない部分にはしっかりと蓋をして見ているつもりになっていただけです。


 何か愕然としています。お粗末さに唖然とする思いです。


 私は根本から間違っていたなと感じる心の動きを顕著に見つめています。


 救ってくれ、助けてくれ、それ以上に皆が幸せになって欲しい、

救ってあげたい、助けてあげたい、その思いの強さに気付きます。

施す、その心癖の奥底にある思い、エネルギー、それこそ破壊のエネルギーそのものでした。


 良い機会を与えられていることを感謝してさらに心を見る喜びを広げていきます。


 命を懸けて学んでいくとはどういうことだったのか、自分自身に問い直しています。

 口だけ命がけでと言い続けてきました。実情は程遠いものでした。

自分が作り上げた神を心に抱えたままで、それを放置し、

田池留吉が伝える学びを自分で曲げて自分に都合よく捉えていただけでした。


 今まで数多く聞いてきた言葉の中に、伝えていただいた事柄の中に、

どれだけ宝が詰まっていたか、今さらながら心で気付くのが遅すぎたと慙愧(ざんき)に絶えません。


 学びの中に本当に真実があった、これ以外に幸せへ続く道はない、確かな事実で疑いようがありません。


 素直に命がけで邁進してこなかったということは結局疑っていたのと同じことです。

馬鹿にしてきたのと同じことです。自分自身を愚弄(ぐろう)していたのと同じことです。


 今、震災を目の当たりにして、天変地異しか意識の転回は出来ないと言われていたことが、すとんと腑に落ちます。

まさしく、そのような状況になって始めて真剣に真摯に自分に向き合う、

そして意識の転回に真剣に取り組むということに拍車がかかっていくのでしょう。


 宇宙の藻くずとなって彷徨(さまよ)うことのないように、

今世を足がかりにして来世を未来を全うしていきます。その思いが膨らんできます。
 

 今回の震災によって、本当に現実として自分の中に作り上げた神、仏の存在を感じました。

過去どのようにして神を作り上げ、そして救われたい、救ってあげたい、その思いを強固にしていったかまざまざと感じています。

机上の反省、そして自分の中のエネルギーを感じても、そこで留まってしまう怠慢さをつくづくと感じました。


 何をするかは各々が分っていると思います。

でも真剣さが不退転の決意がいつのまにか薄れてしまっている、

そしてそのことにも目をつぶる他力のエネルギー、己を聳え立たせる己偉さ、傲慢さが浮かび上がってくるのです。


 これを機に私達が学んできたことがどのようなものだったのか、

さらに確信し、そして進むべき道がさらにはっきりと見えてきた、そう感じています。


 後は自分次第、まさしくそれにかかっています。自分を大切にする、それだけです。


 
 ああ、そうなんです。そうなんです。そう、私はすべてを簡単に捉えてきたんです。すべてを私の持てる範疇で捉えてきた。

けれど、意識の流れの真実は私の範疇の中にはありませんでした。私の持てる範疇では分かり得ないんです。

ああ、少し反省して嬉しくなった軽くなったと思っても、それは肉の土台から少しも飛び出ていないんです。

肉の土台から少しは飛び出たかのように錯覚していただけでした。

私の中にしっかりと覚悟、この肉いただいた本当の意味を全うする覚悟がないんです。

知識として知っているだけで、心の中から私はこの心を見るために生まれてきました、

真実に出会うために生まれてきましたという強い思い、強い決心が湧き上がってきていないんです。覚悟がない。

その覚悟がなければ、どんなに反省をしても肉に流れていき、土台を変えることはできないんです。

母の命懸けで生命をいただいたことを、私はまだ軽く捉えているんです。

お母さんに命懸けで生んでもらったことの、その命懸けがどういうことだったのか。

命懸けで心を見る、その命懸けということが全然心に響いてきていないんです。そのことを感じます。

 

長い年月、ぼんやり過ごしてきてしまいました。本当に覚悟がないままでした。

覚悟がないままだから、本当の意味で出発できないんです。本当の意味の歩みをしていない。

頭で思う決意ではなく、心の底から競り上がってくる、湧き上がってくる決意がなければ、しっかりと歩みを進められない。

半歩も歩めない。私に今必要なのは、覚悟です、決意です。この学びをやっていく、それは今までも思っていました。

けれど、私の思っていたのは肉の考えであって、心の底からの覚悟、決意ではありませんでした。

何があっても揺るがない覚悟、決意があってこそ、突き進めるこの学びだと感じています。

中途半端なことばかりしてきました。覚悟や決意がないから、やると思ってもすぐに頓挫してしまっていました。

その程度の覚悟や決意なら無いも同然です。


 死後の自分と語る。アマテラスに思いを向け、アマテラスの思いを受ける。

それを通して私を知る。

そうなんです。それが私の実態を知る大切なことだと感じているんです。それしか私を知ることができないんです。

私自身で私の実態を知ることができる大切なチャンスなんです。ああ、今が大事な時なんです。

私を知ることができる大切なとき。そのことをぼんやりと漠然ととらえていました。ああ、そうじゃないんです。

ああ、そうじゃない。漠然と取り組むことでなく、強い覚悟と決意を持って取り組むことでした。

私を知る。どんな私でも私の実態を知れることは嬉しいことでした。


 何もかも簡単にとらえ、薄っぺらい受け取り方をしてきました。そうやって適当に生きてきたんです。

適当に過ごしてこれた今まででした。けれど、もうそれは通用しない時期になりました。

通用しないどころか、もうできない、それではダメという所まできてしまってました。


 ああ、ありがとうござます。ありがとうございます。この感覚、言葉では言い表せないものがあります。 

私は今まで「間違ってきました、すべてが間違っていました」と何度も言ってきました。

己を聳え立たせたまま肉を基盤にそう言ってきたことに気付きます。反省も肉が基盤でした。

白か黒か、黒の道を歩みながら、私は白へ通じる道を歩んでいると錯覚していたのです。

自分に甘いと言うよりタカをくくっていた、根本から他力の域を出ていなかったことに気付きます。


 神を心にしっかりと握っていた自分を認めて、そこから自分を解放していく、それはとても難しいことですが、

震災を得て自分の心の拠り所が大幅にずれていた、全く違っていたことを改めて感じています。


 田池留吉に何故心がしっかりと向かなかったのか、向けられなかったのか、その原因が浮き彫りになってきました。

どこがどうではなくて、すべてが天地逆さま、

田池留吉の指し示す方向とは真反対を歩み続けてきた自分だということに改めて気付かされます。


 でも悔いてばかりもいられません。間違っていましたという言葉は、

その思いを改めて黒から白へ転換した時に真実になってくる、

今この期に及んで自分を誤魔化したり蔑ろにすることは自殺行為です。


 自分を大切に、今を喜び心を見る、ただそれだけです。


 形の世界が本物とするその心の世界を崩していきます。

形にしがみついて生きてきた私の心は、戦いと破壊を繰り返すだけでした。

肉の世界を本物とする生き方は、勝った負けたの世界だけでした。

そのエネルギーは必ず自分に返ってくる。自縄自縛の世界でした。一人芝居の世界でした。


私の心の中に今も存在している、勝った、負けたの世界をしっかりと確認して、苦しんでいる自分に本当の事を伝えます。

私は肉を持つことにより、ただただ比較競争の世界、区別差別の世界を繰り広げてきただけでした。


ピラミッドの世界を、自分の心の世界に作りだしました。

私の中のピラミッドの世界は、ブラックパワーのエネルギーで築きあげた世界、祈りの世界でした。

しっかりと心を田池留吉、アルバートに合わせて、自分が作り出したピラミッドの世界を自分の中から解放していきます。

自分の中に作りだしたピラミッドの世界を、ブラックのエネルギーの世界を、私はこれから自分で崩壊させていきます。

私の中に喜びがありました。その喜びが私に崩壊を促してくれています。母の心です。母の心が私に崩壊を促してくれています。

必ず帰って来なさい。そのように伝えてくれています。崩せることが喜びです。私の中の喜びが崩していきます。

自分で分厚い壁を崩して、崩れた自分を喜びで抱きしめられる。愛おしい思いで抱きしめられる。

それを私はこれから実践していきます。嬉しいです。自分で崩して、自分で抱きしめる。自分の事は自分でする。

その実践だけです。もう何もいりません。生きている間に命がけでしていく私の仕事です。

 

田池留吉、アルバートに心を合わせられる今を大切にします。田池留吉、アルバートを思える今を大切にしていきます。

「私はあなた、あなたは私、ひとつ」を忘れた心は、全てをバラバラにしていくことしかできませんでした。

勝つことが自分の人生、自分の喜び、幸せとしてきた気高く、

そして、賢くありたいと願い続けた私の中のたくさんの意識達に、今までの私の全てが間違っていたことを伝えます。

田池留吉、アルバートに心を合わせていける喜びを伝え続けます。

ともに、次元移行へと伝えます


 アマテラスの苦しみを心で受け止める、それは本当に自分を温もりであり、

田池留吉であると信じていなかったら、到底出来ないことを知りました。


肉を基盤とする自分を抱えて、いくら反省瞑想をしても、己偉い範疇を超えませんでした。


心の底から湧いてくる苦しさに、ただただ肉をかばい、逃げ惑い、出てくるなと押し込めるそのエネルギーは凄まじいものです。

だから苦しさが2倍になる。


肉の目の前は真っ暗、何もする気力がなくなり、もうどうでも良いやと投げ出したくなる。

それが冷たい自分だと頭では分かっていても、心が動かない。


温もりを拒み、田意留吉に心を向けることを拒み、それでもまだ苦しみ喘いでいる自分をどうすることもできない。


逃げられるならここから逃げたい、誰かこの心を楽にできるならしてください、

それが他力への道だと思っていても、苦しい自分を救えない。


そんな苦しみの中にあって、心を見ると言うことは、本当に至難の業です。

でも、この学びを知ってしまったから、もうどこにも救いを求めることはできません。

自分しかない、この言葉が心に浮かんできます。ただ唯一救いなのは、お母さんの存在です。

じっと自分の手の平を見つめていると、この肉をくださった母を思い、その思いをかみ締めています。


何度伝えられても、何度手に取るように教えてもらっても、すべて打ち消しました。

その結果は自分に帰ってくる、分かるまで帰ってくる・・・ああ、申し訳ありません、もう自分でやるしかないのです。

出てきた結果を真摯に受け入れ、そこから道を探していかねばなりません。

最短距離をいければいいけれど、回り道して遠回りしてでも、辿り着かねばなりません。


それが今世、肉持って田池留吉に出会った意識のやることなんです。


アマテラスの寂しさ、母に出会いたかった、愛が温もりが欲しかったという叫びを心に感じながら、

ああ、もうすでにすべてが与えられてあるのだと言うことを、初めから幸せだったんだと言うことを、もっともっと信じていきます。

勝った負けたの世界には、必ず、お金と、神が関わっていた。

そのエネルギーは底知れないほどの死の恐怖に繋がっていく。

権力を誇り全てを手に入れても、どれほど我が子が献身的に尽くしてくれたとしても、

最後はそんなものなど何の価値にもならない。

死ぬことなど怖くはないとどれほど叫ぼうとも、その心の底に渦巻く死への恐怖は、

漆黒の闇となってその言葉の底に広がっている。

老いてくれば当然死の恐怖から自分の心を離せない。

それが怒りとなり、疑う思いとなり、被害妄想、鬱病、金がとられた、物が取られたの怒りとなって向ってくる。

死への恐怖がその全てを表していく。その凄まじいエネルギーは全ての心の中の底に渦巻いている。

お金への執着、物への執着、それらの全ては死の恐怖に繋がっていた。


お金があれば何でも手に入る。物があれば自分を支える楯となる。

その思いは自分の死を決して支えてくれるものではありませんでした。

勝ち負けの世界の醜さ汚さ見苦しさ、しかし、表向きは気高くそして賢く生きてきたと、

自分で満足しているその心の世界には、死を恐怖する漆黒の闇が広がっているのでした。

そのことにも気が付けずに生きてきました。金額が大きかろうが、少なかろうが、

些細なお金のトラブルが死後の世界の恐怖に繋がっていきます。

なぜ戦うのか、なぜ、心から自分の間違いを認めることができないのか。死の恐怖が根底にあることに気が付けないからでした。

それは、権力闘争の中で「神と金」を握りしめての戦いであったことを気付かせてくれました。


お金があってもお金を握っている。お金が無くてもお金をしっかりと握っている。そんな心の世界に気が付かせていただきました。


神と金に対する凄まじい執着の思い。それは、死の恐怖でした。

死の恐怖は、勝った負けたの権力闘争へと繋がっていきます。

宇宙のパワー、ブラックパワーに繋がっていきました。


勝った負けたの心は、恐怖の中で神と金を握りしめて、祈りながら死んでいくことしかできないのでした。

 

田池留吉、アルバートに心を合わせます。

自分の中の凄まじい思いに出会えたら、しっかりと田池留吉、アルバートに心を合わせます。

 

心が安らいできます。

素直に自分の中の醜くて汚い自分とともに、田池留吉、アルバートに心を合わせていける今が嬉しいです。

この喜びを積み重ねていきます。お母さん。私は私を救っていける。それが私の喜びです。

そして、幸せです。自分で自分を救っていける今を大切に生きていきます。ありがとうございました。 

私のするべきことはただひとつ、心を田池留吉に会わせることだけでした。

それ以外のことに、なんの喜びがあるでしょうか。すべてが田池留吉・アルバートに心を向けることを示唆していました。

どれほど逆らい歯向かっても、私は田池留吉の宇宙から決して出ることはなかった。

遥か過去の宇宙から、私は田池留吉とともに存在してきた。

そして思いをアルバートに向ける時、ああ、これからの未来を思います。これが私なんだと・・・


どれほど愛され許され待ち続けられていたか、何度も何度も待っていますという言葉を聞いてきたか・・・

それを人ごとのように聞き流してきた愚かな私でした。

私は母の温もりを捨て去った、けれどもお母さんは決して私を捨てなかった、

捨てるどころか与えて与えて与え続けてくれていた、すべてを与え続けてくれていた、

信じて待ち続けてくれていた、その思いが心に広がります。

私は愛、温もり、喜びのエネルギー・・・永遠に田池留吉・アルバートと存在する者・・・

ああ、私はこの肉あってもなくても、田池留吉の肉があってもなくても、この心を向け行く先はここしかない、

それ以外の所には決して向けない、それが私の進む道でした。私ははじめから幸せだった、喜びだった、それが私です。


 

 01 

「宇宙は優しい、宇宙は温もり、そして喜び」この言葉が心の中で広がっていく。


私の宇宙に思いを向けると、愛しい愛しい愛しいという思いが満ちてくる。

母の思いか・・・そう、お母さんの思いです、ああそして私自身の思いです。

その思いに誘われて、凄いエネルギーが深い底の底から吹き上がる。

「もっと出しなさい、もっと出していいんですよ、もっともっとあるでしょう」それを聞いて、ウオーウオーと叫びが上がる。

みんなみんな語りたい、心を語りたい、こんなに凄まじいエネルギーの自分を語りたい、心からの叫びです。


宇宙は暗黒、恐ろしい、狂いに狂った世界、そう捉えてきた私の心が本当に凍えきった心だったと、痛感している。

「この思いを出してもいいのですか」「あなたのすべてを受け入れています、安心して語りなさい」そんな会話が心に伝わる。

本当に私は私の宇宙とともに歩んでいる、そんな今なんだなあと思います。

 

 先日、テレビで「日本沈没」という番組を少しだけ見ました。私の中のアマテラスが騒ぎます。

アマテラスの作り上げた帝国が、このようにして、いいえ、もっと凄まじい天変地異の中で崩壊していくんだと言うことを感じ、

もう涙が止まりませんでした。万感の思い、そう、懺悔と喜びの中で海に沈んでいくのだと感じ、

ああ、意識の世界って凄いんだ、これが本当の世界なんだ、そう叫ばずにはおられませんでした。

 


■ 02 

私は今生きている、そんな実感が沸いてきます。

今まで、肉の楽しみを追い求め、立派な仕事をしたり、旅行したり、たくさんの趣味を持って、

忙しく体を動かしていくことが、「生きている」という感覚を味わっていくのだと思ってきました。

でも、どんなに楽しいことが続いても、心のどこかに空しさがあることを、ちゃんと知っていました。


死ねばすべてが終わる、そう思うたびに、今していることの空しさが広がっていく。

努力していることも、人に認められるようなことであっても、死ねばすべてが終わる、

そう思えば、もう何もかもが無駄に感じてくる。そうやって、いつも心は空しさでいっぱいでした。


そして今、こうして自分の苦しみの宇宙を思う時間をいただき、

日々心の苦しさを感じていく中で、少しずつ、「あぁ、生きている」その思いが大きくなっていきます。


苦しい心ばかりを語っているのに、生きているという実感が沸いてくるのはどうしてだろうか。


自分の苦しみの宇宙を見つめていくために今肉を持っているからでした。

この心を語っていくために、肉を持ち、今を生きているのでした。


だから、心を語れば語るほど、それが苦しければ苦しいほど、「あぁ、生きている」って、嬉しいんです。


死ねばすべてが終わる、そんな世界ではありません。

私が今心に語り、心で感じ、心で気づき、心で受け止めていくことは、

すべて次の転生へと繋がっていくこと。


だから、空しくなんかない。それどころか、死ぬことを思えば、もっともっと、今しっかりと心を見ていこうと思います。

無駄なことなんか何一つない。それが嬉しい。


今私が感じていることが、永遠に私の中で生きていく、それが嬉しいです。


肉の楽しみを満喫しているときはあんなに空しいのに、

今、苦しい心を語るばかりの日々が、嬉しくて、生きているという実感に沸いている。


意識の世界ってすごいんですね。私にはまだ未知の世界です。まだなんにも分からないんです。

でも、わずかでも心で響いてくる思いがあれば、それを大切にします。


そしてしっかり思いを向けて、もっと語っていきたいと思います。しっかり受け止めていこうと思います。

■03 

小さな小さな風穴があいていく。心を向ければ今まで閉ざしていた心に新しい風が流れていく。

「その人、田池留吉」から流れる波動が沢山の意識の心に風穴を開けていく。

小さな小さなその穴から、素直な素直な思いが飛び出してくる。

誰にも語ることができなかった、苦しくて寂しくて孤独だった沢山の意識達の叫びが心の底から叫び始める。

何が間違っていたのか分からなかった。どのように生きていけばいいのか分からなかった。

そして、自分の現実を知ることが怖かった。恐怖で抑え込んできた自分の叫びが、次から次に素直に飛び出してくる。

凄まじい自分を許して、自分を受け入れてともに歩いていこうとするその思いが、私の中にしっかりと確認できる。

「ともに歩いていきましょう」優しい優しい温もりが心に流れてきます。心が大きく大きく広がっていきます。

底の底から喜びが突き上げてきます。ああ、嬉しいです。ただただありがとうしかありません。

私の中の思いを語れることが嬉しいです。

私の喜び、私の幸せは、苦しんでいる自分を自分で許して受け入れていくことができる。この道をともに歩いていきましょう。

この思いが私の中から溢れてきます。「その人、田池留吉」優しいです。閉ざして生きてきた私達の心に風穴が開きました。

優しさと温もりが流れてくる。だから安心して自分の思いを吐き出すことが出来る。優しいです。厳しいけれど優しいです。

凄い本です。風穴から流れてくる田池留吉、アルバートの波動に包まれていきます。この地球全てを包み込んでいきます。

私の中が爆発を繰り返します。喜びの爆発を繰り返します。

今世にありがとう。しっかりと未来に向かって歩いていきます。嬉しいです。嬉しいです。


■04

 瞑想をすると、私の目の中に田池留吉を見ます。田池留吉の目があります。


どんなにしても、間違ってきた、そのことしかきません。

宇宙はこんなに広くて、愛に満ちあふれていたのに、それを狭い心で拒絶してきたのは、私だった。

そのことしかきませんでした。私は、自分勝手だったんです。何でも人のせいにしたかったんです。

でもそのもっともたるものは、やはり、肉しか見ていなかったのです。肉しか信じていなかったのです。

だから、私に良いことは好き、嫌なことは嫌。それしかありませんでした。理屈ではありませんでした。

自分の心からとっさに出る思い、それは、やっぱり肉に良いことが、良い、でした。

理屈じゃない、そう、心からとっさに出る思い、でした。それが私の今のレベル、でした。

 


田池留吉の目は、私にさとしてくれます。何も言わなくても伝わってきます。

そして、私は瞑想の中で田池留吉と異語のやり取りをしていました。こんなことは初めてでした。

本当に、もう、私が悪かった。本当に狭い心で生きてきた。そして、全てを相手のせいにしてきた。

自分だった。拒絶してきたのは自分だった、、、、ああ、愚かでした。

こんなに宇宙は、広くて、愛に満ちあふれ、そして、平和だったと言うのに、、、その中で、駄々をこね続けてきました。

常に常に悪いのはお前、をやり続けてきました。

でも、田池留吉の目が私に伝わってきた時、、、、、、、私はアルバートと叫んでいました。

ありがとうございます。こんな世界に住んでいたんですね。ありがとうございました。

この広がった心を信じて生きてゆきます。私の闇に伝えます。肉を信じてきたから、見えなかったって。

肉を信じてきたから、本当にほんとうに狭い世界に生きてきた、、、、しかし、、、アルバートの世界は、こんなに、広かった。

ありがとうございます。ありがとうございます。この心、忘れません。

■ 05 

アマテラスを思って瞑想しました。

言葉も出てこない、異語すら語ることもできない、カチカチに固まった世界を感じました。

すると、手が急に伸びて、自分の首を押さえていました。


そのとき思い出しました。中学生の頃、夜中に目が覚めて、片手で自分の首を絞めたことがありました。

慌ててもう一方の手で離そうと思ったけれど、それは強い力でした。


私は怪奇現象か何かだと思ったので、怖くて怖くて、母の部屋に逃げ込みました。

そんなことを思い出しました。あのときと同じ感覚でした。今、そのエネルギーを感じます。

 

アマテラスのエネルギー、自分の首を締め上げて、息の根を止めていくほどのエネルギー、

苦しいの言葉すら出せない真っ暗な世界で苦しんできた私、ずっとずっと、子供の頃から、このエネルギーを感じていたのでした。

語ることすらできないと言うことが、どれだけ苦しいことなのか、語れないから、吐き出せないから、

もうこの手で、自分を終わらせることしかできなかった、その悲しい悲しい私自身を思います。


そして、今こうして語れることが、どんなに幸せなことなのか、心にどんどん響いてきます。

何も分からなくていい、でも、こうして語れること、苦しいと言えることが、どんなに幸せなことなのか、

どれだけの喜びにあることなのか、語れなかった過去の私が伝えてきています。


 自分で自分の首を絞めた手が、とても温かいです。私はやさしく自分の手を握ります。

自分の首を絞めた私は、温もりに帰りたかった私でした。


本当は心を開いて、心の内を語りたかった私でした。それが分からなかった。

どうすれば語れるのか、どうすれば、そんな私を包み込んでいけるのか、それが分からなかっただけでした。

そんな私が、こうして、学びに出会わせていただきました。

自分を語れる場に、そんな自分を受け入れていく場に、集わせていただきました。


これが私の願いでした。私のすべてでした。


 心を語れるこの場に集いながら、私は見栄ばかりを張って、自分を語ると言うことがなかなかできませんでした。

アマテラスに心を向けていくことを拒否してきました。


私の中で、あのとき自分の首を絞めた私が、ずっと待っていてくれたんです。

ずっとずっと、私を信じて待ってくれていた、今、その自分を感じ、その自分が愛おしいです。


ともに語ろう、ともにアマテラスを思っていこう、そうやって自分に語りかけていけること、その自分もまた愛おしいです。


自分を待っていた自分に気付いていけるなんて、なんて楽しいことなのか。

心を見ていくという作業の先に、こんなに楽しいことが待っていたなんて、今の今まで気がつきませんでした。

■ 06

 「田池留吉の世界に心を向けて」


ただ田池留吉を思う私が居ます。思い向けるだけです。

確かに広がっていく私を感じます。嬉しいです。思えることがうれしいです。


それと間違ってきた思いが出てきます。それと塊が在るのを感じます。


 「病んだ肉体にしっかり意識を向けて」


コチコチに固まった世界。体がぎゅうっと締め付けられて、硬直して、

息も出来ないくらいに固まった世界です。こんな世界にいる。


苦しいとも叫べない。うぅ〜という呻き声しか出ません。 体の芯からガチガチ。歯を食い縛り、その口から漏れてくる呻き。

感じたことのない苦しいエネルギーです。自分自身をぎゅうっと縛り付けるエネルギー、他力のエネルギーですね。

私が気付くのを待っていたんです。出て来れました。お母さんへ一緒に帰ろうって抱きしめます。


 「再び、田池留吉に心を合わせて」


最初、向くな向くなと抗うエネルギーで、向けられませんでした。


呻き声しか発せられません。苦しいエネルギーが渦巻いています。


暫くしてやっと思いを向けられました。 少しずつ広がっていきます。お腹の底から突きあがってきます。

温かい中にいます。優しさの中にいます。お母さんに抱かれています。喜んでいます。

間違ってきた思いが吹き上がってきます。肉を頂いた喜びに、お母さんありがとうと叫んでいます。


 「後で」


歯を食い縛っていたので、奥歯の辺りが凄く痛いです。こんな凄いエネルギーを溜め込んでいました。

自分のエネルギーに出会う度に、私の心は少しずつですが、軽くなっていくようです。 

ブラックの自分と出会えるから、自分を感じて行ける。自分を知っていける。

以前の私は、闇と出会うのを徹底的に拒否していました。だから、いつも不安で恐怖の思いだけでした。

自分を信じられないことが、私を恐怖の中に落としこんでいました。 今は、肉体細胞を通して、私は私と出会っています。 

肉体細胞は、私が間違ってきたことを伝えてくれています。心の針の向け先が間違っているよって、伝えてくれます。

その声を僅かでも、聞けるようになれました。針の向け先は、まだ覚束ないです。

でも、伝えてくれている思いに沿って、私は肉体細胞と共に進むだけです。 

肉があるからこそ、この様に感じられる今、お母さん、ありがとうしかありません。

嬉しさとごめんなさいの思いで、涙が溢れてきます。肉があるからこそ感じられる世界です。

肉体細胞を信じて、自分を信じて、真摯に淡々と、焦らず弛まず、進みます。

■ 07

 自然現象、それは天変地異。その現象に恐れおののいてきた人類です。

その原因が自分が作り上げてきた他力のエネルギー、祈りのエネルギーであることに気が付いていません。

日々の中で、祈っている自分に気付かなければ

自分の中から祈りを無くしていくことなどできないほど心に染み込んでいる祈りです。

自分が気が付いて初めて自分の中の祈りの思いを変えていける、

寂しい時、悲しい時、苦しい時、怒り狂っている時、

人間が出し続けてきたすべての思いが他力のエネルギー、祈りのエネルギーパワーに繋がっています。

 

自分の心の根っこにある祈りのエネルギーを、あなたの中のアマテラスが教えてくれています。祈り続けてきたアマテラスです。

冷たくて厳しい氷のように固く閉ざした心、それがアマテラスが流し続けた祈りのエネルギーです。

自分がなぜ生まれてきたのか。なぜ肉体を持たなければならなかったのか。

自分は意識であることを忘れてしまった心は、パワーを求め続けました。祈ることしかできなくなってしまったのです。

アマテラスは間違ってきました。そのことを伝えていくこれからです。アマテラスとともに祈りを止めていくんです。

祈りは自分のすべてを抹殺していくエネルギーです。復讐のエネルギーです。自爆テロそのものです。

 

自分から流れるエネルギーが自分に返ってきます。それが天変地異です。

天変地異は意識の世界が現象化していくだけのことです。

天変地異は自分で出し続けてきた凄まじいエネルギーの回収のチャンスです。

天変地異のエネルギーはあなた自身です。

 

あなた自身をしっかりと受け止めて抱きしめていけるチャンスをすべてが体験していきます。

喜んで狂い続けてきた自分のエネルギーを受け入れていけるチャンスであることを伝えます。

苦しみは愛。天変地異は愛です。

これからやっと正しい生き方が出来ます。自分の道を自分で歩いていける私達は幸せです。

しっかりと田池留吉に心を合わせ、自分が出し続けてきた凄まじいエネルギーを受け入れていきます。

ありがとうございました。嬉しいです。

 

田池留吉のメッセージです。


正しい愛を知った心は喜びです。すべてを喜びに変えていけることを知っています。受け入れていきます。

ともに田池留吉を思い、ともにお母さんを思い。ともに帰れることを伝えていけるあなたに蘇っていく道です。

自分を大切に生きてください。いつもあなたの心の中から田池留吉、アルバートは語り続けます。


祈りのエネルギーが現象化してくこれからです。

祈りは全ての人の心の中に沈んでいる大きな大きな他力のエネルギーです。

他力の世界は差別区別の世界を作り出してきました。

人間を比較競争のエネルギーの中に巻き込んで、闘いの世界を作り上げていきます。

それが、我こそは一番の世界です。人々は競争の世界を作り上げてきました。

知らず知らずの内に祈る心を膨らませてきたのです。祈る心に幸せはありません。

闘わせて喜んでいる人類の心は狂いに狂っている状態です。

その心の姿、意識の世界が画面から紙面から伝えられているはずです。意識の世界の現実です。

全ての人の心の底に息づいている祈る心です。これからそのエネルギーが益々現象化していきます。

沈黙、闘い、破壊、分裂、凄まじい殺戮のエネルギーが現象化していきます。

どれほどの欲の思いで生き続けてきたかを知っていきます。

欲の思いの底に沈んでいる祈りのエネルギーに風穴が開きました。みなさんの心の中に風穴が開いてきました。

そこから飛び出してくる他力のエネルギー、土石流のように押し寄せてくる凄まじいエネルギーです。

それは喜びです。やっとやっと固い固い肉を突き破って解放されていく喜びのエネルギーです。

しっかりとしっかりと他力のエネルギーに繋がっている心を確認して解放していってください。

受け入れていける自分に蘇っていってください。

 

お母さんありがとうございました。私達は自分が流してきた凄まじいエネルギーの全てを回収するためにこの肉を頂きました。

この肉ある限り間違って生き続けてきた自分自身に出会っていきます。それが私が愛に目覚める道であることを学びました。

自己供養を続けていきます。苦しみは愛。

天変地異は愛、愛を間違えてきた私達が250年後の未来に向かって突き進んで行くこれからです。

それを思うと嬉しい思いが突き上げてきます。心の底から溢れてくる喜びの叫び、田池留吉への思い、出会えて幸せでした。

お母さんありがとうございました。嬉しいです。生まれてきたこと、今生きていること、それだけで幸せでした。

「自分を大切に」母の思いが心に響きます。

 

田池留吉のメッセージです。


過去のすべてが底知れない漆黒の闇を作り出してきました。

心の底の奥深くに沈んでいる叫びを引き出していく愛、天変地異です。

あなたはあなた自身に出会っていけるのです。あなたは意識です。波動です。

その波動に出会っていけるこれからです。そこには喜びだけです。

闇は闇では無くなりました。闇は喜びだったのです。

そのことに気が付けた意識達とともに、母なる宇宙に帰ってきてください。待っています。

■ 08 

念力、パワーの世界、改めて自分の中のエネルギーを見つめています。

田池留吉の世界に真っ向から歯向かうエネルギー、田池留吉の存在を認めないエネルギーです。


 この学びに集う前ならいざ知らず、知ってからでも依然としてそのエネルギーを温存し、増大させていた自分があります。

何度も何度も言われ続けていた、この学びをするに至った動機ひとつをとっても、自分の中にはパワーを求める、

特別な力を求める思いがあり、それは我は神なり、すべてを支配するという思いに繋がっていたのです。


 瞑想の中で自分の宇宙の中の意識達に思いを向ける時、机上の反省では知ることのできなかった

他力のエネルギーに支配された自分自身というものを感じることができます。


 他力の世界は生易しいものではなかった、

自分を破壊し、すべてを破壊するエネルギー、それが他力のエネルギーだと実感しています。


 今世始めて他力の間違いを自分自身の心で知ることができました。


 これから先、来世も、また250年後も今以上に救いを求めて他力の世界が横行します。

そして決して自分を救いゆくものは自分の外に存在しない事を知っていきます。


 自分の中の田池留吉、アルバートの波動だけが温かな温もりだけが自分を救いゆくことを知っていきます。


 心の内外から起る天変地異、真実に目覚めるために、自分達が自分に用意したシナリオは

一部の狂いもなく、遂行されていく、そう感じれば、すべてが嬉しく喜びです。


 今を生き、そして未来に生きる、確かに私の心の中には未来が存在しています。


 素直に受け止めていきます。

 


 09

自分をとても愛しく見つめている自分がいる。優しく温かく、ゆったりと、自分を見つめる私がいる。

穏やかな中に自分が広がる。ごめんね、切り捨てて来たこと、冷たく拒否したこと・・・


たくさんの自分が愛しい、ほんとうに愛しいです。

 

田池留吉、アルバート、私の思いをどんなにしたら言葉に出来るか、ただ「ありがとうございます」しかありません。

お母さんに向けても、同じです。ありがとうございます。

 

「あなた方は私を殺しにきたのです」この言葉が温かく響きます。

心に隠し持った短剣は、今、私の中で喜びの剣になりました。

ああ、うれしいです、殺しに来たのにうれしいんです。もう叫びたいくらいです。

 

すべては喜びです。変えようとしなくても、

母の温もりを知れば、だれでも喜びになれるのです。

母の温もりは私の心、そしてあなたの心です。

優しさに包まれた自分を知ったら、すべてが変わっていくでしょう。

喜びで輝いた顔のあなたがいるのです。私はそれを知っています。

どうぞ私の指し示す方向にしっかりと心の針を向け、私の呼びかけに応えてください。

素直になって、ただただ田池留吉を思ってください。

 


 10 

「邪魔なら消してしまえ。夫が邪魔なら殺せばいい、子供が邪魔なら殺してしまえばいい。

その場所が嫌なら、焼き尽くせばいい。邪魔するものは一つ残らず消してしまえ。」


私の思いです。確かに、私の心が語る思いです。これが私のエネルギー、このエネルギーの中に身を置いてきました。


すごいエネルギーの中にある私です。

こんなエネルギーの中にありながら、今この肉体を保っているのは、

他でもなく、肉体細胞が働いてくれているからでしょう。

肉体細胞の働きなくして、私がこの肉を一秒でも保つことなどできない、

それだけのエネルギーに中にある、そのことを、今、感じました。


「田池留吉にしっかりと心の針を合わせていきなさい、」

そう伝えてくれたこと、何度も何度も伝えてくれたこと、そのことが心に響いてきます。狂ってしまうからです。

田池留吉に心を合わせることの喜びを知らず、

この凄まじい他力のエネルギーを語っていけばどうなってしまうのか、私は間違いなく狂っていくでしょう。


もうそうなってしまえば、私の学び、今世にかけてきた私の思い、その道をまっすぐに歩いていくことはできなくなります。

他人事ではありませんでした。私は鈍感だから大丈夫、そんな風に思ってきた。

でも、私はこれから、どんどん心を語っていくことを自分に誓いました。

たくさんのエネルギー、闇に埋もれてきた苦しいエネルギーを語っていくと、自分で決めました。

エネルギーを心で感じていこうと心に決めました。だから、鈍感だからなんて理由はもう持てません。


 「真実に出会ってください」
その田池留吉の思いが、心に流れ込んできます。

あたたかい思いが流れ込んできます。

真実に出会ってください、肉体細胞の思いとともに生きてください、

しっかりと田池留吉に心の針を合わせていってください、

私たちは、そう何度も伝えられてきました。私たちはそのあたたかい波動を受けてきました。


私が今、苦しい思いを語っていけるのも、その田池留吉の思いが働いているからでした。

私が語っている、私が学んでいる、その私の思いが傲慢でした。


お母さんなしでは生きられない、

田池留吉なしでは生きられない、

肉体細胞がなくては生きられない、

そんな私たちでした。

それなのに、どこまでも己が偉かった。

お母さんも田池留吉も肉体細胞も、すべてを切り捨てながら生きてきた私がありました。

今、そんな私を、喜びの中で感じています。


私の中にはまだまだたくさん苦しんでいる私がいる、まだまだ心の奥底に埋もれている、私の救出劇が始まっています。

光をあきらめかけた意識達を救い出していきたい、その感動をともに味わっていきたいです。

ともに田池留吉、アルバートに心を向けていくために、そのためにこの作業を喜んで続けていきます。


■11

 「私の勉強です」その言葉を聞いた時、間違い続けてきた私の思いが突き上げてきました。傲慢な学び方をしてきました。

己が偉い私の心から流れる波動で、どれほどたくさんの言葉を使い、出し続けてきたか。私の勉強でした。

今までも、これからも、今も、この肉が終わっても、すべてが私の勉強として受け止めていきます。

生きている間も、死んだ後も、私の勉強は続いていくんですね。

過去の私、未来の私、今の私とともに、私の勉強を続けていくだけでした。

申し訳ありませんでした。間違ってきました。間違っていました。


こんなチャンスをいただけたこと、本当にありがとうございました。

「私の勉強」その思いが自分にどれほど優しい思いなのか、自分に温かくて優しいです。

「私の勉強」に心を向けると、自分に優しい自分を感じてきます。

そして、その優しい自分を更に自分が温かく包んでいくように感じてきました。嬉しいです。

間違い続けてきた自分自身の思いを、自分で包みながら言葉を出して行けばいい。「私の勉強」素直に心に響きます。

優しい自分も、温かい自分も私の心の中にあることを感じて嬉しいです。私は私とともに歩いていけることが嬉しいです。

そして、楽しいです。ありがとうございました。

 

田池留吉のメッセージです。


言葉は波動です。言葉から流れる波動。その波動が仕事をします。

もっともっと自分の心を見つめていってください。

日々あなたが使っている言葉から波動が流れていきます。

夫婦の調和を一瞬に崩すのも、言葉から始まるのではないでしょうか。

言葉は波動だからです。

いつもと同じ言葉を使っていても、その時の思いが波動となって流れていきます。

 

心を見ていなければ、どれほど謙虚に言葉を使っても、そこから流れる波動が全てを現象化させていきます。

気が付いた時にはもう手遅れです。日本語は一つの思いに色々な表現を使います。

日本語はストレートではありません。自分の思いを素直にストレートに言わせないエネルギーがそこに渦巻いています。

アマテラスのエネルギーです。上下左右を見渡しながら、自分が中心の中で、小さな小さな殻の中で言葉を選んでいきます。

 

自分の波動で選んでいきます。

言葉を人によって使い分ける。立場によって使い分ける。場所によって使い分ける。

言葉を常に選んでいきます。素直ではありません。

言葉が重いのです。分かりにくい難しい言葉ほど重いのです。

言葉を戦略策略に使っているのを感じるはずです。

言葉は他力のエネルギー、闘いのエネルギーの中で作り出されてきたものがほとんどです。

優しさも素直さも無い中から作りだされた言葉です。言葉は波動です。

 

素直な心は本当に淡々と、そして、分かりやすい言葉で、

軽やかに、爽やかに言葉を出して行きます。

基準の心が喜びを知っているからです。真実を知っているからです。

田池留吉に心を合わせて自分の思いを言葉に置き換える。

楽しく、喜んで自分の心を見つめながら、作業を続けていってください。

 

あなたが母なる宇宙を捨てた瞬間から、自分の中に作りだした波動が他力のエネルギーです。

そのエネルギーが言葉を作り出してきました。日本語はとてもとても繊細です。

言葉の受け止め方が人によっては色々です。色々に取れるように言葉を作り出したのが人間の知恵です。

日本語はその最たるものです。その根源にあるものは差別区別のエネルギーです。

他力のエネルギーです。アマテラスのエネルギーです。言葉は波動です。

心をしっかりと田池留吉に合わせ、アルバートが語るその思いを素直に受け止めて、実践していってください。

あなたの波動が流れていくことを素直に受け止め、心を見ながら、

あなたの中から湧き出てくる思いを、素直に言葉に置き換えていってください。

 

■12 

私の心の見方は間違っている。これは反省文じゃなく、反省じゃなくて文句を連ねているだけ。

数日前、私の思いを吹き込んだテープをパソコンに入力している時に、

その画面に打ち出された文章とはまったく違う思いが、私の心の中から出てきました。

私の心の見方は間違っている。これは反省文じゃなくて文句を連ねているだけ。

その思いを感じた時に、ああ、そうだったと心が落ち着きました。


 相手を責め裁き自分を正当化する。そんな高い偉い私の心から発する文章など文句の羅列にしか過ぎませんでした。

いかに相手が悪くて、いかに私が正しいか。そんなことを書き連ねたところで、何故その文句が出てくるのか、

その文句が出るということはどういうことかと自分を掘り下げることもせずに、苦しいまま終わっていました。

そうでした。私の主義主張など、どうでもいいことでした。

 

それよりも主義主張を相手に浴びせかけるその私の間違いを、どれだけ私の中に受け入れていけるか、それが問題でした。

厳しい苦しいエネルギーを出しっぱなしの反省など、反省とは言えませんでした。

反省という形をしていれば何かこの学びをしているような気になり、それでも心の中で苦しい私は間違っている、

苦しい私を楽にしたい、そんな自分を受け入れない欲の思いで続けていました。

そんな反省は楽しいはずがありません。嬉しいはずがない。そうでした。

そんな状態でする瞑想は苦しいばかりで、自分を信じられなければ田池留吉もアルバートも信じられない。


 私の反省は間違っている。そう思えて楽になりました。楽になってみると瞑想も楽しい。

何だか頭の上にかかっていた霧がスッキリと消えたような気がします。

そう、私は反省と言いながら闇を膨らませて形を整えていただけでした。

しなければいけない、そんな思いの反省や瞑想は苦しみを膨らませるばかりでした。


 お母さんを思って、お母さんのお腹の中からお母さんにひたすら思いを向けている私を思っています。

ただただ委ねていける私。ありがとうしかありません。


 お母さんの目を見ます。田池留吉の目を見ます。そして、アルバートを思うこの時間、何よりも幸せな時間でした。

そして、この時間を持つ事ができるのはこの肉があるからです。間違い続けた私に出会えるのは幸せなことでした。

私を知っていける、それは嬉しくて楽しいことでした。ただただありがとうでした。

 


 ■13 

私の中の宇宙が喜んでいるのが分かります。

アルバートと私の中で思っただけであのセミナーの喜びの現象の時のように

私の中の意識達が一斉にアルバート目指して一目散に駆け出してきます。

 

毎日のメッセージから流れてくる波動は物凄いものがあります。

闇のエネルギーには敏感だった私がこうして喜びのエネルギーにも

大きく反応していけるようになってきているのを少しずつ感じられるようになりました。

 

初めは自分の苦しい思いが出るといつもこちら側から母の温もりに帰ろうね、となんとはなしに働きかけていました。

意識達の存在をおぼろげに捉えながらの反省、瞑想でしたが今、

はっきりと意識達からの喜びのメッセージが私のこの肉にも届いてきているように思われるのです。

中からしきりに喜びを返してもらっているような感覚なんです、肉はそんな現象に戸惑いながらもそれに応えようとしています。

 

私の中はとても、とても喜んでいるのが分かります、こんなこと本当にあったのですね、

まるで小さい子供がお母さんを見つけて喜んでお母さんに飛びついていくような感覚です、

それも、たくさん、たくさんの子供たちなんです、中はとても賑やかです、外に向くとそれが消えるのです、

そしていつもの肉の心配事です、中は平和でのどかな時間が流れています、

そして向けてくれたことを一斉に喜ぶ意識達がいます、こんな世界があったのですね、

ああーなんてもったいないことをしてきたか、こんな世界を生きてきながらこのことに気付けなかったのです、

本当に、本当に申し訳ない、勿体ないことをし続けてきた私でした。

 

肉で生きてきたことがよく分かります、いつでも中の意識達の喜びに応えられる私に変わっていきたい、

それにはいつでも田池留吉、アルバートを思うことでした。

そして意識達との交信を第一に日々の生活をしていくことでした。

母の温もりの中で自分の意識達と語ることが最高の幸せな時でした。

こんなに喜んでいるのです、アルバートと微かに思っただけでその波動を何処ともなく感じ、

その喜びの波動がぐんぐん群をなしてやってくるようです。

 

たまりません、その喜びようと言ったら尋常ではないのです。

アルバートに向けると中の意識達はいてもたってもいられない位喜んでいるのが分かります。

とても幸せです。いつでも中へ喜びを流し、中からも喜びが伝わってくるのを感じながら生きていきます。

ありがとうございました。  

 


 14 

アマテラスの喜び、確かにこの地にも届きました。

「アマテラスの国、日本」から遥か、遠く離れたこの地に肉を持った訳が少しずつ私の中でも分かってくるものがあります。


アマテラスと繋がる一本の細い線にこの願いを託してきました。

だから私はアマテラスに丸ごと浸かるのではなく

自分の中にアマテラス以外のたくさんの神々と向き合えるようこの地を選んできたのだと納得しています。

それは狂ったたくさんの神々をこの心に感じながらの転生を選んできたということでした。

私がかって肉を持ったありとあらゆる場所の神々を引き連れて私はこの地に転生してきました。

この場所で、こういう形で、私は私が過去信じた神々に田池留吉の波動、

真実の波動を伝えることを心に誓ったのだと思っています。

私の中の全ての狂った神々とともにこの地に肉を持ちたかった、肉は苦しいけど、狂ってしまうかもしれないけど、

それでも私は絶対、田池留吉に出会うという強い決心で私はお母さんに生んで貰ったと思っています。

私は心を見る、この狂った心を安心して見れるよう肉的にも準備万端整えてきたのもそのためだったと今、

深く母にも、そして肉的にも私の心の支えになってくれた私の夫にも感謝の思いで一杯です。


田池先生、今、私は先生の言葉を思い出しています。「たくさんの神々を背負っている人は必ず狂います、

特に宇宙のパワーを求めた人は危険です」、全て愛の言葉でした。


温かい、温かい、優しい波動を流してくれていたのです。


私の中の狂った神々が今、愛しいです、心が通じているのが分かります、この苦しみを受け止めきれなった私でした。

一方的な私の欲の思いだけをパンパンに膨らまして中の神々に訴え続けてきた私でした。

私の中の神々は本当に命がけで私のこの肉に訴えてきていました。

学びの最初の頃、私の中から「お前は自分勝って、自分勝って」という声を聞いてきました。

それが何を意味するのか分からないまま此処まできました。

こいうことだったのですね、どうか私達に心を向けて下さいと促されていたのです、

真実を見失った人の中は大変だということも分かります、ましてや狂った神々が助けて、、、

と訴えているのにその本当の声が聞けなくて狂った神々にこちら側から救いを求めてしまう哀れさも体験済みです、

狂った神々を呼んでいるという自覚もないまま心は宙を彷徨い始めます、

どの神の言葉を信じていいのか分からなくなっていくのです、

終には自分の中に住みついている神々が自分に危害を加えようとする妄想にとり付かれていくのです、

だから大変です、この大変な状況を抱えながらやっと自分は狂っているかも知れないと思い始めた時、

大きなチャンスが用意されていました。中の意識達との出会いは自分のこれまでの心の在り方を一変させてくれました。

 

こんなにもたくさんの狂った意識達、私は初めて自分が狂っているということを認めることがこんにも嬉しい、

何かがほどけていくようで全てが納得、納得でした。その作業をとことんやり続けていくこと、それを自分に課していくこと、

それが喜びでできるようになるまでお母さんの反省、瞑想を続けて行くこと、ただそれだけをしていけばよかったのです。

心を見て自分の心で知っていくのが自分への仕事、それをしていくことが一番の自分への愛でした。

そうしていけば何故神を呼ぶのか、呼ばれた神がどのような状況なのか、

この心で自分の掴んできた他力の思い、他力の神々の苦しみも知っていけるようになります。

そしてたくさんの神々を優しく迎えられるようになります、心を通して思いを聞いていくことが出来ます、

自分を幸せにしてくれるものと掴んだ神が最後には阿修羅となって地獄を彷徨っているのも分かります、

それは自分だからです、自分に訴えてくる自分だったと分かります、ただ、ただありがたいことでした。

こんな中に生まれてこれたこと本当にありがとうございました。

 

■15 

自分の中の闇を忌み嫌う思いもない、エネルギーを恐れる思いもない、

ただ共に歩んでいく道が楽しい、日々が楽しい、それが嬉しいです。

何もかもすべてをひっくるめて自分自身だから受け止めて愛していく、それが喜びでした。


 闇は大きい、でもそれ以上に私自身の中で母親の温もりが広がっていく、それを信じていない自分がありました。

自分は駄目だと、人と比較する心癖の中で自分をどれほど落としこめてきたか、

それがどれほど自分を苦しめ、抹殺してきたことなのか、今はっきりと伝わってきます。


 アルバートを心底信じる心、それは自分自身をとことん信じることでした。

アルバートを思えばぐんぐん爽やかに広がっていく心を信じる、それが自分を信じることでした。


 アルバートを思えば、ただただ感謝の思いが広がります、ありがとうの思いが広がります。


 スコーンと一直線にはいかないけれど、一歩一歩踏みしめていく過程の中で

私の宇宙は喜びに変わっていく、そう感じています。


 ありがとう、すべてにありがとう、私は本当に愚かでした。

■ 16 

田池留吉、アルバートを思い瞑想する、心がフワーと広がる、私の中の宇宙から闇が跳びだしてくる。

「私達も共に帰りたい、アルバートの宇宙へ、そして共に次元移行していくことを夢見ています、

もっともっと喜びを伝えてください、あなたの心から伝えてください」。そう語ってきます。


 走馬灯のように今までの学びの歴史が浮かび上がってきます。

本当にいろいろなことがあったけれど、今こうして学べることが幸せです。

本当に私にとって必要な学びをさせていただきました、転落して這い上がる、またずり落ち這い上がる、その繰り返しでした。

でもその経験が段々私を強くしてくれました。少しずつ信を深めさせてくれました。


 今田池留吉を思えば、何とも言えず有り難く涙が出てきます。

「死ね、失せろ、殺してやる」その思いが段々薄れ感謝の思いに変わってきていることが、私にとっても嬉しい限りです。


 でもまだまだ抵抗する思いがあることは否定できません。

250年後のアルバートとの出会い、「お前は何するものぞ、お前など信用できるか」

そこから始まるアルバートとの出会いを感じています。

でも嬉しい、そんな憎まれ口をききながらも、私の心は喜びに震えています。

厳しい転生の後、やっと出会えた安堵感、

「アルバート、出会いを待っていました、これ以上の喜びはありません、共に次元移行を果たしていきます」

そんな思いで心は喜びに溢れていきます。 そんな自分を感じ嬉しいひと時をすごしています。


 17 

素直な思いで自分の間違いを受け止めていけば、嬉しくなってくる。

自分で自分を受け入れるって本当に優しいことなんだ。

喜んでいる自分が教えてくれる。

「下から物が言えるようになるんやで」田池留吉の言葉が浮かんでくる。

間違ってきた自分を確りと自分の心の中で認めながら、言葉を出していくことの大切さを自分が教えてくれている。

下から物を言える自分がそこにある。みんな同じだったね。

ともに、という、その思いが自分の中の区別差別の思いを変えていたことを教えてくれていた。

 

私の中に区別差別、特別という思いが強くあった時、いつも何かに恐怖し脅えている自分がいた。その思いも変わってきている。

周り全てに神経を張り巡らしていたころの自分を振り返れば、本当に人に会うことがとても疲れていた。

素直に自分の思いが言えない心は、差別区別の心、他力のエネルギーで自分を縛り、自分自ら心を閉じ込めてしまう。

本当に自業自得の世界を生きてきた。他力のエネルギーでかたまった欲の思いばかり。

解放されたい。自由になりたい。軽やかに爽やかにその思いは、みんな、みんな、みんな同じだった。

心の叫びはみんなみんな同じだった。どれほど抱えてきた過去世が違っていたとしても、

自分の背景にあるエネルギーが違っていたとしても、叫び続けてきたその思いは同じだった。

そんな自分を自分で確認できることが本当に嬉しいです。

 

言葉を選んで謙虚そうに装っている自分の心の中には恐怖がいっぱいだった。

恐怖の思いを辿っていけば、他力のエネルギーの根っこに辿りつく。正しい、素晴らしい、間違っていない。

その思いを掲げてきた自分に辿りつく。その波動が仕事をしていた。だから体はくたくたに疲れてしまう。

その反対に、間違いに気が付けたことが嬉しくなっている時は心も体も爽やかで軽やか、一日が楽しい。

自分の思いが重い時と軽い時、肉体細胞が本当に優しく教えてくれていたんです。

日々の中で今まで怒り狂って仕事をしてきた自分ばかりです。くたくたに疲れて責任転嫁して、本当に自分に冷たかった。

肉体細胞の存在にも気が付けないほど、全てが自分のためにあつた。

全てが当たり前の世界を作り続けてきた自分を、しっかりと受け止めていこうとする素直な自分に出会える今が嬉しいです。

 

今までどれほど言葉を選び、形を整え人と接してきたか知れない。

自分が言った言葉が独り歩きして、その言葉が自分のところに返ってくれば、私に教えてもらったことになっている。

私にとってはそんなつもりで話したことでなくても、周りは全く違って捉えている。

前は、私を占いばばあにするなと心の中は怒り狂っていた。でも言葉ではなくて私の波動が仕事をしていたんです。

だから結果は全て自分が原因であることも今は納得です。自業自得の世界、本当に納得です。

そんな私が今は、私の中のアマテラスとともにアルバートの道を歩いていけることが嬉しい。ともに帰りたい。

間違ってきた自分を感じれば感じるほど、アマテラスとともにの思いが強く強く心の底から突き上げてくる。

アマテラスとともに。この思いこそ私が生まれてきたかった本当の思いだった。この日本の国に生れて来れて幸せでした。

お母さん、私は一番嫌いだった自分自身をしっかりと確認してともに未来に向かって歩いていきます。


アルバートを思う思いが、未来の私が、私を引っ張っていってくれている。

私の中のアマテラスに出会えたことが本当に嬉しくなってきます。私の宇宙が変わり始めています。

アマテラス。ありがとうございました。私はあなたとともに、アルバートの道を歩いていきます。未来の私が待っている。

心がどんどん嬉しくなってくる。アルバートへの思いをひとつにして未来に向かって歩き続けます。


田池留吉のメッセージです。


「自分を知らずに生きてきたことが間違いだったのです。あなたは温もりです。あなたは優しいです。

その自分自身に出会えたことをもつともっと喜んでください。あなたの中にたくさんのあなた自身が待っています。

そのあなたとともに喜びの道を歩いていくだけです。苦しんでいる自分に出会えば出会うほど、素直な自分に変わっていきます。

自分に優しくなってきます。アルバートを心にしっかりと思い、自分の心を見つめて自分自身を包んでいくだけです。

人を救うことが間違ってるのではありません。

苦しんでいるあなたが人を救うことはできないと言うことを伝えているだけです。

あなたが本当の幸せ喜びを心に広げていける自分に変わっていけば、そのあなたから流れる波動が仕事をしていきます。

波動が真実です。波動が波動を変えていきます。それが真実の世界です。

元あった自分に戻っていけるその流れの中に全てが存在しています。

田池留吉、アルバートのメッセージは全てに届いています。届いていてもそれを感じることができないだけです。

田池留吉に心をぴったりと合わせられる自分をしっかりと確立してください。

それが本当の愛を流すということです。」


■ 18 

肉もつ私がアルバートを呼んでいる、求めている、でもそれ以上に私の宇宙の中の様々な意識達がアルバートを呼び、

アルバートの波動を心待ちにしている、それを強く感じています。


 肉の私があれこれ思うより、ただただ素直に心の針を田池留吉の宇宙へ向けることによって、

自然に私の宇宙全体が田池留吉の宇宙へ心を向けていく、

どんなに抵抗しても、固く自分を閉ざしていても、

その温もり、母親の温もりが閉ざした心を、頑なな心を緩めていくのを感じています。

そして様々な思いを吐き出してくるのです。


 その思いを聴くことは嬉しいです、思いを吐き出しぶちまけて、そしてみずから自分の間違いに気付いていくのです。


 共に喜びます、本当に嬉しいです。


 みな一緒だった、すべての意識が本当は心の底からアルバートを求め、

アルバートと共に歩んでいくことを望んでいる、そう強く感じます。


 だから今私がすることは心の針をしっかりと田池留吉に合わせること、

それがどのようなことなのか、自分に妥協せずしっかりと心を見ていくことに努めていきます。


 肉が基盤では合いません、他力の思いがあっては合いません、欲いっぱいでも合いません。


 自分をしっかりと見直す時間、そんな瞑想を楽しんでいけることが嬉しいです。

■19 

私の中の、田池留吉の世界に歯向かい続けてきた意識が、苦しみに喘いできたたくさんの宇宙が叫んでいる。

「間違ってきた、間違ってきた、間違ってきた・・・」繰り返し繰り返し叫んでいる。


田池留吉、アルバートがすべての意識、宇宙に伝えてくれる思いに、ただただ「間違ってきました」と叫ぶ。

そして懺悔、懺悔、です。嬉しいとか幸せとか、そんな言葉が薄く感じられる。


私は自分をもっともっと知りたいです、自分の宇宙を知りたいです。

田池留吉、あなたの伝えてくれる思いを、もっともっと深く心で知っていきたいです。

自分を知ることにもっと貪欲になりたいです。これは欲でしょうか。

この学びを、田池留吉を侮ってきた私は、いかに自分を粗末にしてきたかを思い知りました。

私達はとてつもなく大変な学びをしている、その実感がなかったと思います。


母の温もりを心に持ち、大きく広がる宇宙そのものがあなたですよと伝えてくれる、その思いにただただ応えていきたいです。

 

長い長い時間、待ち続けてきた者です、田池留吉、アルバート・・・ああ、どれほど待ち続けたことでしょうか。

ようやく、ようやくでした、ああ、ありがとう、ありがとうございます、

この心から、ありがとうございますの言葉を出せることがこの上もなく喜びです。

 

これからです、これからが本当に大切な時です。肉ある限り私は私の計画を実行していきます。

核が付けてくれた足跡を、私も辿ってまいります。自分が存在する意味を、この心で知っていきます。

■20 

田池留吉を思えば本当に柔らかい優しい温かな宇宙を感じます。

ずっとそこに存在していたい、そう思います。


 田池留吉の肉の死を考えたくありません、まだまだ準備不足です、死を受け入れたくないという思いを見れば、

自分自身にまだまだ納得していないのです。これでもう安心というところまで自分を誘っていない不安があるのです。


 これまでどれほど肉の田池留吉によって進んでいる道の間違いを修正していただいたか、

注意を喚起していただいたか、もしあの時、肉の田池留吉の存在がなかったならばと、ぞっとすることが多いのです。


 甘え、わがままと言われても仕方がありません。


 田池留吉ばかりではなく、自分自身もどんどん年をとっていて悠長に時間を費やしている時ではない、

本当にこれからが貴重な時間、そして貴重な心の体験をしていく時なのだと覚悟を決めて

自分の人生を歩んでいかなければと思っています。


 誰しも肉を離れる時がくる、そのことを踏まえながらただひたすら未来を見据えて歩んでいきます。


 瞑想の中で田池留吉と対話している、それをずっと肉があっても肉がなくても続けていけばいい、ふとそう感じています。


 本当にありがとうの世界しかないのですね、すべてが喜びなのですね、

アルバートの波動の中に包まれている私達は幸せです。

 

■ 21 

人間って本当に勝手な生き物だなと思います。


 田池留吉の死は考えたくないと思いました。でも今まで肉の田池留吉に出してきた思いは凄まじいものでした。


 「私を認めない田池留吉など早く死んでしまえ、目障りだ、お前の存在が私をこんなに苦しめている、

消えてくれれば開放されてどんなに楽になるか、消えろ、うせろ、早く死んでくれ」、

そんな思いばかり出していたことを思いだします。


 私の宇宙の中の様々な闇、凄まじいエネルギーもじっと機会を狙っていたのです。

今さえやり過ごせば、また私達の活躍する場があると。


 今まで出してきた思いを紐解いて、それがどれほど意識の流れに反逆する思いだったのか、改めて感じています。

そしてどれほど田池留吉の宇宙が懐深く、すべてを受け入れ愛し続けてくれていたかが、ジーンと伝わってきます。


 学んできた年月を無駄にしません、自分を粗末にはしません、

ひたすら田池留吉の宇宙に心を合わせていくことを約束します。


 田池留吉、アルバート、ありがとう、そして核の存在の大きさをつくづく感じます。

ありがとう、本当にありがとう。私は間違いだらけでした。


■ 22 

喜びと温もりの中に今、生きている 田池留吉、アルバートの優しさと温もりの中に生きているのだと、

思えば 瞑想して 本当に楽しい、心嬉しいです。


 形ある見える世界が本当の世界と思って、それこそ必死に競争資格、差別などの世界に打ち勝つ為に過ごしてきました。

それこそ真実を知らない私の闇、闇の生活で今思えば恐らく現在の全ての人間の姿ではないかと思います。


 真実は見えない、聞こえない、波動、意識の世界にあることを信じられ、すべては自分の心にあったのです。

私の中でたくさんの意識が肉の私を動かし、成功、失敗を繰り返していたのです。

私はすべて肉の私がやってきたと思っていたのです。


 初めはそんな馬鹿なことと、信じられず いい加減に学びを汚してきましたが、

人生も終わりに近づきセミナーも誰よりも長く続けてきました。

しかし瞑想を続けていると、お前何時までも何をしているのだと、チャネらーでもない私でも中からきつく訴えるものを感じました。

瞑想を続ければきっと何か感ずることがあるかもと、

最後は瞑想ですという言葉が心に響き、一年生になって取り組むことにしました。

すると幾らか年数をかけた甲斐あって、瞑想の神秘さ楽しさに気付きました。

田池留吉、アルバートに絶えず心を向けることはもちろん、寝ても覚めても絶えず向けてきました。


 正直なもので宇宙に向け田池留吉、アルバートを思うと、自然に心は暖かく燃えて、

向けた宇宙はヘソの辺りから広がり、果ては光と共に広がる、広がる、挙句は何にも無い空間が広がりました。

この心の中のヘソの部分から広がる際限の無い暖かい広がりは、

それ以来田池留吉、アルバートの宇宙に向けると直ちに広がる、瞑想すれば何時でもその広がりを得られる、

こんな嬉しい楽しい素晴らしいものはありません。

 


 私は初めからこの学びに素直で真面目ではなかったことは、御存知の通りです。

私は心の中は凶悪、詐欺犯 特に宗教犯人を前に真実の発見に 昼夜の別なく、時には職をかけて取り組み,

特に宗教犯人には云い尽せない煮え湯をかぶせられ、苦しんだ過去を持っています。

部下にも上司からも犯人の心は初めから信じるな、疑って、疑って、疑って、

最後に自分が心証を得るまで疑ってかかれと、教えられ部下にも強く教えてきました。

この私たちの真実は作られた狭い法律の真実で、宇宙の真実、田池留吉、アルバートの真実とは全然違います。

私のその最も忌むべき疑う心は、心のどこかに今も残っており恐ろしい心癖です。


 その心癖が残ったまま、この学びを知った私は本当によかったと、少しではあるが自分では変われたものと感謝しています。

心の根本から直すのは皆同じです。私だけではありません。

そのことを如何に早く把握して取り組むかですが、私は凄く遅かった。

今更こんなつまらないことを述べるのは、馬鹿らしいですが、

過去を思い瞑想すれば 斯様(かよう)に感謝と感激でしたので 長々と述べてしまいました。


 このことに気付き芯から反省しない限り幾ら反省瞑想しても、

この私の曲がりきった心では立ち直ることは出来ないと思ったからです。

瞑想してこのことに気付かせてもらいました。表面はおとなしく笑っていても心の中は、厳しい人も多いことと思います。

学びも分かったと思っても、心の中は依然として学ぶ前のままという方もおられるかもしれません。

心の分かる田池留吉はすべてわかっていますが、私とは大違いです。


 瞑想とはこんなに素晴らしいもの、楽しいもの自分の心を芯から知らせるものでした。

私の歩いてきた道を大変長々と申しましたが、瞑想して私の心の中を気付かせて貰い、

瞑想の有難さと凄さを知ったので述べました。つまらない事ですが、私の喜びが瞑想のお陰と云うご報告でした。


 これを機会になんとなく嬉しい今の心で取り組んでいく覚悟を新たにしています。

私の中の多くの過去の方々ありがとうございました。

■23 

「あなたは、あなたの死後も田池留吉と交信していますか。それとも固まっていますか」

 

 誰しも固まっていたくはありません。でも現実は厳しいとつくづくと感じています。

数年前に亡くなった母親や、ふと気になった学びの友に意識を向けて呼びかけても、最初はほとんど反応がありません、

固くガチガチの状態で何度も呼びかけているうちに少しずつ反応を示し始めます。

でも少し緩んでくると、今まで感じなかったような苦しみが襲ってくる様子で、

話しかけてくれるな、そっとしておいてくれ、そのような反応が返ってきます。

特に宗教に深く関わってきた、また念力パワーを求め続けてきた意識の苦しみは尋常ではありません。

息も詰まる、内臓が口から飛びだしそうな感覚、胸腹すべてが捻じれたような状況です。

 


 「田池留吉を覚えていますか、素直に呼ぶことができますか」


 「覚えていません、あぁ、でも名前はどこかで聞いたような感覚です。

あなたに声をかけられてから田池留吉を必死に呼ぼうとしましたが呼べません。呼べないのです。

真っ黒な雲に覆われた状態でまわりが全然見えないしわからないのです。苦しさが押し寄せてきます。

私は極楽浄土を求めていた、人々をパワーで苦しみから救おうとしてきました。

あぁ、でも私がこんなに苦しいのでは話しになりません。ここはどこですか、ここからもう脱け出ることはできないのですか」。

 

 たぶん、私も肉を離れた時、固まってしまうかもしれない、そんな思いを持ちました。

でもそうならない為に、固まってしまっても自分で自分を救いゆく道を見い出せるように、

しっかりと田池留吉の波動を心に記憶しておかなければと思います。


 他力の修正をせずにそのまま肉を離れてしまった時に、

いくら田池留吉を呼んでも心は数多の神々、教祖に通じていく状態です。

宗教に関係のあった人は固まった状態から開放された途端、

念仏を唱え、数珠をまさぐりまた祈りの世界に入ってしまうのです。


 肉の思いが強くても、心は重く地獄の底を這い回る状態でしょう。


 それでも希望はあります、必ずチャンスはあります、

アルバートの波動があまねく宇宙の隅々にまで届く、その時、心をふと合わせるチャンスがあります。


 真摯に田池留吉を求める思いこそ、自分を救いゆく、そう伝わってきます。


■24 

たくさんの転生を重ねてきました。

なぜ、これほどたくさんの転生が必要だったのか、それは、どこの土地で生まれても、どんな環境の中で生きても、

どの神に心を向けてきても、決して真実に出会うことはなかったと、

肉を信じたその世界に真実はなかったと、そのことをはっきりと知るためでした。

 

そして転生と同じ数だけ、死を迎えてきました。

温もりを捨てた私がどのように死んでいくのか、

私が間違って生きてきたその答えをしっかりと確認できる瞬間を何度も経験させていただきました。


そして、その転生の数々を、一つでも二つでも思い出していくことが今世の大事な勉強でした。

何度転生を重ねても、真実を捨てた私たちは苦しかったと、

心で感じていくこの時間が、どれだけ大切な、かけがえのない時間なのか を心に思います。

心に感じなければ、過去の苦しみは救われません。私が救われることはありません。


今世、どれだけ思い出していけるのか、どれだけ過去の苦しみを感じていけるのか、

どれだけその思い共々田池留吉に心を合わせていけるのか、それは今世の私にかかっていました。

私次第でした。それが私の仕事、私の喜びでした。


過去の転生を思えば、苦しみしかありません。地獄からでて、地獄に帰る転生、まさにその通りです。

でも、苦しくて良かった。苦しくてありがとう。そんな思いが少しずつ広がっていくんです。

私はまだ自分を知らないし、大きなことは言えないけれど、それでも、転生と聞けば嬉しい。

たくさん苦しみを重ねてきたからこそ、田池留吉から伝わってくるものが、一つ一つ私の中で輝いていくんです。

過去を思っても、来世を思っても、どちらにしても今世の大切さを感じます。競う相手はありません。

ただただ自分のために、できるだけのことをしていきたい。過去からのたくさんの転生を無駄にしてはいけない。

一つ一つの転生が、私の中で意味を持ち、苦しみを喜びに変えていく、そのような時間を、

今世、たくさんの私とともに共有していきたいと、心からそう願う私の思いに出会っています。

■ 25 

自分の死後を思う。


 死の直後、すぐ死んだことを理解できるか否かがまず問題です。境目がはっきりとしているわけではありません。

死んだこともわからずに普段と違う様子に戸惑うでしょう、

でも次第にもしかしたらこれが死かとだんだんと納得してくる、そこからが問題です。

 

今この学びを理解し心から信じていれば、田池留吉を思う、ひたすら思う、呼ぶ、そんな状況でしょう。

でも生半可な学び、他力の思い、肉への執着が強い場合、自分の死を決して受け止めることはできません。

助けてくれ、救ってくれという思いを出すたびにそれが自分をがんじがらめに縛っていきます。

自分が出してきたエネルギーが自分を覆い、にっちもさっちもいかない、

呼吸も出来ない窒息状態となってそのまま固まってしまう、固まってしまった方が楽だからです。


 自分の出してきたエネルギー、他力の思い、捨てきれない肉の執着が重石となって自分を押し潰し、縛り続けます。


 今の私の状況は決して固まりませんとは言えないです。

田池留吉を信じて信じて信じきるところまでいってはいない、

田池留吉を呼ぶ思いの中に他力の思いが潜んでいるかもしれない、

肉への執着は少しずつ薄れてはいますがまだまだです。


 でも今ふと思います。今肉を持って死後の自分に語りかけることができるということが、

そしてそのような方向に学びが進んでいることが、自分にとってどれほどのチャンスか、

今が死後の自分を変えることができる、すべてが今現在に鍵がある、だからこそ今世があったのだと嬉しく思います。


 今世の意味が深く深く伝わってきます。

今までの過去世とは違い、今世は大きな飛躍のチャンスをいただいているのだと、嬉しく思います。真剣に学んでいきます。



■26 

今まで過去世の自己供養を進めてきました。

自分の死後の意識と語るということは今肉をもちながら死後を供養できると言うことに通じるのですね。

 

 死の直後の自分に思いを向けます。


 「あぁ、ここはどこですか、私はどうなったのでしょうか、どうしたらいいのでしょう。あぁ、苦しいです。

私の肉体が金縛りにあったように動きません。意識不明と言われましたが、こうやって私の意識はしっかりとしています。

考えることもできます。でもものを伝えることはできません。

口を動かし、声を出しているつもりなのに、誰も私の言うことを聴いてはくれません。・・・


 あぁ、どんどん奈落の底に引き込まれるように、薄墨色の世界が暗黒に変わっていきます。

押し潰されそうです、あぁ、死んだのですか、これが死ですか・・・

あぁ、死後の世界を話しには聞いていましたが、本当でした、凄い世界です、想像を絶する世界です。

何もないのです、苦しさ、寂しさ、恐怖、狂いそうなほどすべてがどっと押し寄せてきます。

真っ暗な世界がこんなに怖ろしいものだとは、あぁ、誰か助けてください、救ってください・・・」

 

 『誰が救ってくれるのですか、誰が助けてくれるのですか、落ち着いて自分の心を見てください、

あなたが学んできたことを思い出してください、あなたの心の中に存在する母親の温もりを思い出してください』

 

 「あー、はい、わかりました。母親の温もりですね、優しい温かな温もり、確かに私の心の中に存在していました、

はい、沢山学んできました、アー、私の心の中に田池留吉の波動が存在していることを、思い出しています。

あぁ、お母さん、お母さん、私は間違い続けてきました。

肉を置く時の思い、感謝、喜びよりも、苦しい苦しい思いをさらに重ねていました。

寂しい心を抱えていました。孤独な身を恨めしく思っていました。

誰が世話をしてくれても、当たり前のように思い不足の思いを膨らませていました。

明るい生活どころか、暗い暗い心を膨らませていました。

あぁ、どんな身の上でも心は田池留吉と共に歩んでいました。それを忘れてしまっていた、それが残念です。


 私の中の他力の心、まだまだです、救ってください、助けてくださいの思いが瞬時にでます。

遠くから念仏が聞こえてきます。祝詞が聞こえてきます、渦をまいています、

この渦に飲み込まれたら決して浮かび上がってはこれないような底なしの渦です。

南無大師遍照金剛、南無阿弥陀仏、南無観世音菩薩、心を向けたものがすべて渦となって襲ってきます。

あぁ、間違ってきました、私が心を向けたものがすべてその姿を現しています。実態はありません、渦です、凄まじい波動です」

 

 『畏れることはありません、すべては自分自身です。どうぞ心の中の田池留吉に心を向けてください、

お母さんを思ってください、優しい温もりがあなたの心の中に存在することをもっともっと強く感じていってください』

 

 「あぁ、はい、私の心の中に真っ黒なものが蠢いています。その実態は全部はわかりません、

でもお母さんの温もりを感じていくと少し楽になります。蠢いている真っ暗な世界から、私が使った心が飛び出してきます。

責め裁き、恨み、見下げ、己さえよければと己の栄華を求めた心です。

人を蹴落とし、裏をかき、策略を用いて自分以外のものを滅ぼしていった心です。あぁ、そして沢山の神々を求めた心です。

自分の外にすべてを求めていった心、それがとても冷たく感じます、田池留吉を捨てるとはそういうことだったのですね。

田池留吉の宇宙とは相反する宇宙を心の中に作り上げてきた間違いを今感じています。

もっともっと伝えてください、学んでいるようで何もわかってはいなかった、

今肉が無ければ誤魔化しようのない心の世界がはっきりと現れてきます。

私は本当に愚かでした、学んでいきます、

心から、心底心から田池留吉を呼べるまで学び続けていきます。ありがとう、本当にありがとう」

■27 

死後の自分に思いを向けていく。母親の温もりが死後の私を温かく包んでいくのを感じます。


 田池留吉に心を合わせる、心の針を合わせていくということがどれほど大切か、ひしひしと伝わってきます。

肉がなければなかなか反省はしにくい、でも常に心を見ていく習慣があれば、

喩え肉がなくても自分の心を感じる手助けをします。


 自分の心の中に田池留吉の宇宙の温もりをほんの少しでも感じていくことが、自分を救っていく力になる、そう感じています。

真っ暗な闇の中でふと田池留吉の波動を感じた時の喜びは筆舌に尽しがたいでしょう。

自分を取り巻く闇、押し潰されそうな圧力を感じていてもそれがふとほどけていく様な感覚です。


 大きく呼吸をして、田池留吉を呼ぶ、心から呼ぶ、それがもう嬉しくて嬉しくてたまらない、喜びが心を軽くしていきます。

繰り返し何度も何度も自分を見つめながら田池留吉を思い、心に呼ぶ、その繰り返しです。


 真っ暗闇の中で周りには何もない、あるのは自分の出してきた思いと壮絶なエネルギー、

それでも段々と自分の心の中にある母親の温もりに気付いていきます。


 これからも何度も何度も死後の私に語りかけていきます。

そして今肉ある自分がしっかりと心の針を田池留吉に合わせていけるよう、さらに自分を見つめ直していきます。


 ありがとうございます。

■ 28 

母の温もりを確かなものにする、自分の心に確立する、

そして田池留吉のメッセージをしっかりと受けらるように心を見ていく・・・

今、私に必要なのはまずしっかりとした自己確立です。


あやふやな心では、到底この先はない、そんなに生易しい世界ではない、そう感じます。

 

自分が抱えてきた凄まじい世界を思うと、少し母の温もりが感じられ、

田池留吉の宇宙が垣間見られというだけでは、程遠い、それが現実なんだと思います。

確かに、田池留吉に肉で出会え、その世界をほんの少し感じさせてもらい、

もう今までの自分では想像もつかない世界に生かされているということを知るチャンスをいただきました。

それだけでも凄いことでした。でも、私が私に求めるのは、それだけではない、そう感じるのです。


今世、田池留吉の肉ある間に学べることはすべて学びたい、

そして田池留吉の肉亡くなった後も、私は私の学びを進めていきます。

今は、自分がこの肉を離すとき、「生まれてきてよかった、お母さんありがとう、すべてが喜びでした、

すべての転生よありがとう、真っ黒い自分よありがとう、また来世で出会おう・・・」

そう感謝と喜びで死んでいきたいと思っています。

今できることに最大限エネルギーをつぎ込む、それが私のすることです。


 ■29 

「あなたの死後も田池留吉と交信していますか、それとも固まっていますか。」

 

 何ひとつわかりません。私の意識はまだ何も確立していないということです。

母の温もりを確立して初めて死後を思えると思っています。

この肉ある間にそれができるかどうか、ただ淡々とできる限りのことをしていく、その現状です。

これまでに使ってきたエネルギー、その凄いエネルギーが覆いかぶさって来る、

何か大きな岩盤のようなものが身に崩れ落ちてくるような感覚を感じたことはあります。

 

だからなおのこと今を大切に、残された時間をしっかりと学んでいく思いです。知識での意識の世界でした。

私が信じてきたのはこの肉の上での知識の意識でした。学びを浅くとらえていたと振り返っています。

今まで自分が感じてきたものが肉で思い描いたものだったと思い始めています。

HPから核の確信した思いを感じるとき、全く自分にはない、そのことを強く感じます。

意識の転回、これなくして真実はこの心の現実とはならないと、はっきり感じました。

 

今、自然治癒力を通して意識の世界を確信しようとしています。

自分の中で真実を明らかにするその第一歩を歩み始めています。おそまきです。

でも私にはここから意識の世界を現実とさせる嬉しい一歩となっています。

ここを通して死後の世界というものも、自分の中で明白になるのではないかと思っています。

母の温もり、これがすべて、母の温もりが唯一、固まった自分の死後を救う小さな風穴となっていくのだと思っています。


■ 30

 肉ある時も、肉がなくても私達は無限の愛の中に存在している、すべてが愛でした、そう感じていく道を歩んでいます。


 意識の世界は奥深く、まだほんの少ししか私にはわかりません。それでもすごいなと日々感じています。


 死後の自分に思いを向けていくと、そのとてつもない苦しさの中からも田池留吉に心を向ける喜びが伝わってきます。

ほんの少ししか向けられなくても、だいぶずれていたとしても、でも向けていこうという思いがもう喜びなのです。

赤子が母親のお乳をまさぐるように、必死で求めていく心に応えてくれるものがある、

温もりがある、それが愛なのだと感じています。


 あぁ、私達は肉を離れこのような地獄の苦しみを味わっているけれど、それでもそれが喜びなのです。

自分の闇に鮮明に向き合える喜び、そしてみずから課題を見つけ、シナリオを描き、

また肉を持つことを願い出る喜び、そうやって何度も何度も転生してきたのだと思います。


 でも今世の肉を離れた死後は今までとは違います。

はっきりと心の中に田池留吉の波動、母親の温もりが息づいているから、今までとは雲泥の差なのだと感じています。


 生きることも喜び、死もまた喜び、意識の進化のためにすべてが流れている、

そして次元移行は自分に用意された究極の愛なのだと感じています。


 愛に帰る道を歩んでいく、今私達はその道を田池留吉によって示されました。


 もっともっと真摯に受け止めていきます。 


 「さぁ、どんどん心を開いていきなさい、畏れることはありません、

自分自身を信じ、自分自身の中にある母親の温もりを信じること、それがこれからとても大切なのです」。
 

■ 31

 生れてきてよかった。やっと心からそう思える私がいます。生れてきてよかった。お母さんありがとう。

そのように思いながら死んでいけたらいいな。私の心からの思いです。


死と言う言葉を聞くだけで、怒りと恐怖が突き上げてきて、叫び狂うことしかできなかった私でした。

死を恐怖する姑に優しい言葉の一言もかけることができない。

その反対に、私の心の中から突き上げてくるのは恐怖と怒りばかり。その自分を、どうすることもできない現実。

そして、縋りつかれる恐怖。そんな中に身を置いていた自分を振り返れば、私自身が死が怖いのです。

死と言う言葉を聞くだけで恐怖を通り越して怒りでいっぱいになるんです。

そんな私が自分の死を思うことなど本当にできませんでした。でも、必ず来る。誰にでも必ず来る死です。

どれほど逃げても影のようにいつも側についてくる死。


肉は影で、意識の世界が本当の世界なのに、

肉を本物とする心には決して死を素直に受け入れていくことはできないことを知りました。

死後の世界、意識の世界が本当の世界であることを全く知らずに生きてきたのです。

生きている時に、自分の死後の世界が分かれば、どのように生きていけばいいのかが分かってくる。

自分をどのように変えていけばいいのかが分かってくる。

愛も、優しさも、ありがとうの思いも、自分から出し続けてきたその言葉が全て偽物だったことに気が付いていける。

自分を知る。自分の心の中のエネルギーを知ることの大切さを改めて気付かせていただきました。


自分のために生きる。その本当の意味
を知った今の私の心は安らいでいます。


そんな私が自分の死を真剣に思えるようになったのは、姑との日々の生活の中での一つ一つの出来事からでした。

歳をとってくれば自然に自分の死を思っている。それは誰もがそうなのだと思います。

日々自分の死が近づいてくるその恐怖。その恐怖の思いが色々行動や言葉になって飛び出してくる。

もうこの年齢になったら死は覚悟している。いつ来ても怖くはないと言っていた姑でした。

そう言い続けていた姑が、体が自分の思うように動かなくなってきたのを境に、

まったく別人のようになっていくその姿、現実の厳しさを学びました。

その時は必死の介護で気が付かないことばかり、

今、数カ月たって時間に余裕が持てた今だから色々な事に気が付き始めています。

 

姑に向かって出した言葉、取った行動、態度、本当に冷たかった自分を振り返っています。

自分から流れる思いの冷たさ、厳しさ、傲慢さ、言葉に出さずとも流れていたんです。

姑とともに過ごした時間は、本当に地獄の底の底の奥底で這いずりまわって私を認めろと叫んでいた私ばかりだった。

優しさも感謝もないと姑を罵り続けていたけれど、それが自分の姿であったなどと、その時は絶対に思えないことでした。

時間がたつにつれてそんな自分であったと気が付き始めています。


姑が亡くなる数ヶ月前、姑が亡くなる数日前、そして、亡くなった当日、亡くなった後、

そして、数カ月たった今の思いを綴ってみたい思いになりました。お祖母ちゃん。ありがとう。

その思いで出てくる思いを素直に書き綴っていきたいと思います。

 

 姑との日々の生活からたくさんの体験を通して、本当に真剣に自分の死を思えるようになりました。


「生れてきてよかった。お母さんありがとう。そう思って死んでいきたい。」心からそのように思える生き方をしていこう。

自分のために。誰のためでもなく自分のためにと心で決めている私がいます。


たとえ周りに誰もいなくても、一人で死を迎えることがあっても、私は、生れてきてよかった。

お母さんありがとう。そう思って死んでいける自分に変わっていこう。

死ぬことが怖いと叫び狂っていた私をしっかりと受け入れていこう。

心の底から思いました。お祖母ちゃんありがとうございました。

 

 その人の本当の姿が見えてくるのは、死ぬ時なんだと素直に思います。心の世界は正直です。

死ぬ時は、自分に素直になって死んでいくことを、姑は息子夫婦に心の世界の現実をしっかりと演じて見せてくれました。

お前達の現実は私と同じだよと教えてくれていたのです。お祖母ちゃん。ありがとう。その通りでした。

私達も同じ世界に生きていることを今ヒシヒシと心で感じ始めています。


決してお祖母ちゃんと暮した時間を無駄にすることはしません。

間違ってきた自分に出会い、間違ってきた自分をしっかりと認めて受け入れていきます。

私達夫婦に残された日々の時間を大切に生きたいと心から思います。


瞑想するたびに、姑を思います。ありがとうの思いで思える私がいます。嬉しいです。


「生れてきてよかった。お母さんありがとう。みんなみんなありがとう。」そう思って一人でも死んでいける自分でありたい。

そう思えるようになった今がとても嬉しいです。自分の心が静かで安らいでいる時間が嬉しいです。


■32

アルバートです。

 人間は生きていても、死んでいても、自分の心の世界に存在して生き続けていきます。

自分が流し続けてきた凄まじいエネルギーに出会うために人間は生れてきます。

そのエネルギーに出会い、そのエネルギーを

自分で確認して受け入れていくために日々の時間があります。

自分の本当の仕事は自分が日々使っている心を見ていくことです。

見ていけば自分が見えてきます。

明るいか、暗いか、確実に自分の心の姿が見えてきます。そうです。

自分が自分を知りたいと思ったら、いつでも自分の心に出会える私達です。

肉があるということはそういうことです。

 

自分の心に出会えば出会うほど苦しんでいる自分がほとんどです。

苦しみは自分で自分に間違っていることを伝えているシグナルです。

間違ってきたから苦しいんですよと、伝えてくれている本当の優しさです。

間違っていることを自分の中から自分に告げられているのですが、

心を見ることをしていなければ絶対にそのような事が理解できません。

あなたの中に沢山のあなた自身がともに生きています。

そのともに生きているあなた自身から、苦しんでいるあなたが間違っていることを伝えてくれているんです。

 

間違っていたと素直に自分で思えたら、今までの自分が変わっていきます。

それは、自分の間違いを自分で受け入れていくことだからです。

責任転嫁せずに自分で間違ってきたことを認めて受け入れていく繰り返しの中で、

自分が気が付かないうちに自然に変わっていくのです。

自分で間違いに気が付くことが大切です。

 

間違ってきた自分を変えていきたいとするその思いは本当に自分に優しいことだからです。

本当の優しさは厳しさを伴います。そして、本当の厳しさは優しさを伴います。

どちらが欠けても自分のものにはならないのです。

他力のエネルギーは自分で自分を変えていこうとするその心を外に向けさせます。

自分を変えていこうとする思いを阻止するのです。

それは、自分の中に作り上げた他力のエネルギーがそのように向けていくからです。

他力のエネルギーは本当に根深いです。肉に、肉にと流されていく自分を振り返れば一目瞭然だと思います。

そのことに気が付けたら、今までの自分の流れを変えていこうと素直に思えてくるはずです。

 


間違ってきたという思いは、自分の中にある優しさと温もりを蘇らせていきます。

それを積み重ねていけばどんどん間違ってきた自分が愛おしくなってきます。

間違ってきた自分を優しく包んでいきます。自分の心を見ていこうとする思いは自分への優しさです。

自分への本当の優しさです。その優しい思いが間違い続けてきた自分自身を受け入れて包んでいきます。

 


気負わなくても、自分に優しくなれる。日々の中での積み重ねだけです。

諦めずに、ただただ素直に自分の心を見つめて続けていくことが、自分への優しさを蘇らせていきます。

そのようになってくれば、今まで見えていた霧にかすんでいた風景がはっきりと見えてくる。

人に頼らなくても喜びで自分の人生を全うしていける。

自分の思いを素直に聞いて、受け入れていくことが嬉しくなっていくからです。

自分の思いを素直に穏やかに言える自分が嬉しくなってきます。

自然に自分の間違いに気が付いて、自分で自分を変えていきます。

試行錯誤を繰り返しながら、どんどん変わっていく自分が嬉しくなります。楽しくなります。

 

このようにして自分の心を見つめて、苦しんでいる自分を受け入れていこう。

苦しんでいる自分をしっかりと受け入れていけることが嬉しい。それを繰り返していくだけです。


その延長線上に自分の死後の世界があるのです。死後の世界は、その結果をはっきりと自分に示してくれます。

人間が死ねば、自分が作り出した意識の世界に留まっています。

死後の世界はあなたの心の世界、現実の世界です。決して特別な世界ではありません。

 


肉ある時に、自分の心を自分で供養する。自分を喜びに変えていく。

人間の本当の姿に戻していく第一歩が自分で自分を供養することです。人を供養することはできません。

なぜなら、人間は地獄から生まれてくるからです。

地獄から生まれてきたことを忘れてしまったままで、人を救えるはずがないのです。

それは、自分の心を見ていけば、はっきりと自分の心で分かってきます。人間はなぜ生まれてくるのでしょうか。

何をするために生れてくるのでしょうか。真実を忘れた心は苦しみを嫌います。

苦しみは自分に何を伝えてくれているのだろうかと立ち止まってみてください。


苦しみは、あなたは間違っていますよというシグナルです。

そのシグナルを無視して、どれほどかたちや物を手にしても死んだら消えていくものばかりです。

どうぞ、自分を供養してください。自己供養です。苦しみは愛です。

そのことを自分を供養する積み重ねの中から知っていってください。

アルバートです。

 

■33 

自分が出し続けてきたエネルギーは全て自分の元に返ってくる。それを確実に教えてくれている死後の世界です。

死ねば自分が出し続けてきたエネルギーが覆いかぶさってくる。

自分の中に押し込めていたそのエネルギーに今度は押しつぶされていく。

それは凄まじい勢いで自分に覆いかぶさってくる。

 

肉ある時に自分で自分を裏切り続けてきた結果、肉ある時に、自分が心の中に押し込んできた結果でした。

心のその蓋を自分で開けて、自分の中の心の叫びを素直に出していくことの大切さを強く感じてきました。

蓋を開ければ、苦しい自分が飛び出してくる。飛び出してくるその叫びは自分の中の自分自身。

しっかりと受け入れていくだけでした。しっかりと抱きしめていくだけでした。意識の自分のために生きていきます。

 

死後の世界が教えてくれています。

自分が出し続けてきた凄まじいエネルギーに自分が飲み込まれて真っ逆さまに落ちていく。

本当に自業自得の世界です。自分が出し続けてきたエネルギーを包んでいける優しさ、

お母さんの温もりをしっかりと自分の中に確立することをしていきます。

間違ってきた自分、苦しんでいる自分を思えることは喜びです。

母の心で自分を包んでいってください。

どれほど自分が間違っていても、どれほど苦しんできても、自分が愛おしいはずです。

幼かったころの自分が愛おしくなってくるはずです。

 


田池留吉に心を合わせる。お母さんを思う。優しい自分に蘇ってください。

死後の世界はあなたの現実の世界です。今を大切に、そのことを伝え続けます。

■ 34 

肉のない田池留吉と肉ある私が交信することはできるのではと思っています。

でも肉のない私に、それができるかと自分に問うてみれば、今のところはっきりとした答えはでてきません。

思いを向けることに必死でしょう、呼ぶことに必死でしょう。


 でも交信できる状態にまで自分を押しあげていく為に、今死後の自分に一生懸命語りかけています。

自分が自分に伝える田池留吉の温もり、優しさ、そして波動。


 死後の私は自分が出してきたエネルギー、様々な他力の思いの中で押し潰されそうになります、

でもそれを冷静に適確に捉え、決して呑みこまれない自分を養うことに努めています。

心の針を正す、そしてさらなる自己供養、今為すことはそれしかありません、

そして瞑想の中で自分の死後を感じる中で予行演習をしているのです。


 肉の思いを少しでも軽くして、他力の思いを見直して、あぁ、でも一番大切なのは、

やはり田池留吉を心に呼ぶことができるか、心の針を向けられるか、

それにかかっている、その一言です。

■35 

凄まじいエネルギーを出し続けた真っ黒な意識達、何度も転生を重ね、

どんどんアルバートの宇宙から遠く離れてしまった意識達。

それでも生まれたい、今世こそ必ず真実を掴みたいと必死の思いで肉もつことを希望しました。


 田池留吉に出会えるようにプログラムを組み、その道を歩んできました。偶然はひとつもなくシナリオ通りです。


 今世の時間がいかに大切か、日を追うごとにその感を強くします。

今世駄目なら来世がある、それは通用しません、今世駄目なら宇宙の藻くずの予備軍ですよと自分がそう伝えてきます。

一歩でも半歩でも自分を進ませていく決意と努力、田池留吉の愛に応えるとはそういうことではないでしょうか。

自分が自分にできることを精一杯することが自分を愛すると言うことではないでしょうか。


 真実を知らないまま、肉にしがみついて迎える死後の世界は想像を絶する世界です。

固まるといっても安らかに固まっているわけではありません。

手足が千切れてしまう感覚、何処かへバラバラに吹っ飛んでしまう感覚、自分が自分でない、

自分を思うひと時ももてないような苦しみの世界、自分に恐怖し自分を抹殺してしまいそうな世界。


 あぁ、過去何度もそのようなところから肉をもってきた、どれほどの決意で肉をもったのか、今まで以上に感じています。

だからこそ今世を決して夢うつつの中に過ごしてはならない、そう決意しています。


 死を恐れる心はこの記憶がどこかに存在するからなのではないかとふと思っています。


 今世田池留吉に出会ったということはその循環から自らを救い出す大きなチャンスなのだと、

死もまた喜びの思いを自分の中に確立していく大きなチャンスなのだと感じています。

 

 今世の肉がどんなに大事な肉か、それが心に響いてきます。

この肉をまとう、それがどんなことか、ああ、嬉しい思いが、苦しい思いを引き出してくれる。

肉を通し心が見れる、それがどんなに大きなことか、そして私と言う存在を思う時、

今、学びの中にこの肉を置けることを、どんなに喜びか・・・

 今日のHPのメッセージを目にしたとたん、喜びとともに闇が一斉に声を上げる。



「お前、もっと心を見ろ、わしらの思いを知れ、わしらもともに学んでいるのだ、

この心を知ってくれ、肉の田池留吉に出会うこと、それはお前だけの喜びではない。

お前の中にいるすべての意識の喜びだ。もっと心を向けろ、田池留吉に、そしてわしらにも、もっと思いを向けてくれ。」

 

 ああ、私の心から「田池留吉、田池留吉・・・」と、叫ぶ声が吹き上がってくる。みんな求めてる、心から求めてる、・・・


私は自分ひとりの肉ではなかった、

この肉を通してどれだけの意識が学んでいるのだろうか。

 知っていきます、もっともっと、私は知っていきます、この心から求める声に応えていきます。

 

 

田池留吉と思った時に、私の中で黒い洋服をきて黒い帽子をかぶったおじさんがでてきます。


私は、ずっと昔から、夜寝る前に祈る習慣がありました。

宇宙の神よ、どうぞ私を光にお導きください、幸せにお導き下さいと、何年間も祈り続けてきました。

それはいいことだと思い続けてきました。

どこに進んでいいか不安があった私はその様な存在を私の中に、私の宇宙に求め、そしてつくりあげてゆきました。

正しい神にすばらしいすばらしい燦然(さんぜん)と輝く真実の宇宙の神に私の思いは通じていると思い続けてきました。

そして、結婚して大阪に住んで、本を読んで、始めてこの学びのことを知りました。

そして、始めてのセミナーに参加することに決めました。けれど、私の中には不安がありました、

もしもこのセミナーが怖い変なところだったらどうしようと思いながら、またいつもの様に夜寝る前に祈りました、

私を幸せへお導きください、光にお導きください、私にパワーを与えて下さいと、

するとものすごく口の避けた人間ではない宇宙人の様なものの顔が私の目の前に迫ってくる様なものを感じ、

私はとてもびっくりしました。

その時に、もしかしたら私が宇宙の神と祈り続けてきた対象はこんなものだったのかもしれないと、そんな不安がよぎりました。

そしてその対象は、とても偉そうに足をくんでものすごくりっぱな椅子に座っている様な姿を感じました。

全てを見下ろし、ばかにしきった様な感じでこの地球を見下ろしている様に感じました。


明らかにこの地球人類の姿形ではありませんでした。

ずっとそのことを忘れていましたが、今朝、田池留吉に向けようと思ったときに、ふとこのことを思いだしました。


そして、去年の12月に前に出させて頂いた時に、目の前に塩川さん、

そして斜め前方に田池先生、その姿を見た時に、ものすごく大きな波動を感じました。

大きな大きな私の全てを包み込んでいる様なものでした。

そして、私の築いてきた世界がとても小さかった、とてもとてもちっぽけなものだったことに気づかせてもらいました。


今日は、そちらの方に思いを向けてみようと思います。私はこの存在を知っていました。

けれど、見たくはなかった、見たくはありませんでした。

 

はい、私はあなたを知っています、私の中にずっと存在してきましたよね、どうぞあなたの思いを語ってみてください。

私は、本物の田池留吉を思います、どうぞその思いの中で語ってみてください。

帰るんですよ、帰るんですよ、あなたも帰るんですよ、ともにともに私たちの真実に帰りましょう、

ともにともに母の安らぎの中に温もりの中に帰りましょう、限りない温もりと優しさが私たちの本当の姿ですよ、

と語ります。

 

私の手は上にあがり、そして身体は形相はものすごい形相になりました。

うわーっと低くこごもる様な声、悪魔という表現がぴったりな感じでした。

不思議と今の私は怖くはありません、そちらに向けるのはタブーと思ってきました。

開いてはいけないものの様な気がしてきました。

はい、けれど私は語ります、語ってください、あなたあなたの思いを語ってくださいと語ります

 

こちらに思いを向けないでくれ、向けないでくれ、ああ何かを感じる、何かを感じる、

私たちの方に何か何かが伝わってくる、これは何だ、これは何なんだ、

 

私は、宇宙をさまよってきたとても寂しい思いを感じました。

寂しさを抱えて本当は真実を求めてさまよってきたそんな思いを感じました。

 

はい、語ってください、もっと語ってください、怖くはないんですよ、

私たちは温もりですよ、温もりがあなたですよ、温もりの中に存在しているのが私たちの本当の姿なんですよ、

 

ああ、寒い寒い寒い、寒い寒い寒い、冷たい冷たい中に存在してきた、冷たい冷たい中に存在してきた、

 

冷たかったのはあなたの心なんですよ、あなたの思いが冷たかったんですよ、

だからそれを感じておられるんですよ

 

はい、私はこの中で震えておりました、震えて震えて存在してきました、はい私です、

私です、ああ怖かった、怖かった、この真っ暗な暗闇の宇宙に存在してきました、

ああこの真っ暗な真っ暗などこにも光も明るい所もないそんな真っ暗な宇宙に存在してきました。

怖かったです、怖かったです、怖くて怖くて怖くてならなかった、怖くて怖くてならなかった、

この寒さの中で震えて震えてきたんです、なぜ私はこんな所に存在しているんだろうって思い続けてきました、

なぜこんな所に存在していなくてはならないんだろうって、どこにも出口がない、どこにも出口は見つからない、

あるのはこの真っ暗な真っ暗な暗闇、漆黒の宇宙、それしかわかりませんでした、

はい、私はこんな中に存在してきたんです、こんなこんな中に存在してきたんです、

これが私の宇宙なんです、宇宙は広いと思ってきました、限りない夢が希望が広がっていると思ってきました。

けれどこれが真実なんです、小さな本当に狭い狭い狭い空間だったんです。

ああ、はい楽になってきました、

はいあんなに寒かったのに、私の中に温もりが伝わってきます、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、

 

はい、この思いを感じてて、私だなあと感じました。本当に私だったんだなあと、感じました。

私はこんなものとずっと一緒だったんですね、

それで田池留吉の方に向いていると、その学びをしていると思い続けてきたんですね、

だからなかなか向けなかった、向いてるつもりでもなかなか向けなかった、はいわかりました、

やっとわかりました、この存在、はいこの存在が私の中に存在していました。

はい、この存在とともに帰っていくんですね、ともに帰れるんですね、

はい嬉しい思いがわいてきます、私の世界が広がっていく様に感じています、

ともにともに帰っていく、そんな安堵感が安らぎが私の中に広がっていきます。

 

けれど、まだまだこの寒い寒い寒い思いがあります。

そうなんですね、この私を排除することなく、嫌うことなく、ともにともに手

をつないで帰っていくんですね、抱きしめて抱きしめて帰っていくんですね、

それが出来るんですね、抱きしめていくことができなかったから、

嫌って排除して逃げることしかできなかったから、私の世界は小さかったんですね、

そして、その思いが冷たかったんですね、だから寒くて寒くてならなかった、はいそう思えてきます。

 

はい、田池留吉の方に思いを向けていきましょう、田池留吉です、本物の田池留吉です。

私たちは帰っていくんですよ、温もりの中へ帰っていくんですよ、温もりが私たちだったんですよ、

どこまでもどこまでも限りない優しさの中に存在しているのが私たちだったんですよ、

この優しさが私たちだったんですよ、はい、私は嬉しいです、あなたに出会えて嬉しいです、

長い間長い間、苦しかったんですね、苦しんできたんですね、真っ暗な暗闇の中を一人で独ぼっちで苦しんできたんですね、

帰っていきましょう、帰っていきましょう、待っているんですよ、母なる宇宙が私たちの本当の姿が待っているんです。

どうぞともにともに私とともに帰っていきましょう、はい私は嬉しいです、あなたの思いを聞かせて頂いて嬉しいです、

ありがとう、ありがとう、あなたとともに帰っていけることが私は本当に嬉しいです。

 

はい、私は優しい思いをあなたに向けられる私を感じています、

穏やかな安らかな思いの中であなたに思いを向けられる私というものを感じています。

ゆったりとしたこの思いの中で私は語らせて頂いています。

ああ、私は本当はこうしたかったんですね、こんな思いの中で、

この幸せな私を感じながら、この様な私というものを感じていたかったんですね。

はい、穏やかです、安らいでいます、優しい思いが溢れてきます、これが私なんだと感じています。

恐怖も何もありません、私の前には安らぎが広がっています。

どこまでもどこまでも広がっている安らぎが広がっています。

この思いでもう一つの存在に思いを向けてみます。

 

あなたも語ってみてください、あなたを語ってみてください、あなたの思いを語ってみてください、

 

私に思いを向けるでない、

 

語ってみてください、語ってみてください、あなたも思いを語れますよ、あなたも思いを語れるんですよ

 

私が苦しいはずはない、この私が苦しいはずはない、私こそは私こそはこの宇宙を束ねるものなり、

この地球を真実に導いていくもの、この地球を導いてきた、この宇宙のパワーでこの地球を導いてきた、

愛と平和、この地球にはそんなものは存在しない、お前たちのその心の中をのぞいてみろ、

すさまじい欲望が果てしない欲望が広がっているじゃないか、憎しみが広がっているじゃないか、

私たちはお前たちの望むものを与えてきた、与えてきたのは私たち、

この宇宙のエネルギーだ、ああ、けれど苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、

 

なぜ、あなたがそんなに苦しかったかわかりますか、あなたが本当のあなたを捨て去ったからなんですよ、

あなたがあなたの中から本当のあなたを捨て去ってきたからなんです、本当のあなたとは形には見えません、

けれどあなたの中に存在しているんです、確かに存在していたんです、そして今も存在しているんです、

だからこの様にあなたの中に苦しみが存在しているんです、

それはあなたが間違っているから、あなたが間違ってきたから、あなたの本当の姿は愛なんです、

温もり、優しさなんです、どこまでもどこまでも限りない優しさで全てを包み込んでゆく温もりがあなたなんです、

あなたはこのエネルギーなんです、母の温もりなんです、母なる宇宙の温もりなんです、

それを捨て去り忘れ去ってきたあなたが間違ってきたんです、だからその様な苦しみの中に存在しておられるんです、

 

そんなはずはない、そんなはずはない、私はそんなものの力をかりずとも、

りっぱにりっぱにすばらしくすばらしくやってこれたんだ、私が苦しいはずはないんだ、

私は全ての力をもてるもの、この宇宙全てを束ねてきたんだ、私の力はすばらしい、

すばらしいんだ、この宇宙全てを変えていけるんだ、不可能を可能にしていくんだ、

すばらしいすばらしい力、我こそが神、いや神以上の力を持ってきたんだ、

この宇宙の源として燦然と輝く光としてこの宇宙に存在してきたんだ、

その私にそんな安っぽい愛なんか必要とはしない、私は私はこの私だけの力で十分に存在してこれた、

そしてこれからも存在していけるんだ、ああ、でも苦しい、私の力がなえていく、

苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、こんなはずではなかった、

私にこんな苦しみがあるはずはなかった、こんな苦しみとうのとうの昔に消え去ったと思ってきた、

ああとうの昔に、ああ苦しかった、苦しかった、

 

はい、私はこの思いを感じていて、何だかはい、懐かしいというのか、ずっとともにあったことを感じました、

そして、この存在、このエネルギーに気づいていくこれからのこの地球上のそして宇宙でおこってくる、

この250年という時間が必要なんだと感じました。

はい、私たち地球人類は、このエネルギーの存在、すなわち私たちの思い、

意識に気づいていくこれからの250年だという感じがします。

はい、喜びなんです、喜びなんです、私たちは気づいていけるんです、

どんなにどんなに暗い黒い野望、すさまじい思い、エネルギーを培ってきたとしても、

その先にあるのは喜びなんです、その思いの私たちが帰っていけるんです、

そのためにこれからの250年はあるんです。

はい、嬉しいです、私たちはこの思いとともにこの意識とともにこのエネルギーとともに帰っていくんです、

私たちの先には次元移行が見えています、その次元移行へ向かって私たちは歩んでいくんです、進んでいくんです、

私たちは私たち地球人類は自分を知っていくんです、そして本当の自分というものに出会っていくんです、

このエネルギーを受け入れて、そしてそれを超えていくんです、

次元移行が待っています、そしてその先の私たちが待っています。

はい、嬉しいです、本当に嬉しい、人類の夜明けが始まっていくんです、

人類の目覚めが始まっていくんです、やっとやっと始まって始まっていくんです、待ってきました、

私たちは本当に長い間、遥か彼方からこの時をこの思いを待ち続けて参りました、

ありがとう、ありがとう、意識の流れはこの様にとどこおりなく流れいきます、進んで参ります、

次元移行の方へその方向へと流れて参ります、

はい私たちの思いがこの一つの流れとなって進んで参ります、帰りたい、帰りたい、

真実に出会いたい、本当の私たちに帰りたい、その思いがこの1つの流れをおこしていくのです。

可能にしていくのです。ありがとう、ありがとう、遥か彼方からの私たちよありがとう、はい待ち続けてくれてありがとう、

これから帰っていくんです、帰っていくんです、この喜びの時を迎えていけるのです、

本当にありがとうございます。

 

ともにともに帰ってくるんですよ、ともにともに帰ってくるんです、

私は待っています、いつもいつもともにともにあなたと共にあります、

いつも私を感じてください、いつも私の存在をあなたの中に感じてください、

ありがとう、ありがとう、はい私も喜んでいます、ありがとう、嬉しいです、私たちの計画です、

私たちの計画はあなた達の計画です、

私たちは一つです、一つ、一つ、一つ、一つの喜びを広げていきましょう、

どこまでもどこまでも広げて参りましょう、広がっていくのが私たちです、

どこまでも広がって果てしなく広がって、そして次元を超えていくのです。


 

(新) 田池留吉の問いかけ と 学びの友の返答←クリック

 

あなたの反省と瞑想は進んでいますか


 あなたは、転生の意味が分かっていますか。

 あなたは、田池留吉の肉と意識についてどこまで知っていますか。

 あなたは、田池留吉がなぜ日本人として大阪の地で肉体を持ったか分かっていますか。

 あなたは、田池留吉がお伝えしてきたことをどの程度信じていますか。

 あなたは、田池留吉のメッセージを受けていますか。

 あなたは、田池留吉の死後、田池留吉と交信していますか。

 あなたは、あなたの死後も田池留吉と交信していますか。それとも固まっていますか。

 あなたは、田池留吉の来世 アルバートと交信していますか。

 あなたは、来世、アルバートとどのような出会いがありますか。 

 あなたは、次元移行を果たしましたか。 その時の様子を語ってください。


 
 参考; 意識の転回 母親の温もり 自己供養 田池留吉・アルバートを思う瞑想


  はじめに、愛がありました。

  意識は愛、宇宙は愛,母親は愛です。

  私は愛、あなたも愛、ひとつです。

  生も、死も、愛の中での現象です。

  愛は喜び、愛は温もり、愛はパワーです。

  人間は、愛から出て愛に帰る存在です。

  愛なき宇宙は暗黒、愛なき人生は暗闇です。

 意識の転回、自己確立・独立独歩、次元移行は愛に帰る道です。

 人々よ、目覚めて愛に帰りましょう。

 

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☆ 私がお伝えしたいこと、あなたが知りたいことは

「意識の流れ」の本と意識からのメッセージにすべて記されてあります。

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田池留吉/塩川香世
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私の思いというのは、あなたに是非本当のことを知ってもらいたい、

真実に出会っていただきたいということなのです。

あなたは、今までにこの世のどこかに真実というものがあるのではないか、

今はまだなにか分からないけれど、 絶対に変わることのない本当のことがあるのではないか、

と考えてみたことはないですか。 あなたは本当のことを知りたくはありませんか。

この本は、そんなあなたに、あなたの心で答えてくれる一冊になってくれるでしょう。

 

主な目次


  はじめに


 1. 私の人生は、セミナーとともにありました 15
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 2. 私の人生すべてを懸けてお伝えしてきた真実 36
--------------------------------------------------------------------------------

 3. 心を見るということについて 49
--------------------------------------------------------------------------------

 4. 本当の人生、本当の喜び、そして、本当のあなたとは 69
--------------------------------------------------------------------------------

   5. ここで「死」ということに触れてみましょう 80
--------------------------------------------------------------------------------

 6. 神と金に狂い続けてきた人類 91
--------------------------------------------------------------------------------

 7. 天変地異の足音 118
--------------------------------------------------------------------------------

 8. 心を見る大切さ 134
--------------------------------------------------------------------------------

   9. 意識の流れと次元移行 154
--------------------------------------------------------------------------------

 10.私達は、宇宙とともに次元移行をします  
--------------------------------------------------------------------------------

   おわりに 233


   再 掲 238
 


■はじめに■


この本を手にしていただいて、ありがとう、大変嬉しいです。

長い長い時を経て、ようやくお会いできました。シナリオ通りとはいえ、幸せです。


どうぞ、まず、生まれてきたことを喜んでください。お母さんの温もりを心で感じてください。

そして、生きる本当の意味を知って自分の人生を全うしてください。


「あなた方は今、意識の流れを感じていますか。すべての意識はその流れの中にあります」と、

このように申しましても、一体意識の流れとは何なのか、すべての意識とはどういうことなのか、

そして、流れの中にあるとはと、最初から、あなた方の頭の中には、疑問符が出てくるでしょう。

 

そもそも、これから私がお伝えしようとする内容は、

過去、どの文献にも記しるされていません

いまだかつて真実に出会えた人間は、いないからです。

確かに、人間は、過去より真実を求めてきました。

しかし、実際は、誰一人として、真実というものを知らずに、分らずに死んでいきました。

従って、本当はこれまでに救われた人などいないのです。

神にも仏にも宇宙のパワーにも、私達を救う力など全くありません。

私達自身が、真実に目覚めない限り、私達は救われないのです。

実は、そのことを、はっきりと伝えるのが、意識の流れというものです。

そして、私は、私達はみんなその流れの中にありますということを知っていただきたいのです。

 

そこで、話の中心は、一体真実とは何か

私達人間が本当に真実に目覚める時がやってくるのかということになってくるのですが、

ここでひとつだけポイントとして、押さえておいていただきたいことがあります。

それは、真実の世界は、人間の頭では計り知れない世界だということです。

本当のことは、あなたの頭ではなくて、あなたの心で分かるものであり、

そして、あなたの心でしか分からないものだということを、私は最初に断っておきます。

では、人間の頭では絶対に分らないという真実の世界を知るには、どうすればいいのでしょうか。

それを、これから、私は、順を追って語っていきたいと思います

(後略)

 

■増補改訂版「意識の流れを読んで」■


少し前に、以前発売になっていた「意識の流れ−アルバートとともに−」の本を手に取り、

帯に書かれた「真実の世界は、あなたの頭では分からない、

あなたの心でしか分かりません」という一文を見た瞬間に、

ふいに涙が溢れ、胸がいっぱいになったことがありました。

 

その本の増補改訂版を読んで、以前の本と比べて、章立てになっていて読みやすくなり

更に未来の事についても加えられ、より一層、内容が深く、力強くなっていると感じました。

 

今まで生きてきた中で感じてきた数々の疑問に対しての答え、

どう生きていけばいいのかということに対しての指針、

真実の世界、真実の私とは何かについて、一つ一つ丁寧に綴られていました。

うやむやにぼかされてきたそれらの答えが、

はっきりと力強く示されていることを感じて、嬉しく思いました。

 

本当の生き方を知らずに、ただ年月を過ごしてきた私に、

本当の生き方を、本当の真実の世界を教えてくれる一冊に、こうしてまた出会える私は幸せです。

この一冊、大切にしていこうと思います。ありがとうございました。

 

new! 田池留吉・意識の世界 「あなたの問いに 答えましょう」←クリック

その人、田池留吉―田池留吉の世界―←クリック

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アルバート(田池 留吉)とは ←クリック

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今、学ばなくて、いつ学べるのでしょうか

ホームページを通して、呼びかけています

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田池先生の「あなたの意識です」のホームページは、

2010年2月28日(日)で終了になりました

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 2010年3月1日からは、次のような表題で塩川香世さんが担当してくれます。

塩川さんとともに学び、更に一歩前へ進んでいくようにしましょう。

私、田池留吉は、一人でも多くの方が、次元移行を目指して学んいくよう希望してやみません。

過去も未来も今とひとつ←クリック

Hさんの波動の勉強←クリック

IPS細胞 と 自然治癒力の意識←クリック

田池留吉の問いかけ と 学びの友の返答←クリック

 

 

その人、田池留吉―田池留吉の世界―←クリック

田池留吉の世界を感じていこう←クリック

田池留吉からの問いかけ←クリック

 田池留吉の世界からのメッセージ←クリック

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日本の国 そして アマテラス・天照は、今・・・・←クリック

イエス キリスト(そして、ヒットラーの意識←クリック

 

真実の学び・田池留吉・アルバート・そして塩川香世←クリック

塩川香世のメッセージ ←クリック

塩川香世の宇宙・心・思い・そして・・・・・←クリック

 

本物のあなたから、あなたへのメッセージ←クリック

真実の学びにふれて←クリック

田池留吉の肉が亡くなった後、今世 この学びは、どうなるか?←クリック

 

250年後 NY での 学び←クリック

300年後の次元移行そして母なる宇宙←クリック

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UTAセミナーの案内と内容紹介←クリック

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アルバート(田池 留吉)とは ←クリック

その人、田池留吉―田池留吉の世界―←クリック

田池留吉からの問いかけ←クリック

 

田池留吉・タイケトメキチのメッセージ←クリック

Message from Taike Tomekichi:クリック!

 田池留吉の世界からのメッセージ←クリック

 

アルバートからのメッセージ←クリック↓

田池留吉・アルバートの英文メッセージは、こちら(←クリック)に移動しました。

 

天変地異は喜びのエネルギー(天変地異の大予言←クリック

宇宙の友「UFO」 と 喜びの次元移行・ 宇宙の意識←クリック

 

 

「人間はどこから来てどこへ行くのか」 <意識の流れ>真実の故郷を求めて!

宇宙の風(宇宙からのメッセージ) クリック!

田池留吉の世界を感じていこう←クリック

 

私の勉強=あなたの勉強クリック!

田池留吉・アルバート、過去世・来世、宇宙・UFO、天変地異、次元移行クリック!

 

あなたの 過去世・現世・来世・・・・本当のあなたの意識です。クリック!

 

学びの友からのメール(田池留吉へのメール)

 

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「人はどうして病気になるのか?!そしてその対策と克服法とは!」←クリック

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初めて、真実の学びにふれる方の為にクリック!

学びのポイント (田池留吉)クリック!

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瞑想、していますか ? 反省と瞑想の時間ですよ!クリック!

あなたは、なぜこの学びにつながったのかクリック!

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「心の窓が開いた!」初めてセミナー・勉強会に参加する人の為に(動機と心構え)体験話

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地球の意識 と 未曾有の天変地異クリック!

「私達は、宇宙とともに 次元移行をします」クリック!

 

自己確立とは・・・クリック!

他力の反省クリック!

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(真実を求めている方のために) 

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真実を求める方のための 手引き・参考になればと、構成しております

抵抗なく ス〜と入っていただきたいのです。

なぜなら、「あなたは、私。 ワタシは、アナタ」なのですから・・・

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真実とは・人間の本質 田池留吉著 「意識の流れ」 勉強会・UTAセミナーとHP
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最後まで 読んでいただいて ありがとうございます。

松岡儀典(まつおかよしのり 1946年・昭和21年の戦後生れです。

(メッセージの分類・編集人)

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